黄昏の教室

深月珂冶

黄昏の教室

私は、学校の図書館で借りた「アンデルセン童話」の本を教室に忘れたのを思い出した。


階段を駆け上がり、2の3の教室に向かう。

放課後の校舎は静まり返っているものの、校庭は運動部の声が響いていた。


音楽室から微かに音楽の音が聞こえていた。


私は「アンデルセン童話」の「人魚姫」の話が好きだった。


だから、そのページに伏せんを貼っていた。


人魚姫は、大人になると沖に上がることを許された。

沈没した船に乗っていた王子を助けた人魚は、その王子に恋をする。

けれど、王子は人魚が助けたことを知らないで過ごす。

それでも人魚は、王子の傍に居たい為に自分の声と引き換えに激痛に耐えてまでも自分の足を手に入れる。


人魚はやっとのことで、王子の側近になる。けれど、王子との結婚は出来ない。


不憫に思った人魚の仲間たちは、魔女に自分たちの髪の毛と引き換えに剣を手に入れる。

剣で王子を殺せば、足が人魚に戻る。


けれども、彼女はそれをせずに海に飛び込み泡になり、空の空気になる。


愛する者の為に犠牲になる愛。

けれども愛する人はそれを知らない。


切ないけれども、凄く美しく思えた。

一見すると人魚は不幸に見える。

けれど、彼女は幸せだったのではないかと思った。


駆け足で、2の3の教室に入る。

誰もいないと思っていた教室に誰かが居た。

それはクラスメイトの廣崎ひろさきなぶだった。

彼は本を読んでいた。


それは、私が取りに行こうと思っていた本だ。


「あ。それ。私の」

「お前が借りたやつ?机から出てたから懐かしくなって読んでた。ごめん。返すな」


廣崎は私に本を返した。


「ありがとう」


廣崎とはあまり話したことも無かったし、近寄りがたい雰囲気だった。

だから、私は少し緊張した。


「伏せん貼ってあった。人魚姫好きなの?」


廣崎はなんでもないように聞いてきた。


「うん。好きだよ。可哀相だけど」

「へぇ。あの話って、アンデルセン自身の実体験が入っていると俺は思うよ」


廣崎は遠い目をしていた。


「え?」


私はそう思ったことが無かった。


「アンデルセンは同性愛者だった。俺の予測では友人に恋をして、それを言い出せずに離れたのではないかと思う」


そんな説明をする廣崎は、黄昏たそがれているようだった。

彼の言い草は詩を詠むような静かな雰囲気だった。


「知らなかった」

「昔は、国にもよるけど、同性愛は断罪されていたんだ」

「ふーん。色々知っているね」


私は廣崎をじっと見る。

彼をまじまじと見たことは無かった。

よく見ると、彼は整っているように見えた。

廣崎は笑う。


「俺は同性愛者じゃないけど、人魚姫みたいな出来事あったから人魚姫に共感する部分はある」

「ええ?海で溺れた人助けたの?すごいね!」


私は驚いた。そんな私を廣崎は宥めた。


「俺、水泳部だから。泳ぎ得意だし。助けたのは確かだよ。他人じゃなくて兄貴の婚約者だけど」


廣崎は寂しそうな顔をしていた。

彼はぽつりぽつりと話始める。


「俺が助けた。だけど、俺と兄貴は似ているから。彼女は兄貴が助けたと勘違いしたんだ。兄貴もそれを否定しなかった。俺は何も言えなかった」


詳しい話はよく解らないけれど、とても胸が苦しくなった。

私が何も言えなくなり、黙り込んでいると、廣崎が言う。


「変なこと言ってごめん。いいや。久しぶりに人魚姫を読んでたら思い出してさ。人魚姫は幸せだったかもとも思う。愛する人を殺して人魚に戻るより、自分が身を引いたわけだし」


私は廣崎をじっと見つめた。


「そうだね。人魚姫は王子を殺せば、人魚に戻れたのにしなかった。そして、泡になった。けど、最後は笑っていたと思うよ」


私は廣崎に笑ってみせた。

廣崎は優しく笑う。

夕暮れが教室を染めた。


黄昏の教室 (了)

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黄昏の教室 深月珂冶 @kai_fukaduki

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