EPISODE Ⅰ その男、警視庁未解決捜査官につき。 完筆版

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『俺は何時もツイていない。』――

そう愚痴をこぼす男は警視庁の1階ロビーの受付で10年前の夏に発生した『八神コーポレーション会長失踪事件』で自身が当時勤めていた会社の会長が何と10年ぶりに現れた、それも『白骨遺体』 という形で。何故会長の骨だとこの男は分かったのか?それは会長は足腰が弱く、重度のヘルニア痛に苦しみ、足の膝の付け根部分にボルトが埋め込まれたからだ。その骨の部分と他の骨はダンボール一色で何故か自分の自宅に届いたのである。

「いい迷惑だよ、こんなのを私に送るなんて・・・。」

恨み節に男はそう言うと、男の後ろから若い男が声を掛けてきた。

「大丈夫ですか?何だか顔色があまり優れないようですが・・・。」

「えっ、あっ、はい。あの、あなたは・・・?」

「失礼しました。私はこういう者です。」

見てくれは刑事どころか警察官っぽくないこの男は堂々とした口調でその男に自身を紹介した。

「その箱の中身は白骨遺体、ですね?」

「何故それを、あっ、はい一応そうですが。」

「もし白骨遺体でしたら、刑事部の鑑識課の方々に見せる必要性がありますね。それから刑事部の捜査第一課強行犯係であなたを聴取しなければならない。お手間は取らせませんので、僕にお任せいただけませんか?」

男に有無を言わさず、『では、お持ちします。ご案内しますよ。』と男が持っていた段ボールをわざわざその若い刑事が持ち、上の階にある鑑識課まで案内する為にエレベーターを使わせてくれた。男はその刑事に親切だなと思う反面、どこからか漂う底知れなさに圧倒している気分だった。すると男は気になったのかその刑事に問いた。

「そう言えばあなたのお名前は何ですか?」

「あぁ、これも失礼しました。僕の名前は―――。」

そして、ここから10年前に発生した未解決事件の幕が再び開いた。――

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2019年1月10日午後8時頃。東京都のとある定食屋で客の男と男の妻と思しき割烹着姿の女将さんは店内に響く声で言った。

「凄いじゃない、健さん。本庁勤務だなんて、大出世じゃない!!」

刑事である末永健(すえながたける)の妻である末永洋子(すえながようこ)は昼飯を食べに来た健に対して声高らかに喜んだが、当の健本人は浮かない顔をしていた。

「良くないよ、だっていくら本庁勤務って言っても行く先がもう半分は資料課みたいな捜査部署でさ・・・。しかもノンキャリアの俺が年下の準キャリアの若僧のお守りだよ、今から気が重いって。」

「そうですよね、せっかく今まで頑張ってきたのに、若造のお守りなんて萎えますよね。」

「そうだよ、マジ勘弁・・・って、えっ!!」

当然のように隣にいた歳若い青年に声を掛けられた健はギョッとした表情で驚いた。

「あなた、い、何時(いつ)からいたんですか?そこに。」

「嫌だ、あなた、気付かなかったの?10分前からこのお客さん、あなたの隣にいたのよ。」

10分前からいるにも関わらずさっきまで存在感を感じ得なかったのは刑事として不覚と考えるべきだと健は思った。何故なら何時以下なる犯人が相手でも気配は感じておくのが刑事としての基本というか基礎なのに面目ないと思った。それともこの所、新宿署で溜まっていた残の処理に追われていたからなのか、気配を感じ取る余裕さえなくなったんだなと染み染み感じていた。

「ところで、あなたは・・・?。」

「失礼しました、自己紹介もせずにあなたの言葉に同調とかしちゃって。僕の名前は明神光(みょうじんひかる)、明治時代の明に神様の神に宇多田ヒカルの下の名前を漢字読みにして光(ひかる)と申します。以後、お見知り置きを。」

「はぁ~、ちなみにご職業は何ですか?」

「あなたと同じ警察官ですよ。」

「えっ、そうなんですか、偶然だな~。いや、明日から僕、本庁の刑事部に配属になるんですけど、未解決事件特別捜査班って未解決事件に従事する仕事になるんですけど、部署の経費とかだったり、予算とかだったりで僕含めても4名しかいない部署なんですよ。部屋も殺人とかを扱う捜査一課の隅ですし。上手くやってけるかな~。」

健は自然とその明神光という青年に自身の胸の内を打ち明けた。

「大丈夫じゃないですか?その分、若いあなたがその部署の力になってあげれば。」

「何言ってるんですか、俺なんか40手前のおっさんですよ、光君。あっ、ごめんなさい。初対面なのに馴れ馴れし過ぎでしたね。」

改まった態度の健を見て光は少し頬を緩めて『いえいえ、食事の席ですので気にしてませんよ。』と笑った。こんなにも物腰が柔らかい20代(予想)の青年は自分が今まで見てきた人物の中でごく稀だと健は感じていた。歌手の宇多田ヒカルを知ってるという事は平成世代かというのが大まかな健の勝手な推理だ。

