ミルクアンドコーヒー

堀内テヅカミ

ミルクアンドコーヒー

 どんな街にも表通りと裏通りがある。

 裏通りには裏通りのルールがあり、日常があるものだ。そこに人、もしくは生き物さえ住んでいればね。

 で、あんたは、人間?

 そうは見えないけど。

 冗談だよ、ひひっ。ひひっ……ひ。

 いや、笑ってんじゃないよ。癖なんだ。

 冗談を言った後に自分で笑う奴がいるだろう。誘い笑いっていうのか。それとは違う……いや、最初はそうだったんだが今では癖になってな、要するに無意識の産物なんだ。だから最後に「ひ」が入る。意識戻ってきたぞ、笑いを誘ってないぞ、空気読んで笑う必要ないぞという気遣いからくる合図なんだ。

 いいか。だから違うんだぞ。ひひっ……ひ。




「牛乳」と「珈琲」。

 そう、その話だったな。

 まず手始めに裏通りのことから話そうか。

 この商店街をまずまっすぐ歩いてみる。とりあえずはな。そして、どこからでもいいから適当な角から横道にそれてみるといい。

 途端にがらっと景色が変わるはずだ。コンビニやファミレスのチェーン店はまず見当たらない。配色のどぎついヘルスの看板、長い暖簾の垂れさがった無料案内所。惣菜屋に並んでいるのは大抵キムチとナムルで、豚か鶏か判然としない肉の煮付けが売られている。子供は季節を問わず裸足で、路上駐車している黒塗りの外車の陰でかくれんぼをしたり、人工的な泡の浮いた河川敷で水浴びしたりしている。

 とにかく、真っ当な暮らしをしている人間なんかいやしない。格差なんてもんじゃないさ。空き缶集めてやっとこその日の夕食代を稼ぐ奴と、その夕食が十年間毎日食える額の時計をつけた奴が、同じ公園のベンチで寝てたりするんだからな。


「牛乳」と「珈琲」は、裏通りでは名の知れた存在だった。

 裏通りの人々はまず単独行動を好むからな。目立ったんだろう。

 二人の趣味は映画だった。

 天気のいい日は、知り合いが支配人をやっている映画館に出かける。完全入れ替え制と一応謳ってはいるものの、一日じゅう居ても追い出されずに放っておいてくれる昔ながらの映画館だ。『ボーイズ・ドント・クライ』『二十歳の微熱』『プリシラ』旧作ばかりかかっている、いわゆる名画座だな。

 二人は上映開始後、照明が落ちたのをしっかりと確認してから劇場内に入り、空いている席にすわる。なるべく人のいない隅の座席に。

 まあ年配客が多いためか、また半数以上は眠りをむさぼりに来ているためか、一度もその存在がばれたことはない。


 ……なぜ、姿を見られまいとするのかって?

 そうか、あんた知らないのか。詳しい話も知らないで調査に駆り出された、下っ端の使いっ走りってわけね。ご苦労だねえ、しかし。

 まあ、配慮だろうよ。ご老人たちが明日明後日ものんびり映画館で熟睡するための配慮。誘い笑いの語尾に付け足してる「……ひ」と同じ。

 牛乳と珈琲は、お互いに頭部が欠損していたんだ。

 どういうコトって。そのまんまの意味さ。

 肩からこぶしひとつ分上のところで下顎から先が消失し、まるで顔だけ別次元を覗き込んでるようだった。ぷっつり途切れた断面は、蓮の実によく似ていた。


 それでなんで生きていられるか……って?

 ……いやいや、あんたね、こっちは裏通りの話をしてるんだよ。余計な口は挟まないでほしいな。謝礼をもらってるとはいえ、リスクを犯してまで話す理由なんか本来ないんだ。

 わかるかい? 裏通りの住人たちはあんたが思っている以上に排他的だ。自分の価値観や常識を疑わない表通りの人間を心底軽蔑している。軽蔑しているし、おそれてもいる。裏通りから見れば、悪いがあんたらは外道だ。

