12章 強請作法

 上板橋宿の肥料干鰯問屋・湊屋は、街道筋によく見られる軒の低い出桁造だしけたづくりで、間口の広い平入り構造になっている。店に入ると広い土間に、墫や木枠の陳列台が並べられ、そこに各種の肥料の見本がならんでいた。

「たのもう!」

 石渡と松方が、凄味を効かせた声で暖簾をくぐると、帳場格子の奥で帳面をつけていた主人らしき男が、ぎょっ、とした表情で顔をあげた。

「いらっしゃいませ。なにかご用でしょうか。ご覧のとおり、うちは肥料を扱う問屋ですが……」

 湊屋には商売柄、武士の客などは、まず訪れることはない。しかし、不意に来店した石渡は、どう見ても無頼浪人といった風体である。主人の横で算盤を弾いていた若い手代も、思わず手をとめると身体を硬直させて、顔をひきつらせた。


 石渡が帳場の前にすすみでる。松方、三枝、歳三は、それぞれ刀の柄に手を添えたまま、冷ややかな眼で黙って主人に視線を注ぐと四人の無言の圧力に、その顔は、みるみる青ざめ、ガタガタと震えだした。

 ただでさえ迫力のある面相に、凄味を効かせると、石渡は重々しく語りだす。

「さて、湊屋どの……拙者は黒田半兵衛と申す尊皇攘夷の志士である。我らは、夷狄共に鉄槌を下す来るべき日に備え、日々活動しておるのだが……」

 と、偽名を告げて一気に語ると、ひと呼吸、間を開け、ギロリと主人を睨んだ。

「近ごろ、なにぶん手元不如意であってな。ついては、貴殿に少々、借財を申し願いたいのだが如何いかが?」

「あっ、いや。急に借財と申されましても……そのような理不尽な話には……」

 湊屋が、しどろもどろにこたえると。


「やっ!」

 それまで黙って見ていた三枝が、一歩前にすすみ腰間の刀を、ぴかりと一閃させる。すると、主人の前にあった格子の端が、三寸ほど斜めに斬り飛ばされた。

「ひいっ!」

 主人が女のような悲鳴をあげた。

 切断された欅材の格子は、まるできちんと鉋がけしたような、滑らかで美しい切り口を見せている。その鋭い切り口を見たときは、歳三も思わず瞠目する。

「湊屋どの。これではあたいが不足か? ならば、拙者の体捨流たいしゃりゅうの技の冴え。とくと、ご覧いただこう」

 体捨流は、上泉伊勢守かみいずみいせのかみから新陰流を学んだ丸目蔵人まるめくらんどがおこした流派で、薩摩を筆頭に九州一帯で流行ったが、示現流などに駆逐されてしまい、伝承者の少ない古流である。各地を巡り多くの流派を知る歳三も、眼にしたのは初めてであった。


 三枝は、狼のように歯を剥きだして笑みを浮かべると、帳場の隅にあった燭台を、

「えいっ!」

 鋭い気合いをかけ、真っ向から斬り下ろした。

 蝋燭の炎が一瞬、大きく揺れたあと、その揺らぎがぴたりと止まる。

 ところが燭台は両断されたようには見えず、蝋燭には、なにごともなかったかのように、ゆらゆらと炎が揺れていた。

「おい、そこの手代。馬鹿みたいに口を開けていないで、ちょっとその燭台を、手にとってみな」

 手代が震える手で、燭台を手にとると……。

 驚いたことに炎は消えていないのに、蝋燭は芯の真ん中から、燭台もろとも真っ二つに両断されていた。

 湊屋の主人と手代は、呆然として、あんぐりと口を開いた。

「ふふふ、しかと見たか? 蝋燭を斬るときではなく、斬った刀を上げるのが難しい。拙者ほどの腕がなければ、剣を引くときに、必ず炎は消える」

 蝋燭を燭台もろとも両断することぐらい、歳三にも出来るが、炎を消さずに……となると、どうしても剣風が起こるので、絶対に不可能であった。

 

(まいったな。こいつは、思った以上に腕が立つ。馬場の旦那や惣次郎にも匹敵する腕前かもしれねえ……)