「では、僕はこれで失礼します。ご馳走様でした。」

「えっ、もう帰るんですか?光君ともっとお話したかったんですけど・・・。」

「いえ、明日にもう一度会うかもしれませんので、その時はよろしくお願いします。」

『もう一度会うかもしれません』とはどういう事だろうか?彼自身も警察官だから何処かの部署で会う可能性があるということだろうか?そんな疑問がありつつも、愛妻が作ったご飯を健は美味しく口に運んだ。

「いい人そうね、あなた。しかもかなりのイケメンだし、女性にもかなりおモテになられそうな方ですし。」

「そうだな、でも・・・。」

「でも、何?」

「どこか影がある人だなって感じた。あんなに明るいのに、まるで何か重い過去を隠すように無理に笑ってる顔をしていた。」

「影?重い過去?私にはあまり感じなかったけど。」

「こういう仕事やってるからなのか、やたら人の裏の顔とかを疑っちゃうんだよな、俺。」

バチが悪そうな顔をした健を洋子は笑って受け答えた。

「でも、それが警察官(あなた)の仕事でしょ?別に悪いことじゃないわ。」

洋子にそう言われ、健は元気を取り戻したのかご飯と味噌汁のお代わりを注文した。

空きっ腹に洋子の作る手料理はお腹に効いた。すると買い出しに出てた看板娘らしき人が帰ってきた。夢川ひよりだ。

「洋子さん、買ってきましたよ。卵とネギと人形町名物の人形焼き♥。」

「おかえりなさい、ひよりちゃん。ありがとう。一緒に食べましょ?」

「それ、俺の分もある?」

「すいません、コレ、ウチら2人分しかありません。」

ひよりは天然なのか計算なのか分からない笑顔を健に向けた。

「コイツ・・・。」

「まあ、まあ。健さん、私のと分けましょ♥?」

「ありがとう、洋ちゃん♥」

二人のラブラブぶりにひよりは少し辟易とした苦笑いを浮かべた。

「よし、やるぞ。」

健は念願とも言える江戸時代で言うところの桜田門の前である警視庁本部の前に感慨深げに眺めて決心を固めた所だった。

「あの~、すいません、あなたもしかして末永健巡査部長ですかな?」

声の主は50の坂を過ぎてそうな中年男性だった。健は少々不思議に思いながらもその男性に返事をした。

「はい、本日付けで警視庁刑事部未解決事件特別捜査班に配属となりました、末永です。よろしくお願いします。」

「はい、未解決事件特別捜査班班長の正田蓮介です。末永【すえなが】くよろしくね。末永君。」

柔らかい笑みでジョークまで飛ばすとは物腰が柔らかいなと健は正田に感じた。

「まぁ、僕はほとんど事務作業一本で頑張ってるし、実質的に現場を指揮してるのはミョウジン君かな。」

「ミョウジン君とは誰の事ですか?」

「ああ、そうか。君はまだ会ってなかったな。えーと、確か彼のプロフィール写真が入った履歴書がこの鞄の中のファイルに・・・、あった、はいこれがミョウジン君。中々の男前でしょ?彼。」

それを見た健は絶句した。それは昨日、自身の妻である洋子が勤める定食屋で居合わせたあの明神光だからだ。――

2

光と本庁の特別捜査班ルームで再会した健は開口一番に不満をぶつけた。

「人が悪いですよ、何で最初から僕の上司になるって言ってくれなかったんですか?明神主任!!」

光と怒って詰め寄ってくる健を宥めながら、謝罪した。

「それは大変失礼しました。いや~、末永さん、履歴書見てくれてるものだと思ったので、円滑に話せそうな雰囲気も相まってウチの部署名を言うのをあの時、忘れてました。」

まだご立腹な健を正田は更に優しく窘めた。

「まぁ、まぁ、末永君。サプライズですよ、サプライズ。ウチに来るんだったら奥さんの職場まで行って驚かせてみようとかね、彼も中々お茶目なところ、あるでしょ?」

「何がサプライズですか?きちんと身分を名乗ってくださいよ。警察組織は完全なる縦社会で階級が物をいう弱肉強食の世界なんですよ。しかも、俺、明神主任の事知ってたら、『光君』なんて呼ばなかったのに・・・。」

