10章 潜入捜査

 ――夕刻。歳三が亀沢町の六兵衛長屋に戻ると、部屋では兼助と馬場が待っていた。

 馬場は、万が一押し借り一味に見られてもいいように、髷先を崩して浪人姿である。八丁堀の同心などは、捜査のため町人に化けたりするので、武士と町人のどちらにでも化けられる髪型をしていた。おそらく馬場も、それにならったのであろう。


「よお、トシ。待ってたぜ。あらましは兼助からきいたが、おまえの感じたことを話してくれ」

「やつらは、かなりヤバいですね……水戸者のふたりは、北辰一刀流と言っていましたが、まあ、そこそこの腕前です。しかし俺を誘った三枝って野郎は、相当の腕利きと見ました」

 ヤバいというのは、若者言葉のように思われているが、もとは博徒の隠語でから訛化したものと考えられ、この時代から使われていた。

「どの程度の腕前なんだ?」

 歳三は、剣客にとって重要な要素である、相手の実力を看てとる能力に長けていた。剣を振るっている姿を見なくとも、日常の動作を見れば、重心の置きかた、正中線の厳しさ、足捌きなどから、ほぼ正確に、相手の実力を推し量ることができた。

「俺の腕じゃあ、まず歯が立たないでしょうね」

「なんだって。おい、そりゃあ本当か」

 馬場が驚くのも無理はない。歳三の剣術は、正式に入門していないため、免許や目録などは持っていないが、宗家の近藤周助から、入門すれば目録は確実と言われるほどの実力である。しかも、それは道場剣術にかぎっての話で、実戦では意表を突く戦法で、侮れない強さを発揮する。

「おめえの見立てだと、その三枝と俺がやったらどっちが勝つ?」

 歳三は、しばらく考えてからこたえる。

「尋常な勝負なら、まず馬場の旦那……問答無用の真剣での斬りあいだと、俺には断言しかねます」


 馬場は、剣客らしい雰囲気を漂わせている見た目を裏切ることなく、新陰流の免許皆伝。天才・沖田惣次郎とも互角以上の剣を遣う。我流の歳三とはちがい、正統な修行をした剣士で、兄は剣術道場の師範をしていた。


 慶応三年に、薩摩藩に示唆された相楽総三が起こした出流山挙兵という事件があり、かつて清河八郎と行動していた竹内啓たけのうちひらくや、高橋亘らが処刑された。蜂起した不逞浪士を鎮圧したのが八州廻りである。

 多摩郡出身の峯尾小一郎を含む不逞浪士たちは、この事件の報復として、八州廻りの自宅を襲撃した。

 なかでも上州に赴いていていた安原喜作の留守宅は、妻子、甥、下女が殺害されるなど悲惨をきわめた。彼らが革命の戦士などではなく、テロリストとよぶのが相応であることがわかる。

 そして馬場俊蔵の屋敷も、十数名の浪士に襲撃された。しかし馬場宅では、下男が殺害されたが、槍を手にとり兄とともに、見事に浪士を撃退していた。


「チッ。そいつはたしかに、厄介だな……」

 歳三の見立てに、馬場が舌打ちする。

「しかも、やつらは似非えせ浪士じゃなく、本気で攘夷のためと思い込んでいます。正面からなんてやったら、おそらく捕り方にも相当の被害が及ぶでしょう」

「ふうむ。なにか手を考えないと駄目か」

「それなんですが……この話からは、そろそろ手を引かせてもらえませんか? ここから先は、俺のような素人の役目じゃない」

「おいおい、トシ。ここまで関わっといて、いまさら手をひくはにしようぜ」

「いや、そうはいいますが、俺も行商を休んで、ここまで手伝ったんだから、もうお役御免といきたいところですね」


 歳三が苦笑を浮かべた。事件そのものには興味がある。

 しかし、小作人から入る収入はあるものの、お大尽とよばれた時代とちがって、土方家の使用人の給金は、いまや石田散薬の売り上げによってまかなっていた。

 前述のとおり弘化三年の洪水で、歳三の実家は転居を余儀なくされ、分家の伊十郎の隣に移ったが、当主の喜六は、長屋門を構えていた分家に対抗して見栄を張り、自宅に長屋門を構えるなど、予定外の金を費やした。

