16章 農間渡世 

 濡れ手で粟の十両に気をよくした一行は、膝折から大和田宿に向かう。野火止台地の丘を登り、柳瀬川に向かって下る一里弱の道のりである。


 大和田の宿場には、本陣、脇本陣ともに設けられておらず、名主の高橋家が荷馬の取継ぎをしていた。街道沿いに、上宿、中宿、下宿と百四十軒ほどの町並みが続くが、膝折宿の『絹善』のような大店は見当たらなかった。

「土方どの。この大和田宿でも、狙いをつけておる店があるのか?」

 石渡の問いに、歳三がこたえる。

「この宿場は、川越方面から平林寺へゆく者が使うだけだ。ご覧のとおり、百姓が、片手間で商いをするような小店ばかりで、この宿場と次の大井宿は、素通りしようと考えていたんだが……」


 そう言われて町並みを見ると、大きな建物は土蔵を備えた農家のものだけで、街道にならぶのは、小さな店ばかりであった。

「ふうむ。わざわざ狙いをつけるような店がない、ということか」

「しかり。まあ、小銭を稼ぐというなら、止めはしないが……」

 とはいったものの、ならんでいるのは、煮売り酒屋、髪結い、荒物屋、履物屋、古着屋、煙草屋などの小商いの店ばかりで、大金が唸っていそうな店は皆無であった。

 江戸時代も後期になってくると、このように農間渡世のうかんとせいといって、農業の傍ら商売をするものが増えた。武州は御領所が多く年貢が安かったとはいえ、農間渡世なら基本的に、ほとんど無税だからである。

 こうした傾向は、小作農などの零細農家だけではなく、名主などの上級農家層においても、質屋、酒屋、味噌醤油などの商いを兼業してるものが多いことからも読みとれる。


 中宿から上宿にさしかかると観音堂があり、そのあたりには、旅籠が軒を連ねていた。

「このあたりの旅籠は、そこいらの在所の百姓の娘が、飯盛り女になっていて、だと評判らしい」

 旅籠を見上げながら歳三が言うと、三枝が、

「そんな土臭い田舎娘は、どうでもよい。稼いだ金で、根津か深川の岡場所で遊ぶほうが、よほど気がきいておる」

 と、鼻で笑い、一同もつられて笑った。


 ほどなく街道の左手に『質・小川屋』と記された看板が目に入った。質屋といえば、下練馬宿の白根屋で、大儲けしていたので石渡が、

「けっこう大きな店ではないか。ここはいけるかもしれぬ」

 口の端を吊り上げると、

「よし。では、入ってみようかの」

 松方がそれに同意した。


 店に入ると五十年配の貧相な顔をした主人が、帳場格子の奥に所在なさげに座り、その横には少なくなった髪を無理に結って髷をつくった、これまた貧相な番頭らしき人物が、なにやら帳面をめくっていた。

 店内は薄暗く、なんとなく陰気な雰囲気が漂っており、帳場のふたりの後ろには、行李や帳面などが積みあげられている。

 しかしそれは、整然とならんでいるわけではなく、かしいで横に置いてあった竹を編んだ葛籠に寄りかかるようにして、ようやく山が崩れることを防いでいた。

 どう贔屓めに見ても、大金などは唸っていそうに見えない、雑然とした帳場の風景である。

 これは、やはり失敗だったか。と、眉をしかめた石渡と松方が、思わず顔を見合わせる。歳三と三枝は、すでにやる気をなくした表情を浮かべていた。

「だから言わんこっちゃない……」

 歳三が嘆息すると、石渡はむきになり、


「たのもう! 我らは、尊皇攘夷のため国事に奔走する志士である!」

 と、大音声でよばわる。帳場に座るふたりの貧相な男たちが、目をぱちくりさせて、途方に暮れた表情を浮かべた。

「我らは、皇国を汚さんとする夷狄どもに鉄槌を下さんと、日々、活動しておるが、いかんせん、その資金が不足じゃ。ついては小川屋どのに、十両ほど借財を願いたい」

 石渡が立て板に水で、一気に口上をまくし立てると、小川屋の主人は、

「ははあ。ご主旨のほどは、よくわかりましたが、うちの店は、江戸で言うところの烏金からすがね程度の小口の商いをしておりまして、いまだかつて十両などという大金は、貸出したことがございません」

 烏金とは、棒手振りなどの小商いをする者に、朝、商品を仕入れる金を貸し、夕方、烏が鳴くまでに、高利をつけて返済させるという小口の商売で、ようするに、小川屋はそのような小商いしかしていない……ということが言いたいらしい。


