第4話
日曜日。帰省最後の日。今日何か手掛かりを得ることができなければもう一生真実には辿り着けない気がしている礼だった。
「あら、今日も出掛けるの?」
出掛ける準備をしていると玄関で母親に出会した。礼は曖昧に微笑みながら「ちょっとね、散歩しようかと」と言って家を出た。急いで電車に乗り込み、昨日降りた駅で下車する。まっすぐ昔住んでいた家に向かうと、昨日の男が犬を散歩しようとちょうど斜め向かいの家の玄関から出てきたところだった。男は礼に気づき、一瞬驚いたような顔をした後破顔した。
「やっぱり、礼ちゃんなんでしょ?」
「奏、くん……」
「覚えてくれてたんだ!」
ニコニコしながら犬と共に近づいてくる彼は、上下灰色のスウェット姿だったが、なぜかだらしなく感じない。当時から見目麗しい男の子だったが、今は甘いマスクはそのままに身長が高くスラッとしており、服の上からでも鍛えていることがわかる。女性に好かれそうだと思った礼だった。
「昨日はごめんなさい。私、ビックリしちゃって」
「いや、いいんだ。急に声をかけた俺も悪かった……」
2人の間に暫しの沈黙があったが、奏がそれを破った。
「久々に再会したんだし、ちょっと話そうよ。犬の散歩しながらになっちゃうけど」
「構わないよ!話そう!」
礼は奏の隣に並んで歩き出した。後ろをちょこちょこと柴犬があとをついてくる。
「何年ぶりだろう?礼ちゃんと会うの」
「何年ぶりかなあ?多分15年ぶりくらい?」
「もうそんな経つのか」
奏は懐かしむように空を見る。
「アイツも元気にしてっかなあ」
「アイツって?」
「ほら、ミツル……」
そう言いかけて、男はしまったという顔をしたが時すでに遅し。ミツルという言葉は完璧に礼の耳に入っており、彼女はその単語に反応した。
「ミツル!やっぱり、奏くんは知ってるのね!ねえ、ミツルって誰?私、何も覚えてないの。日記にはたくさんミツルくんって出てくるのに、大切な人のはずなのに、何も思い出せないの!ねえ!誰なの!!」
取り乱しながら矢継ぎ早に言葉を紡ぐ礼の両肩に奏は手を乗せる。
「礼ちゃん、一旦落ち着いて?一気に思い出すのは無理だよ」
「教えてよ……お願いだから……」
礼はポロポロと大粒の涙を零しながら奏に懇願する。彼は困ったような顔を浮かべた。
「あまり礼ちゃんにとって得策とは思えないよ、ミツルのことを知ることは」
「それでも構わないわ。私、心の隙間を埋めなきゃいけないらしいの」
奏は礼の言葉に眉を顰めた。
「らしい、ってことは誰かに言われたんだな?誰に言われたんだ」
「誰ってそれは……喫茶店のオーナーよ」
「オーナー、そんな透視能力あるのかよ」
「多分?」
「随分と歯切れが悪いな」
「だって、私もよく知らないんだもん」
奏ははあ、と深く溜め息を吐いた。
「いいか?礼ちゃん、そんなよくわからないオーナーとやらの言うことは聞かなくていいんだぞ」
「でも、ちょっとした問題を解決してくれたのはオーナーだから、私は信じてるの。それに」
礼はすっと息を吸ってからまっすぐ奏の黒曜石のような瞳を射ぬいた。
「これでも私、人を見る目はある方だと思ってる」
奏と礼は暫し見つめあったあと、男が先に目を反らした。
「はあ、礼ちゃんはほんとズルいよ」
「ん?何が?」
「何でもない。こっちの話」
奏は足元にいる犬に目をやってから再び口を開いた。
「ここじゃ難だから場所を変えようか」
奏が入っていったのは最近できたらしいパン屋さんだった。イートインスペースも併設されており、なかなか繁盛している様子だった。2人は思い思いのパンをトレーに乗せ、スープと飲み物をレジで頼んだ。
「イートインですね。奥の席をご利用くださいませ」
礼と同い年くらいの女の店員が奏にチラチラと目をやりながら案内する。礼は何だか妙な気分でその様子を後ろから眺めていた。
「礼ちゃん、座って?」
奏は礼のために椅子を引きながら立っていた。彼女は慌ててその椅子にお礼を言いながら座った。犬は店外の柱にくくりつけてある。
「さて、何から話そうか」
男は焼きそばパンにかぶりつきながら言う。礼はじっとそれを見つめていた。
「冷めないうちに食べた方がいいぞ。せっかくの俺の驕りなんだから」
「500円程度だけどね」
「それは言わない約束だろ」
2人はくすくす笑いあって、パンを食べ始めた。
