〈4.12〉俺と彼女とのこと


 ファントムと同じようにナノマシンを詰めたゴミ袋とラヴロフを抱え、エントランスホールへ戻ると、呼び出したアンジュと花目はなめが到着していた。ミツグもちょっと包帯を巻いてるだけでピンピンしている。“トプティニク”とやりあって、あの程度の怪我ですんだのだから、ミツグも大概化物だろう。


 そしてもちろん、アンジュと花目は姉妹喧嘩の真っ最中だった。


「おうおう。税金泥棒の犬の匂いがするな。くっせえなあ~、おい」


「税金払ってねえくせして偉そうな口を叩くな、愚妹よ。実家にも金入れてねえくせに」


「あのリビングのテレビは私が買ったやつだ!」


「なら帰省したときに捨てねえとな! 汚え金で買ったテレビなんか見てたら、目が腐る」


「…………ひどいお姉ちゃん……! そこまで言わなくてもいいじゃん!」


 俺とファントムはそれぞれの倒した相手を床に降ろした。


 それでようやく俺たちがやってきたことに気づいたようだった。


 慌ててアンジュは涙目をぬぐい、それからファントムを見て叫んだ。


「ファントムてめえ! うちの彫像返しやがれ!」

「やばっ……ハガネ、あとはよろしくゥ!」


 と言い残すや否や、素早く“エギーユ・クレーズ”を装着し、ファントムは二階に飛び上がって闇の向こうへ消えていった。


 来たときも一瞬だったが、帰るのも一瞬だ。馬鹿馬鹿しく思う気持ちのどこかに、少しだけ感謝の念があった。


「クソ……で、なんだこいつらは?」


「ミツグは見覚えがあるだろ」


「…………?」


「おい! こいつらだろ、雪を攫ったの!」


「あ~あ、そうだった。こんな顔だった! え? なんでこんなとこで気を失ってんの? って、あ、すすくちゃ~ん! 超無事じゃん、よかった~」


 ははは、と苦笑いしながら雪は手を振り返した。


「で」やり取りに興味なさそうに、花目は煙草に火を着けた。「私らを呼び出した理由はなんだ?」


「こいつらはミツグをボコった犯人、かつ違法“コートアーマー”所持者だ。ちょうど二人いるから、どっちがどっちを引き取るか決めてくれ」


「前回の件がこれでチャラになるとでも思ってんのか?」


「こいつらは国際犯罪集団の一員だ。警視総監賞は貰えなくても、ヤバいぶんだけ金になる」


「……公安に食わすには惜しいな」


 ぐっ、と花目は握りこぶしをアンジュに突き出した。


 負けん気な感じでアンジュも拳を突き返した。


「さーいしょはグー……じゃんっけんっ……ポンっ!」


 花目はパー、アンジュはチョキだった。


「いよっしゃぁああ!」

「クソっ、クソっ!」


 両手を上げるアンジュと、地面を蹴りつける花目。たかがジャンケンでも、この姉妹は負けると悔しいらしい。


「で、アンジュ。どっちを連れてく」


「まあ……泥を食わされたのはミツグだ。お前、どっちが欲しい?」


 言われたミツグはうーん、と考え込みながら、失神している二人のそばにしゃがみこんだ。両者の顔を見比べてから、立ち上がって答えた。


「こっちの女の子の方」


「お前をぶん殴った張本人か。まあ、そりゃそうだわな。切り刻むか、変態に売り飛ばすか……」


「ミツグちゃん、妹ほしかったんだ」


「……お前、ペットじゃねえんだぞ」


 ミツグは本当の妹みたいにアーリャをおんぶした。大きな背中に小さな身体はすっぽり隠れた。


「じゃあ、私はこっちの唐変木を貰ってくか……重い!」


「とんでもなく強いから気をつけろよ。手錠をかけた方が――」


 俺が言う前から、花目はラヴロフに手錠をかけていた。しかも両手両足に。


 そして丸めた布団みたいに肩に担ぎ上げる。


「いやあ、今夜は中国製“コートアーマー”と装着者十四人に加えて、こんな大物まで一挙に逮捕か……笑いが止まらんな。ボーナスはいくらだろなあ。おい、アンジュ。私の気が変わらねえうちにとっとと失せな」


「それはこっちの台詞だ」


 睨み合った犬と猿みたいにバチバチ火花を散らしながら、両者は各々の獲物を抱えて別の出口に歩き始めた。


 ミツグだけは、最後までのんきに手をこちらに振っていた。


 そして、誰もいなくなった。


 残された俺たちに、暗いエントランスホールの窓から月の光だけが差し込んでいた。


「……帰るか」


「その前にさ、携帯だけ貸して」


「なんでまた?」


「いいから」


 俺の携帯電話を受け取った雪は、番号をプッシュするとどこかに電話をかけ始めた。


 こんな深夜に一体誰と電話するというのか。俺は種のない手品を見せられているような、落ち着かない気分にさせられた。


「あ、もしもし。私です。雪です……そう、はい。ボディガードのことでお話があります」


 俺は目を剥いた。相手は神部凍星か?


