11章 川越道上板橋宿

 ――翌日。

 歳三が長屋でごろりと寝そべって煙草を吹かしていると、居酒屋・丸川の下男が、使いとして、部屋を訪れた。

 兼助は、諸々の支度のため馬場の屋敷に出向いており、長屋に残っていたのは歳三だけである。

「土方の旦那。石渡どのから、手紙をあずかってきやした」

 歳三は、のそりと身体を起こし、

「おう。ご苦労だったな」

 と、小粒を握らせる。下男が帰っていったので、手紙を開くと、そこには、


『取り急ぎ知らせ申候。明日の明け六ツ、両国橋の西詰めの茶店・亀屋にて待つ。中山道を板橋宿まで。川越道を経て新河岸川の引又河岸に向かう所存にて候。ついては貴殿に案内願いたく……』


 といったことが、流麗な筆跡で記されていた。狙いどおりの展開に、歳三は思わず笑みを浮かべながら手紙を読んでいると、兼助が馬場の屋敷から戻ってきた。

 歳三は、しばらく手紙を読み返していたが、兼助が部屋に入ってくると、

「兼助さん、すまねえが、たのみごとをひとつ追加だ」

「かまわねえけど、なにをすればいいんです?」

 兼助の問いに歳三は、

「いま手紙を書くから、日野に戻るついでに甲州道中の……」

 と、なにやら用事を言いつけた。 


 翌日、まだ明け六つには間のある刻限に両国橋に向かうと、茶店では三枝、石渡、松方の三人が、すでに顔を揃えて歳三を待っていた。

「ふん。ずいぶんと早いな」

「おぬしの案を採ることにして河岸狙いじゃ。昼のうちに、中山道の板橋宿までゆき、ひと稼ぎしたあと平尾宿で川越道に逸れて、そのあとは大井宿に泊まる。早いに越したことはあるまい」

「なるほど。上板橋、下練馬、白子、膝折、大和田と宿場をめぐり、大井で一泊して、翌朝、引又宿に向かおうという寸法だな」

「わしらは、そのあたりには、まるで不案内。おぬしがじゃ」

「あのあたりは、勘定方のしがらみで何度も訪ねて、商家の台所事情から裏道の裏道まで知っている。まかせておいてもらおう」

 歳三が仕事をする場所として、中山道から分岐する川越道を勧めたのには、理由があった。

 歳三が行商しているのは、例外はあるが基本的に伊奈道(五日市街道)より南側の街道筋である。したがって、それより北を通るこちらの街道筋には、歳三の顔を知っている者が、ほとんどいないこと。そして、多摩郡から近いため、このあたりの事情に通じていることである。


 一行は、両国橋をわたって江戸の町を抜けると、本郷追分で中山道へと進路をとる。本郷追分は、


 本郷も かねやすまでは 江戸のうち


 と言われているように、ここまでが江戸の府内で、江戸と北国を結ぶ交通の要衝である。日光、奥州方面に向かう旅人と、中山道に向かう旅人で、朝早くから大変なひと通りであった。歳三たちは、連れだと思われないよう、間隔を開けて板橋方面に向かう。


 急いだわけではないが、一行は、まだ午前中ひるまえに板橋宿に到着した。板橋宿は、東海道の品川、日光・奥州道中の千住、甲州道中の内藤新宿とならび江戸四宿のひとつ、中山道の最初の宿場だ。

 宿場は、江戸方向から、平尾宿(下宿)、仲宿、上宿にわかれており、川越道は、平尾宿から分岐していた。

 宿場は十五町四十九間(約1.7キロメートル)ほど続き、人口は二千五百人程度と、府中と日野のちょうど真ん中ぐらいの規模で、さほど大きな宿場ではないが、飯盛女を置いた食売旅籠が軒をつらねている。そのため歓楽街として栄え、江戸から訪れる客も多く、かなりの賑わいを見せていた。


「たしか、この宿場でも仕事をしたと言っていたな」

 歳三が念を押すと、

「ああ、三件ほど仕事をこなして、二十両近くを稼いだはずだ」

 石渡が、得意げにこたえる。

 まともに働いて二十両を稼ぐのは、並大抵のことではない。こうした連中が、一度悪事に走ると、なかなか立ち直れないのも無理はなかった。

「三度も仕事をした……ということは、商家もそれなりの対策をしているはずだ。中山道の板橋宿での仕事は、避けたほうが賢明だろうな」

「なに。それでは、どこで仕事をするのだ?」

「平尾で川越道にわかれると、すぐに上板橋という宿場がある。小さな宿場町だが、そこそこ賑わっているので、まずは、そこでひと仕事しよう。狙いは湊屋だ」

 松方の問いに、歳三がこたえる。

 上板橋は、中山道の板橋宿にくらべると、町並みは、六町四十間(740メートル)、戸数九十軒の小さな宿場であった。

 宿場は、江戸側から、下宿、中宿、上宿にわかれていたが、この街道を参勤交代に利用している藩は川越しかなく、武家の利用客は少ないため問屋場や本陣などは置かれていない。しかし、武州と江戸を結ぶ交通の要路なので交通量が多く、意外と立派な商家が多かった。


 歳三が行商中に、評判を耳にした『湊屋』は、肥料・干鰯ほしか問屋である。中山道の板橋宿とは異なり、ほとんどが茅葺きの田舎じみた商家がならぶ宿場の町並みのなかで、うだつの上がった堂々たる瓦屋根の大店だ。

 このあたりは、宿場町とはいっても街道筋に商家がへばりついているだけで、その周囲には、見渡すかぎりの田畑と雑木林が続いている。

 湊屋は、上総や安房から仕入れた上等な肥料を扱っているので、近隣の徳丸村や椎名町だけではく、江古田や鷺宮さぎのみやあたりの農家からも注文が入るほど繁盛しており、土蔵には小判が唸っているという、もっぱらの噂である。


「俺は、押し借りのというのが、よくわからん。まずは、手慣れたおぬしらが、手本を見せてくれないか?」

 歳三の問いに、一味の首領格である石渡がこたえる。

「よかろう……だが、その前に言っておくことがある……よいか。脅して金を巻き上げるとはいっても、これは、あくまでものであって、恐喝してわけではない」

「というと?」

「金を奪ったら、それはれっきとした犯罪つみだが、わしが商人から借りた金を返さなかったとしても、それは当事者同士の問題であって、犯罪とは言えぬであろう」

「は、はははっ。ずいぶん身勝手な理屈だな」

 歳三が笑うと、石渡が真面目な顔で続ける。

「だが、理屈は理屈だ。このような仕事は、そこが大切なのだ。そうした匙加減ひとつで、所払いが遠島になったりするわけだ」

「なるほど……わかったぞ。重い罪の咎人ならば、追うほうも必死になるが、軽い罪の者を捕らえても、大した手柄にはならないので、八州廻りも、さほど躍起には、ならぬ。ということだな」

「おぬしは飲みこみが早くて助かる。まったくそのとおりじゃ」


 石渡の台詞が終わると、松方が左手を刀の柄にかけ、肩をいからせ凶暴な面相となり、

「さて……では、ひと稼ぎしようかの。口上は慎吾が得意にしておる。おぬしは、黙って凄んでいるだけでよい」

 と、暴力を生業なりわいにしている者に特有の凄味のある笑顔を浮かべた。気の弱い者なら、その姿を見ただけで腰が退けてしまう迫力である。







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