「そうだなあ、ミツルは光と書いてミツルと読むんだ。それは覚えてるか?」
礼は首を横に振る。
「そうか……じゃあ、礼ちゃんの兄だったってことは?」
「それは日記で読んだ」
「けど、覚えてはないんだな」
礼はその言葉に静かに頷く。
「光は本当は礼ちゃんの従兄弟なんだよ」
なんとなくそんなとこだろうと見当をつけていた礼は特に驚く様子もなく頷く。
「礼ちゃんのお父さんのお兄さんのお子さんってことさ。だけど、ある日光の両親は交通事故で亡くなった」
礼は微動だにせず、奏の話に耳を傾ける。知らず知らずのうちに彼女は両手を握りしめていた。
「
「なるほど。今納得した」
「光と俺が8歳の頃で、礼ちゃんは4歳の頃の話だよ。光が来る前から礼ちゃんとはよく遊んでたけど、光が来てからはよく3人で遊ぶようになった」
「楽しかったなあ」と奏はブラックコーヒーに口をつけながら懐かしんだ。
「でも、そんな日々は長くは続かなかった」
礼は生唾を呑み込んだ。
(きっとこの先を聞いたら戻れない)
男は女の目をじっと見た。その目は本当に聞いてしまうのか?と訴えかけていた。女は目を反らさなかった。
「光もご両親と同じく交通事故で亡くなったんだ。車に轢かれそうになっていた礼ちゃんを守るために」
「礼ちゃんを守るために」「亡くなった」その言葉が礼の頭のなかで何度も反芻される。すると、突然「いらっしゃい、待っていたよ……」という幼い男の子の声がどこからともなく聞こえてきた。
(これは幻聴?それとも記憶なの?)
頭が真っ白になって固まっている礼を見て、奏は心配そうに覗き込んだ。
「礼ちゃん……」
「だい、じょうぶ……大丈夫だから」
「もう出よう」
奏は食べ終わったトレーを片手で持ちながら、もう片腕で礼を支えた。店から出ると嬉しそうに犬が奏の周りを回った。男がリードを外している間に女はふらふらと駅の方へと歩き始めた。
「礼ちゃん、ちょっと!待て!」
リードを外し終えた奏は急いで礼を追いかけた。
「私、帰るね」
「帰るってどこに」
「東京の家に」
「今、東京に住んでるのか」
「うん」
足を止めることなく駅へ向かう礼に止まってもらうことを諦めた奏はポケットからスマホを取り出した。
「心配だから、RINE、交換しよう。いつでも駆けつけられるように」
ぼーっと掲げられたスマホを見つめていた礼は小さく頷いてスマホを取り出した。やっと足を止めたことに安堵しながら男は女のスマホを少し弄ってからアカウントを交換した。
「これで、よし。じゃあ、気をつけて帰るんだぞ」
足元が覚束ない礼を改札口まで見送ると、奏はその姿がホームから無くなるまで見送った。
電車に揺られながら礼は考えていた。
(奏の話を聞き終えた後、聞こえてきたあの声はきっと……光くんの声だ)
そして日記を読んでいた時に思い出した白い部屋のイメージや生体情報モニターの音が蘇る。
(部屋が白いのも心拍数音が聞こえてきたのも病室にいたからだ。事故の直後私が駆けつけたんだろう)
そこで、礼はふと疑問に思った。
(オーナーは私には心の隙間、つまり心残りがあると言ってた。日記によると私は光くんに恋をしていた。だけど、そのことを伝えられなかったから心残りになったということ。でも、亡くなった人には、この世に存在しない人にはもう言葉を伝えることはできない……)
「そう、はじめから無謀なことだったんじゃない……」
ちょうど最寄り駅のアナウンスが流れ、独り言を言いながら礼は立ち上がった。扉が開き、ホームに足を踏み出した途端、また1つ思い出した。
(待って。私が初めて喫茶ビードロに足を踏み入れた時にオーナーはなんて言ったっけ?)
必死に彼女は記憶を辿った。
『いらっしゃい』
『待っていたよ。ようこそ、喫茶ビードロへ』
礼の瞳から止めどなく涙が溢れた。ホームに立ち尽くしたまま号泣する年頃の娘に周りの人々は不躾に視線をやる。失恋だろう、という安直な考えがありありと顔に書かれていた。
(オーナーは……光くんだったんだ)
封印されていた礼の記憶は、その気付きをきっかけに堰を切ったように彼女の頭のなかに流れ込んできた。その衝撃で彼女はその場で気を失っていた。
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