 しかし、歳三と三枝の冷ややかな態度に、石渡は、引っ込みがつかなくなり、

「いくら烏金だといっても、何人もの客に貸すわけであろう。それなりの資本というものがあるはずじゃ! つべこべぬかさず、さっさとださぬか!」

 と、悪鬼のような形相で、脅しつけた。

 主人は、恐ろしさに顔を青くし、番頭も落ち着きなく視線を泳がせるが、やがて主人が気をとり直し、

「そうおっしゃるなら、どうぞ。この銭箱を、ごあらためくだされ」

 と、帳場格子の横に置いてあった銭箱を指した。

「よしっ、ならば、あらためるぞ!」

 石渡が帳場に足を踏み入れ、黒々とした金具を鋲で留めてある頑丈な銭箱に手をかける。そして上下二段になっている上の引出しを開け、

「なんだこれは。びた銭ばかりではないか!」

 呆れ声をあげると、歳三が冷ややかな声をかける。

「小判や一分金なら、下の引出しだ」

「わかっておる!」

 苛立たしい声で言いながら、石渡が下の引出しを、勢いよく開けた。


「こ、これだけなのか?」

「だから言ったではありませんか。烏金程度の小口商いだ……と」

 石渡の問いに、主人が弱々しい声でこたえた。

「くそっ! あるだけ、もらっておくぞ!」

 じゃらじゃらと音を立て、石渡が下の引出しにあった金をかき集めた。上の段にぎっしり詰まった穴開き銭は、重たくなるだけなので無視する。

 しかし必死でかき集めたものの、銭箱のなかには小判どころか、二分金すら見当たらず、一分金が一枚。小粒とよばれた豆板銀などを合わせても、一両二分一朱ほどの金しかなかった。腕のよい大工の十日ほどの賃金程度である。

 石渡は、あるだけの金を懐に入れると、あらかじめ用意していた借用書に、帳場にあった筆で「一両」と書きつけ、荒々しく主人に投げつけた。

「まったくふざけた店だ! おいっ、ゆくぞ!」

 と、怒りもあらわに一行を促し、さっさと暖簾をくぐる。

 慌ただしく店を立ち去る一行を、店主と番頭が、呆然とした表情で見送った。


 強請浪人一味が店を立ち去ったあとも、店主と番頭は無言で仏像のごとく固まっていたが、しばらくすると番頭が立ち上がり、暖簾からおそるおそる顔を突きだし、外の様子をうかがう。

「番頭さん。やつらは行きましたか?」

「はい。もう一町(約110メートル)ほど先に……」

 番頭が振り返ると、店主は、湯飲みから茶をひと口飲みこみ、気を落ち着かせ、

「うふっ、うふふふふふっ」

 いきなり笑いはじめた。

「はっ、はっはははは」

 つられるように番頭も笑いだし、ふたりで顔を見合わせ笑いあった。

「間抜けな浪人どもですねえ……」

 番頭が、言うと、

「いや、まったく。うふふふっ……富士講仲間の所沢の布袋屋さんが、先日、強請浪人たちに、十両も巻き上げられたとボヤいていたので、念のためと、金の置き場を隠したのは、正しかったようですな」

 と、主人が、してやったりと再び笑う。

「まさかやつらも、その汚い行李が本当の銭箱だとは、気がつきませなんだ。強請浪人ども、くたびれ儲けですな」

 主人の笑いにつられ、番頭も口をおさえて哄笑した。


「いや、ところが、そうは問屋が下ろさねえんだな」

 役者のような整った顔立ちの浪人が、暖簾をくぐるなり、いきなりふたりに声をかけた。この浪人、もちろん歳三である。

 あまりの驚きに、主人と番頭が棒を飲んだように硬直する。

「あ、あんた。いつの間に……」

 顔を真っ青にした主人が、歳三を指差し震えながら、金魚のように、ぱくぱくと口を開けた。

「あのあと、すぐに隣の家との隙間に、身を隠していたのさ」

 歳三は、ずかずかと帳場に上がりこむと、薄汚い行李の蓋を開けて、小判を九枚掴みとり、

「悪いな。じゃあ、たしかに十両借り受けてゆくぜ」

 言いながら、主人から借用書をとりあげ「一両」の文字に、縦に線を引いて「十両」と書きあらためた。

 主人と番頭は、風のように店を立ち去る歳三を、唖然と見送った。





 












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「武州・悪党狩り」土方歳三・商売往来記 橘りゅうせい @808

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