第2話 2日目 遺産と神託

テルモピュレーに着いた。

今は地形が変わりここは入口の狭い渓谷ではなく、硫黄の匂いが立ちこめる森林の中。

開かれた小さい土地に、墓標と、王レオニダス、スパルタの像。

興味がなければスルーしてしまいそうな程、何にもない土地だった。

ここで、この森林の山間で故郷を見ることなく、泥のような血のような何もかもに塗れて、味方の死骸が積み上げられていくのを見ながら、それでも敵に背を向けず、最後の一人、王レオニダスが倒れるまで勝利を疑わず散っていた彼らの郷愁を強く感じた。そして、なんの根拠もないが、彼らはきっと、最後のこの空を見上げたような気がした。

入口は狭くとも空は広い。

あぁ、勝ちたかった

そう思ったのではないか。彼らは生を受けた瞬間から死の瞬間まで武人として生きることを決められた民族だ。家族への思いとか、これからのこととか、それは次で、この戦争に、この戦いに勝つために生まれてきた戦士として負けたことへの悔しさを滲ませて、息絶えたような気がした。

感涙を通り越して哀しみ、とはこういう感情であるのだと私の中の感情の意味が更新された。それほどまでに私は強い感銘を受けた。


王レオニダスは、この戦が犠牲による足止めであることを知っていた。だから、家系が絶えない男を選んで連れてきた。神託を受けて、戦をするべきではないと出た。だから、散歩と称して戦に出た。

この史実に私の願望を付け加えるなら、スパルタ男レオニダスは、たとえこの戦が犠牲による足止めという残酷なものだとしても、其れを恐れたりなどしない。戦わないものに、勝利の女神ニケは微笑まないと、そう思っていたのではないかと思う。現に、彼らがなしえなかったペルシャ戦役の勝利はギリシア全土のポリスによってなされるのだから。

私はこのペルシャ戦役を、窮鼠猫を噛む、だとは思っていない。例えるなら驕るる獅子と眠っていた虎、叩き起された虎にアテネをはじめとするギリシア全土の力が集まった、そんな感じがする。

運命に立ち向かった人達の死に、当時のギリシア人が呼応し同等以上の力をもってペルシャ帝国に完勝した、チープに言うならば思いの強さの勝利だと思っているのだ。もちろんそこには、人心掌握に長けた優秀な将軍と司令官がいた訳であるが。

そしてレオニダスは、当時のスパルタ人にしては珍しく全体を俯瞰して見ることの出来る人だったのではないかと私は思う。

つまり、当時の人たちにとって何よりも大事な神託を無視し、あまつさえ散歩と称してまでこの戦に、敵を1秒でもここにとどまらせ、一兵でも多く敵兵の数を減らすことが後の戦いをどれだけ有利にすることか、ギリシアにニケの微笑みを齎すかを、教えられなくとも考えることの出来る人だったのではないだろうか。


私は記念碑の周りをうろうろとして、放置された遺体をようやく迎えに来ることができた人達の顔を思いうかべた。

そして私もまた、そういう人たちのような心持ちでテルモピュレーをあとにした。


多くを殺し、多くを生かした。

スパルタの英雄、301人の兵士全てが永遠に安らかであることを心から願う。


山道を走っている最中、添乗員から面白い話を聞いたので筆を滑らす。

ギリシャでは、交通事故で亡くなった人のために大きさ形色はそれぞれだが、その現場に小さな教会を立てるのだそうだ。

これまでの道中、いくつものそういった教会を目にする度ギリシア正教に纏わるものだろうか?と思っていたのだが、途端に血の気が引いた。

日本で行っていないだけで、確かに交通事故による死傷者は絶えないだろうが、こうして形にされると、見る度に何か心がざわつく。

何故こんなことを、と思うと、これはドライバーへの注意喚起になるそうだ。

なるほど確かに観光業が主であるこの国には長距離の大型バスのドライバーも多いだろう。見る度に気がひきしまる気持ちはなるほど確かに、効果がありそうだが、嫌でも情景を想像してしまって何分心地が悪いものだ。

何気なく見ていた光景に意味が付く、日本では考えられないものがある、これも旅の醍醐味だ。


デルフィは、高所山岳地帯にある街だ。

だがカランバカやテッサロニキよりもなんというか……ギリシア的で、というのも、カランバカやテッサロニキは灰色がかった建物も多く、人々にもあまり活気が感じられなかったのだが(オフシーズンなので仕方がないかもしれないが)、デルフィはクリーム色に赤い屋根の家やレストランなどが所狭しと立ち並び、人々が雨音にも負けず元気に大声で話し合っている。余談であるが、ギリシャ人は大変声の大きい民のようである。

レストランに着くと霧が登ってきた。

道中は本当に気まぐれな天気で、10分足らずですぐに天気が変わる。大雨が降って、霧が立ち込め、1m先の道路も見えないような状態になったかと思えば青天が広がり、女心でもこうも変わるものかと思う程であった。生きてあの悪路を抜けることが出来たのは熟練のドライバー、ジョージさんのおかげであるとまで思う。

そのレストランではギリシャ名物、ムサカを頂いた。最初っから最後まで、ほぼどの料理も同じ味付けで、どこを見てもふくよかな人が多いのも頷けるほど濃く、かなり……大雑把な料理が多かった。要は私の主観ではギリシャ料理はあまり美味しくなかった。

これまた話が折れるが、私はこの旅行で気付いたことがある。それは、現在のギリシャに興味をあまり感じない、という事だ。

本当に真・美・善を生み出した民族なのだろうか?とまで思う。

もちろん遺跡や歴史を巡る旅であるから楽しんではいるが、イタリアで感じたような恒久感はなく、むしろ歴史はある時をもって死んだようにも感じる。

色々と思うことはあるが、とかく結論としては古代ギリシャへの興味だけで私はこの旅をしているらしい。

話を戻そう。私は特段晴れ女である自信はないが、遺跡に入るとさぁーっと霧が晴れた。

それまで高所にいる自覚はあまりなかったのだが、一気に谷底まで開けた景色を見て、ここに神殿を作ったわけもわかる気がした。



アポロン、あなたは誰を愛しているのですか



突然この文言が頭に浮かんだ。気まぐれな小説的に浮かんできただけかもしれないがいやにはっきりと、それこそ神託的に浮かんできたものだから忘れられずに思わず書いた。後に何かの小説にしようと思う。


ペロポネソス半島はオリンピアまで移動し、ホテルについた。ホテルはお湯が出ず、温度管理ができず、と大変な目にあったがそれもまた旅行のスパイスだろう。ハプニングというハプニングは初めてかもしれない。

なんでも、ホテルだけの問題ではなく地域的に、直前までの寒波と大雨により水道管の凍結や破裂などが相次ぎ、その修理が追いついていないらしい。インフラ整備というものの重要性を最もよく理解していたローマ帝国の影は見えない。

冷水シャワーをしながらそんなことを思う2日目であった。

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