10月10日はここにいた
ARは学生24人を連れて、いつも野原と会う渋谷の雑居ビル内の小さなバーに入った。連れて来た数名から金の入った封筒を出させ、野原にカウンター越しに集合セミナーを開催させる。ARは「野原さんの素晴らしさ」をばかのように体験者として語り、自分が儲かるまでの色々な勘違い、苦労、だがしかし最後は絶対儲かるということを語って聞かせてやった。
野原が「まあまあ、そこまで言ってもらうほど俺は立派な人間じゃないんだ」と謙遜して見せる様子には感激してみせた。野原は嬉しそうに「でもさ、お金が足りないってことで夢をあきらめるとか、そういう人をもう見たくないんだ俺は」と得意気に語った。
酒を飲んで大騒ぎをするARの様子に、参加者の一部は不穏な気配を見せた。
「でもこんな風に、個人でお金を渡すのって普通なんですか。ネットの信販会社とかだと自分のお金が見えるんですけど」
「わかる、それは…」
野原が少し説明すると、ARは体をねじ込むように絡む。
「野原さんとこの手数料率じゃ、マジでどこでも取引できないし、フツーこんなすげぇ人のコンサル受けながら投資できねぇから! マジで!」
嬉しそうにする者もいたが、苦々しい顔をする者もいた。
「自分はここで投資したくないんで、さっきのお金返してもらえますか」
「もちろん、全額…」
野原が丁寧に対応して見せているのを見てから、ARはやはり絡む。
「気持ちはめっちゃわかるけど、野原さんとこでやりてぇって絶対思うから! 俺が合計でいくら儲かってるか、お前わかってんの?」
野原は笑いながら金が見えなくなるようにカウンターの内側に入れ、袋に詰めていた。大金が集まり、金を出した人々が不満をぶつけてきた時、野原は動く。
ARは「@AR0108IV」としてSNSに投稿を続けた。
『みんな次も宿題持ってこいよ!』
会の前にも、途中にも、既にアキラを疑う言葉が飛び交っている中だった。
そこへ「@Yuutax0623」が擁護するコメントをしている。
『みんなアキラを責めない!』
様々なアカウントが喋り続ける。
『龍崎の騙され感がやばい』
『私はスクール入ったよ~。普通に頑張ればふえるかな?って思った!』
『やめとけ!』
『うちの親が超怒ってる。返金してもらえるのかな』
『払っちゃだめなやつだった?怖くなってきた』
『野原は詐欺師』
『こいつじゃないの、特定したかも。詐欺事件。シェア急げ』
『龍崎の騙され感!』
『アキラちゃん、いくらつっこんだ?』
「ふう、どうよ。ぺちゃくちゃ盛り上げてある。時間かけて仕込んだ甲斐があった」
ARはワイヤレスイヤホンの声を聞きながら、少し離れた車両に立っている野原がスマートフォンの画面を覗き込んでいる様子を眺めていた。マスクの中で他の乗客に聞こえないように小声を出す。
「見てるな。笑った。やっぱり今日、出すな」
「じゃあそれを、収穫しますかね」
野原は6部屋のアパートの部屋に入り、集めた現金と今日までの詐欺で集めた金を素早く丁寧にカバンに詰めていった。騙していた相手に見せる、投資額が上下していく嘘の運用レポートを作成していたノートパソコンも、素早く同じカバンに入れる。
野原はここから一気に逃走するのだから先にトイレをすませておこうと、バストイレ一体型のバスルームに入った。用を済ませてトイレを出ようとしたところで、ドアが開かないことに気が付く。
「んっ?」
ガタガタと音を立てて揺らしても扉は開かない。
「開かないよ野原さん」
知らない声が自分の家の居室の中から聞こえ、野原は叫んだ。
「誰だ!」
「誰でしょう。ところでこれは、何でしょう」
「おい! 何してる、誰だお前は! やめろ!」
「アキラ君からもらったお金も全額ここに貯めてたの? いやあ、1年間、遊びもしないで偉いよなあ。カードもローンもここに住んでた野原さん名義であんたけっこう借金したんでしょ? 高いもの買って転売して、それもコツコツここに貯めてたんだなあ。いいよね、そういう真面目な詐欺師は狙い甲斐があってさ…。でもまあいいじゃない、あんたはまたどっかに行って、うまく誰かのフリして生きて詐欺して稼いでいくんだろ。でもここじゃ、ちょっと失敗しましたね、ははは」
「やめろ! 誰だ! 何してるんだ!」
野原と名乗っていた男は、扉を壊そうとして何度も扉に体をぶつけた。隣の部屋の住人が怒って壁をガンと蹴ってきたが、そんなことには構っていられない。
「やめろ! やめろ!」
「野原さん、大丈夫だから安心して。この部屋から大声がするって警察呼んどくし、警察は多分普通に助けてくれると思うから。あ、ついでにあんたが野原さんじゃないってこともわかるようにしとこうか? 別にそれはやってもやらなくてもいいんだけどさ、何て言うか世間への親切心からね。どうしようかなあ、って、お、そろそろ危険なんで帰りまーす。じゃあね野原さん」
ARは右耳に入れたワイヤレスイヤホンを外して、大きなカバンを持って近づいてくる人影のほうへ顔を向けた。仕事を終えた左手のスマートフォンをポケットに突っ込み、「おつかれ」と声をかける。
「おつかれ。待った?」
「結構待った」
どこにでもある夜の待ち合わせの風景だ。
【短編】投資のリスクはここにある 伊藤 終 @saa110
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