02.JKは逃げ出した
静かだった。張り詰めた空気の中で、見知らぬ少年と見つめ合う数秒間は、恐ろしいほどに気まずく、そして長く感じた。私から意識を外さずに周囲の様子を把握したらしい少年が、独り言のように呟く。
「……いや、ティアじゃないか。そこにいるし。……じゃあ敵か」
何が何やらという状況だが、少年の言葉を放置するとまずいことになると直感した私は、刃の下で何とか声を上げる。踏みつけられた肩が痛かった。
「あ、あの、私ティアさん? って人じゃないですけど、敵でもないと、思うんですけど……」
語尾がどんどん尻すぼみになっていたのは、私自身状況がわかっていないからだった。私の言葉に胡乱げな顔をした少年が刃を持ち直したせいで、肌に触れる位置が変わり、ひくりと喉が鳴る。恐怖で肺が縮こまり、息をするのも苦しかった。
剣なんてこのご時世にあるわけないのに、という常識的な考えは端から頭に浮かばなかった。私の細胞という細胞が、これは本物だヤバいと全力で叫んでいる。とにかくその物騒なものから逃れたい一心で、私は回らない頭で舌を必死に動かした。
「敵、じゃないです! たまたまここにいただけで! 黙って入ってしまったことは謝ります、ごめんなさい!」
「うーん……」
私の懇願に、少年も迷いが生じたようだった。もうひと押し、と言葉を重ねる。
「信じてください! おねがい……」
「うーん……信じてやりたいのはやまやまだけど」
少年は眉根を寄せた。口調や声音は、私のクラスメート達とそう変わらない。となると、年は私と同じ頃合いなのだろう。物騒な得物や奇抜な髪色や変てこなファッションは、この際無視する。
「俺じゃ決めらんないから。セダに聞くからもうちょい待っててよ。すぐ来ると思うし」
「……」
セダ、って誰だ。瀬田? 疑問符を浮かべる私の上で、少年はさらりと聞き捨てならない台詞を続けた。
「でもあいつ面倒なこと嫌いだからなあ……口癖が『とりあえず殺しとけ』だからやっぱ無理かも?」
「…………」
いや物騒すぎるだろと。とりあえずで死んでたまるかと。
押し黙る私を哀れに思ったのか、少年は軽い口調で「ごめんなー?」などとのたまった。ならこの足を退けて欲しい。──痛みと、怒りと、混乱と、恐怖とで、今にも気が狂いそうだった。
だめだ、今呑まれたら終わる。その前に。
逃げなければ。
ここから。この人から。今、すぐに。
ひゅっ、ひゅっ、という自分の息さえ煩かった。身体が、いっそ笑えてくるくらいに震えていた。荒い呼吸の合間に、覚悟のようなものを決める。──祭壇と私の間に、スクールバッグが挟まってひしゃげているのを感じ取っていた。持ち手につけたキーホルダーがちょうど背骨に当たって痛い。少年を見上げながら、背中に当たった、プラスチックの硬い感触へと手を伸ばす。指先が何かに引っかかり、少し迷って、勇気を掻き集めて、そして。
ピンを引き抜く。
《ビーッ! ビーッ! ビーッ!!》
「わわっ!? 何だ!?」
突如として、けたたましい電子音が鳴り響いた。ギョッとした少年の顔目掛けてプラスチック製の猫のマスコットをぶん投げる。我ながら見事なコントロールで少年の眉間にクリーンヒットした。その間にも、マスコットは聴神経を引っ掻くような警報音で喚き続ける。
それもそのはず、小学生御用達・防犯ブザーである。
「うるっせぇ!?」
「っ、の!」
少年が防犯ブザーに気を取られている隙に、身体を捻り拘束から抜け出した。こういうのは思い切りが大事だ、と昔、防犯教室で教わったことを思い出す。スクールバッグをひっ掴み、転がるように立ち上がり、そしてその勢いのまま、蹴り上げる!
