14章 街道恐喝行脚

 歳三の的確な狙いが、ことごとく図に乗り、早くも金五十両を手にした一行は、意気盛んに白子宿に向かう。曲がりくねった新田坂しんでんざかを下り雑木林を過ぎ、旅籠や雑貨商、煮売り屋、造り酒屋などがならぶ新田宿という小さな集落を抜けて、白子川をわたると白子宿である。


 この宿場で仕事をするつもりはないので、高台の上に見える平安時代に慈覚大師が創建したといわれる清瀧寺を横目に見ながら、足早にとおりすぎる。

 ふたたび急坂を登ると、酒井家の代官・柳下家の屋敷にさしかかった。

「そこの大きな屋敷が、代官の柳下家だ」

 まるで観光案内のように、歳三が地元ところの者から代官屋敷とよばれる屋敷を指した。

「代官屋敷といっても茅葺きなのか。やはり田舎だな」

 三枝が小馬鹿にしたようにつぶやく。火災対策のため瓦屋根ばかりの江戸の町の景色を、すっかり見慣れているからだ。つまりそのことが、浪々の日々が長いことを物語っていた。

「多摩や入間郡で、瓦屋根の屋敷なんぞは、日野宿脇本陣ぐらいさ」

 さりげなく義兄の屋敷を自慢するが、関心を示す者がなく歳三は「ふん」と鼻を鳴らした。


 白子宿も膝折宿も、どちらも坂に囲まれた宿場であった。

 商家が軒を連ねる川越道の路肩には、崖からの湧水が流れており、野菜を洗う農婦の姿なども見受けられ、いかにも田舎の風情を漂わせていた。

 荷車を押す「おっぺし」という者たちが、そこで日銭を稼いだことから、稼ぎ坂とよばれる急坂を登り、奈良時代のころ高麗人が開いたという一乗院平等寺を過ぎて、ほどなく一行は膝折ひざおり宿にさしかかる。

 膝折の宿場は江戸から五里半。代官支配地である。

 この膝折ひざおりという、一風かわった地名は、小栗小次郎なる武士が名馬・鬼鹿毛おにかげで江戸に向かう最中、この地で馬が膝を折り死んだことに由来する。

 鬼鹿毛は、死んだあと魂に小栗を乗せて、江戸まで運んだという伝説が残っている。


 膝折には、高麗城を落ちのびた五人の家臣が苦労して集落を開拓したという言い伝えがあり、脇本陣の旅籠『村田屋』は、高麗姓を受け継いでいる。

 ふつう宿場というのは、京に近いほうを上宿、遠いほうを下宿とよぶのがならわしであるが、膝折は、御領地のためなのか、江戸に近いほうを上宿といった。

 かつては毎月、四、九の日に楽市が開かれたが、いまは十二月二十四日に地蔵市が開かれるだけになった。しかし、新編武蔵風土記稿に「人々群衆セリ」とあるように、近隣の人びとで賑わった。


 膝折宿に入ると、本陣一、脇本陣一の戸数百軒程度の宿場のわりには、多くの旅人が行き交う下練馬宿以来の賑やかな様子に、歳三以外は驚きの表情を隠せない。

「ずいぶん賑やかな宿場だが、今日は祭りでもあるのか?」

「おぬしら、野火止・平林寺を知らんのか?」

 訝しげな顔の三人に、歳三があきれた声をだした。

「おおっ。平林寺は、この宿場にあったのか」

「いや、そうではなく、この宿場が江戸から平林寺に向かう、最寄りということだ」

 平林寺は、武州や江戸の人びとの信仰を集めた名刹である。永和元年(1375)に、岩槻城主・太田備中守によって開基された。その後、川越城主となった 松平伊豆守信綱 の遺言により、寛文3年(1663)に野火止に移転した。

 総門から本堂までが、一直線に配置された典型的な禅宗の寺院で、敷地面積は十三万坪にもおよぶ。

 当時、神社仏閣への参詣は、江戸っ子の行楽のひとつであった。平林寺の名を知らぬ者は、江戸には、ひとりもいない。といっても過言ではないだろう。


「ははあ、なるほど。そういうことか……では、さぞや、たんまり儲けている商家がありそうではないか」

 濡れ手に粟の五十両で上機嫌の松方が、舌なめずりするように言った。

「そのとおり。白子宿の借りを、ここで返そうというわけだ」

 歳三がこたえると、石渡が、

「ということは、もうをつけているのだな」

「ふふふ、当然だ」 


 一行は、脇本陣・村田屋、本陣の牛山家をとおり過ぎて、現在も営業を続ける老舗の菓子司『喜楽屋』の手前にある絹問屋『絹善』の前に立ち止まった。

 絹善は、吾野道所沢宿の絹問屋・井筒屋から暖簾分けされた善右衛門が天保十三年に創業した。主人の善右衛衛は、大身旗本・久貝因幡守の御用もつとめ、学者の安積艮斎あさかごんさいなどとも交流がある才人であった。

