ど~れだ?

澤田慎梧

ど~れだ?

 二月十四日。バレンタインデー。

 彼女へのお土産を手にアパートへ帰ると、部屋の中は真っ暗だった。どうやら、彼女はまだ帰宅していないらしい。


 玄関の明かりを点けつつ短い廊下を進み、ダイニングキッチンへ。

 その更に奥にある寝室の方を見やると、開いたままのドアの向こうも、やはり真っ暗。

 「はて? 彼女、今日は帰りが遅い日だったっけ?」等と思いながらダイニングの明かりを点けると、テーブル代わりにしているちゃぶ台の上に、一枚のメモ書きが残されているのに気付いた。


『今日の問題

 難度:やさしい

 

 「a)b;es f ;ec@4b k ut」

 

 ど~れだ?

 

 ※ヒントは裏面』


 メモの文面に思わず苦笑いがこぼれる。


 僕の彼女は、「なぞなぞ」やクイズを考えるのが大好きだ。

 何か面白い問題を思いつくと、あの手この手を使って僕にそれを解かせようとしてくる。愛すべき悪癖というやつだ。


 さて、今日の問題は……難度は「やさしい」なので、大して難しくないようだ。

 『a)b;es f ;ec@4b k ut』の文字列は、おそらく暗号の類なんだろうけど、それほど高度なものではないはず。

 その更に下に『ど~れだ?』とあるので、暗号部分それ自体が問題文になっているということかな?


 ――考えつつ、手洗いうがいを手早く済ませると、僕は何か飲もうと冷蔵庫を開けた。

 すると、そこには何やら奇妙なものが鎮座していた。


 冷蔵庫の最上段に、ラップをかけた大きなお皿が置いてある。

 お皿の上には、何故か「こんにゃく」と「油揚げ」と「高野豆腐」が乗っていた。今朝、家を出る前には無かったものだ。

 不審に思って冷蔵庫の中を見回すと、他にも見知らぬ物が増えている。

 ワインボトルらしい深緑色の瓶。未開封のパック牛乳。見覚えのない海外産のチーズ。


 ……これも問題と関係あるかも知れない。

 頭の片隅に入れつつ、もう一度メモ書きに目を落とす。


『今日の問題

 難度:やさしい

 

 「a)b;es f ;ec@4b k ut」

 

 ど~れだ?

 

 ※ヒントは裏面』


「……うむ、分からん」


 早々に諦め、素直にヒントを見ておこうとメモを裏返す。そこには、


『パソコン』


と一言だけ書かれていた。


 『パソコン』とは、また漠然としたヒントだ。

 うちにパソコンは一台しかない。彼女が使っているノートパソコンだ。その中にヒントがあるのだろうか?

 でも、彼女のパソコンを勝手に使うのも気が引けるし……どうしたものか?


 そう考えつつ、ダイニングの片隅に置いてあった彼女のノートパソコンに手を伸ばす。画面を開いてみるが……そこに更なるメモが挟んである、ということもない。

 「やはり電源を入れてみないとだめかな?」等と悩みつつ、しばらくパソコンとにらめっこしていると……不意にキーボードの文字が目に入った。


 キーボードにはアルファベットと記号、そして「ひらがな」がプリントされている。

 パソコンで文字を打つ時、殆どの人は「ローマ字入力」を使う。だから「かな入力」用のこの「ひらがな」は、ほとんど無用の長物と言っていい。実際、僕も使ったことはない。

 けれども時々、操作ミスか何かで「かな入力」がオンになって、メチャクチャな文章を打ってしまうことがあった。アルファベットと「ひらがな」では、全く配列が異なるからだ。


「……ああ。これってもしかして」


 独り言をこぼしながら、キーボードとメモ書きを見比べる。


『a)b;es f ;ec@4b k ut』


 一見するとメチャクチャな文字列だ。

 けれども、もしこれを「かな入力」モードのパソコンで打ち込んでみたら?


 『a』のキーにはひらがなの『ち』がプリントされている。だから一文字目は『ち』だ。

 『)』はSHIFTキーを押しながら『9』キーを押す。かな入力の場合は……『ょ』になるんだったっけ?

