第2話

「殿。出雲守殿のこと、本当によいのでしょうか」

「よいとは、どういう意味じゃ」


 幕府軍の総大将――徳川家康とその側近は、中村四郎伝十郎宅に本陣を構えた。

 本陣に相応しい立派な屋敷で、家康は大御所様へとあつらえられた座敷で、訪ねてきた安藤(あんどう)直次(なおつぐ)と面談していた。

 直次は幼少より家康に仕えている古参の側近である。この戦いでは、家康公の十男――徳川(とくがわ)頼宣(よりのぶ)を支える附家老(つけがろう)に命じられている上、総監も勤めている。

 忠朝の父忠勝とは語り合った事もあり、今回の采配について考えることがあり、家康の元を訪ねていた。


「あやつには昨年辛くあたってしもうた。今回の働きで挽回の機会を与えようと思ったのだ。先鋒には覇気ある者も必要だろう」


 直次は家康の言葉を黙って聞く。殿の言葉には一理ある。けれども直次は忠朝の姿を思い出し苦い気分になった。


「心配するではない。あやつは後先見ずの猪武者ではない。向こう見ずに戦い、死ぬような輩(やから)ではない」


 確かに忠朝は思慮深く、感情に任せて動くような武将ではなかった。けれども、昨年の戦いで、家康に叱責され、震えていた肩。その後の戦いはそれこそ死ぬ物狂いだった。その姿は、彼の初陣を思い出させたくらいだ。

 忠朝の初めの合戦――関ヶ原の戦い。薩摩勢相手に勇猛果敢に戦い、その刀が歪に曲がるほどであった。全身にべっとり血糊がつき、薄汚れた顔。目だけが爛々と輝いていた。

 戦いが終わり、再び忠朝と会う機会があったが、あれが嘘のように穏やかな目つきになっていたが。


「心配か。それであれば明朝に天王寺に行くがよい。だが、すぐに戻るのだぞ」

「殿。有難きお言葉、恐悦至極(きょうえつしごく)に存じます。それがし、明朝、天王寺に出向き、この目で確認してまいります」

「良きに計らえ」

「はっ」


 直次は深々と頭をさげると、座敷を後にする。

 渡り廊下を歩くと涼やかな風が頬を凪いだ。

 庭の桜の木は枝いっぱいに深緑の葉をつけている。

 初夏を迎えた夜はまだねっとりとした暑さはなく、心地よい風を直次に感じさせた。


 ***


 天王寺に到着したのは忠朝らが一番乗りだった。

 世も明けないうちから出発し、到着したのは朝日がやっと顔を出し始めた頃。

 他六名の武将らが兵を引き連れ到着したのは、朝日が完全に昇りきった頃であった。


「これまた早いですなあ」


 すでに豊臣側も布陣をひいており、呑気に顔など見せる余裕はないはずなのだが、忠朝の元へ訪ねてきたのは六郷(ろくごう)政乗(まさのり)であった。

 親しい仲でもなく、むしろ主君を二度も変え、いずれの主君とも戦っているこの男を忠朝は好ましく思っていなかった。

 けれども、嫌な顔など見せることもなく彼は、六郷政乗と面会する。


「これは兵庫頭殿。わざわざのお越し何用ですかな」

「出雲守殿。今回は先鋒の大将に配されると伺い、私はとても安堵いたしました。神将と呼ばれたお父上のように、戦場では頼りにしております」


 忠朝はうすら笑いを浮かべる政乗に殴り掛かりたくなったが、それをこらえる。見れば家臣らも同じ思いらしく、それぞれが怒りを抑えているのが見て取れる。小野(おの)解勘由(かげゆ)などは感情を露(あらわ)に刀の鍔に手をかけそうになっているのを、横にいた伝十郎が慌てて止めていた。


