後先見ずの猪武者よ

ありま氷炎

第1話

 豊臣最期の合戦――大阪夏の陣。

 多くの武将が己の信念のため駆け抜けていった。


 慶長二十年五月七日未の刻、天王寺口付近。

 一人の武将が、己の矜持をかけ、今まさに戦っていた。

 馬上で槍を振るい、四方から群がる兵士らを鬼神のように薙ぎ払う。

 武将の名は本多(ほんだ)出雲守(いずものかみ)忠朝(ただとも)。

 徳川家康の重臣の一人、本多平八郎忠勝の次男である。



 ***

 


「殿。なぜ殿が先鋒に配されるのでしょうか?」

「解勘由(かげゆ)!口を慎め」

 

 まず最初に口を開いたのは、小野(おの)解勘由(かげゆ)であった。隣にいた窪田(くぼた)伝十郎(でんじゅうろう)は慌てて彼の口を制する。

 宿として借り受けた屋敷の一室に、本多(ほんだ)忠朝(ただとも)とその家臣ら十五名が集まっていた。お互いの膝が触れるくらいの距離で明日の戦の相談をしている。

 四月末から不穏な動きが表沙汰になり、江戸幕府軍と豊臣軍が再度ぶつかった。敗戦を続け、豊臣軍はとうとう大阪城近郊まで追いつめられることになる。

 今朝、徳川家康公――大御所様から伝令が伝えられた。予定通りの内容と思われたが、もたらされた命令は二番手だった忠朝(ただとも)の配置場所が、天王寺口の先鋒になることであった。

 大御所様からの伝令、従うしか選択肢はないのだが、解勘由(かげゆ)は主人へ疑問を投げかけた。忠朝は彼が叱責を受ける覚悟であることを知っており、怒りを表すこともなく、静かに解勘由(かげゆ)を見つめる。

 本多忠朝は、戦となれば鬼神と化すが、上総(かずさ)大多喜(おおたき)藩主として穏やかな治世を行い、気性は荒くはない。幼い時より兄を常に立て、父より上総(かずさ)大多喜(おおたき)藩主を引き継ぐ兄を一生支えて生きていく、そのような男であった。

 しかし実際のところ、父が関が原の戦いの褒美として伊勢桑名(いせくわな)藩に国替え、兄がその跡を継ぎ、忠朝は父が元々治めていた上総大多喜藩の藩主になった。


「小野(おの)解勘由(かげゆ)。おかしなことを問うではない。大御所様の命令を疑うのは天を疑うことと同じ。今回の配置換えはわしにとって願ってもないことだ。わしは嬉しく思っておる」

「殿!」


 口元を緩めて笑う忠朝に、解勘由(かげゆ)が納得いかないとばかり、再び声をあげる。

 今回先鋒を務めるのは真田(さなだ)信吉(のぶよし)、浅野(あさの)長重(ながしげ)、秋田(あきた)実季(さねすえ)、松下(まつした)重綱(しげつな)、植村(うえむら)常勝(つねかつ)、六郷(ろくごう)政乗(まさのり)ら六名。若輩者や重臣ではないもので固められた配置。

 天王寺口に集まる豊臣軍は忠誠心厚い真田(さなだ)信繁(のぶしげ)勢、毛利(もうり)勝永(かつなが)勢を始めとする五万。対する江戸幕府軍はその三倍の十五万である。しかし、もはや背水の陣である豊臣軍に正面から当たる先鋒は、言い方は悪いが捨て駒のようなものであり、忠朝を慕う家臣らは動揺を隠せなかった。


「殿は、討ち死を覚悟されているのではあるまいな?」

「解勘由(かげゆ)!おぬしは!」


 忠朝は実直な者を好んだ。本心ではない飾りのような言葉を用いる者を好まず、彼の家臣は皆が直に物を言う。けれども、今回の解勘由(かげゆ)の言葉はあまりにも過ぎたもので、伝十郎は思わずその腕を引き、詫びるように頭を押さえた。


