赤化

もくはずし

赤化

 今日も夕焼けは赤く染まる。水平線に近づくにつれてその光は巨大さを増し、海と塵を反射する光の帯は絶妙なスペクトルを見せる。光が織りなす壮大なハーモニーの裏側は、光の強さに必死に抗うかのような夜が迫る。花紺青の空に煌めき始める星々からは、短く侘しい夜の到達が報される。


 この星に人類はあとどれくらい残っているのだろうか。心、魂、意思、霊・・・かつては聖なる領域に存在していたものが物理学の射程圏内に入って久しい。

 我々は自身の生まれてきた意味に回答を得る前に、自身そのものについて多くを知りすぎてしまった。万象に通ずる彼らは、自らの限界性を捨てるべくその肉体からの解脱に努めた。


 我等が太陽からの光が完全にかき消される前にどうにかこうにか帰還してきた、この船の主人もそのうちの一人だ。

 地面を力強く踏みつける鋼鉄の肉体。重厚かつ確かな足取りからは想像もつかないほどやつれた、齢七十をとうに超えていそうなヒト科の顔を覗かせている。


 「よぉ、大将。こんな時間まで何してたんだ?」

 「大しけに巻き込まれた。お陰様で12時間の残業だよ。」

 「だから言ったんだ。磁石すら手に入らないのに海に出るなんてどうかしてる。そんなに死にたいならなんでそんな体を手に入れたんだ?」

 「馬鹿野郎。何しても死なねえからこんな無茶やってんじゃねえか。」


 軽口を叩きながら慣れた手つきで魚を仕分けている。苦労した風体の割にその成果は少なく、半時も経たぬ間に彼の今日の仕事は終わったようだ。


 「お前こそこんなところで何してたんだ?まさか俺を心配してたんでもあるめえ。」

 「冗談は止してくれ。ここで祈るのが私の日課だよ。」

 「祈る?まさかこのご時世に神や仏なんぞ信じてるわけじゃないだろうな?まさか今更になって愛しのクリーゼ様に御執心か?」

 「まさか。私は生まれたときから地球人なんだ。カモの様に従順だよ。」

 「さっさと親離れしちまえばよかったのになぁ。何年経ってもここはもう変わらん。既に死んじまったのさ。」


 そう、クリーゼだ。理想郷を求めた彼らが旅立った星。私たちは辺境に置いてけぼりにされた、哀れな逸脱者だった。

 老いた漁師は私に今日の分の食料を村に分けておけと言い、海産物に満たされた竹籠を渡すと海沿いの崩れかかった木造の小屋へ去っていった。


 海岸から私のいる村落まで歩いてそうかからない。暗がりの中、この道を戻るのも慣れたものだ。目を瞑ってさえ辿り着くだろう。道すがら考え事をするのも容易い。

 

 私の同士達は先進した科学から文字通り死なない体を手に入れた。

 あの老人の様に?いや違う。あれはまがい物の不死だ。かつての人類が使っていた脆い肉体では一溜りも無いようなちょっとやそっとの衝撃や、温度の変化なんかでは死なないだろう。しかし彼の体は老いていく。彼の体のパーツは一週間に3時間程度のメンテナンスが必要だし、あと20年もすればあちこちに交換の必要が出てくるだろう。彼の死。それは人間社会からの逸脱がもたらす孤独に因果する。

 彼もあの豊かな星、ここから20光年と離れていないあの地への最後の船の切符を破り捨てるような人間でなければ永遠の快と愉悦を多くの友人たちと享受できたのだ。我々に降りかかる運命的な死が先か、故障の延長線上にある生命活動の停止が先かわかったものではない。

 最後の砦、肉体と言う殻そのものから脱却し、電子に揺蕩う精神生命体として、いくらでも代わりの作れる機械の体を操っていれば、死という概念について想像するなどという荒唐無稽な活動はしなくて済んでいるのだ。

 しかし、それをしなかった、できなかった数少ない人類が、ここには居る。


 ぽっと地上に一筋の光明が灯る。枯れた山の麓の、少し小高い場所に我々の生活拠点がある。

 ・・・以前よりもこの道を踏破するのに時間がかかっていることをひしひしとを感じる。あの老人とまではいかないものの、年老いたこの足にはこの旅路も楽ではなくなってきたようだ、などと弱気なことを考えているとこちらに向かって歩いてくるものがある。私の犬型のロボットだ。


 帰りが遅かったのを心配しているらしく、毎日この歓迎を受ける。日に日に太陽が沈む時間まで遅くなっている今、正しく刻まれているのは彼電子的な体内時計だけかもしれない。非常に良く作られていて、その生き物然とした動きには思わず頬が緩む。しかし、この地球上で活動している以上、それは本物とは言い難い。本物では到底出し得ない力で私に飛びついてきた彼は、散々尻尾を振って甘えた後、ついてこいと言わんばかりに私を先導する。

