三 愛し合う二人
「――神谷先生、あたし、先生のことが好き! 先生だって、あたしのこと嫌いじゃないんでしょ?」
その日の放課後、相談したいことがあると言って来た彼女を生徒指導室へ連れてゆくと、まったくの予想外にもそんな告白をわたしはされた。
「そ、それは……そんなことは……」
正直なところを言えば、わたしは彼女のその言葉を聞いて、まるで天にも昇るような心持ちだった。
まさか、思いを寄せている彼女の方から告白をしてきてくれるなんて……しかも、こんなタイミングで……。
実をいうと昼間の授業中、彼女を指名して叱責したことにわたしは耐え難い興奮を密かに覚えていた。
あまり親密にしていると変な噂を立てられかねないので、公然と彼女に話かけられるのは授業の時ぐらいしかない……その上、あんな風に冷たく叱りつけるだなんて……ああ、わたしの中の隠れたサディスト的一面が図らずも頭をもたげてしまう……。
そんなことがあったばかりだというのに、外界からは隔離された、他に誰も来ることのない放課後の薄暗い生徒指導室に二人きり……こんな破廉恥な状況、もうほんとに頭がどうにかなってしまいそうだ。
現在、締め切られた入口のドアの前に立つ彼女との距離は1m強……今すぐにでも彼女の健康的な赤い肉体に飛びついて、思う存分に抱擁がしたい……。
……でも、わたしは教師で彼女はその生徒……そんな変えることのできない現実が頭の片隅を過り、わたしはなんとか理性を保つと、湧き上がる欲情を抑えて適切な言葉を探す。
「ね、ねえ、円木さん。先生、そう言ってもらえてすごく嬉しいんだけど、それはあくまで先生と生徒との間の親愛の情ということにしておきましょう? 先生も円木さんのこと大好きだけど、わたし達は女同士だし、それ以前に先生、生徒に対してそれ以上の感情を持つことはできないの」
自分の気持ちにきっぱりと背を向け、胸が張り裂けそうな苦しみに必死で耐えながら、わたしはそんな嘘八百を無理して口から吐き出す。
自分の社会的立場を守るためばかりでなく、彼女のためにもその一線を越えてはならないのだ。
「そんなのウソ! あたし、知ってます! この前、後をつけて見ちゃったんです! 先生が女の子とその……
だが、彼女はまたしても私の予想を遥かに上回ることをさらっと言ってくれる。
「…!? …………それが本当なら、あなたもわかっているはずよ? もしもそんなことになったら、今のような普通の生活にはもう戻れなくなってしまうって……」
彼女がわたしの秘密を知っていたことには大きな衝撃を覚えたが、わたしは気を取り直すと、むしろその厳然たる現実を明確に思い出して彼女に思い止まるよう説得を試みる。
「わかってます! でも、先生のことが好きなんです! この想いを偽ることなんてできない……先生になら、どんなことをされてもあたしはかまいません!」
「円木さん…………」
その熱い心情の吐露に絆され、ギリギリで保っているわたしの理性も思わず揺らぎそうになる……だが、彼女の幸せのためにも、ここは心を鬼にしてぐっと堪えなくては。
「ダメよ。やっぱり……こんなのいけないわ。わたしは教師、あなたは生徒なのよ?」
「そんなの関係ない! 先生が教師だろうがなんだろうが、そんなのあたしには関係ない! あたしはただ先生のことが好きなの! 先生はあたしのこと嫌い? それとも、生徒だから対象として見てくれないの? それならあたし、もう学校なんか……」
首を横に振り、もう一度、努めて冷静に諭そうとするわたしであったが、彼女はその円らな黒い瞳を潤ませ、なおいっそう熱を帯びた言葉で自分を偽っているわたしを責め苛む。
「円木さん………わかったわ。そこまで言われたら、先生ももう自分の気持ちを裏切ることなんかできない……先生も好きよ、円木さんのこと。ずっと前から、あなたのことを想っていたの」
教師と生徒……その変え難い現実をも凌駕する、けして偽ることのできない真実を彼女に突きつけられ、限界スレスレで保たれていたわたしの理性もついにポキリと折れた。
「はぁ……先生っ!」
「でも、いいの? これ以上進んだら、もう本当にあなたは今までの生活に戻れなくなる」
だが、抵抗を諦めたわたしの色好い返事を聞き、パッと顔色を明るくする彼女の熱っぽい眼を見つめて、わたしは至極真剣な口調で改めてその覚悟を問う。
「はい! かまいません! 先生さえいれば、あたしはそれだけでもういいの! だから先生、あたしのこと、先生の好きにして!」
それでも怖じ気づくことなく、真っ直ぐにわたしの瞳を見つめ返して答える彼女の強い決意に、わたしは全身の血がカッと一瞬にして沸騰するような激しい興奮を覚える。
「いいわ。それじゃあ、もう何も言わない……本当にかわいくて大好きよ、円木さん……」
火照るこの
「ああ、先生…………うっ…」
そして、ドクン、ドクンと力強く脈打つ若くて太い大動脈に尖った犬歯を突き立てると、彼女はその痛みに耳元でかわいらしい苦悶の声を上げ、わたしの口の中には熱くて濃厚な苦味のある、真っ赤な鮮血がじゅわっと溢れ出した。
ああ、なんておいしいの……新鮮で濃密な若いエキスに溢れた、まるで高級ワインのように芳醇な香りのする深紅の命の水……予想通り……いえ、予想以上に絶品の逸材だわ……。
その奇蹟としか思えない超絶的な美味に、身悶える彼女の首筋をむしゃぶりならがらわたしは陶酔する。
……でも、これでもう彼女はもとの生活には戻れない……彼女に残された運命は、このままわたしにすべての血を吸い尽くされて息絶えるか、それとも、生き延びてわたしと同じ
ああ、ついにわたしは、越えてはならない最後の一線を越えてしまった……教師という身でありながら、罪深きこの身がなんとも恨めしい……。
痙攣する小鹿のような彼女の若い肉体を抱きしめ、口いっぱいに広がる旨みに激しいエクスタシーを感じながらも、わたしはどこか興奮を覚える、この背徳的行為に対する後ろめたさを抱いていた……。
(三重の百合 了)
三重の百合 平中なごん @HiranakaNagon
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