〈4.11〉決着
「あ、レッスン・ワン!」
華麗に舞うボク様の真下を、総武線みたいにハンマーが通過。ぷおーん。白線の内側にお下がりくださーい。
「愛とは! ……えーと、まず自分を愛しましょう」
大した広さもないベッドルームで、台風みたいにクマさん暴れ回る。ボク様すばしっこくそれを避ける。ツインベッドを蹴り上げて目隠しにしたり、ガレキを投げつけて威嚇したり、と涙ぐましい努力をするけど、やっぱり狭すぎるのは否定できない。
おっと。ハンマーの柄も使ってくるのね。重たいの振り回すよりも早く攻撃できるもんね。でも“エギーユ・クレーズ”にはまだ遅いよ。
「レッスン・ツー! えっと、愛とはカップ焼きそばのようなものである。待つときに待たないと完成しない!」
やっぱりここせま~い。ファントム流奥義の必殺技はいくつもあるけど、こんな狭さじゃ発動できにゃーな。別のとこに移動、と思ってもその経路はあんまり多くない。
一、ふつうに来た廊下を戻る……却下。クマさんのデカいボディが塞いでる。
二、クマさんがぶち破った天井で三階へ……却下。三階へ行くと時間かかりすぎ。ボディガードとの競争に負ける。おんなじ理由で、窓破って外へ逃げるのも却下。
って、じゃあどうにかして一番目のやつを実行するしかないやーん。
たっ、とボク様後方にジャンプ。窓際に寄る。
ボク様が窓から逃げ出すとでも思ったのか、クマさんはじっと立ち止まった。
「自分が何してるのかわかってる?」
実は聡明なるボク様には、この女の子が何者なのか、大体想像がついちゃってる。ボディガードの金庫に眠ってた
でも、実際どーなん。ここでボク様が頑張って、今さらこの子は普通の社会に戻れるの?
愛情ってのを誤解し、この腐敗した世界をサバイブする術を間違って覚えたゴッズチャイルドに、本当の幸せってのを理解する心が残ってるもんなの?
普通の社会を知らない
だから、まあしょうがない。変わるチャンスだけは与えてあげることにしよう。
ボク様を変えたすすくちゃんに免じて。
「レッスン・スリー!」
そう叫ぶと、ボク様は背後に吊るされてたばっちいカーテンを引きちぎって、クマさんの顔に投げつけた。
ばふっとタコみたいに絡みついて視界はおさらば。ボク様、その隙にクマさんの脇を通り抜けて、部屋を走る走る。
「愛とは受け取るものではなく、与えるものである!」
ホテルの廊下へ飛び出す。
数秒後、クマさんが扉を破壊して、廊下に飛び出してきた(あまりの巨体に、扉を通らなかったのだ!)。
で、ずってんと滑った。
当たり前。廊下は、ボク様がぶっ壊したスプリンクラーのせいで水浸しになってるんだから。屋上から侵入するときに、貯水タンクに水が残ってたのは確認済み。別に電気が通ってなかろうが、水は配管を通ってスプリンクラーの手前まで行き届いてるもんで、あとはスプリンクラー本体を破壊すれば、負圧で水は勝手に撒き散らされるのだ! ボク様ってば博識!
そんで、天井にしがみついていたボク様は、テーザーガンを水たまりに射ち込んだ。
ばちばちばちばち! まるで水が全部花火になったみたいに、すごい閃光を上げてクマさんの全身がスパーク!
電極を戻すと同時に、クマさんはずとんと倒れ込んだ。その第七世代の装甲は砂みたいになって、ざらざらと崩壊。
白い砂山の中に現れたのは、幼い女の子の穏やかな寝顔。ナノマシンが高圧電流を減退させるから心停止まではしない、っと賢いボク様は織り込み済みなのだ。やっぱりちっちゃい子の寝顔は可愛いね。“コートアーマー”着込んでるより、よっぽど似合うよ。
「ボク様の愛に痺れていただけたかな?」
女の子を優しくどけてから、ボク様は電池式の掃除機を用具室から見つけてきて、鼻歌まじりでナノマシンをがーっと吸い込む。吸い込んだ端から、ゴミ袋にイン!
「あっるぅひ~、もりっのなっかぁ~」
さすが大怪盗ファントム。狙った獲物は逃さない!
