異世界転移の記憶① 覚醒への願い

 暖かい、ミルクの池に体を包まれているような。


 赤ん坊の時がどんなものだったか覚えてはいないけれど……おそらく、母親に抱かれて眠っていた時って、こんな感じだったんじゃないかと思う。

 銀河よりも大きな優しさに包まれて、何の心配もなく目を瞑る。

 理性も知性も、自分の力で生きるために必要な力がなにひとついらない、そんな空間。何もしなくても自分があらゆる悪意や危険から守られる、安心と堕落に満ちた精神状態が、俺をより深いまどろみに落とす。


 ……なんだろう、これ。

 夢……かな……。


「あ、そういうのいいんで」


「えっ」


 まどろみが一気に醒める。

 ……ここはどこだ。ていうか、今の誰だ。


 周りには……文字通り、何もない。

 ただただ何もない、真っ白な空間が永遠に続いている。地平線すらもない。もしも死後の世界があるとしたら、こんな感じなんだろうか。

 足元を見ると……何もない。俺は、浮いていた。

 一瞬、ドックンと心臓が野太い悲鳴をあげ、全身から尋常でない冷や汗が噴き上がるが……いやいやありえない。どう考えてもこれは夢だ。そう思い直して、すぐに落ち着いた。


 そうだ、これは夢。やけに感覚がリアルだけど、これは夢。


「夢じゃないです。あの、あなたの気持ちも分かるんですけど、だいぶ押してるんで次の段階いっていいですか? このあと2人待ってるんですよね」

「え……あ、はい」


 俺の体以外、何も音の発信源がないはずのこの場所で、この世のものとは思えないほどに清く透き通った女性の声だけが、やけにハッキリ耳に届く。

 いや……耳に届くというよりかは、『こいつ直接脳内に……!?』的な感じで、頭の中に直接入り込んでくる。

 どこから聞こえてくるのか分からないその女性の声に、俺は陰キャらしくキョドりながら返事をする。


「えーと、銀閣金将ぎんかく きんしょうさんで間違いありませんか?」

「は、はい」

「あなたにが届いています。世界座標はシュペイマイス可能性群8番次元、第12分岐点を右、第17分岐点を左、神域接近係数0.0000002198、発散度0.19。召喚座標はT軸1109.013、X軸8276.5517、Y軸23.8900、Z軸1.0023のフラーヴィネス王国王宮、召喚士緊急特別設置本部」

「え、あ、あぁ……?」


 え。ナニコレ。

 落語始まった?


「今読み上げたものは、これからあなたに向かって頂く場所の座標です。……あなたの知っている言葉で言うと、『異世界転移』というヤツですね」


 その言葉に、心臓が跳ね上がる。


「異世界転移!? つ、ついに! ついにきたんですか!」

「えぇ……なにそのテンションの上がり方……。なんで最近の人間ってみんな異世界って聞いただけでエグいくらいテンション上がるの……こわい……」


 女性の声が明らかにドン引きしたものになるが、もはやそんなことどうでもいい。


 ついに、ついに異世界が俺を呼んだのだ!

 勘違いイケメン(笑)が「なんで俺、芸能界からスカウト来ねぇンだろ?笑」とか言っているように、俺もここ3年ぐらいの間ずっっっと、何故自分が異世界に召喚されないのかについて毎日思い悩んでいたのだ。

 辛い時もあった。自分で飛び降り自殺でもすれば異世界転生できるんじゃないか、などと考えた回数は100回を超えると言っても過言。

 さすがにそれは過言だが、とにかく、それくらい切望していたのだ。


 だが……ついに!

 ついに俺は異世界転移を果たし、チートステータスで無双する俺TUEEEな人生を謳歌するのだ。

 冴えないキモ陰キャから、生まれ変わるんだ!


「ええと……1人で盛り上がっているところ悪いですけど、手続き進めますよ」

「はい! お願いします!」

「えぇ……急に何なのその元気……」


 ドン引きしながらも、女性の声はこほんとひとつ咳払いをすると、ふたたび『手続き』を進めはじめる。


「自己紹介が遅れましたが……今回、銀閣様の快適な異世界転移をサポートさせて頂きます、多元世界管理局転移部日本人課関東地方担当女神、アガナエルと申します。覚えて下されば幸いです」

「よ、よろしくお願いします」

「今回は時間と時空干渉度数の関係で、失礼ではございますが、姿を見せず手続きを行わせて頂くことになります。何卒ご理解頂きますよう、よろしくお願い申し上げます」


 アガナエルさん(女神らしいからさんじゃなくて様って付けた方がいいのだろうか)は、マニュアルでも読むかのように淡々、すらすらと喋っていく。

 こ、こんなお役所仕事みたいな感じだったのか、異世界転移って。

 もっと、不思議な部屋でドエロい格好した女神と対面して、意味深な内容が書かれた契約書にサインする……みたいな感じだと思ってた。いやまぁ、異世界転移させてくれるっていうんだから、これ以上贅沢は言えないけども。


 その後もぺらぺらと、アガナエルさんが一方的に『手続き』とやらの内容を喋り、一息ついてから、彼女は少し声色を変えた。


「では最後に、銀閣様。あなたに力を授けます」


 きた! 異世界もののテンプレ、『女神が力を授けてくれるアレ』!

 攻撃力から幸運まで全てが∞のステータス、無限大の魔力、他の誰も持っていないような超レアな特殊スキル、自分にしか使えない聖剣!

 胸が高鳴る。と同時に、喉がカラカラに乾く。

 異世界転移するといっても、今のままの俺が異世界転移したんじゃ、すぐに魔物や悪人に殺されて終わりだ。ここで良い『力』を授けてもらえなければ、最悪、詰む。


「あなたは……何を望みますか?」


 何を望むか。

 そんなものは……ずっと前から、決まっている。

 こんなに情けない俺が、こんなに魅力のない俺が、こんなに何もできない俺が、この世界に生まれ落ちてから、ずっと求めていたもの。


「俺は……」


 渾身の力を腹に込めて、万感の思いと共に、吐き出す。


「俺は……『何もできない銀閣キンショウ』から、『何でもできる銀閣キンショウ』になりたい!!」


 それを叫んだのと同時に。

 体の中で……古い、錆びた錠前が外れるような、そんな音がした。


「願いは……たしかに、受け取りました」


 そして、意識が遠のいていく。


 ふたたび、アガナエルさんの声で目を醒ます前までに浸かっていた不思議なまどろみの中に、ゆっくりゆっくりと、身を沈めていく。

 次に目覚めた時……俺は、なれているんだろうか……。


「それでは、快適な異世界生活を、心ゆくまでお楽しみください」


 ずっとなりたかった、自分に。

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チート・コンプレックス ~チートスキルを持ったまま異世界から帰ってきたのに、政府機関の美少女に追われる身になった件~ OOP(場違い) @bachigai

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