「解勘由(かげゆ)。伝十郎もよい。今回の合戦は、今まで以上に苛烈なものになるであろう。それを望んだのはわしだ。おぬしらの心配もわかるし、迷惑をかけることも理解しておる。だがな、わしは引けんのだ!」


 穏やかな顔から一転、忠朝の顔が戦上の鬼神の顔になる。

 憤怒の表情で立ち上がり、今にでも槍を構えて戦う姿勢だ。

 小野(おの)解勘由(かげゆ)、そして窪田伝十郎、その後ろに控えていた家臣らは金縛りにあったように、動きを止めた。

 そうして、それぞれが主人の決死の覚悟に思いを馳せる。 


 忠朝がこれほど先鋒を渇望することには理由があった。

 それは前年の戦いである大阪夏の陣のこと。彼は戦に挑む前から、家康公の不興を買っていた。

 前方を阻む堀の件で、迂回するように意見を述べた。兵が水に呑まれ兵力が削られることを思ったことであったが、それに対して家康公は激昂した。

 別の者に堀の水の流れを確認させた上で、家康公は、「水の流れくらいで怖気づくとは情けない。平八郎と違い、体が大きいだけの、でくのぼうよ」と皆の前で彼をこき下ろした。

 忠朝は十九歳で父の本多平八郎忠勝と共に関ヶ原の戦いに参加し、恐れ知らずの薩摩勢と互角で戦い、いくつか首級をあげた。家康公の覚えもよく、忠勝の次男――忠朝の名を知らしめることにもなった。

 しかし、去年の家康公の激昂は、武将としての彼の矜持をいたく傷つけた。家康公の信頼を得ている、それが彼の誇りであり、それを支えとして彼は戦ってきた。

 この激昂は同時に幕府内での彼の評判を落とすことにもなり、酒を飲んで油断をしていたなどと他の噂をも呼び込み、彼の名は笑いと共に語られることにもなっていた。


 そうして、やってきた豊臣との二度目の合戦。

 彼は家康公から伝えられた配置を知り、彼の誇りを取り戻すため、先鋒を務める伝令をありがたく頂戴した。


「わしは本多平八郎忠勝の子である。この戦いは、再びわしの武将としての心髄を大御所様に見せる時なのだ。本多(ほんだ)出雲守(いずものかみ)忠朝(ただとも)は父と比べても見劣りしない武将であるということを皆に証明するのだ!」


 忠朝は頭を垂れ控えたままの家臣らにそう言い放ち、背を向ける。

 己のこの決断によって多くの家臣が命を落とすことを彼は知っていた。だが、忠朝は去年の合戦前に浴びせられた言葉、周りの蔑むような視線を忘れることができなかった。


 ――わしは、本多平八郎忠勝の子であり、父に誇れる武人だ。決して卑怯者などではない。我が身にかかった恥ずべき噂を払拭し、信念を見せるのだ。


 武将であれば、主人のために命を投げ打つ。

 家臣らが己の命に従うことは疑う余地もない。

 けれども、彼の心に詫びの気持ちが生まれる。


 そんな彼の背中を見ながら、小野(おの)解勘由(かげゆ)は顔を上げると朗々と述べた。


「殿、我らが家臣。みな、殿に忠誠を誓い、命尽きる時までその側に仕えることを本望としております。我らを導き、大阪城への道を開きましょうぞ」

「おぬしら」


 瞼が焼けるように熱く、忠朝の心が滾る。

 彼は振り返ると家臣らの顔をゆっくりと眺めた。


「わしは本当によい家臣をもった。明日は真田信繁、毛利勝永らに大泡を吹かせ、そのまま大阪城へ踏み込むぞよ!」

「おお!」


 忠朝の言葉に家臣らが呼応する。

 それは地響きのように足元を揺らし、家主とその家族らが何事かと庭に出てきたくらいであった。


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