「そう……だから、その新しいボディガードに攫われたんです! ……そう、それをハガネに助けてもらいました……聞いて!」


 雪があまりに大声を出したので、俺は身じろぎした。正直に言うと、ちょっと怖かった。


「契約打ち切るなんて認めないから! 私のボディガードはハガネだけ!」


 じゃあそういうことで、と叫んで、雪は叩きつけるように電話を切った。


「……ありがと」


「い、いや……どういたしまして」


 俺はビビりながら携帯電話を受け取った。ラヴロフとやりあっていたときより恐ろしかった。


 一方、雪は晴れ晴れとした顔で、両腕をのばした。


「あ~あ、すっきりした」


 月光が淡いスポットライトのように雪に降り注いでいた。世界を従えるのではなく、その中で揉まれて生きていく強さを、俺はそこに見た。『人々の営み』彼女が言っていたその意味を俺はようやく理解した。


 そうか、あれが俺の守るべきものなのか。


「ねえ、ハガネ。バイクの免許とってよ」


「なんで?」







 俺の“コートアーマー”が再起不能になったことを告げられた信隆は、目の前のソファーから立ち上がり、声を荒げた。


「そんな、困りますわ、ハガネはん! 話とちゃうやないの! ……今朝に『連絡事項がある』って言うから来てみれば……信じられへんわ!」


「まあ落ち着いてくれ」


 安普請のガレージハウスだ。身体の信隆がどすんどすんすると、二階が揺れて仕方ない。


「契約書には含まれていないが、これは確かに俺の不手際だ。契約金は返す」


 喋りながら、強烈な眠気に襲われていた。昨晩のごたごたで寝ていないせいだ。


「当たり前でんがな……半金の五百……いや、一千万耳を揃えて返してもらいまっせ」


 頭でそろばんを弾く信隆は、値段を吊り上げるたびに、その小さな目を強欲で光らせた。


「いいだろう」


 俺は金庫から無造作に一千万の札束を取り出すと、応接机の上に放った。こいつから貰った金を使う気になれず、丸々残しておいていた。


 まさか、こんなあっさり全額返ってくるとは思わなかったのか、信隆は呆気にとられた顔で俺を見上げた。


「ほ、ほんまにいいんでっか……?」


「顧客には正直でいないとな」


「ほんまに貰いまっせ」


「もともと、あんたの金だ」


 信隆はむしゃぶりつくように札束を奪い、傍らのセカンドバッグに次々と食わせた。


 まるで満腹を知らない餓鬼だ。


 冷めきった目でそれを見ながら、俺は言った。


「あんたは言ったな。強固な信念など邪魔だと。それがあると、いつかぽっきり折れるって」


「まあ、そんなことも言いましたなあ。わてが見つけた真理ってやつでっせ」


「あんたの言ってることは正しい。強固な信念が邪魔になるときもある。でも、俺はそれを曲げたくないし、それでも俺の心はぽっきり折れはしない」


 信隆は馬鹿を見るような目つきをぼんやりと向けた。


「これであんたとの契約は終了だ。もう俺はあんたのボディガードじゃない」


 と、それを合図にして、ガレージへの階段に隠れていた雪が飛び出してきて、信隆に走り寄ると「このクソ野郎!」と平手打ちをかました。


 と、思ったら今度はグーで殴ろうとしたので、さすがに後ろから押さえた。


「この野郎……! お前のせいでお母さんは! 私たちは!」


「やめろって……これ以上殴る価値なんてないぞ」


 ぶたれた頬を情けなく押さえ、信隆は叫んだ。


「ハガネはん、なんでっか、これは!」


「うるさいクソ野郎! 金の亡者!」


「やめろって!」


から出て行け!」


 信隆は慌ててセカンドバッグを持って、その身体からは想像もつかないほど素早い身のこなしでガレージハウスから逃げていった。


 残されたお茶菓子を、マッツが勝手に食べていた。


「はあはあ……ああー、すっきりした」


 憑き物が落ちたような顔を見せると、雪はからっと笑った。


 俺もつられて笑った。


 雪はそれからマッツと遊んでいた。


 俺は一階のガレージに降りるべく、階段に足を向ける。


 電子制御は専門外だが、“パーシヴァル”を復旧させることは諦めていない。俺には守るべき人間(……と猫)がいる。


「ねえ、ハガネー」


 階段に足を踏み出した俺に、雪が声をかける。


「今度、未玖ちゃん連れてきてもいい?」


 好きにしろ、と手を上げて俺は階段を降りた。

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バディ・コート 石井(5) @isiigosai

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