第3話
――まだか。
直次が忠朝の陣を離れてもなお、徳川幕府と豊臣両陣営は睨み合ったままで動きはなかった。
忠朝は、身軽なものを選び、ついに物見を放つ。
物見からの報告を待っていたが、代わりに聞こえてきたのは銃声だった。
――来たか!
戦いの時を待っていた忠朝は騎乗するとすぐに声を上げる。
「参るぞ!」
「殿に続け!」
怒号と共に忠朝は駆け出した。
正に猪突猛進(ちょとつもうしん)の様相で、その側には家臣が寄り添い、本多勢は一斉に動き出す。
――考えることは敵を打ち破ることのみ。
忠朝は盲信的に己に従う家臣らへの詫びに似た気持ちを持ちそうになったが、それを打ち消した。
――犬死ではない。決して!毛利を打ち破り、大阪城への道を作るのだ!
幕府側の先鋒の大将は忠朝である。
しかしながら、他の陣営よりも前に出すぎていたため、豊臣側の先鋒――毛利勝永勢に単独で切り込む形になった。
「敵将は毛利勝永だ!押し出せ!」
前方にいるのは毛利勝永であり、忠朝は高揚する気分が隠せなかった。
――何をしておる?
しかし毛利の兵らはいきり立っていたが、勝永自身の動きが奇妙であった。
まるで戦いをやめさせようとしているようなもので、忠朝は疑問を持つ。
――何か策があるのか?
考えをまとめようとするが、槍を振り回しながら思いつくはずがなく、そのうち、勝永の姿が視界から消える。
冷水を浴びせられたような予感がして、それはすぐに予感ではなくなった。
耳をつんざくような銃声が両側から一斉に放たれる。
「殿をお守りしろ!」
側にいた家臣がそう申した気がしたが、すぐにその者は弾丸に倒れた。
――わしらが鉄砲衆も!
そう思い、白煙の中、目を凝らす。
しかし、すでに鉄砲衆は先程の銃撃で狙い打ちされており、命を失ったか、虫の息。忠朝の鉄砲衆は全滅したものと同じもので、家臣らは忠朝を守ろうと周りを固める。
「毛利勝永!!」
――これを狙っておったか。一気にわしらを殲滅するつもりか!
煙で視界は曇り不明瞭。
しかし背後から怒声が聞こえてきた。目を凝らすと、遅れていた先鋒の軍勢がすぐ側まで来ていた。
その中で、六郷政乗の顔が目に入り、前年の屈辱を思い出す。
体中が熱くなり、忠朝は顔を上げた。
――わしは、武将だ。神将と呼ばれた父の名に恥じぬように、己の器量を見せる!
「殿!」
「下がっておれ!この本多出雲守忠朝!鉄砲ごときで死ぬような輩ではない!」
家臣を退け、忠朝は再び馬を駆り、槍を振るう。
火花と白煙、弾ける様な音が上がり、忠朝の体を一発の弾丸が打ち抜く。
「殿!」
「構うな!毛利勝永を討ち取るぞ!わしに続け!」
痛みを堪え、それでも忠朝は馬を駆り、槍で敵を薙ぎ倒しては突く。
「毛利勝永!この本多出雲守忠朝に恐れをなしたか!」
本多勢に他の先鋒の武将も追いつき、戦いは更に乱戦の様相を呈する。
勝永に近づこうとするが、鉄砲を構えた足軽らが、忠朝の邪魔をした。
放たれる弾丸、火花に、あがる白煙!
弾丸に倒れる者、うめき声を上げる者。
「と、の!」
「解勘由(かげゆ)、無事か!」
「はっ、」
兜はすでに被っておらず、髪は乱れ、その全身は血に濡れている。自身の血か、返り血か忠朝には判断がつかなかった。
「と、の、はご無事で」
解勘由(かげゆ)の最期の言葉はそれで、彼は背後から迫った歩兵に胸を突かれ、目を 剝くと倒れた。
「解勘由(かげゆ)!おのれ!」
忠朝は馬上から槍で兵の心の臓を狙って突く。
仇を取ったと思ったのは一瞬だった。
「ぐはっ!」
忠朝が気をとられている間に、死角に入った兵が弾を放つ。
至近距離から放たれた弾丸は腹部を撃ち抜き、忠朝は堪らず馬から転げ落ちた。
――まだだ。わしはまだ死ねない!