 日本橋にも出店を構え、越後屋や白木屋といった江戸の大店とも取引がある豪商で、周囲の商家を圧倒する堂々たる店構えだ。


「たのもう! この店の主人はおるか」

 石渡が例によってドスの効いた声でよばわる。気の弱い者ならば震えがくるような迫力である。

 歳三たち三人も、それぞれが威嚇するような険しい眼差しで、ゆっくりと暖簾をくぐる。

「いらっしゃいませ。手前が絹善のあるじ、善右衛門でございます」

 帳場にいた白髪頭の店主は、一行を愛想よく迎えた。その横では、四十年配の番頭が算盤をはじきながら帳付けをしている。店と奥をつなぐ入り口の前にいた二十歳ぐらいの手代は、ちらりと一行を見るが関心なさげに、そのまま布地をたたむ作業を続けた。

 店主の怯えるでもなく、虚勢を張るでもない、いままでの反応とはちがった、ごく自然な客あしらいに石渡は、むしろとまどった。


「お武家さまのお越しとは珍しい。なにか反物でもお探しでしようか?」

 にこやかに店主がに言う。番頭は帳付けに夢中で、ほとんど一行に関心を示さなかった。

「我らは、買い物に来たのではない」

「と、いいますと?」

 店主が怪訝な表情を浮かべた。番頭は、相変わらず算盤をはじき、なにかを帳面に記している。布地をたたみ終えた手代は、たたんだ布地を何枚か重ねると、奥に下がっていった。

「我らは尊皇攘夷の志士である。このたび皇国を汚す夷狄どもに、鉄槌をくだすべく活動をはじめたのだが、いかんせん、その資金が不足しておる。ついては、絹善のあるじどのに、十両ほど借財を願いたい」

「ははあ、なるほど。尊皇攘夷のための資金でございますか。かしこまりました。それでは、さっそくご用だていたしましょう」

 なんの躊躇いもなく店主がこたえる。これには、石渡も肩透かしを食らった。いままで数えきれぬほど恐喝をしてきたが、たいていは、怖れるか拒否するそぶりを見せるのが当たり前だったからだ。


 三枝と松方も気が抜けてしまったのか、顔を見合わせ強面の表情が緩む。歳三も気が抜けたのか、

「すまん。ちょっと、はばかりを使わせてもらうぞ」

 と、帳場の横からかわやに向かった。

「手前どもは、ご覧のように問屋でございまして、小口の取引のほかは、現金商売はしておりませぬ。ただいまご用意いたします。番頭さん。二番蔵から十両持ってきてください」

 番頭は、主人の言葉にうなずくと、店の奥に入ってゆく。それとすれ違うように、先ほど奥に入っていった若い手代が、茶菓子と湯飲みを並べた盆を手にあらわれた。


「粗茶でございますが、一服しながら、少々お待ちください」

 あまりに、あっけなく金が入手できてしまったことに驚いていると、絹善の主人が、愛想よく話しかける。

「手前どもも夷狄の横暴な態度には、怒りを覚えておりました。あなた方に、攘夷を決行していただけるなら、溜飲が下がります。どうか汚らわしい夷狄どもを、追い払ってくださいまし」

「偉い! わしらは、数々の商家に金策を依頼したが、絹善、そなたほど立派なあるじには、初めてお目にかかった。我らの考えに賛同していただき感謝する」

 

 三枝は金が目当てだが、石渡と松方は、本気で攘夷を実行しようと活動している。その活動に協力しようという主人の言葉に、顔を紅潮させて感激していた。

「二番蔵は、中庭の奥にございますので、持ち出すにはしばらくかります。お茶などお飲みになって、お待ちください」

 絹善の主人が、店の並びにある老舗・喜楽屋の菓子をすすめると、

「我らは武芸者である。他所よそでふるまわれた飲み物、食べ物は、一切遠慮しておる。かまわんでいただこう」

「ははあ、なるほど。毒を盛られぬため武芸者は、だされた茶には口をつけないと、一龍斎貞山の講釈で耳にいたしましたが、あれは、本当のことだったのですね」

「まことじゃ。それだけではない。おぬしら町人は、なにも気にせず角を曲がるが、武芸者は、身を隠したた刺客に襲撃されぬよう、わざと大回りで曲がる」

「ほほう。それはまた用心深い。武芸者というのは、大したものでございますなあ」

「はっはっは。それだけ日々、のんべんだらりとは生きていない。という、あかしじゃ」


 主人におだてられ、さしもの石渡も気を許し、恐喝の殺伐とした空気が、すっかり和やかな雰囲気になってしまった。






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