第3話
あの後すぐにアルバムを片付けた姉妹は何事もなかったように過ごした。礼は他のアルバムを引っ張り出して、全て確認したが破り取られていたり不自然なほど空白が多いアルバムは彼女たちが見たアルバム唯一つだけだった。他に気になることと言えば、他のアルバムでもたまに写真が差し替えられた形跡があることだった。両親が礼や円から隠したい何かがあるのは紛れもない事実だった。
「ねえね、お母さんに聞くの?」
朝食で、母親が席を外している際に向かい側に座った円が礼に尋ねる。父親はまだ眠っている。
「今すぐ聞くのは得策ではないと思ってる」
「だよね」
パンを頬張りながら円は相槌を打つ。
「私から探りを入れてもいいんだけど、結局それって結果同じだよね。絶対ねえねに指図されたとか思うだろうし」
「うん」
礼も一口パンを噛りながら頷く。両親に直接聞くのが駄目となれば、自ら探し出すしか道はない。
(そういえば、大昔日記をつけてたっけ)
突如、日記をつけていたことを思い出してそこから何か情報を得られるかもしれないと希望の光を見つける。
「ご馳走さまでした」
残りを口の中に押し込み、紅茶で流し込む。
「あら、もう食べ終わったの?もうひとつあるけど?」
いつの間にか帰ってきた母親が礼にパンを見せながら言うが、礼は首を横に振った。
「ううん、いい。もうお腹一杯。それじゃ、円は部活頑張りなよ~」
「うんー」
円は咀嚼しながら片手を挙げて姉の声援に応える。それを見届けた礼は2階の自室へと向かった。入ってすぐの本棚の奥の方を探る。次から次に昔読んでいた懐かしい小説などが出てくるが日記は見当たらない。諦めそうになった時、『お手紙箱』と書かれた缶箱を見つけた。開けてみると大量の手紙と共に探し求めていた日記帳が納められていた。恐る恐る日記を開ける。
「うわ、字きったな」
思わず顔を顰めるほど汚い幼い字を解読してく。
「これは、2001年12月25日……サンタさんがお人ぎょうさんをくれました。とてもかわいいです。……ああ、あの人形のことか」
文字を追いながら記憶を辿る。案外思い出せることに驚きを隠せない。
(この調子で何か思い出せると良いのだけど)
礼はページを捲る手を休めずに次々と解読する。あの頃の人間模様などがわかってなかなか楽しい。日記はこれからも付けておくものだなと礼が思っていると気になるフレーズを見つけた。
「2002年7月21日……なつ休みにおにいちゃんがやってきました。お名まえはミツルくん。ずっとおっきいです。小学生です。とてもカッコいいです。うれしいなあ……って、ミツルくんって誰だ?」
独り言を言いながら次の日にちに目を向けると、今度は別の友達のことについて書かれていた。しかし、日を追う毎に「ミツルくん」が日記の内容の半分以上を占めるようになってくる。
「2002年11月6日……今日はミツルくんにお花をもらいました。れいににあうからと言ってくれました。とてもやさしいおにいちゃんです。おにいちゃんのはずなのになぜかドキドキします。おかあさんにはほんとのおにいちゃんじゃないけど、おにいちゃんだとおしえられました。やっぱり、このドキドキはほんとのおにいちゃんじゃないから?」
幼い頃の礼が「ミツルくん」に恋心を抱いていることを示唆するような内容だ。これまでの文から察するに、7月頃に何らかの理由でミツルという名前の男の子が榊家にやって来た。そして共に生活していくうちに兄と思わなければならないはずの男の子に恋していたということになる。しかし、問題なのはその記憶が一切礼から抜け落ちているということだ。円も生まれたばかりなため、当然記憶はない。
(どうしよう……何も思い出せない)
あまりの思い出せなさに苛立っていると、日記の最後のページに押し花が挟んであった。握り締めた後なのか、紙がしわくちゃになっている。白い菫だった。恐らくミツルくんから貰ったものだろう。
(私に似合うってどういうことだろう?)
礼はスマホを取り出し、「白い菫 花言葉」で検索をかける。すると、「あどけない恋」「無邪気な恋」「純潔」という言葉が並んでいた。
(これってつまり……ミツルくんにはバレてたってこと?)
