15章 武州策動

「はははっ、こんなに愉快なことは、初めてじゃ。向こうから『どうぞ』と十両さしだすとは、まったくもって愉快かな。愉快かな」

 膝折宿の絹問屋・絹善から十両の金を巻き上げただけではなく、攘夷運動を称賛されて、水戸浪人の石渡と松方は、すこぶる上機嫌であった。

 一行は、清流の黒目川に架かる土橋をわたり、足袋屋坂とよばれる急な坂を登って、六地蔵を過ぎ、大和田宿に向かう。

 歳三と三枝は攘夷運動には、さほど関心がないので、黙々と歩みをすすめる。

「おふた方は、出番がなくて、退屈と見える」

 石渡が、揶揄するような調子で言うと、

「そこもとらも、意外とが良いな」

 冷ややかな声で歳三がこたえる。

「なにっ、それは、どういう意味だ?」

 歳三の冷然とした態度に、松方が声を荒げた。


「俺は伊達に、へ行ったわけじゃあないぜ。あのとき手代が怪しい目付きをしていやがったんで、様子を見に行ったのさ」

「しかし、代官所は隣の宿場であろう」

「だが、捕り方がひそんでいないとは、かぎるまい」

「捕り方など、いなかったではないか」

「ああ。だから黙って戻ってきたわけだ。どうやら武家の客人に、茶を持っていっただけのようだ」

 三枝は、歳三の用心深さに、

「土方どのは、警戒し過ぎなのではないか?」

「そこもとらは、余所者よそものだからな。俺が暇乞いをした川越藩は、目と鼻の先だぞ。もし、見知った役人にでも出くわしたら……」

「ははあ、なるほど。欠落かけおちは重罪。腹を召さねばならぬか」

「まあ、そういうことだ」

 歳三が憮然とした表情でこたえると、松方が、

「おおっ、それは気づかなかった。すまぬな」

「まあいいさ。濡れ手で粟の十両だ」

 歳三は、にやりと笑う。

「まさに、な」

 わずか半日で得た六十両の大金に、一同が顔を見合わせ愉快そうに大笑いした。

 


 押し借り一味が立ち去ると絹善のあるじ善右衛門は、番頭と手代に「あとは、たのみますよ」と、声をかけ店番をまかせ、帳場の奥にある客間に向かった。

 客間には、堂々たる体格の剣客とも学者ともつかぬ雰囲気の男が座っていた。

 太い眉の下に光る知性を宿した、それでいて威厳をそなえた大きな眼が、やけに印象的な男である。

「先生。お待たせいたしました」

「手代の話だと、なにやら押し借り浪人が来ておったそうですね」

「ええ。手前も、はじめはそう思いましたが、明らかな水戸訛り、そして話の内容から本物の尊攘浪士と判断して、十両ほど寄進いたしました」

「ほう。水戸の者たちでしたか……でしたら、僕の知った顔も、いたやもしれませぬな」

「先生は、お顔が広いですからな」

「このたびは、その顔を広げる活動に、ご助力していただき、まことに感謝しております」

 と、絹善に頭を下げたこの男、のちに幕府を震撼させた清河八郎である。

「いえいえ。夷狄を誅し、尊皇攘夷を実現できれば、手前どもの苦労など、いかほどのものでもありません……

で、奥富村の北有馬太郎どのと、西川練造どのには出会えましたでしょうか?」


 膝折宿からすぐの場所に、松平伊豆守が開拓させた三富とよばれる新開地があった。そのならびにある奥富村に、北有馬太郎という攘夷を唱える学者が塾を開いていた。

 北有馬太郎は肥前島原の出身である。安井息軒門下の俊才とよばれ、妻は安井息軒の娘・須磨子。国事に奔走することによって、義父であり師である息軒に類を及ぼすことを恐れ、妻子と離別した。


 北有馬が西川練造と出会ったのは、幕府の儒官である尾藤水竹の塾に学んだときである。

 西川は武州川越・小仙波の生まれ。佐藤一斎、尾藤水竹、藤田東湖に学問を学び、剣術は大川平兵衛に神道無念流を、井関五助から小野派一刀流を学んだ。

 その後、北有馬は、大御番頭、講武所総裁、大目付などを歴任した大身旗本・久貝因幡守の家臣に儒学を教えていたところ、屋敷を訪ねた西川と再会し、西川も講師になった。


 北有馬は、ペリーが来航すると強い憂国の念を抱き、久貝を通じて幕閣に外交政策などを建言するが、まったく受け入れられず、失意のうちに江戸を去り、安政元年(1854年)に、武州入間郡・奥富村に学舎を開いた。

 翌年、つまりこの年、西川も久貝の屋敷を去り、北有馬の学舎の近くに引き移って、医を生業なりわいとするようになった。

 このふたりは、後に「虎尾の会」と名乗る、清河八郎が主宰した幕臣・山岡鉄太郎、松岡万、薩摩藩士・伊牟田尚平、益満休之助らが所属した過激な攘夷運動の団体に加盟することになる。


「北有馬、西川の両氏は、真実まことの憂国の志士でした。彼らこそ、我が同士にふさわしいと感服した次第。いずれ決起のときには、かならずや尽力してくださることでしょう」

「それは、ようございました。手前もわざわざ紹介した甲斐があるというものです」

「絹善どの。ほかにも有力な方がいらしたら、ぜひとも紹介してください」

「武州には、まだまだ、この国の行く末を憂いている者が、たくさんおります……では、次は同じ入間郡勝呂村の百姓から、御家人株を買って幕臣となった笠井伊蔵どのを紹介しましょう」

「よろしくお願いいたします」

 笠井伊蔵は幕臣となり、艦臨丸の乗組員としてアメリカに渡り、講武所世話心得に立身したが、文久元年に、清河八郎が起こした無礼打ち事件により投獄され獄死した。

 清河の私塾に入門して、同居人となるのは、この物語の二年後である。

 事件により、清河は逃亡生活を余儀なくされるが、一時期この奥富村に身を隠したのは、その縁であろう。


「ところで、清河先生。昨年、神田三河町の学塾が類焼してから久しいですが、まだ新しい塾の目処は立ちませんか?」

「ええ……いずれ再開するつもりですが、その前に、北有馬君や西川君のような同士を求め、全国を旅しようかと考えております」

「同士、ですか」

「さよう。先ほどやって来たような金目当てなのか、本当に攘夷を決行するつもりなのか、判然としないやからとは違う、真実の憂国の志士を探して」

「さようでございますか。先ほどの浪人のなかでも役者のような男などは、なかなかの面構えをしておりましたが……」

「ははあ、こちらの部屋の様子を、こっそりとうかがっていた美男子ですな」

「ご覧になりましたか」

「はい。たしかにあの男には、金目当ての卑しさはなく、なにやら強い意思のようなものを感じましたが……しかし、危険な臭いが漂っていました」

「危険な臭い……」

「あれは、仲間を持たぬ一匹狼の眼でしょうね。いずれにせよ、もう二度とお目にかかることは、ないでしょうが」

 この男、清河八郎は、文久三年。まさか自分が画策した浪士組をそのまま私兵にする計画を、あの役者面の男とその仲間たちによって、引っ掻き回されるなどとは、このときはまだ思ってもみなかったのである。


 



 













 

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