第114話 屁理屈成人の参上――客観視って必要か問題


 前回、とても面白いコメントを沢山頂けたので、追加で文章を書いてみようと思います。藤光さん、切り株ねむこさん、つきのさん、鷲宮 なとりさんありがとうございました。いつも良い刺激を頂いています。


 前回は「客観視なんていらない」という話でした。客観主義を貫くと文章が書けなくなる。と、過激な発言を致しました。何故、そのような主張に至ったのか、全体を捉え直してみます。


 まず、前提の確認です。以前、「客観的視点」批判をしたように(※1)、僕は主観と客観には大いなる断絶があると考えています。デジタル大辞泉によると、主観とは『認識し行為する人間存在の中心である自我』であり、客観とは『主観から独立して存在する外界の事物』です。客観は、主観から切り離されたものであり、主体に認識される対象を意味します。

 そうすると「客観視」とは、主観から独立した物事の視点を持つ、ことになりますね。


 では、そもそも客観視は可能なのでしょうか。


 突然ですが皆さん、犬になろうとしたことはありますか? 僕はあります。(※2) その経験を通して伝えたかったことは、ゴールデンレトリバーの可愛さと主観の不思議です。僕たちはの感覚からは抜け出せない、という不思議。

 犬が持つ言葉がない世界とはどんな世界か。しっぽを振って四つ足で走る感覚とはどのようなものだろうか。更に言うと、猿の思考とは。クジラの想いとは。コウモリであるとは。虫の思考とは。――他人の視点とは。

 クジラの想いを人間の言語で記述した時点で、クジラの想いそのものではなくなるように、クジラの身体と脳を持った生物が世界をどう感じているかは記述出来ません。想像さえ出来ないのではないでしょうか。

 対象が人であっても変わりません。仮に、脳に電気信号をぶち込んで、他者を追体験してみましょう。そこまでしたとしても、そこに生ずる経験は主観的に経験されるはずです。

 つまり、動物であれ、人間であれ、自分以外の視点(客観)は同じ地平にあり、主観を用いてしか捉えられないものなのです。


 この意味で客観視というのは、いわば神の視点です。メタ的に捉えるという意味では無く「その主体になる」ことが可能ならば持てる視点です。


 上記から考えるに、一般に言われる「客観視」は主観的考えの一部です。時間を置いたって、場所を変えたって、誰かを想定したって、それが主観でない状態はありえません。

 そのため、どうやったらウケるか、どうやったら伝わりやすいか、綺麗な文章とは何か。それを考えることは主観的な行動です。もちろん、客観をに判断すること、つまり意見を参考にすることは大切です。ドンドンしましょう。


 また、「無意識に言葉を紡いでいて、主観的文章と言えるのか分からない」というコメントも頂きました。個人的にそれは主観的文章だと思います。通常、無意識であっても人は自己同一性を失いません。自転車で風を切り、気持ち良さを感じているとき、足を無意識に動かしているのは自分じゃないのか。違いますよね。いくら無意識だろうが、主体的な行動だと思うはずですよ。

 

 ここでは、客観的意見や視点を重視することは必要ですが、ここで設定した定義に従った客観視(独立した客体から物事を見ること)は不可能だ、と述べたいのですね。それで文章を紡げるんだから、わざわざ客観視を持たなくとも良いではありませんか。


 え、それじゃ人類(ならずとも生物)みなエッセイストになれるっての? それだけ?

 と思われた方、そして実際に指摘頂いた方。期待外れでしょうが、それだけなのです。それだけのことを千文字以上かけてつらつら綴りました。


「主体と客体は独立していて、主体からは完全に離れることが出来ないため、全ては主観にならざるを得ない」(第2回)

「その上で、客観的視点を持つということは自分の全ての感覚を殺すことになるから、自己を反映した文章を書けるのか疑問だ」(第113話)

 それだけの主張です。

 賛同でも、反証でも、本筋に関係ない感想でもお気軽にコメントをどうぞ。喜びます。



 主観とは何か。客観とは何か。

 それを考える際、袋小路に入り込んだような感覚になるのを少しでも共感頂ければ幸いです。


 ちなみに、こんなことは普段の生活では言いませんよ。「もっと客観性を加えろ!」と言われた時にこんなことを言い始めたら、ぶん殴られても文句は言えないですからね。




 とはいえ、生物が主観主義者なら、客観主義者とは誰だ。と問われた時に想定する相手は別にいます。

 

 それは人工知能、AIです。

 大量のデータをAIに学習させて文章を作らせた場合、そこにAIの心理的な距離というものはあるのでしょうか? 「変態が話しかけた」でも「変態が話しかけてきた」でも、AI視点では何でも良い。そこに反映されているのはAIとは直接関係のない統合された事実であって、それは客観主義的な文章と言えないでしょうか。作者の思いは一切介在せず、一見、どれだけ心が通っていようとも、滅私的な文章です。


 僕はそれが駄目だと言いたいのではないです。学習して、言葉を紡ぐ。そこに人間との差異はありませんからね。生物と人工知能の違いは何か。それが問題になってきます。

 この先、僕には到底書けないような素晴らしいエッセイをAIが生み出した際、僕は選択に迫られます。人が書いたから良いんだよなぁという「人間志向」と、主体的な意味が無くとも、読み手が感動したならそれでいいじゃないという「感受志向」。今の所、僕は人間志向なので、まだ客観的文章は必要ありません。


 でもね、人間志向派にもまだまだ可能性があると思うんですよ。その中で推したいのは、AIに人格を認めても問題ないんじゃない説です。生物の枠を広げてみる。すると、AIに主体性を認めることになりますから、主観を重視する僕の好みに合っていますよね。手放しでAIの文章を受け入れられる気がします。


 そんな楽しい未来が来ることを待っています。


 

 何だかつらつらと書きましたが、これぞ分かるようで分かりにくい文章の代表みたいなものが出来上がりました。やっぱり、考えが纏まらないとだめですね。


 訳の分からない文章が、屁理屈星人の惨状に追い打ちをかけています。皆さんにも影響が出てきているかもしれません。でもずっと注意はしていましたから。「ひねくれた文章です!」ってね。





※1 客観視への疑問はこちら。最初は言葉遊びのつもりだったのに……。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888425664/episodes/1177354054888435807


※2 犬になりきるとはどういうことか、考えてみましょう。スベスベマンジュウガニでも、トゲナシトゲトゲでも良いですよ。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888425664/episodes/1177354054889903789

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888425664/episodes/1177354054889903874

一応、2話の続き物です。オチは少年ジャンプで有名なあの方。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る