「呼んでもいいですよ、あっ、プライベートではという話です。」

当然だよ!っと健は心の中で静かに毒付いた。すると光は話をそろそろ逸らしたいのか仕事の話に移った。

「先程、一課の人たちから我々にとある事件の再捜査命令が下りました。

正田班長、進めてもよろしいでしょうか?」

「またまた、明神君が持ってくる刑事事件の案件は殆ど明神君が主導でしょ?」

その正田からの問いに光は少々笑みを零した。そういえば、健は警視庁にいるOBのベテラン刑事から光に関する情報を教えてもらったことを思い出した。光は25歳の若さで警部補に昇進後、数々の未解決事件、通称:お宮入りの事件を解決してきた実績を持つことから「未解決専門捜査官の明神」という警視庁内外では伝説と化してる存在となっていた。そんな物思いに耽ける健を余所に光は事件概要を説明し始めた。――

3

「白骨遺体が10年越しに匿名で社員に送られたんですか?」

健はビックリした顔で光に聞いた。白骨遺体が発見されるケースは大抵が田園風景が豊かな山中などで地面に埋まっているが多いが、今回は匿名で被害者の知人に送られてくるのはあまり聞いた事が無い話だからである。

「しかもその白骨遺体は10年前に行方不明になって失踪人捜索届けが出されていた『八神コーポレーション会長失踪事件』の会長の八神覚氏だと当時秘書課に在籍し、現在は八神覚氏の息子である八神継氏の専務を務めている小林善三氏が証言しています。」

「『八神コーポレーション会長失踪事件』?そのヤマ(事件の意)って確か・・・。」

すると20代前半の若いデスクの婦警がノートPCを机に置きながら、素早く電子の捜査資料を起ち上げた。

「2019年現在から数えて約10年前の2009年7月未明に発生した事件です。当初は只の家出人捜索だったのが、マル害(被害者の意)の右手首と左足の付け根から足の先の部分がマル害の自宅付近に発見され、事件化され、特別捜査本部が設置されましたが、当のホシ(犯人の意)からは全くのコンタクトは無し。それから二週間過ぎても捜査に進展は見られず、捜査本部は打ち切られ被害者・加害者両者不明のまま、書類送検されました。」

右手首と左足の欠損がある写真を健は吐きそうな気分で見ているのに対し、理路整然と事務的に話す彼女に健は思わずポカーンとしてしまった。

「ああ、ごめんね末永くん。彼女は私と同じく事務仕事を担う南雲冴子君だ。何故か私以外には皆塩対応なんだよ、彼女は。」

塩対応か、確かにこのいけ好かない態度はどこぞの人気アイドルグループの元アイドルで今は女優をやっている島崎遥香みたいな娘かと健は納得した。

「それでその事件が10年の時を経て、再び動き始めたって事ですか?」

「そうです。だから今回は刑事部の捜査一課と鑑識課との合同捜査となります。」

ここから血肉と愛憎が入り乱れる白骨遺体送付事件が始まった。――

4

光からの捜査協力要請を受け、捜査一課は白骨遺体の第一発見者である小林善三氏の実家がある秋葉原の六本木北署に特別捜査本部が設置された。

一課からは山萩憲太郎巡査部長と高木隼人巡査長が光と健の応援要請として駆り立てられた。高木はやる気にみちあふれてている反面、山萩は若干眠たげな顔付きでこちらを睨んでいる。実はついさっき、五反田で発生した誘拐殺人事件を解決し終え、帰宅に入るはずだった矢先のこの事件である。

「大丈夫ですか?山萩先輩。大分お疲れみたいですが・・・。」

心配そうに聞く健は山萩の所轄時代の後輩であり、ぐったりしてもいいと言うが、当の本人は根っからのデカ(刑事の意)なのかすぐ反発した。

「馬鹿野郎、末永。俺たちの仕事は何時だって何処にいたって上司に命令されたら駆け付ける兵隊なんだよ。」

それを聞いて安心した光は山萩に【どうぞ、車内で使ってください。】と言い、嵐の櫻井翔さんがCMでやってる(めぐりズム)と栄養ドリンクである眠眠打破の一本を渡した。山萩も不敵な笑みで【これはどうも、明神警部補】と言い、二人ともさっさと覆面パトカーに乗り込んだ。二人を見てると、根っからの刑事なんだなと言うのがすぐ分かる。もう一方は所轄の頃から気心の知れている仲で,片やもう一方は会ってまだ数時間の若い男。この仕事をしていく中でこんなにも自分たちの仕事に誇りを持っている彼らは【プロフェッショナル】と言っても過言ではない。

光一行が向かったのは事件が発生したとされる六本木北署では無く、何と、事件関係者である小林善三氏の邸宅であった。事態が呑み込めていない健一人を除き、光、山萩、高木は確信を抱いている顔をしていた。その三人の隣に見知らぬ女性がいた。年の程は30代前半の、年配の男性からしたらまだ歳若い女性である。

