13章 下練馬宿白根屋

 白根屋は、大きな茅葺き屋根を持つ間口十二間の堂々たる構えに、三棟の土蔵を連ねた下練馬宿でも屈指の大店である。

 暖簾をくぐると店の左手は、いまだに古着を商っていたが、右手の奥に別の帳場があり、そちらが質屋のようだ。


「たのもう!」

 石渡を先頭に、歳三たちが帳場の前に向かうと、帳場格子の奥に座る狸のような顔をした主人は、柄の悪い浪人体の一行に怯む気配もなく、大きな眼でじろりと睨みつけた。

「いらっしゃいませ。ご融資の相談ですか?」

「おお。そのとおりじゃ。我らは皇国のため、夷狄を駆逐せんと日々働いておる志士であるが、手元不如意でな。ついては、金十両ほど融通願いたい。と、参った次第じゃ」

 石渡が、凄みのある表情で言うと、狸面の主人は、顔色ひとつかえず、

「かしこまりました。それでは、質草をお見せくだされ」

 と、事務的な口調で返す。

「ふうむ。質草か……さて、どうしたものかの」

「そのお腰のものなどいかがでしょうか。十両もだせるかどうかはわかりませぬが、拝見してもよろしいですか?」

「戯れ言を申すな。刀は武士の魂。安易に質草になど、できるか!」

 狸面は、ひとを小馬鹿にしたような微笑を浮かべ、

「手前どもは質屋でございます。融資に見合った質草がなければ、融通しかねますが」

 と、にべもなく告げる。


「では、これなどはどうじゃ」

 にやにや笑いながら、石渡が懐から使い古した草履をとりだした。それを眼にすると狸面は、苦々しく顔を歪めた。

「なるほど。わかりましたぞ。あなた方は、近ごろ街道筋を騒がせている強請屋ゆすりや浪人でございますね」

「なんじゃと! おのれは、我らを強請屋浪人と申すか!」

 石渡が恐ろしげな声で一喝するが、白根屋の狸面に動揺した気配はなく、むしろ余裕の表情で、ふん。と鼻で笑い、

「手前どもは、こんなこともあろうかと備えておりました……先生方!」

 と、帳場の奥に大声で呼ばわると、がらりと襖が開き、石渡たちにも劣らぬ凶悪な面構えをした、ふたりの浪人者が姿をあらわした。

「ほう、いつの間にか用心棒を雇っていたか……まあ、ものの役に立つかどうか、俺たちが試してやろう」

 歳三が不敵な笑みを浮かべる。松方と三枝も余裕の表情だ。

「痩せ浪人ども。怪我をしたくなかったら、とっとと立ち去れ!」

 熊のような体格の用心棒が大声で恫喝した。


「ふふん。できるものなら、やってもらおうか」

 松方が返すと用心棒は、狸面の横を駆け抜けながら抜刀する。とっくに鯉口を切っていた三人が迎撃する体勢をとった。

「イヤーッ!」

 用心棒が狸面を飛び越えるように、帳場から跳ね上がり、歳三に向かって豪快な剣を振りおろす。

 歳三は、不敵な笑みを張りつかせたまま、寸前まで引きつけると瞬速の体捌きで、すっ、と身をかわしつつ、用心棒の膝裏を軽く蹴った。

 なにげない蹴りであるが、用心棒が前につんのめる。そのタイミングを逃さず、手刀を首筋に入れると、電撃に打たれたように、用心棒が失神した。

 歳三が子どものころから得意とする喧嘩技である。


 もうひとりの浪人は、というと……。

 三枝に向かって豪剣を水平に斬りつけるが、刃先は、こともなげに体を変えた三枝の、一寸手前の空間を虚しく薙いだ。

 用心棒が二の太刀を送ろうと身構えたときには、一瞬で間合いを詰めた三枝の当て身によって、がくりと膝をつき、床に転がっていた。

 横目で見ていた歳三は、鋭い当て身よりも、間合いを詰めた縮地の見事さに瞠目した。

「拙者らを相手にするには、いささか貫目が足りぬようだな」

 その場を一歩も動かず様子を見ていた石渡が、にやりと笑うと、狸面の不敵な面構えは見るみる崩れ、おこりのように震えだした。

「おい、白根屋。我らを甘く見た代償は高くつくぞ。この質草で、二十五両融通してもらおうか!」

 石渡は、抜き放った刀を帳場の床に突き刺すと、ぼろ草履を叩きつけ、ドスの効いた声で言い放った。


 一行は、浅間神社をとおり過ぎて、立派な屋根を備えた北町観音のならびにある茶店に腰掛けて、祝杯をあげていた。

 天和二年という銘がある北町・聖観音座像は、座像であるにも関わらず高さが九尺もある立派なもので、地域の信仰を集めており、ひと目拝もうという人びとが次々に訪れるため、茶店は混雑していた。

「それにしても、そこもとの働きは見事でござった。拙者が津軽屋敷で声をかけた甲斐があるというものだ」

「なあに。相手が弱かっただけさ……それよりも、三枝どのの間合いを詰めた縮地の冴え。俺は久しぶりに、本物の技というものを見た」

 縮地というのは、ちからを抜いて膝や腰を落下させる縦の自由落下運動を、横の動きに変換させる技で、地を蹴らずに無拍子で動く。古流武術の基本的な体捌きの一種だ。

「ほう。あれがわかるとは、やはりおぬしは、ただ者ではない」

 歳三は、江戸から武州、相州、甲州各地の道場を巡り、数々の遣い手を眼にしていたが、三枝ほどの腕を持つものは、馬場俊蔵や沖田惣次郎を含めて十指に余るほどしか見たことがなかった。


(こやつをなんとか封じ込めれば、あとのふたりは、どうにでもなるんだが……)


 歳三の思案を断ちきるように、石渡が口を開く。

「ところで土方どの。次の宿場は白子であるが、どこの商家を狙うのか、すでに見当をつけておるのか?」

「いや。白子宿では仕事はで素通りだ」

「なにっ! それは、いったいどのような理由なのだ?」

 

 白子宿は、江戸から四里半。武州の足立、豊島、入間郡の境が接しており、宿場は豊島から入間郡に入ったところにあった。

 延喜式に五十戸とあるように、古くから集落があったが、拓けたのは家康の江戸入国以降で、百五十戸の町並みが続く。

 宿場の周囲は、高い土地には陸田、低い土地には水田がひろがっていた。


 天正のころは志楽木しらき郷と称したが、後年になり白子にかわった。白子や志木は、朝鮮半島からの帰化人が拓いたという伝承があり、ともに新羅しらぎが訛化したものと言われている。服部石見守、伊賀者の給地に代官・酒井家の支配地が混ざるいわゆる三給地である。

 天正時代には、すでに宿駅の機能を持ち、毎月六の日に楽市が立った。

「白子宿には、旗本・酒井家の代官所があるのさ。なに、代官所の手代など恐るに足らぬが、もしそこで騒ぎを起こせば、その報せは、たちまち代官から八州廻りに達するだろう」

「ふうむ……なるほど、そういうことか」

「それでも仕事をするかい?」

「いや、さすが川越が地元だけある。知らずに仕事をしておれば、迂闊に虎の尾を踏むところであった……土方どの。やはり、おぬしを味方にしたのは、正解だったようだ」

「そう思うのなら、せいぜい分け前をはずんでくれよな」

 歳三が不敵な微笑を浮かべた。
















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