◇
連撃を加えてくるラヴロフ。肉眼の右目では強者の発する威迫を感じ、左目では色味の狂ったディスプレイがラヴロフのデータを送り続けてくる。
目眩がしそうな視界の中で、俺はラヴロフの攻撃を避け、双刀を振るう。
武器が相手ならば、神がかり的なフットワークだけでは躱しきれないはずだった。実際、ラヴロフはガードを用い始め、上腕のフレームで刃を受け止めた。
距離を詰められても問題ない。そのために刀身の短い武器を選択したのだ。
「モウ“彼女”の夢は見ないのデスカ」
ラヴロフの手口はわかりきっている。俺に精神的な揺さぶりをかけようと狙っている。
それはつまり、勝ち目が徐々に俺に傾いているということだ。
ラヴロフは焦っている。
「もういい、ラヴロフ。台湾のときとは違う。お前の言葉は俺には届かない」
「親離れトハ寂しいデスネ」
会話の狭間、呼吸の隙を狙ったストレート。俺は悟っていた。かがむ。チタンの拳が空を切る。
見える。今や、こいつは俺を脅かし、支配していた狂戦士ではない。
ただの倒すべき敵。
そう思うと、不思議とラヴロフの攻撃が読めてくる。恐怖と過去から解き放たれた目で見ると、こんなにもわかるものか。もちろんラヴロフの身体能力は驚異的だ。だが、ラヴロフに支配されていた俺だからこそ、奴の次の動きを読み切ることができる。
「ハガネ、行け! ぶっ倒せー!」
過去に怯えるのではなく、冷静に利用できるほどの心を、ようやく俺は手に入れた。
「……我が子と言ったな。お前は俺の名前を覚えているか」
「今さら、何をハクジョウなコトを……」
そう嘯いたラヴロフは、記号程度の意味しか持たなかったあの名前すら口ごもった。
「……十七番目の子ヨ」
「忘れるよな。お前にとって、俺たちは戦場にばら撒くための銃弾だった。覚えておけ。俺の名前は馬城ハガネだ。あいつのボディガードだ!」
肩を丸め、突撃してくるラヴロフ。リャサに隠れたそのステップが見える。
回り込もうとしたラヴロフに、同時に身体をそらして相対する。
一瞬、驚愕の表情が石彫の顔に刻まれる。
俺は、右の刀を裂帛の勢いで突き出した。
刺突はラヴロフのガードをすり抜け、肉厚な肩口をわずかに削り、ショルダー“コート”のフレームの隙間に突き刺さる。
雄叫びを上げ、俺はそのままラヴロフを押した。
〈撤退を……しま……マスター……〉
VALの悲鳴が聞こえる。それはもう、俺に“彼女”を思い出させない。
渾身の力でラヴロフを廊下の壁に押しつけた。同時に短刀の刃先がコンクリートの壁の奥深くまでえぐりこまれ、ラヴロフを“コート”ごと縫いつけた。
駄目押しで左の刀をさらにフレームの隙間に突き立てる。
このショルダー“コート”によって、無数の人間を市街で殺してきたラヴロフは、まさにその“コート”のせいで採集された昆虫のように動きを封じられた。
「……殺しなさい」
ロシア語だった。一体なぜそんなことを言ったのか。なんとか捨てずに持っていた戦士としての最後の矜持なのか、手駒にしていた人形如きに敗残を喫した屈辱からなのか。
一瞬の困惑だった。俺がラヴロフを理解しようとした、最後の一瞬だった。
〈……シャットダウンします〉
限界を迎えたVALの最後の言葉は、それだけやけにはっきりと聞こえた。
“パーシヴァル”の人工筋肉とフレームがその身体強化の作用を失い、ただの重い枷となる。
その瞬間を見逃さなかったラヴロフはショルダー“コート”を解除し、沈み込むようにして拘束を脱した。首に提げていた金の十字架を引きちぎる。その下部からナイフが飛び出した。
引き裂かれたリャサをはためかせながら駆ける。
その刃はまっすぐ雪を向いている。
「え……?」
虚を突かれ、動けない雪。自分に迫りくる殺意が理解できていない。
シャットダウンした“パーシヴァル”を装着した俺の身体は、まるで深海にいるようで、のろのろとしか動かない。
黒い背中が駆けてゆく。雪に、たった一つの結末を与えるために。
絶叫が聞こえた。俺のものだった。
最後の力を振りしぼり、俺は右手を上げた。
半分壊れかかったドラグーンマスクを外し、思い切り投げた。
マスクはラヴロフの後頭部に命中し、電子部品を砂糖菓子のように撒き散らした。
VALの統制を完全に失ったナノマシンが崩壊。俺の全身で砂となって溶け去っていく。
すかさず俺は飛び出し、よろめいたラヴロフの背中に飛び蹴りをかました。
「こノ……!」
「言っただろ。俺はボディガードだ!」
立ち上がろうとしたラヴロフの頭をサッカーボールキック。
ぐしゃ、と巨体が崩れ落ちる。床に転がった十字架ナイフを蹴り飛ばす。
俺は荒い息をついていた。
終わった。
「ちょっ、ちょっと……」
膝が笑ってへたり込んだ雪が手招きしている。俺は手を差し伸ばした。
掴んだ右手をぐい、と引き上げる。案外軽く、雪は立ち上がった。
「……やったの?」
「ああ」
にやりと笑って雪は手を上げた。
ぱん、と叩いた。
「でも……“パーシヴァル”は?」
俺は転がっていたドラグーンマスクを拾った。装甲はバラバラにひび割れ、内部の電子部品が焼け焦げている。
「……もう着れないかもな」
「そんな……! 直せないの!?」
「わからない……」
だが、これでいいのかもしれない。俺は過去を清算した。いや、少なくとも清算する準備ができた。もう“パーシヴァル”にも“彼女”にも頼らない方がいいのかも……
「なにを弱気なこと言ってんの。やればできるっしょ! 私も手伝うからさ」
俺は雪を見た。晴れ晴れとして、なんの屈託もない顔だった。
「そうだな」
だが……と、俺はラヴロフのぶっ倒れている廊下を見た。
ひどい有様だ。崩壊したナノマシンはなんとか最小単位で自己保持しているものの、公園の砂場が爆発したような光景になっている。
「それにはこのナノマシンを回収しないと」
「どうやって?」
と、廊下と同じくらい暗い雰囲気になった俺たちのもとに、高らかな笑い声が届いた。
「お困りのようだね。セーラームーン!」
「タキシード仮面様か!」
ぬるりとファントムが闇から現れ、それに雪は叫んだ。タキシード仮面?
ファントムは片手に巨大なゴミ袋、もう片方の肩に気を失ったアーリャを載せていた。
「……廃墟を掃除でもしてたのか」
「ボディガードにしては鋭い! そのとおり! 貸してあげようか?」
と、ファントムは手に握っていた何かをこっちに放り投げた。
なんとか受け取ったそれは、電池式の掃除機だった。
俺と雪は顔を見合わせた。
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