 頼れる相棒と共に、私は帰路を急ぐ。


 村に帰ると、食料の催促に手招く2人の陰が、後ろに踊る大きな灯の上に揺らめいている。これがこの村の全人口だ。私の友人であるジョーとフィリップは、錆び切った缶の上にサボテンとカブトムシの幼虫ソテーを用意し待っていたようだ。

フィリップはここにいる連中のなかでは珍しく、頭の先からつま先まで機械化されている。手元の竹籠を見て、この古の最新モデルである鋼の塊は私を迎え入れた。


 「今日は豊作か?ウィンストン。あの偏屈な老人から魚は分捕れたか?」

 「ああ。今日はちゃんと日没までに帰ってきた。私の我慢強さに感謝してくれ。」

 「明日からはお前の我慢強さは無用だ、あの徘徊ジジイに付き合う義理はない。夜は貴重なんだ。俺は豪華な飯を待つよりもさっさと寝てしまいたい。」

 「ジョーの言うとおりだ。俺達は脳みそまで科学に売ったわけじゃない。こんな体になっても休息は必要だ。」


 フィリップは渡した竹籠の中身を見ないまま、ぐつぐつ煮えたぎっている釜の中に放り込んだ。出来上がった雑多な魚のスープは久しぶりの塩気のせいか、とても美味く感じられた。最早骨に身がどうにかくっついているような有様の生物の残骸は、元来た場所に戻ることもなく土に還った。



 明くる日も晴れ。

 この体をもってしても、熱さが危険信号として伝わる機能によって日の出ている間は休むべくも無い。海沿いは日の半分が日陰になる村周辺と違い、一日中気温が高い上に海からの照り返しで一日中危険信号が神経を焼く。

 かと言って寝床の洞窟で永遠に寝て過ごしていては、私の人間性が死んでなくなってしまう。私は魚が食べたく、又あの老人と交わされる短い会話が好きだった。

 日に日に長くなる道程をよたよたと歩く。


 掘っ立て小屋に辿り着くと、珍しく老人は在宅であった。私がノックをするよりも先に扉が開き、中に入れられる。


 「気味の悪いこともあるもんだ。家の中に招き入れられるなんていつ以来だ?」

 「計算したところ、あと二年だ。」

 「何が・・・?」


 言葉を発した直後、その意味に気付く。我々の、永かった旅路も漸く終着点なのだ。


 「あと2年で我が星は消えてなくなる。それですべておしまいだ。昔、偉い人が言っていた地球回避説とやらは当てにならんらしい。」

 「そうか、あんたはどうするんだ。」

 「どうする、とはどういうことだ。俺達は最初からこの日のことを自分の中で腹を括っていたんじゃないのか?」

 「腹を括ってきた自覚はないな。私は進化の過程に置いてけぼりを喰らっただけだよ。」


 苦笑交じりの言葉は、内容と裏腹にどこか悟ったような響きを醸していた。

 その日は来るのだ。母なる大地と母なる太陽、そして我々が一体化する、その日が。


 「正直ウィンストン、おまえさんは怖がっているものだと思っていたんだがな。いつか夕陽に祈っていたとか言っていただろう。」

 「祈っていたというのは嘘だ。あれは懺悔だ。」

 「成程。気持ちは解らんでも無いな。」

 「どうだ、今日はあんたも一緒に祈ってみないか?」

 「悪くない。そうさせてもらおう。」


 日暮れまでにはまだ時間がある。塩辛い紅茶を飲み昔話に花を咲かせた私達は、赤紫に染まる空を合図に海岸を目指した。

 今日も私たちの生みの親は赤く、巨大だ。

 昨日よりも確実に壮大になりゆく度量を前に、我々は会話を忘れ、息を呑み、座り込んで見惚れることしかできない。これが我々をもたらし、導く存在だ。それは今も昔も変わらない。

 段々と西の空は青みが薄れ、茜色に染まってゆく。

 昨日よりも紅く、朱く。全てを飲み込むかのような赤に、私は憧れていたのだ。

更に赤く、更に寛大になった彼女はやがて私を赦すだろう。


 老人は言った。


 「まともに夕陽を見たのは久しぶりだ。。知ってはいたが見事なものだ。だが毎日見る気にはならんな、幾ら耐久性が高いとはいえ、光学網膜が焼き切れちまう。生物としての肉体を持っていた頃、星の類は散々見ていたしな。あんなもの見る代償に目が見えなくなるなんてもうごめんだ。」


 私は応える。


 「私は毎日でも見ていられる。焼き切れないんだよ。例え生き物として元の肉体に戻ろうと。この光は尚、私を抱擁し続ける。」




 今日も夕焼けは赤く染まる。


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赤化 もくはずし @mokuhazushi

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