「ご安心くだされ。この本多出雲守忠朝。ご期待以上の働きを見せましょうぞ」

「ははは。それは有難いですなあ」


 白々しい高笑いがまた癇に障ったが、慌ただしい声により一気に気持ちが冷やされた。

 それは、大御所様の側近、安藤直次が到着したという知らせだった。


「それでは、私(わたくし)はこれにて」

「兵庫頭殿。急にいかがされましたか?御附家老(おつけがろう)様に会えぬ理由でもございますかな?」

「そのようなことがあるわけなかろう」

「それでは、お待ちくだされ」


 指揮官が持ち場から離れるなど、通常あってはならないことだった。しかし政乗はのこのこと、下らないことを話すために忠朝の元へ現れた。

 直次がそんな政乗にいい印象を持つわけはなく、彼は落ち着きなく直次の到着を待つ。いよいよ顔色まで悪くなり、忠朝は溜飲を下げることになった。


「出雲守殿、兵庫頭殿までお揃いとは、何か火急の事態ですかな」

「それは、」


 今年で六十歳、それでも大御所様より年下であるが、直次はまだまだ老いを悟らせない様子で、二人の前に姿を現した。

 政乗はその真っ黒な目にぎょろりと見つめられ、言葉を詰まらせる。

 助け舟を出したのは、忠朝だ。


「物見を出そうと思っているのです。そのことを兵庫頭殿に相談していたのでございます」


 明らかに嘘とわかるものだったのだが、政乗は助かったとばかり息をついている。それを内心ほくそ笑みながら忠朝は直次の反応を待った。


「物見か。いいのではないか。だがそれより、出雲守殿。おぬしの手勢が前に出すぎているようだ。後ろに下がった方がよい」


 そう述べた直次に、忠朝はすぐに返す。


「御附家老(おつけがろう)様。拙者の手勢は、先鋒としての役目を十分に果たすため、このように前に出ております。戦が始まれば、拙者らが一番先に敵に切り込むでしょう」

「出雲守殿」


 諭すような口調で呼ばれ、忠朝は少しばかり苛立ちを覚えた。

 直次は年齢的には父親と同年代であり、その指摘も理解できる。しかしながら、忠朝は先鋒として誰よりも先に動くつもりであったので、直次の言葉を受け入れられなかった。

 それは直次もわかったようで、さらに言葉を続けようとして、興味深々とばかり会話に聞き入っている政乗の存在に気がつく。


「兵庫頭殿。こんなところで油を売っているより、もっとやるべきことがあるのではないか」

「はっつ。仰る通りでございます!ご無礼つかまつる」


 ゆったりとした、しかし有無を言わせない直次の問いに、政乗は慌てふためいて、礼をとると逃げるようにいなくなった。


「さて。出雲守殿。おぬしはまだ三十四歳。その思慮深さや藩主としての力量、それらはこれからの幕府に必要なものだ。一時の感情で、戦いに望むのは愚かなものというもの。昨年のあれは、殿の叱咤にすぎないのだ。おぬしはわかっていよう」


 直次は諭すように穏やかに、忠朝に向かって話す。

 そのような事は言われなくても彼は理解していた。

 しかし、忠朝の中の武将としての己が、それを打ち破る。


「御附家老(おつけがろう)様。己の道は変わりません。拙者は関ヶ原の戦いから、武将としての矜持を守ってきました。それが、去年失われた。今日の戦いで、拙者は失った矜持を取り戻し、再び大御所様にお目通りしたいと思っております。察してくださいまするか。何も申さず見守ってくださりませ」

 

 これは忠朝の心からの願いであり、願いというよりもすでに宣言に近いものであった。

 言葉を発してから、しばしの沈黙が訪れる。本多勢の誰も言葉を発さず、遠くから周りの陣営の声が聞こえて来る。


「あいわかった。だが、出雲守殿。殿はおぬしとは再び生きて会うつもりなのだ。それを肝に銘じて、思う存分戦うがよい」

「はっ。ありがたき幸せにございまする」


 手を膝に乗せ、忠朝は深々と礼をとった。

 

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