「あの、聞きたい事が山ほどあるんですが、まず彼女はどなたですか?」

それを聞いた山萩はその女性の身分を紹介した。

「知らねーのか?この方は佐々木彩花警部。鑑識課に在籍する検視官だ。」

健の存在に気付いた彩花は改めて彼に自身を紹介をした。

「初めまして、警視庁刑事部鑑識課に在籍してます佐々木です。よろしくお願いします。」

ハッとなった健は自身も彩花に自己紹介をした。

「こちらこそ初めまして、本日付で警視庁刑事部未解決事件特別捜査班に配属となりました、末永健です。階級はあなたより二個下の巡査部長です。よろしくお願いします。」

痺れを切らしたのか山萩は光に早く指示を出すよう、目配せをした。

「それじゃあ、行きましょうか。」

光のその合図で四人は小林善三氏の邸宅のインターフォンを押し、彼の返事を確認した後、ドアを開け、自宅に足を踏み入れた。

「事件の真犯人が分かったって本当ですか?刑事さん。」

小林は今にも知りたげな顔で光を見た。すると光の顔は彼が以前に見た穏やかな顔付きとは程遠いほど険しく、重々しく口を開いた。

「はい、今回の事件のその犯人は今、僕の目の前にいます。」

「えっ?」

「小林善三さん、あなたが犯人ですね?」

小林は光の放った言葉にしばらく放心したが、やがて気を取り戻し質問した。

「はっ?一体何を言ってるんですか?私は・・・。」

「解離性人格障害。」

「えっ。」

「貴方は十数年前から都内の大学病院の精神科で診断されていますよね?」

「・・・・・・。」

「我々は貴方の過去と現在を徹底的に洗いました。小林善三、54歳。八神コーポレーション入社当時は44歳。最初の配属先は秘書課でしたね?」

生い立ちから質問するのはどの刑事も同じであるが、小林が光に思ったのはそのどれも違う『確信』を抱いての質問だ。だが、ここで聴取から逃げるのは却って心証(被疑者に対する捜査官の印象の意)を悪くする為、敢えて答えた。

「はい、よく言う中途採用ですが、それが何か?」

「いえ、その三年前にあなたの弟さんが自殺なさってますよね?飛び降りで。」

「いや、それは・・・。」

小林の中に十三年前の弟の死の記憶が脳内に逡巡した。――

『来ないでくれ!!善三兄さん!!!』

とある三階建てビルの屋上で小林善三の弟である小林四蔵は兄である善三に叫んだ。四兄弟の中で二人は特に仲が良く、上の二人が海外に飛んで事業を拡大して、成功を収めた革新派なのに対して、三男と四男である善三と四蔵は日本に残り、下請けの会社でコツコツと頑張ってきた堅実派である。勿論、上の二人の様にやがては海外で独立して二人で起業を起こす計画でいたが、四蔵が当時勤めていた八神コーポレーションは運悪く、当時から流行った例の言葉で【ブラック企業】であったのだ。そこは穏健派だった前会長の八神樹の事実上の後継者で長男でもある八神覚が若干52歳の若さで会長に就任した事によりそれまで穏やか且つ急成長中だった八神コーポレーションの地盤が歪んだ瞬間だった。八神覚は飛んだバカ息子であり、無能な社員にばかり高給を与え、裏金や帳簿の改竄など悪どいやり方は枚挙に遑がない程だった。四蔵がどうして彼に絡んだかと言うと、四蔵には八神コーポレーションで秘書課のOLである上杉孝子という女性と婚約関係にあった。しかし、クズ会長と噂され、現に複数の女性社員を売春して囲っていた八神覚は案の定、孝子にも手を出し、人影の見えない場所でレイプをし、望まぬ妊娠をしてしまったのだ。四蔵はそれでも自分達に子供がいるならそれでもいいと彼女に言った。しかし、孝子はその二日後に四蔵が飛び降りようとしている三階建てのビルの屋上に両靴と遺書を残し、転落自殺を果たしたのだ。――

『バカヤロウ、孝子さんがお前にこんな事、望んでいるわけねーだろ?』

『善三兄さんは兄弟の中で早く結婚しているから分からないかもしれないけど、彼女は俺にとってたった一人、愛した女性だ。』

そう、四蔵には勉強も、スポーツも、そして仕事さえも何もかも兄達には叶わない中で、たった一つ、叶った掛け替えの無い願いだ。

『また見つければいいだろう!お前にとってもう一人の愛する誰かを。』

『もういないよ、そんな人は・・・。』

そう言うと四蔵は飛び降りる体勢に入っていた。すかさず、小林は四蔵の右手を掴んだ。そして、涙目で彼に訴えた。

『生きてくれ、頼む、四蔵・・・。』

『善三兄さん、あの世で待ってる。』

四蔵は左ポケットに隠し持っていたサバイバルナイフで小林の両手首を切り、無理に離させ後頭部から真っ逆さまに落下した。――。その後、警察の捜査により四蔵の死は婚約者の自殺を苦にした後追い自殺と判断され、早々に幕が降りた。