 それだけではなく、新たに開墾した土地にかかった費用は、膨大な金額である。

 そのことによって、代々蓄えた財は大幅に目減りしてしまい、いまや歳三の稼ぎは家計にとって、大きな役割を果たしていた。したがって、いつまでも仕事を休むわけにはいかなかった。


「じつはな……押し借り一味を捕らえたら、報償がでるぜ」

「賞金ですか?」

「ああ、事件のあった宿場に、手下の留蔵をまわらせて、被害のあった商家や、これから被害にあうんじゃないかと怯える金持ちに、声をかけて賞金を募り、二十両集めた」

「おめえの取りぶんは、半分の十両でどうだ?」

「残りは馬場さまの懐ですかい?」

 歳三が底意地悪く、にやにや笑うと、

「おいトシ。馬鹿にするんじゃねえ。残りは兼助や伊之助、手伝いの手下に配るに決まってるじゃねえか」

「冗談ですよ。馬場の旦那が、そこらの八州廻りとはちがうことぐらい、わかってます」


 こういった場合、ほかの八州廻りなら、商家から募った金は、自分の懐に入れてしまうのが通例である。

 なにしろ年に、二十両程度の賃金と三人扶持のほかは、苦労の多い旅回り一日につき、宿屋の宿泊代という薄給で、馬車馬のように働かされるのだから、それもある程度しかたのないことであった。

 ところが馬場は、不正の温床になっている八州廻りの組織を改革しようと、本気で考えていた。そのことを義兄の彦五郎と語り合っている姿を、歳三は、何度も目にしている。


 時代劇などでは、代官や八州廻りは、悪役と相場が決まっているが、実際は、そのようなことはなく、多摩郡の代官・江川太郎左衛門英龍えがわたろうざえもんひでたつや、この八州廻り・馬場俊蔵のように、住みよい世の中にしようと、本気で働く者は少なくなかったのだ。

 馬場は部屋住み、つまり家の厄介者の境遇から抜け出して、関東代官・林部善太左衛門・江戸詰手代という又者になり、その後、ようやく下級とはいえ、幕臣の身分のに就くことができたので、悪質な犯罪を取り締まり、正直者が馬鹿を見ない世の中にしようという、希望に燃えていた。


 自分の利益を優先させることなく、宿場の人びとに尽くす義兄の彦五郎や、真面目に職務を遂行する馬場を見ていると、歳三は、なぜかもどかしい気持ちになってしまう。


(上手く立ち回れば、いくらでも金になるのに……)


 その一方で、彦五郎や馬場の古武士のような不器用でまっすぐな生き方に、眩しいものを見るような憧憬を感じる自分がいることに、歳三は戸惑いを隠せずにいた。そのことが、こうした皮肉な冗談として、口に出てしまうのだ。


「そこまで段取りされたら、もうしかたないですね……では俺たちで、やつらをとっ捕まえましょう」

 歳三は、そう言ったあと、照れ臭さを隠すように、

「賞金は魅力ですしね」

 と、つけ加えた。

「よし。話は決まりだ。無理押しで怪我人はだしたくねえ。どうやってお縄にするか、細けえ段取りを考えねえと……」

「ひと殺し野郎は、小見山という御家人の屋敷に潜んでいるから、ひとまず置いて大丈夫でしょう」

「うむ。安全な隠れ家だ。すぐには逃げることは、ねえだろう……まあ、見張りだけは、つけておくが。まずは、その手強い三枝どもを、なんとかしねえと……」

 馬場が、考えこむような表情を浮かべた。


「馬場の旦那。やつらと話していて、ひとつ思いついたことがあります」

「ほう。どんなことだ?」

「やつらは主に、中山道などの宿場を狙っていた。と、話していたんで、信用を得るため、それよりも河岸を狙えと、物知り顔で教えてやったら、かなり興味を示していました。そこで……」

 歳三が、計略を説明しはじめると、馬場の眼に、次第に強い光が宿った。

「なるほど……それは行けるかもしれねえ。やっぱりおめえに任せて正解だったようだ」

 馬場と兼助が、さすが機略に富んだ歳三だと、うなずきあった。

「では馬場の旦那。この線で、すすめていきますか?」

「ああ。ほかに思案も浮かばねえ……おめえの話に乗ったぜ」

「そうと決まったら、悪いが兼助さんに、いろいろ動いてもらわなきゃならねえ。まずは、さっそく行ってもらいたいところがあるんだが……」

 いったん話が動きだすと、歳三の顔が活きいきと輝いた。

 



 




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