かあっと顔が赤くなるのを感じた礼だったが、次の瞬間フラッシュバックのように彼女の名前を呼ぶ幼い男の子の声や真っ白な部屋、心拍数を図る機械音が脳内を埋め尽くした。
「今のは……?」
呆然と押し花を見ていると、誰かが礼の部屋に近づいてくる気配を感じたため、押し花と日記を手紙入れに慌てて押し込んだ。
「礼ー?洗濯物持ってきたよー」
母親の声と同時に部屋の扉が大きく開け放たれる。内心礼は焦りながらも平然を装って「ありがとう」と礼を言う。
「久々に昔を振り返ってみてどう?楽しい?」
「うん、昔サンタから貰った人形とかあったなあって」
「あはは、懐かしいわね」
母親は洗濯物を適当な場所に置いたあと、「それじゃあ、今日は土曜午後出勤なのでお昼ご飯は自分で作ってね」と言って去っていった。
(当時住んでいた家と今住んでいる家って違うのよね。でも、電車で2駅くらいだから行ってみるのもアリね)
礼はすぐにパジャマを脱ぎ捨て、適当に化粧をしてから階下へ向かった。
「お母さん、私もちょっと出掛ける。夕方には帰るから」
「はーい。気を付けてね」
母親の声が洗面所から聞こえる。恐らく化粧中だ。
「いってきます」
玄関に円の運動靴がないことを確認してから外出した。
最寄り駅から2駅。10分もかからずに着いたそこは懐かしさに溢れていた。駅前の公園や駄菓子屋さんまで何もかもがそのままだった。この空間だけまるで時を止めたようだ。
「あ、懐かしい!この栗の木!」
礼が大きな栗の木の前まで駆け寄ると、新しく出来たらしい花屋が目に入った。じっと見ていると、花屋の店主らしき人が彼女に話しかけてきた。
「何かお探しですか?」
「あ、いえ、ちょっと気になって見てただけなんですけど」
「そうでしたか。何かあればお申し付けくださいね」
背の高い痩せた男はそう言って微笑んだ。礼も微笑み返す。そして、花屋の方へと近づき、ひとつの花を摘み上げた。
「ああ、それはダリアです。とても美しく咲くんですよ。今からちょうど見頃になります」
まだ花開いていない手の中のダリアを礼は見つめた。
「これは白色ですか?」
「ええ、そうです」
少し開いた部分から見える花びらの色で判断する。
「これをいくつか束ねて、花束にしていただいても?」
「勿論です。少々お待ちください。プレゼント用ですか?」
「はい、それでお願いします」
店主は店の中に入ってきて、ハサミと共に戻ってきた。
「他の花も交えますか?」
「いえ、ダリアだけでシンプルにお願いします」
「畏まりました」
店主は手早くダリアを花瓶から取り上げると、3本ほどを束ねてラッピングを施す。
「このような仕上がりになりますがよろしいでしょうか?」
「はい、とても素敵です」
「ありがとうございます。それではお会計ですね。こちらでお願いいたします」
店内に入り、お金を払うと花束を受け取った。
「ありがとうございました」
店主が深々とお辞儀をして礼を見送る。彼女も笑いながらその店を後にした。ダリアの芳しい香りが手元から漂ってくる。
(白いダリア。花言葉は感謝。なぜ買ってしまったのかは自分でもわからない。でも、きっとミツルくんに私は感謝の気持ちを抱いていたはずだから……今は忘れてしまっていたとしても)
花束を見つめながらぶらぶらと歩いているといつの間にか昔自分が住んでいた家にたどり着いた。道順を体で覚えていたということらしい。外装や車などは全く違うが、それでもやはり昔の面影がどこか残っている。礼はその家の前でじっと佇んでいると誰かが後ろを通り過ぎた。かと思えば、再び彼女の方へ戻ってきた。礼は吃驚してそちらを見ると、礼より少し年上の20代半ばくらいの男がスウェット姿で立っていた。手にはコンビニの袋を提げている。
「あの……もしかして、この家に何かご用ですか?」
「ここの家の方ですか?」
「いえ、斜め向かいに住んでいる者です」
男は自宅を指差しながら答える。その言葉を聞いた途端に部外者だと強く感じた礼は恥ずかしくなり、思わず花束をその男に押し付けた。
「あの、これどうぞ!」
「え?」
「いいから、受け取ってください。それじゃ!」
止めようとした男だったが、礼の逃げ足の方が早くあっという間に2人は別れた。男は手元に残ったダリアの花束を見つめながら呟いた。
「見覚えがあると思ったんだけどな……」
礼はある程度走った後、スピードを落としてゆっくり歩き始めた。運動のせいではないが心臓がばくばくと音を立てている。
(あ、危なかった……絶対あの人に不審者だと思われた!)
心臓を抑えながら彼女は思う。
(取り敢えず、今日はもう帰ろう。家を見たけど何も思い出せなかったし)
彼女は切符を買って、家に帰る電車に乗り込んで帰路へついた。
「ただいま〜」
誰もいない家に帰宅する。否、正確には父親がいるが彼は休みの度に自室に篭っていつもゲームをしているため存在感が薄い。鞄を自室に置いたあとベッドの上に大の字で横になった。昔の家のことを1人思い出していた。確か、あの家の前でよく遊んでいた。
(誰と遊んでいたのかな?1人じゃなかった気はする。円は生まれたばかりで、遊ぶなんて論外だし、やっぱりミツルくんよね。あとはご近所さんとか。ご近所さん……?ソウくん……奏くん!!さっき、会ったのってもしかして奏くんじゃないの!?)
唐突に思い出したその名前に興奮が隠せない。急いで日記を再び引っ張り出した。日記にはミツルくんの他にもソウくんの名前が時々載っている。ミツルくんに気を取られすぎて見落としていたのだ。
(あの人に会えばきっと何かわかるはず。明日、奏くんを訪ねよう。いるかどうかはわかんないけど)
一縷の光を見出した礼は心がふと軽くなるのを感じ、気づけば眠りに落ちていた。
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