四蔵の告別式には八神コーポレーション社員一同が集まっていた。そして、四蔵と彼の婚約者である孝子の自殺の首謀者である八神覚が息子である継と共にのうのうとした面構えで参列していた。その瞬間、小林の心の中には【殺意】という名の感情がヒシヒシと湧き出ていた。それと同時に自分の中にもう一つの人格が目を覚ました時でもあった。彼の名は善とは対極の存在である(悪三【あくぞう】)であった――。

その後、小林善三の身体は度々、悪三に乗っ取られていた。悪三は温厚で人望も厚い小林善三とは正に真逆な性格であり頭も善三以上に切れ、平然と嘘と欺瞞を述べ、気に入らない人間は蹴落とすのも厭わない冷酷な人格であるが、体の主人格である善三と亡くなった四蔵は家族と慕っており、だからこそ、彼らを慕う彼は三年後に八神コーポレーションに就職し、秘書課で実績を上げ、悪三の体でいる瞬間、善三の人格は眠っており、着実に八神親子を壊滅させる算段を立てていた。

事件当日のその日。八神覚の運転手は悪三により睡眠薬入りの健康ドリンクを飲ませられ、気を失い体調不良の為、病欠という事になった彼の代わりに悪三は自ら、運転手を名乗り出た。

『ところで、君、入社してどれぐらい経つのかね?』

『はい、三ヶ月になります、会長。』

『そうかそうか。いや~、君が来てからウチの業績は右肩上がりなんだよ、とは言っても前から業績は良かったんだけどね~。ハハハハハ。』

八神は小林悪三及び善三の事を四蔵の葬儀の告別式で会っていたのをすっかり忘れていた。悪三は笑みを浮かべ、上機嫌な八神の会話に合わせた。目の奥は死んだ魚にしながら――。

目を覚ますと、八神は見た事も無い山小屋で両手足を椅子で縛られた状態だった。すると思い出したのである、小一時間前に善三の身体を乗っ取った悪三が突然見知らぬ山林に自身を車から降ろし、後ろの首筋にスタンガンを打ち込んだのである。

『お目覚めですか?八神会長。』

『んんー、んーんー。んーーーー。』

何を言ってるのか分からないからか、悪三は八神の口に装着させてある猿轡(さるぐつわ)を取り外し、喋らせた。

『貴様、どういうつもりだ!!私をこんな目に遭わせて、タダで済むと思うなよ。絶対にムショ(刑務所の意)にぶち込ませて、私の顧問弁護士に頼んで何年も・・・。』

バーーーーン。

悪三はスーツの懐に隠し持っていたチャカ(拳銃の意)で右足の付け根を狙い撃った。

『あっ、あっ、あーーー。痛い、痛い、痛いよーーーーー。パパーー。助けてーーー。』

『ゴチャゴチャうるせーよ、この人殺しが。テメーこそ自分の立場と状況、よく見て言いやがれ。』

『わ、分かった。なっ、頼む。金なら幾らでも積む。だから命だけは、命だけは助けてくれ。』

『そういう助けを求める、心からの叫びを、アイツは出来なかったんだよ。』

『アイツ?』

まだ思い出せないのか、悪三は四蔵の写真を見せた。

『か、彼は?』

『小林四蔵、俺の、いや、俺たちの弟だ。』『俺たちって君、兄弟は?』

『その俺たちじゃねーよ。俺のもう一人の人格である小林善三だよ。』

『えっ、だって君は。じゃあ、誰?』

『無駄話はここまでだ。では、解体、始めま~す。』

そう半笑いで悪三は電動チェーンソーの電源を入れ、恐る恐る八神の片手、片足を切り刻む為、近付けさせた。

『やめろ、やめてくれ、やめて・・・。』

『安心しろ、じっくりいたぶってから殺してやるからよ。』

『やめてくれ、あーーーーーーーー。』

八神の断末魔とも言うべき叫びが山林に広く響いたものの、聞く者は動物のみであった。――

「これが私達の捜査結果です。」

光は小林に警視庁のデータベースで掻き集めた情報が入った書類を見せた。そこには十年前の技術ではハッキリしなかった画像解析の痕跡であった。科捜研で調べた結果、そこに映っていたのはスーツ姿をした小林善三、その人であった。すると、小林は光に向かって質問を投げかけた。

「刑事さんは何時から気が付いていたんですか?私が解離性人格障害だという事を・・・。」

「利き手です。」

「利き手?」

「最初に会った時、私はあなたから右手側に寄ってから白骨遺体の入った段ボールを受け取りました。すると左手側からあなたは手を離した。その後も右手で応接間でコーヒーのカップを取っていたものの、私が少し目を離した隙に利き腕で無いはずの左手でコーヒーを飲んでいた。応接間に設置されていた防犯カメラの映像で確認済みです。」

