勝手にしやがれ

フカイ

掌編(読み切り)





 午前零時。

 クルマをガレージから出す。

 シュトゥットガルト生まれの白く、美しいけもの。

 低いとどろきを深夜の街に響かせながら、低速で街路を抜けてゆく。


 上社ランプから、都市高速に。

 2号東山線の長いトンネル。

 オレンジ色のハロゲンランプが、いくつもやって来ては即座に遠ざかる。

 暖機運転のつもりでゆっくり流してゆく。


 丸田町ジャンクションで3号大高線を南下。

 坂道を登って大きな右コーナーの名古屋南ジャンクション。

 そうしてこのけものは、伊勢湾道に入る。

 名古屋港の埋立地を背の高い橋でつないだ、約20キロの直線路だ。


 PKDのパドルシフトを落とし、スロットルに鞭を入れる。

 自然吸気の3.5リッター。

 恐ろしく軽い車体と相まって、3.98kg/psのパワー・ウェイト比率を叩き出すこの白いけものは、真夜中の道を駆ける風になる。


 視野がぐんと狭まり、回転系タコ・メーターの針が真上を向く。

 背中の水平対向6気筒ミドシップのアリアが、オクターブ上がる。

 背中がシートに押し付けられる。

 スピードが、全ての雑事を1万マイル彼方へ押しやってゆく。




 ●




 法定速度を悠々と越えて、ゲルマンのは人気ない深夜の湾岸を一直線に駆け抜ける。

 四本のタイヤは確実にアスファルトを捉え、いささかなりとも不安要素をみせることがない。

 左手に観覧車が見えたら、減速。

 時速250キロからの減速に、一切のブレなく、安定して制動する。

 恐ろしいほどのクールさ。


 そのまま四日市ジャンクションから東名阪へ。寝静まった市街地と、真っ暗な畑のつづく伊勢平野を疾走し、さらに亀山ジャンクションから新名神へ。

 最初のトンネルを抜ける頃から、道は勾配を増し、周囲には鈴鹿山脈が立ち上がってくる。




 ●




 いろいろなクルマを乗り継いだけれど、この二座のオープン・スポーツカーの野蛮さは、きっと手馴付けることなどできやしないまま手放すことになるのだろう。

 いろいろな女も乗り継いだけれど、あの女もまた、馴付くことを知らぬままオレのもとを去るのか、と彼は思う。


 知らぬ振りをして、背中を向けたまま、女がわずかな身の回りのものをまとめる気配を感じている。


「勝手にしやがれ」としか、言いようがない。


 気障きざを気取っているわけではない。

 あの女を縛ることは、魚から尾ひれを切り取るようなものだ。競争馬の脚を折るようなものだ。

 誰にも馴付かぬ代わりに、こころを許した途端、途方もない快楽を与えてくれる。


 性のことばかりでない。

 性だけが、女の魅力なのではないのだ。

 それを彼は初めて知った。


 圧倒的な存在感。

 誰もが振り向く、そのオーラ。

 そして深みをたたえた、果てしないその内的世界インナーワールド

 そのすべてが快感だった。

 全くもって、この白いけものとよく似ている。


 出て行く女にすがるのでなく、ただ、照れるしかない。

 最後のきわで気づく、愛とか恋とかいうような世迷いごとに、抜き差しならなくなった自分に。


 だから「あばよ」と言うほかないではないか。


 それしか彼には舌に乗せられる言葉が見つけられないから。




 ●




 鈴鹿山脈を抜け、竜王山を越えれば、草津田上ジャンクション。

 時速120キロオーバーで、急カーブのジャンクションに侵入してゆく。

 パドルをシフトさせ、一気にエンジンブレーキをかける。

 同時に四輪のブレーキも作動させる。

 ステアを切りながら減速し、コーナリング体制に入ったら、

 リアタイヤにきっちりとトラクションをかけつつ、ジャンクションのコーナーを旋回してゆく。


 まるでレールの上を走るような、安定した旋回性能。

 途方もないスピードを自在にコントロールしながら、

 思いのままに鼻先を向けてゆく。


 ここで旧名神上り線に合流する。

 広い近江盆地に入る。

 ウィークデイの午前2時。

 田舎の町は死んだように眠っている。


 屋根のない頭上を見上げれば、

 真冬のオリオンが棍棒を振りかざす様子が見える。


 思い出す、ニューヨークのグランドセントラル駅。

 一年を通じて冬の星座が見えるそのコンコースを腕を絡めて歩いた思い出。


 やがて、関が原の山々が空を狭める。

 いま一度運転に集中し、一気に濃尾平野に戻る。

 小牧ジャンクションで東名に乗り継ぎ、ラストラン。


 最初に入ったのと逆車線のランプから、高速を降りる。




 ●



 クールダウンしながら、午前三時の街を走る。

 最後の角を曲がりながら、助手席に放ったリモコンで、ガレージのシャッターを開けるボタンを押す。


 ヘッドライトの明かりの中に、自宅が見えた。

 そこに、待ちぼうけを食らったような、赤いケイマンが止まっていた。


 ドライヴァーズ・シートには、眠る美しい女の横顔があった。

 彼は、思わず笑った。


 ―――勝手にしやがれ




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勝手にしやがれ フカイ @fukai

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