第十一話 倒錯する二つの記憶

 その日最初に、意識を刺激したのは日光からの光線であった。

 まぶたの隙間と隙間から差し込んでくる光に朦朧もうろうとしていた意識を半ば強制的に覚醒させられ、部屋中に漂いと滞っている熱気に襲われた。

 寝返りを繰り返して、急いで壁まで体を寄せると、重たい体をどうにか壁伝いに起こして喉を擦る。とても息苦しいような感じがしていて、何度もゲホ……ゲホと咳き込みながらようやく息を吸えた。

 葉月は満身創痍の体でワンルームの部屋から出ると、洗面所に向かい服を脱ぎだす。洗濯かごの中には、洋服が一着。その下には小さなができていた。葉月は不思議に思ったが、脱いだ洋服で水と拭き取ると、洗濯カゴに放り投げる。

 そうして浴室のドアを開けると中からは、ひんやりとした空気が漏れ出した。空気を吸うたびに咳き込み、その都度止まりながらでも深呼吸をする。今頃になって喘息がいかに苦しいものかを理解した。

 浴室に入るとバスタブの縁に座り、シャワーノズルを体のに向けてその下にある温度調節をぐいっと青い方向にひねり回して、今度はシャワーを全開で出し始める。

 勢いよく飛び出てきた冷水に打たれ、火照った体を冷まし汗を落としていく。


 冷水に打たれながら葉月は考えた。

 昨日のことは何だったんだろうか。夢だったのか現実だったのか。確かにカフェを出て、例の公園に向かったのは間違いない。だがそこからどうなった。

 葉月は、昨日のことを思い出すと奇妙なことにが存在していた。一つ目は、例の公園で円柱形の塔のような建物の中で桐絵に殺されたこと。あの感触はとても忘れられるようなものではなかった。夢と現実はその差に天と地ほどのものがある、だからこそ間違えるはずがない。

 しかし、もう一つの記憶も何故か妙にリアルだった。それはあの公園に行ったあと、びしょ濡れの体で帰ってきたという記憶だった。流石にそれはありえないと思ったが、葉月は洗濯かごの中の洋服は確かに濡れて水滴がしたたっていたのを見てしまっている。たしかにあれは濡れていた。

 暫くの間、冷水を浴びていたせいか、どうも体が冷たく考えに集中できなくなったので浴室を出た。洗面所兼脱衣所に置かれている、洋服はやはり昨日、葉月が身につけていたもので間違いなかった。ならば公園に立寄ったあと、そのまま家に帰ってきたことになる。葉月は自分の頭と事実、そのどちらかが可怪しいとおもいながらもバスタオルで体を拭き、脱衣所に置いてある洋服を着始めた。


 脱衣所を出ると、そこは蒸し暑いサウナのようになっていた。

 せっかく汗を流し冷水で涼んだのにこのままだと、汗だくになってしまいそうなのでワンルームの部屋の窓を開けて換気をしようと中に入る。その中は廊下よりも空気が停留していたが、窓を開けると気持ちのいい風が流れ込んできた。吹き込む風に煽られて絶えず揺れ動く白地の内カーテンを左右で縛る。

 何かを飲もうか。今日は何日の何曜日だ。そんな事を考えていると鼻につく匂いが風に運ばれてきた。下を見ると汗によって染みのできた布団とタオルケットからであった。葉月は何かを飲む前に、この臭いものを干そうと、布団とタオルケットを両手いっぱいに持つと、ボト……ボト……と何かが二つ落ちる鈍い音がした。下にはカーペットが敷いてあるので弾むことなくその場にある。布団をベランダの手摺てすりに干して洗濯バサミで挟む。それが終わると中に入り落ちたものを拾おうとした。

 それはここに在ってはいいものではなかった。頭の中にある記憶二つを両方とも信じて在ったとしなければならない根拠になってしまうからだった。

一つは殺された記憶、一つは帰ってきた記憶。この二つの記憶が正しいならば、何かに殺されて自分の足で帰ってきた。そして証拠が出てきてしまった。そうでもしなければ説明がつかないことばかりだった。腕時計は葉月の手の中で固く握りしめられた。


もう一つ落ちたのは葉月の携帯電話。

携帯電話のモニターは九時五十分を指し示す。しかし問題は日付だった。

時間さえわかればいいと思っていたが、本当に問題だったのは日付だった。これは明らかに普通のことではなかった。

一瞬、携帯電話の故障か自分の目を疑った。しかしどちらも狂ってはいなかった。

狂っていたのは葉月の認識と意識。

日付は八月二十日を指し示している。

確かに記憶では昨日は八月十六日のはずであった。しかし本来なら八月十七日を迎えて、その日付を指し示すはずが二日を消し去ってしまった。

葉月の記憶には二日間の記憶がなかった。




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彷徨う回廊 織恵馨 @Orietan

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