「たったそれだけで?」

「いえ、最初に来た時にあなたの目線は最初は挙動不審だったのに対し、私と会った瞬間に落ち着きを取り戻すように堂々とした振る舞いを見せた。あれは何故ですか?」

「・・・・。」

「小林さん。」

「・・・ったく、油断出来ねーデカ(刑事の意)だな。テメーは。」

何と、善三の身体は悪三に乗っ取られ、サバイバルナイフで光に斬りかかろうとした瞬間、健は鮮やかな回し蹴りで悪三の腹部を迎撃し、転げ落ちた悪三の左腕からナイフを剥がせ、後ろに組み伏せてからワッパ(手錠の意)を掛けた。

「離せ、テメー。許さねー、俺の復讐を止めやがって!!八神はな親父だけじゃねー、何時か、ヤツの倅(せがれ)も後追いに殺してやるよ。ハハハハハ。」

「哀れな・・・。」

光と健、その他一同は小林悪三に対し、呆れと恐怖、そして戦慄を覚えた。これからも小林善三は己の中のもう一つの人格と生きていくことになるだろう、そう思った。

その後、小林善三は取り調べに素直に応じ、一連の事件の犯行を自供した。悪三の意志もあったのだろうが、八神を親子共々恨んでいたのは主人格である自身であると供述した。そして、ごく稀に悪三の顔も山萩たちには見せたものの、取り調べ室では善三同様、落ち着いた様子で大人しかったのである。

しかし、彼はこうも吐き捨てた。【俺達は二人で一人。同じ思考を持ち、同じ人間に殺意が湧く。今回は失敗したが、いずれは八神のバカ息子、そして、俺をパクった刑事にも復讐の鉄槌を下す。】っと――。

本庁の休憩ルームで今回の事件と関連のある『24人のビリー・ミリガン』というダニエル・キイスの著書本を読んでいた光はジュースを買いに来た健に気が付き、今回の事件の礼を述べた。

「助けてくれて、ありがとうございました。末永さん。」

健は屈託のない笑顔で礼を言う光に照れ臭かったからか視線をずらした。

「いえ、仕事ですし、それにあの状況だと突発的に体が動いてしまいまして・・・。」

「もしかして・・・。」

「? 何ですか?」

「チビってました?(笑)」

「ぶん殴りますよ、明神主任。」

チビり発言に少しカッとなった健は光に対して、握り拳を見せた。

「冗談ですよ、末永さん。」

そう言い合いながら光と健は笑いに包まれていた。しかし、健は光に対してある負い目があった。――

『末永健巡査部長。明日付で警視庁刑事部未解決事件特別捜査班への異動を命じる。』

薄暗い捜査会議室を警視庁の旭日章が写ったプロジェクターをバックに重々しい雰囲気で警察上層部の幹部は健にそう告げた。そして、それに伴い彼にある【極秘ミッション】を課した。

『そこに配属する明神光警部補。彼を監視し随時、我々に報告して欲しい。』

『報告とはどのようなことでしょうか?』

『身内、すなわち警察関係者が関わった未解決事件だ。』

警察にとって何より身内の事件は慎重に扱わなければならない。それは健にも十分すぎるほど組織としての理論として理解出来る。だが、上層部の其れはそのどれも当てはまらない程の桁が違う次元の熱量だった。

『とは言え、こちらは彼がその様な件(くだん)を調べなければ妨害などという野蛮な行為は行わない。それに彼は名門警察一家の出だ。こちらも迂闊に内偵調査は出来ない。そこで君の出番という訳だ。』

『私がですか?』

『そうだ。彼の相棒として君は、警察にとって不利益な真実を探ろうとしている明神警部補の監視役を頼みたい。いくら彼といえども何時までも単独捜査などさせるつもりは無いからな。』

(要するに俺はトカゲのしっぽ切りって訳か、必要と無くなったらお役御免で切り捨てられる。)

健はこの様な命令も唾を飲み込んで、首を縦に振って了承した。自分には妻がいる。生活していくには何時までも所轄の刑事ばかりとも行かない。

「飲みに行きませんか?末永さん。末永さんの歓迎会として。」

光にそう明るく言われ、健は快く答えた。

「あぁ、いいですね!飲み会。じゃあ、ウチでも大丈夫ですか?」

「えっ、良いんですか?『洋ちゃん家』でも。」

「はい。ウチ、定食屋の他にも居酒屋としても利用してくださるリピーターがいるのでどうですか?」

「いいですね。じゃあ、彩花さんも呼んだ方がいいかな?」

「はい、えっ、彩花さん?彩花さんって佐々木彩花警部ですか?」

「そうですよ。それ以外にいますか?」

「いや、いないんですけど、明神警部補と佐々木警部ってどういうご関係なんですか?」

「恋人です。交際してもう八年になりますが。同棲もしてます。」

明神警部補、彼女いたんだ、という失礼な事を思ったが、確かに二人とも美男美女だなと並んで見てても分かった。

「じゃあ、行きましょうか?健さん。」

「はい。光君。」

その日から警視庁刑事部未解決事件特別捜査班に新しい戦力が加わった。一見すると頼りにならない戦力ではあるが、彼が加わった事により、チームは驚くほど向上していく事になることをこの時は誰も予想してはいなかった。――

