海と陸と愛のカタチ
零
第1話
ゆらゆらと、満月は揺蕩う。
深い水底にまで、不思議と届く月光。
浦島太郎はその光を殊更眩しそうに見ていた。
「行って、しまわれるのですか?」
乙姫はそっと浦島に寄り添った。二人で眺める月はいつでも、蜜のように甘い。浦島は姫の問いかけには応えずにそっと目を伏せた。
「あなたに置いて行かれたら、私はまた一人」
乙姫の目に涙が光る。それを見る、浦島の胸が痛む。
何故だろう、と、浦島は思った。姫を愛しいを想う気持ちもある。竜宮での待遇にも何ら不満は無い。それでも尚、帰りたいと希む気持ちはどこから来るのだろう。
「たとえば」
浦島は小さく呟くように言った。
「体を二つに裂けるなら、心を二つに裂けるなら、私は一つをあなたに残し、一つを地上へ置くでしょう」
浦島の瞳が姫に移された。柔らかな、優しい眼差しが姫を見る。どこにも罪のありかを探さない、真っ直ぐな瞳。
「傷ついた亀を助ける事が道理であるように、地上で生きたいと思う気持ちも道理なのです」
浦島は自分で言って、初めて己の真意に気付いた。自分は地上で生まれ、地上で育った。如何に竜宮の待遇が良くても、姫を愛しいと思っても、海の底では生きられない。自分は、陸の生き物なのだ。
「されば」
姫は着物の袖で涙を拭った。
「ここで死んではもらえますまいか」
「姫……」
浦島はそんな姫の恨み言すら愛しかった。それは、自分を失いたくないという、姫の深い愛と知っていたからだ。
「私を永遠に失っても、あなたは地上で生きていけるという。そのお心が恨めしい」
そう言って乙姫ははらはらと涙を流した。
「そうは仰っても、姫とて地上では生きられますまい」
浦島は少しばかり意地悪を言った。無論、口先だけだ。姫を責める気持ちなどない。姫はそれを推し量ってか、ふっと泣き止んで小さく笑った。
「無理を申しました。お許しくださいませ。何もかも……」
「分かっています」
浦島はそう言って乙姫を抱き寄せた。二人は長い間、黙って月を見ていた。
やがて、姫はそっと浦島に囁いた。
「お帰りの際、玉手箱をお渡しいたします。地上で生きたいと願うならば、決して開けてはなりませぬ。ただ」
「ただ?」
「やはり、私失くしては生きては行けぬと思って頂けたのなら、その箱をお開け下さいませ」
「そうすればここへ戻れるのですか?」
浦島の問いに、乙姫は首を横に振った。
「あなたのご決断はあなたの人生を左右する決断です。覆すことは相成りません。箱には私を一人、ここへ残す事への見返りが入っております。私の恨みごとをせめてもお受け下さいませ。私を愛して下さるならば。」
乙姫は、涙に濡れた瞳で浦島を見上げた。
「私の報いは、あなたのいない時を、ずっと一人で生きていくことでございます。それに比べれば……」
「分かりました。覚悟して開けましょう」
浦島はそう言って姫の手を握りしめた。愛と、郷愁と、道理。そして、覆せない決断を胸に抱いて。二人は互いに、時の報いを背負うのだ。時を失う報い、そして、空虚なる時を背負う報い。そうして、同じ報いを背負うことで、繋がっていようとする。
それが、二人に出来るお互いへの愛の形だと、知っていた。
海と陸と愛のカタチ 零 @reimitsuki
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