「ッ、〜〜……!」
何処をとは言わない。でもまあ、上手くいった、とは言っておく。
私の革靴は確かに彼の急所を捉えたらしい。双剣を取り落とし、少年が蹲る。あまりの痛みに息ができなかったらしかった。
「て……っめえ鬼かよ! ×××! この×××!」
「るっさい! おあいこでしょうが!」
バリバリの放送禁止用語に捨て台詞を返し、私は一目散に走り出した。祭壇を挟んで前と後ろの二箇所に出口があるというのは把握していた。迷うことなく、少年から遠い方の出口に駆け込む。
「あっ、待ちやがれ!」
誰が待つか!
石室から出ると通路があった。石造りというのは変わらない。両側ともに先は見通せない。直感で右を選び、また走る。とにかく走る。
窓のない石の回廊は、何故だか壁が淡く発光していて、足元がおぼつかないということはなかった。だが、今の私にそんなことを気にする余裕はなく、ピラミッドの内部のような廊下をひた走る。振り向くことさえできない。
あのコスプレイヤーたちから一刻も早く離れねばならない、と本能が叫んでいる。
✳︎✳︎✳︎
「あいつ絶対泣かすっ……!」
芋虫のように石畳の上に転がっている少年──ラザは呻いた。油断していたとはいえ、あんな弱っちそうな女にしてやられるなんて一生ものの不覚だ。あれは絶対反則だ、と男として声高に主張したい。これがどれだけの激痛か、あいつらはわかっちゃいないのだ。
ラザが苦悶している間にも、耳障りな音は止まない。今までこれ程までに不愉快な音はそうそう聞いたことがない、とラザは思った。醜豚鬼オークのいびきとどっちがマシだろう。
その不愉快な音に混じって足音を聞き取る。聞き慣れた足運び、馴染み深い気配だった。
「……何の音だ」
「セダ! おっせーよ!」
「るせえ、おまえこそ突っ走るなっつったろうがこの馬鹿!」
入室した途端に一喝したのは、銀髪銀眼の青年──セダウェンだった。純白だった神官の装いが少し焦げていたりするのは、彼も魔物と交戦したからだろう。前衛の役目を放棄した自覚のあるラザは、バツが悪そうに首をすくめた。
「それは……悪かったって。でもほら、ティアみっけたし」
祭壇を指し示すと、セダウェンは眉間の皺を深くした。つかつかと歩み寄り、祭壇の上──布をはねのけ、物言わぬ『彼女』の顔を覗き込む。
「……『ガワ』だけじゃねーかおい。『中身』はどこにいった?」
「知んねーし、見てねえ。……あ、でもさっき変なやつがいた」
「敵か。逃したのか?」
「それも悪かったって。……でも絶対関係ある、気がする。だってあいつ、」
続いた言葉に、セダウェンが銀の睫毛に縁取られた眼を瞬かせた。どういうことだ、と顎に手を当て考え込む。
そんな彼を阻むかのように、咆哮が石室を揺るがした。同時に、セダが入ってきた方の出口から雪崩れ込むように粘土の巨人が乱入する。その数、十を超えていた。石室が一気に狭くなったかのような圧迫感を覚える光景だった。
「墓守ガーディアン!? まだいたのかよ!」
「ここの番人だ、それこそ無限に湧き出てくるだろうさ。……面倒くせえ」
舌打ちを一つ、そしてセダが懐から数珠のようなものを取り出した。精霊召喚の触媒──精霊水晶を連ねた呪具である。構えると鈴の音のような涼やかな調べを響かせた。もっとも、番人の唸りと鳴り続ける警報音のせいで容易く掻き消されてしまったが。
「おら、立て。働け」
「へーへー……」
血も涙もない命令にラザは渋々立ち上がる。だが双剣を拾い上げ、構えを取った頃には、戦士の顔に戻っていた。あの珍妙な格好をした少女への怒りは、ひとまずこいつらにぶつけようと決める。
「さっさと片付けてその小娘追うぞ」
「おうっ!」
そして、番人たちの断末魔が石室を揺らした。
君が待つ最果て 〜異世界転移した平凡JKと、神の国の皇女の物語〜 @nakiriarata
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