5

白骨遺体送付事件解決から二週間後。また新たな事件が発生された。

それは『洋ちゃん家』の常連のお客さんの知り合いで町内会長の灘川歩氏が謎の不審死を遂げた変死事件だ。何故か『洋ちゃん家』の常連になっていた光と彩花のカップルが洋子からの直々の依頼として引き受けた次第となったのである。

「洋子、何であの二人にこんな事件を?」

「だって~、この間の事件もあなたが言うように電光石火で解決したんでしょう?だったら2人に頼んだ方が得策でしょ?それに光さんの彼女の彩花さんもできる限りの事は協力するって約束してくれたし♥。」

そうは言ってもこの事件の捜査に当たるにつれ、一つクリアしなければならない疑問点があった。

「とは言っても、俺が所属している部署は事件が未解決事件という過去に起きた事件と関連性のある事件しか捜査が出来ないんだ。」

「その点だけど、この変死事件の被害者である灘川さん、彼の親戚で甥っ子の大道庄助くん、当時22歳が五年前に謎の変死事件に遭っているのよ。それも今回の灘川さんと同じ死に方って私、刑事じゃないからわからないけど、偶然と言って片付けるには些か疑問なのよ。」

確かに五年前に灘川の甥っ子である庄助が謎の死を遂げて、叔父である灘川が甥っ子と同じ死を遂げるのは洋子の言う通り偶然と片付けるのには些か不可解である。健は重い腰を上げ、捜査に取り掛かることを決心した。――

洋子の依頼で今回起きた町内会長の変死事件と五年前の町内会長甥の変死事件の捜査に当たる事になった未解決事件特別捜査班はまず、事件の概要をホワイトボードに書き留めてみた。デスクの南雲が事件の概要を説明した。

「まず、五年前に起きた灘川歩氏の甥っ子である庄助くんの変死事件。これは当時22歳だった庄助くんが自宅の自室で練炭を撒きながら死んでいるのを帰宅した彼の母親が発見、すぐに救急車を呼んだものの、意識不明の重体に陥り、合えなく死亡しました。」

「そして、今回も同じく本人の自宅、同じ死因で練炭が使われていた。だとしたら、練炭自殺という線なんじゃあないの?」

正田は率直な疑問を南雲に伝えた。

「はい、行政解剖の結果でも両者とも練炭による自殺だと結論づけられています、ただ・・・。」

「ただ・・・、何?」

「はい、二人とも首周りに締められたような痕が残っていました。」

「締められた痕?」

一同が捜査資料に目を移すと確かに歩と庄助には首に締められた痕が残っていた。すると健はある言葉を出した。

「もしかして、縊死(いし)?」

一般的に言う縊死とは首吊りの痕が残っている殺害又は自殺で、今回の事件の場合、練炭で自殺するなら縊死する必要も無いし、縊死をした状態でも無い。だとするなら何者かに首を気絶させるまで締めた後に、部屋に閉じ込め練炭で殺害したという仮説が立てる訳だ。当時、事件を調べた担当刑事の名前は杉坂武雄、52歳。階級は今の光と同じ警部補で、所轄の係長としてこの事件の陣頭指揮を執っていた人物であるが、つい最近に一身上の都合で依願退職し、現在は元々取得してあった教員資格から工業高校の教員になった人である。

「この事件を調べた記者は?」

光が南雲に聞くと彼女は無言で5年前と現在の週刊誌のこの事件のページを見せた。するとそこにあった名前は【影澤優里奈】という女性フリージャーナリストの名前であった。――

影澤優里奈への協力を求める事を決めた光と健は、彼女が個人経営しているジャーナル事務所を訪ねた。

「何か、ひっそり仕事してますって雰囲気の事務所ですね、明神主任。」

「まぁ、敷居も高くないし、むしろウェルカムって感じですしね。」

二人はその事務所をハッキリした皮肉で言わず遠回しに入りやすいと話し合った。

事務所に入り、最初に受け付けで応対してくれたのは見てくれは60は過ぎていそうな事務員だった。米さんと言うらしいがフルネームまでは光と健には明かしていない。

「先生は只今、取材中ですのでお戻りは夕方の五時辺りになるかと思います。」

「その先生の取材先とかは?」

健にそう聞かれ、米さんはしどろもどろに答えた。

「はぁ・・・、一応わたしも事務員ですので、守秘義務というものが・・・。」

「では、コレでどうでしょうか?」

光が米さんの手に掴ませたのは100万円程の札束だった。

「あとついでに彼女についての情報も一つ。」

「はい、先生の現在の取材先は江東区のホテルで政治家の愛人スキャンダルを抑えるために三日ほど事務所を空けてます。あと、先生は年齢はおそらく20代前半だと思われますが、ハッキリした年までは事務員であるわたしでも把握しておりません。」

