第5話
目が覚めた。覚めてしまった。
知らない天井、ではない。知っている。異世界の宿の天井。
目覚めて最初に俺がしたことといえば嘔吐である。天丼であるが、それしか出来ない。胃液を吐き出し、少しだけまともになった脳内でこれからを考える。
この狂った世界に俺の居場所はない。正確には、居たい場所がない。居るべき場所はあるのだ、皮肉なことに。
勇者様として勇者様でない勇者様になりたくない俺はどうするべきか。考えても答えは出ない。
ノックの音が聞こえ、呻き声を上げるとカタリナが部屋に入ってきた。一面の吐瀉物に対して若干の怯えが見え、俺は安堵する。勇者様は初めての宿で嘔吐してもいいらしい。意思は一切汲まない癖に、気の利いたものである。
カタリナに朝食を摂ることを勧められたが、断った。空腹感はある。しかし黄泉竈食ひという言葉を思い出すとそんな気分にもなれない。
ただ、今更元の世界に帰れるとも思っていない。転生なのだから。餓死するならばそれまでだと思っただけの、自棄になった結果の選択だった。
カタリナは不安そうな顔だ。いい顔をしている。俺の存在がこの女にはきちんと見えている気がしてくる。俺の態度を一切気にしなかったあの狂信者共と比較して、いくらか心の平穏が得られるというものだ。
「勇者様、大丈夫ですか。どこか具合の悪いところがありますか」
「ああ、最悪の気分だよ」
俺の言葉にカタリナは動揺する。勇者様は爽やかな好青年で勇気ある清廉な人物なのだから確かに俺とは正反対であって、動揺も当然だった。
それからカタリナは何かに気付いた様子で部屋から出て行き、清掃用具を持って戻ってきた。俺の吐瀉物を片付けてくれるらしい。俺の行動が初めてこの世界の人間を動かしたのだ、と俺は満足を覚えた。
だから俺は少し気分が良くなって、少しだけ悲しげな顰め面で掃除するカタリナに問いかけてしまった。
「なぁ、カタリナ。本当は俺は、勇者になんてなりたくないんだ」
「さぁ勇者様、魔王を倒す旅に出発です。まずは装備を整え、西へ向かいましょう」
一瞬、意識が飛んだ。心が揺れ、燃え、弾けて飛んだ。
俺の問いかけに対し即座に清掃用具を手から離して直立し、溌剌とした声で宣言したカタリナを見る。
何故だ、何故なのだ。何故この世界は俺に優しくないのだ。勝手に引き摺り込んで勝手に使命を与えて勝手に同行者も決めて勝手に、勝手に、勝手に。
視界が赤く染まり、殆ど無意識に、しかし明確な殺意をもって、俺はカタリナの首を締めていた。返ってくるのは弱々しい抵抗。声の一つも上げさせないように全力で締め続ける。
最初、この世界の人間と会話をするのが怖かった。成り立たない会話、無視される俺の存在、代わりに奴らが見ているのは勇者様という役そのもの。寝る前、意識が落ちる寸前に、狂うのも時間の問題だと思ったものだが、案外早かった。
狂っているのはこの世界か、それともこの世界にとっての異常である俺か。
関係なかった。カタリナを絞め殺して、俺はとにかく一人になりたかった。
こんな理由で人を殺せば、まぁとにかく勇者様としては問題なく不合格だろう。正道を往くのが勇者なら、俺は邪道に堕ちていこう。それがいい。名案だ。冗談じゃない。人殺しなんて。殺してしまえ。いい気分だろう。正気に戻れ。俺はこんな人間じゃない。そうだ、俺は狂っていないんだ。だから狂っているこいつは殺すべきだ。やめてくれ。
それからいくらか時間が経って、俺は一人で宿を出た。
この世界に、勇者はいない。
主人公補正だらけの転生一人旅 @Atomicnumber_174
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