 『b』は『こ』、『;』は『れ』に対応している。


 キーボードとにらめっこしながら、一文字ずつ「ひらがな」へ変換していく。

 すると浮かび上がってきたのは……。


「『ちょこれいと は れいぞうこ の なか』……『チョコレイトは冷蔵庫の中』か!?」


 なるほど。バレンタインデーらしい謎掛けだったわけだ。

 ……でも、待てよ?

 さっき冷蔵庫の中を見たけど、チョコレートらしいものは無かったぞ?


 ……ああ、そうか。

 メモには『ど~れだ?』とも書いてあった。

 ということは……冷蔵庫の中の物の内、今朝まで見当たらなかった物のどれかが、「他の食べ物に見せかけたチョコレート」ということか?


 怪しいのは、皿の上に乗った「こんにゃく」と「油揚げ」と「高野豆腐」だ。

 冷蔵庫から引っ張り出して、しげしげと眺めてみるけれども……ううん、どれも本物に見える。ラップ越しにつついてみた感触も、チョコレートとは思えない。

 となると、他のものだろうか?


 パック牛乳は未開封だし、怪しいところはない。何の変哲もない、彼女が愛飲している「お腹がゴロゴロしない牛乳」だ。

 ワインボトルらしい深緑色の瓶は……スクリューキャップが未開封だし、中にはきちんと液体が入っている。ラベルはフランス語っぽいので読めないけど、赤ワインか何かだろう。

 となると、残りの一つ。怪しげな外国産チーズがチョコレートなのか……? 包みの上から触った感じだと、普通にチーズっぽいけど……。


 答えが出ぬまま、僕が冷蔵庫の前で首をひねった、その時。


「――たっだいま~!」


 時間切れを告げる、彼女の「ただいま」が玄関の方から聞こえてきた。


「……おかえり」

「ふぅ、今日はちょっと冷えるね……。で、問題の答えは分かった?」


 冷蔵庫の中身とにらめっこする僕を見て、彼女がいたずらっぽい笑顔で尋ねてくる。

 ……ここで負けを認めるのはシャクだ。当てずっぽうになるけど、ダメ元で答えてみよう。


「……このチーズ、かな?」

「ふぅん、それでいいんだ? いいよ、開けてみて?」


 ニヤニヤしながらチーズを開けるよう促す彼女。

 くそう。これ、十中八九間違いじゃないか?

 そう思いながらもチーズの包みを開けてみると――。


「うわっ! 臭っ!?」


 とんでもない悪臭と共に、オレンジ色のチーズが姿を現した。

 多分、高級品なんだろうけど、鼻が曲がりそうだ。……間違ってもチョコレートな訳がない。


「あはは、ハッズレ~! 残念でした~! あ、そのチーズは今日食べる用のだから、そのままでいいよ~」


 言いながら、冷蔵庫から例のワインボトルを取り出す彼女。

 なるほど、その為のワインだったのか。


「くっそう……。で、正解は? この油揚げとかこんにゃくのどれか?」


 降参とばかりに両手を上げながら彼女に尋ねる。

 すると彼女は、心底嬉しそうなニヤニヤ笑いを浮かべて――。


「あのさぁ。冬場にワインを冷蔵庫に入れてる時点で、おかしいと思わなかった?」


 そんなことを呟きながら、食器棚からワイングラスではなくマグカップを取り出すと、ワインボトルを開けて中身を注ぎ始めた。

 赤ワインにしては黒すぎる、ドロッとした液体を。


「……えっ、それ、何?」

「何って、チョコレートよ? チョコレートドリンクの原液。これを温かいミルクで割って飲むの」

「――ええええ!? そんなんありか!?」

「これも立派なチョコレートでしょ? さ、ミルク温めなきゃ。――あなたも飲むでしょ?」


 そう言って、今度は天使のような笑顔を向けてくる彼女の姿に、「こりゃ一生かなわないな」と苦笑いを返す僕だった――。



(おしまい)

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ど~れだ? 澤田慎梧 @sumigoro

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