 三枝が、わざと鋭い金属音をたてながら納刀すると、口を開けていた主人が、夢から覚めたような表情を浮かべた。

 その間合いを逃さず、石渡が笑顔で湊屋に、

「さて湊屋どの。我らは、なにも金を強請ゆすりとろうというのではない。これは、あくまでも借財を申しこんでおるのだ。きちんと借用書も用意しよう。だから安心してもらって大丈夫だ。おわかりか?」

 諭すような優しげな口調で語りかけた。湊屋は、がくがくと首を縦に振った。


「いや、驚いた。三枝殿の体捨流も見事だったが、あの呼吸……石渡殿は、交渉ごとの達人でござるな」

 なかば本気で、大げさに歳三が感心すると、石渡は得意げな顔になり、

「これを見ろ。わずかのあいだに、この稼ぎだ」

 湊屋から強請とった切り餅(二十五両)を、お手玉のようにもてあそんだ。

「では、このまま勢いに乗って、次の仕事に向かうとするか」

 歳三がニヤリと不敵に笑う。

「次は、どこの商家を狙うのだ?」

「下練馬宿の白根屋という質屋にしよう。百姓に高利の金を貸しつけ、悪どく稼いで、大きな蔵が三つもならんでいるそうだ」

「まさに民百姓を苦しめ、不浄の金を集めた亡者であるな。それは、ぜひとも懲らしめてやらねばならぬ。腕が鳴るわい」

 おのれのことは棚に上げて、石渡が義憤に燃える。


 下練馬宿は、大山道、東高野山道が交差する宿場だ。秩父巡礼や大山詣でに参る旅人が往来し、古くは鎌倉街道も通っていた交通の要衝で、本陣一、脇本陣一に、問屋場もあり、戸数は甲州道中の日野宿を上回る四百六十二戸と大きな宿場で、上板橋よりも賑わっていた。

 東高野山道というのは、紀州の高野山を模して伽藍が造られた長命寺への参道のことである。


 練馬といえば、江戸の昔から練馬大根が知られているが、知られるようになったきっかけは、五代将軍・綱吉がまだ将軍になる前、脚気を患ったときに、この土地で静養したことに由来する。

 綱吉は、紀州から取り寄せた大根の種を、下練馬宿本陣をつとめていた大木金兵衛に栽培させて収穫した。

 その練馬大根を食べることによって、脚気が快癒したことを喜び、大名に勧めたことで有名になったのだ。


 大百姓の飯島家の屋敷林を横目に見ながら宿場に入ると、ほどなく問屋場と木下本陣跡が目に入る。宿場の入り口に近いこちらの本陣は、時期はつまびらかではないが没落して、いまは、大木家だけが本陣をつとめていた。

 歳三が目をつけた『白根屋』は、問屋場の先にあった。

 江戸から仕入れた古着の販売が本業であったが、副業ではじめた質屋が当り、このあたりでも指折りの分限者になった。しかし、金に汚いため、あまり近隣の評判がよくないことを、歳三は街道の噂で耳にしていた。


 江戸からほど近い上板橋宿には、瓦屋根の商家も混ざっていたが、さすがに練馬まで来ると、ならんでいるのは茅葺きの建物ばかりで、白根屋も大きな茅葺き屋根の商家であった。

 街道筋は、平林寺に参詣する物見遊山の江戸っ子、荷物を背負った行商人、白装束に木刀を担いだ大山詣での講中や、長命寺に向かう善男善女、野菜を売りにきた百姓、荷車を押した人足などが、忙しなく行き交い。かなりの賑わいだ。


 歳三が、ふと路肩に目を向けると、旅の商人が茶店に腰を下ろし煙管を一服しているのが眼に入る。頭にかぶった手拭いの下から見えた顔は、日野宿の十手持ち山崎兼助であった。

 兼助は、一度も歳三に視線をよこすことなく、のんびりと煙草の煙を吐きながら、連れの水戸浪人からは見えぬように、親指を突きだすと、それを眼にとめた歳三の口許が緩んだ。






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