第3話 3日目 月桂樹の冠は

何故私は、こう、後にあとに書いてしまうのか。1日目の旅紀は2日目の朝に、2日目の旅紀は今の今まで(今は4日目である)かかった。記憶というのは常に失われていくものだが、私の場合紅茶のように煮出していくものらしい。見たものや体験、感情に考えが追いつくのが遅いのは昔からだ。


朝もやが残るホテルから5分、オリンピア遺跡に着く。もうお馴染みになった野良犬猫が出迎えてくれた。ガイドのリナと合流する。

説明を受けながら遺跡の中を進む。ゼウス神殿に公平と勝利を誓ったギリシア全土の民達を思い起こしながら、写真を撮った。

ギリシア人というのは4年に1度の休戦が必要なほど戦争ばかりしていた民族だが、ここで国や何かを降ろして、裸になって、人間同士で競い合うことを何より楽しみにしていたのだろう。体育館のように使われていた建物跡で、わくわくしながら昨日まで殺しあっていた国の人達が肩を組んで話している光景が浮かんだ。

採火台は、今も使われている。そう、来年は日本の首都東京に、ここで採火されてくるのだ。

徒競走場跡は、正味200m強。それにしたって広い。周りはスタジアムになっていて、小学校の運動会を思い出させた。

私は兎角足が遅い。びり以外の順位は見たことがない。実は自分ではそんなに足が遅いことを悪いことと思ったことは無いのだが、というのも私にとって走る目的は早く走ることというよりも、自分の全力を尽くして楽しんで走ることにあるからである。

それはさておき、走ってみた。

時間的にほかの団体が居らず、写真を撮ったあとでふと、「ここを走れば2500年前の人達と同じ地を走ることになるのか……」と思いたち、ちょろちょろ走り始めたが、これはなんとも空気が澄んでいて気持ちがいい。往路を走り終えて後ろを見ると入口は遥か彼方にあった。タイムキーパーをお願いして、復路は全力で走り始める。

あー、気持ちいい。

青空を見上げながら全身の細胞が喜ぶのを感じた。全力疾走なんて何年ぶりか。私は走ること自体は嫌いではないのだと気付く。

息が上がり、心臓がバクバクして、高揚感と、タイムを告げられる度に湧き上がってくるもっと早く、という思い。なりふり構わず、走った。楽しい。

結果は当時のおおよそのタイムに照らし合わせてもぶっちぎりのビリであるが、今は走ったのは私一人。月桂樹の冠は私のものだ。

ここに、ぎゅうぎゅうに詰められた観客に野次やら歓喜の声を上げながら迎えられ、手を上げる気持ちはどんなものだっただろう。

走りきった後、一瞬のしずまりから大歓声へ。流れる汗、土ぼこりの中で勝利の味を噛み締める。堪らず吠える。乾く喉。天へ掲げた右腕。ゼウスへ捧げる感謝。生きていることの喜び。戴いた月桂樹は英雄の証。故郷へ晴れ晴れと帰る男達。熱狂を確かに、2500年前から感じた。

4頭だての競馬レース場跡がなくなってしまったというのは、このオリンピア遺跡にとって大きな損失だろう。

今も名が伝わる英雄達が競ってこの馬に出資し、時には自ら御して、最高潮を迎えるのだ。その様子を、伝え聞きたかった。

遺跡というのは不思議なもので、そこに痕があるだけで何か感じ入ることが出来る。感傷という名の主観であるとは思うのだが、そこにある建造物(跡地)に残る思いとか、熱狂の残滓を確かに感じることができるように思うのだ。

現代、行かなくても分かることだらけであるこの時代に、あなたの遺したものを見たいと思った。だから私は歴史巡りを止められない。


オリンピア博物館には水飲み場にスポンサーが置いたという怒れる牛の像があるのだが、どうにも我が家の愛犬が拗ねている時の顔に見えて顔が緩んでしまった。こうして今あるものに重ね合わせるのもまた面白い。


オリンピアから、コリントス運河に向かい、昼食。その後アラホバという街による予定が、大雨による土砂崩れで道が封鎖され、行くことが出来なくなってしまった。途中途中で落石なども見かけた。水を貯めておくことが出来ない土地が多いのだと感じる。ジョージさんの判断で迂回に迂回を重ね、コリントス運河から直接アテネへ。

さすがに大都市、交通量が違う。何となく雰囲気はローマに似ていた。

さらにさすがはホテルのグレード。相応に綺麗で良いサービス。熱いお湯が浴びることが出来、本当に有難かった。

何日か滞在して思ったことがある。

ギリシャの人々は、全世界から向けられる古代の影に疲れているのだろうなぁと。

私も思ったが現代ギリシャを見て、「こんなはずはない」とかいう感情は最も栄えていた古代と比べての話だ。時間は2000年以上経った。民族は混じり、いなくなった人々がいる。何度も繰り返され世界中に広がり今尚燻る戦争。自然災害。特に地震は多くの文明を失わせただろう。経済破綻。政治不安。テロ。どの国もそのように、ギリシャも多くの経験を経て変わったのだ。

だが、ギリシャの経済を回すことが出来る根幹産業は、古代の影だ。

またまた比べてしまうが、古代アテネは交易で栄えた国だ。土地は、かつての人口全てを賄うほどの大規模農業には向いていなかったが、アテネ人は何事をも受け入れ自身の変化を恐れない国際感覚に大変優れた人達だった。最盛期にはピレウス港までの壁を作りエーゲ海の交易権と覇権、国の安定を同時に握った。

自身から自身を満たすものを全て生み出すことが出来ない土地で、生き残るために絶対必要な経営センスというひとつの遺産が、今のギリシャには必要なのだと思う。

ギリシャ人は、シャイな人が多い。だが1度目を合わせて笑うと、不慣れな発音でもギリシャ語で挨拶をすると、本当に嬉しそうに笑ってくれる。そしてとても親切だ。滞在中、特に読み書きが難しいギリシャ語案内に困った時に助けを求めて無視されたり、断られたことは無かった。重たい荷物を運んでいればすぐに寄ってきて助けてくれた。ヨーロッパのものは食べたことがないと言えばバラ売りしていないいちごを解いて20¢で!と差し出してくれた。遺跡や博物館で感想を言えば拙い英語でもうんうんと聞いてくれ、1人で旅行している私を見かければ写真撮るよ!と声をかけてくれる。


彼らは自国の美しく長い歴史と遺産を愛している。他のことは怠ってもそれをできるだけ保つ努力を怠らない。生活の中に古代が生きる、そういう国なのだ。私はこの国の歴史が好きだし、ギリシャ人が好きになった。この国がより豊かに、古代の人達に胸を張れるくらい強くなることを願う。

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ギリシア旅紀 @ruuyakureaharu

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