よみがえった名前

 死闘を演じ合い、痛み分けにより動かなくなった男と少女のことを、遠方から窺う人物がいた。僅か数分のできごと。延々と続くような戦闘行為を、その人物は知らなかった。始められた行為は終わるべきものであり、素人が噛もうが熟達者が関与しようが、終わりとは適切なときに速やかに訪れるものだった。あるいは、速やかに実現させるべきものだった。

 その人物は森の暗がりに紛れていた。全身を迷彩服で覆い、武器や双眼鏡といった光を反射するものには吸収材を混ぜた塗装を施していた。アンノウンに徹する姿勢。

「相討ちだ。少女は胸を撃たれ、男は真っ二つになった」ウォッチャーの発言。ぶっきらぼうで、男性を思わせるような粗雑な話し方だったが、その声音には女性特有の色があった。

《二人とも動かないの? 情報と違うわね》ウォッチャーの耳にはめられたインカムに声が流れる。そちらは女性を思わせるような柔らかな物言いだったが、男性特有の低い声音だった。どちらの声にも無機質じみた掠れがあり、変声器ボイスチェンジャーを使っていることは明らかだった。通信さえも匿名アノニマスであることを好む、病的なまでにアンノウンであることに拘泥する姿勢。

《二人とも動かなくなったのね?》

「そうだ」

《使用された武器は?》

「四十五口径の拳銃ハンド・キャノン。そいつを全弾、胸に叩き込み、六十四口径の大口ビッグマウスに掻っ攫われた」

 やや沈思するような空白が挟まれ、通信相手は「ガセネタを掴まされたかな」と呟いた。続いて「奴が、その程度で動けなくなるはずがない」と持論を述べ、監視に徹するウォッチャーも同意を示す。

「死体を確かめる」

 短く告げ、応えを待たずにウォッチャーは移動を開始した。不整地の森を驚くほど器用に、そして可能な限り静音を保ったままで走る。重力に縛られない立体的な走破。寡黙なウォッチャーであり、熟達したソルジャーである人物は死闘が演じられた現場へと瞬くうちに到達した。状況把握に要した時間は一秒にも満たなかった。武器の非所持を示すために両手を掲げ、行動を制限するために自ら膝立ちとなる。

「随分前から、監視されていることには気付いていました」

 ウォッチャーの背後からかけられた声。突き付けられた銃口、消えた死体。

 十二発の銃弾を胸に受け、確実に絶命したはずの少女が――一般的な認識に照らし合わせれば亡霊とも思える形で――ウォッチャーの背後にいた。少女の緊迫した声音は、ウォッチャーへの警戒を露わにしていた。そしてまた、ウォッチャーにだけ意識を向けるのではなく、頻りに周囲を窺う様子から、ウォッチャーが単独ではないことを確信していることが読み取れた。

「俺は発言を許されているか?」体格からしてあからさまに男性、口調も男性のものだが、声音が女性のものであることに眉をひそめながら、少女は「どうぞ」と促す。

「監視していたことを、まずは詫びよう。だが、俺は君と敵対しているわけではない」

「目的は私ではなく、私が殺したあの男だったということでしょうか」

「いいや、間違いなく、俺の目的は君だった。俺は随分と前から、そう、三年以上も前から君の行方を追っていた。今は何と名乗っているのかは分からないが、かつて〈リトル〉と呼ばれていた君こそが俺達の目的だった」

 少女の手中で銃口が微かに揺らいだことを、背を向けた状態で〈ウォッチャー〉は把握していた。そしてまた、少女の瞳がようやく辿り着けたのかと淡い期待に沸き立つ様を知覚して、苦々しい感情を覚えながら言葉を継ぐ。

「だが、俺達は決して君が求めていた存在ではない。それは、君と同様に、俺達も世界から存在を抹消されたためであり、俺と君は初対面であり、これまで交わったことはないからだ」

 杳として掴めない男の独白。少女は苛立たしげに喚く。あなたは誰か、と。

個体識別名パーソナルネーム〈フラット〉、君という成果の下に開発された後継機、忠実に人間を模倣した機巧人形、それが俺という存在を定義する情報だ」冷静フラットであれと名付けられた人形は、かつて少女がそうしたように、己の首を外してみせた。己が人形であることを、明瞭に示してみせた。

 外された首が回され、少女へと向けられる。覆面の下で口が動く。

「はじめまして、〈はじまりの少女〉。俺達は、大いなる目的のために君を必要としている」

 銃口は下げられた。冷静フラットとは程遠く、大いに揺れ動きながら少女は額の汗を拭う。悪いユメを視せられているようだった。そしてまた、予期していた現実がようやく訪れたのだという感慨があった。

 あの人は、あれからも求め続けていた。機械の軀に熱を宿し、感情を芽生えさせ、虚ろな人形を生み落とすことを、あの夜以降も続けていた。その事実が、なぜか、嬉しかった。〈私〉は必要がないと切り捨てられたけれど、〈リトル〉はその後も彼の中で愛でられていたのだと、彼の研究の中に組み込まれ続けたのだと、彼への恨みよりも先に安堵が先立った。

 少女の頬に涙が伝った。フラットは何も言わなかった。少女の感情を咎めることも、擁護することもなく、繋げられた無線通信へと声を流し入れる。

「発見した。間違いなく、彼女だ」

《丁寧にエスコートして、連れて来てね。紳士的フラットに、ね?》

了解コピー」軍人的な返答、涙を流す少女を見つめながら、フラットは今後のことを思った。自分達の理想ユメに少女は賛同してくれるだろうか。そう自問しながらも、少女はきっと賛同してくれるだろうと確信していた。〈リトル〉のルーツを知れば、きっと同志になってくれると信じて疑わない。かつての自分が揺らいだように、〈フラット〉が平静フラットでいられなかったほどに、人間紛いの機巧人形のルーツは度し難いほどに醜悪なのだから。

「リトル、と呼んでもいいだろうか」

 少女の首肯、茫然自失としながら。リトル、よみがえった名前。残された唯一の寄る辺。

「リトル、まずは君を案内したい国がある」

「どこへ?」

「ユメをさらう国、そこで、君は自分のルーツと出会うことができる」

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機巧人形はユメを視る 亜峰ヒロ @amine_novel_pr

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