視界が白く、意識も混濁していたが、彼は立ち上がり、今度は刀を抜く。
腹、肩から血を流し、それでは忠朝は刀を構えた。
その形相は鬼のようで、毛利の兵らは弾を撃ち込んだにもかかわらず戦意を保ったままの彼に恐れをなす。
「ふん。不甲斐ない輩よ!おぬしらなどわしの敵ではない!」
動く度に血が傷口から噴き出す。
動ける状態であることが信じられなく、毛利の兵らが恐慌状態に陥いる。
「恐れろ、恐れろ!わしは本多出雲守忠朝であるぞ!」
忠朝は、唸り声をあげ、刀を振り上げた。
「惑わされるではない。気力で立っているだけの御仁だ!撃て!撃つのだ!」
大柄な男が前に出て、兵を叱咤する。
すると、兵らは冷静さを取り戻し鉄砲を構えた。
――ここまでか。だが、最期まで一人でも多くの敵を葬るのだ!
「この本多出雲守忠朝!まだまだ!死なぬぞ!」
咆哮をあげ、忠朝は目の前の敵に刀を振り下ろす。
「何をしておる!撃て!撃つのだ!」
先ほど兵らを叱咤した男――雨森(あめのもり)三伝十郎( さんえもん)は鉄砲を奪い取ると、忠朝に弾丸を放つ。それに習い他の兵らも遂に発砲した。
火花。
白煙。
耳を裂くような音。
忠朝には、それらすべてゆっくりと感じられた。
弾丸の動きまでが見えるようであったが、避けることなど叶うはずがない。
放たれた弾が全て忠朝に吸い込まれるように撃ち込まれた。
己の意思ではなく、体が衝撃で揺れ、そのまま地面に吹き飛ばされた。仰向けに倒れ、視界に青い空が広がる。
地上で行われている戦などが嘘のように、雲がゆったりと空を泳いでいた。
体を動かそうとしてもはや、思い通りにはならない。目玉だけはまだ制御でき、きょろりと動かす。
残り少ない家臣が奮闘している姿が見える。何名かの者はこちらへ駆け寄ろうとしているようだった。
「本多出雲守忠朝殿!その首、貰い受ける!我が名は雨森(あめのもり)三伝十郎( さんえもん)なり」
あの大柄な男が、忠朝を覗き込む。
忠朝はただ男を見るしかできなかった。
何か言ってやろうと口を動かすが、言葉を紡ぐことはできなかった。
「御免」
三伝十郎( さんえもん)の声と冷たい刀が体を貫くのは同時だった。
最期まで抵抗の意思を見せようと、憤怒の顔をした忠朝。
首を切られてもその表情は変わることはなかった。
「本多出雲守忠朝を討ち取ったぞ!」
三伝十郎( さんえもん)は首を掲げ、高らかに宣言した。
こうして、先鋒は総崩れ、二番手、三番手も追い込まれ、真田信繁が家康公の本陣に斬りかかるまで、徳川幕府側は追い込まれた。しかし、家康公は逃げ延び、数に勝る幕府側は徐々に豊臣軍を追い詰め、ついに大阪城にて豊臣家の大将、豊臣秀頼は自害することになった。
***
「殿。よくご無事でございました!」
安藤直次は、本陣が崩れたという報を受け、生きた心地がしなかった。
それなので、こうして無事に家康に目通りができ、心の底から安堵していた。
「直次。やはり出雲守は、猪武者であったぞ。あやつ、死におった。二十もの弾丸を受け、それでもなお刀を振り回しておったそうだ」
家康の声は小さく、自嘲が含まれていた。
猪武者とは後先を考えず、勢いに任せて前を進むことしかできない無能な武者を指す。
忠朝はそうではないと、直次は反論しそうになった。
だが、それより先に家康は口を開く。
「あやつは愚か者よ。わしはあやつが平八郎と同じく勇猛であることを知っている。わしへの忠義の深さも十分わかっておる。それなのに、あやつめ」
家康の拳が微かに震えており、顔をそっとあげて窺うと、その瞳が濡れているような輝きを放っていた。
直次は頭を垂れ、静かに涙を流す家康の側に寄り添う。
「合戦は終わりじゃ。これで天下統一は成し遂げられた。多くの者が戦いで命を散らした。だが、その全ては糧となり、幕府の礎になる。わしは人々が笑って暮らせる世の中を作るのだ」
「はっつ」
本多出雲守忠朝、己の意思を最期まで貫き、戦った武将。
家康は、彼の死を悼み、その矜持を尊んだ。
そうして江戸城内で彼のことを「後先見ずの猪武者よ」と侮る者には厳重な罰が与えられたという。
(完)
後先見ずの猪武者よ ありま氷炎 @arimahien
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