 だからな、おれはいちいち目くじらを立てたりしないけれども、他の連中の前でそんな口をきくなよ。

 ……いいな、続けるぞ。


 牛乳と珈琲は、ひっそりと暮らしていた。

 なるべく人に見つからないように。自分たちの姿が、いや自分たちが、ただ存在しているというそれだけで忌まわしいものだと知っていたからだ。

 奴らの仲睦まじさは裏通りでも有名だった。溝から這い出したねずみを飼い、暗がりでそのしっぽなんかを縒りながら寝ていた。牛丼屋のツユと石鹸屋の店内の匂いが入り混じった寝床で、二人は二人にしか通じない会話を交わし、よく肩をゆすって笑っていた。

 奴らはどこにでもいる「恋人」だった。


 なあ、あんた。時に聞くがね。

 恋人とは、何をもって自分らを恋人と証明するんだと思う?

 キスでもするか、熱烈なやつ。うひひっ。だが、あいにく彼らには顔がない。

 抱き合うか。それじゃあキスよか弱いな。証明にならない。

 常に一緒にいる……親兄弟だって一緒にいるだろう。

 もしあんたにも恋人がいるなら、どうだい。どうやって証明する?

 あんたが…………え、あんた結婚してるの? 

 何だ、じゃあよくわかってるんじゃないか。

 そう、契約だな。

 ただ、その道すらも奴らには閉ざされていた。どこまでいってもミルクアンドコーヒー。

 カフェオレじゃないんだな。ひひっ……ひ。

 ひひっ………ひひ………ひっ…………おい、面白かったら笑えよ。



 だから、あの日のことも致し方なかったんだよ。



 あの日、二人は表通りに出た。

 表通りは真夏の灼けつくような陽射しにさらされ、嫌味なほどすべてがくっきり照らされていた。

 向かう先はそうだ、あんた方の勤めている市役所だ。そこまでのわずか五○○メートルほどの大通りは、そりゃあもう酷い有様だったよ。あのへんはケータイ屋、コーヒースタンドに牛丼屋、しゃれた雑貨屋に、ちょっとした広場もある。

 すぐに卒倒したなら幸運で、どうにか持ちこたえてしまった者は棒立ちのままゆるゆると糞尿を垂れた。身をすくませるという段階を経ることもなく次々に人が倒れていく様は、大根役者の芝居を見ているようだったよ。口髭をたくわえた英国紳士ふうの老人は広げたハンカチに軽く吐き、胸ポケットにそっと吐き、ハットをくるっと返して吐き、最後はやっぱり崩れ落ちた。

 そういや店頭で泡をこしらえていた石鹸屋の店員がいたな。その女、やけに平然としてるから近づいてみると、延々と呟いてた。私は正社員私は正社員私は正社員……だとよ。目がもうとんでたよ。さすがにちょっとばかし気の毒になったな。でも、表通りっぽくて笑えるだろ? ひひっ。

 車道じゃあ人身と追突事故のオンパレード。名物のクレープ屋にトチ狂ったセルシオが突っ込んで、そこらじゅう肉片とホイップまみれになった。街路樹の枝から枝に糸をひいたり、側溝で泡立ったりしてたのはイチゴソースなんだか血なんだか。

 そんな中で野良猫なんかは、奴らのふくらはぎに擦り寄っていたな。




 そうして二人はどうにか市役所にたどり着いた。


 牛乳は、珈琲の手を握り。

 珈琲は、牛乳の肩を抱いた。

 人々の混乱なんてのは二人にはまったく、物理的な意味だけでなく、目に入っていなかったんだな。

 二人はただ、この時が訪れるのをずっとずっと待っていた。

 ニュースを見て、居てもたっても居られなかったんだろうな。


 珈琲が窓口に立ち、書類を提出する。「住民戸籍課」の札が下がっている窓口だ。

 おれもその場を見ていた一人ってわけ。

 その地域で同性婚が認められた日の、翌日のことだ。


 辺りにはずっと鈴の音が鳴り響いていた。

 担当者が一向に現れないから、珈琲は焦れて何度も呼び鈴を鳴らしていたんだ。担当者どころか……ひひっ、おれ以外は全員気絶してたんだよな。

 珈琲は椅子に腰掛けて膝に猫を乗せ、文庫本を開いていた。


 ほんと、ずっと鳴ってたな。



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