米さんが話終わると光は笑顔で彼に応じた。

「貴重な情報、ありがとうございました。」

光は米さんに向けて慇懃に礼を述べて事務所を健と共に去った。

「それにしても、わざわざ主任が捜査費用という名の賄賂(ワイロ)を渡すとは思いもしませんでした。」

それもそうである。いくら相手が守秘義務にうるさい事務員だとしても金で買収するというのは刑事としては些か問題である。

「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。捜査費用ですよ、捜査費用。何せ自費ですから。後できちんと領収書、書いといてください。あと、当て書きは上様ではダメですからね?」

上様とは警察上層部を指しているが、書いたら大問題というのは健にだって分かっている。それに光は警察一家の出で財力も申し分ないほどあり、おまけに婚約者もいる。男から見たら嫉妬と羨望が生まれるが、彼の人柄故なのか、あまりそうは感じられない。

「にしても、20代前半?な女性フリージャーナリストってあんま、想像つかないですよね。」

光がそう聞くと健はそうですねと続けて以下の事を言った。

「そうですね、意外と年増で美魔女だったりして。」

健の含み笑いを無視して光は窓の外の川沿いを遠い目で眺めた。――

江東区にあるホテルの3階スイートルームに待機している影澤優里奈の表情は恐ろしいほど険しく一眼レフカメラを持ち構えていた。【全く、向こうも油断や隙のある盛り切ったオスだっていうのに全く尻尾を見せないわね。】と心の中で毒づいた。

すると例の不倫議員が20代の如何(いか)にもな風貌の愛人と密会し、あろう事か公衆の面前でキスする決定的な瞬間(ばめん)を捉えた。すかさず影澤は一眼レフカメラで連射撮影を済ませた。これであの男は明日のニュースで矢面に立つ羽目になる。そうほくそ笑んでいると、部屋の外からノックの音がし、窓の覗き穴を見て、何やら警察が若いのとおっさんの二人、手帳を見せている姿を確認した。光と健だ。影澤は静かにスイートルームのドアを開けた。

「何か?警察の方が一介のフリージャーナリストに何か御用でしょうか?」

影澤の態度はやけに此方の了見を見越しての質問だった。

「その一介のフリージャーナリストが個人事務所を立ち上げて、事務員も雇っている姿をお見かけしますと、かなりのやり手だと察しましたので、お邪魔でしたか?取材の。」

光の嫌味な切り返し方に癇に障ったのか、部屋の奥に入れという無言の圧で光と健を交互に目配せをした。光と健はなかなか物分りがいい彼女の対応に感服した。

「それで?私に聞きたい事と仰るのはどのような件ですか?」

光は無言で週刊誌で影澤の書いた記事のページを本人にみせた。

「この記事を書いたのはあなたですね?」

「はい、それが何か?」

「事件、事故、スキャンダルとなんでもこざれなあなたが何故この記事は4ページにも及ばせているんですか?」

質問の意図が読めず遠回し的な質問をする光に対し、影澤は不躾に答えた。

「自分の扱う記事だったら例え4ページ長くても読者には熱量が伝わるでしょ?」

「しかし、新聞記事ですとこのようなヤマはたった数行の三面記事止まりですよね?そのような記事でもあなたは事件性を嗅ぎ取った。そう解釈してもよろしいですね?」

「あなた、まだ若いのに目の付け所が他の刑事さんと違いますね。確かに、私のこの記事を出す時事務所の事務員である米さんに一回原稿を見せました。米さんは記事にするなら慎重に扱ったほうが良いと忠告しました。」

「その米さんとはどのような方ですか?」

それまで黙って聞いていた健が口を開くと彼女はこう答えた。

「私の帝都新聞社社会部の先輩です。私が貯めた資金で個人事務所を立ち上げる際に経理関係の事務仕事が私よりも得意なためか自分から立候補したんです。」

立候補したか、にしてはそうは見えない何かを彼から感じたのは自分だけかと健は思った。金を渡されてペラペラと雇い主の個人情報を教える米さんという人物はあくまでも中立的な立場という事か。それを気にするまでもなく光は影澤に本題を突き付けた。

「我々にもそのヤマの機密情報を教えて頂けませんか?」

「っと、仰いますと?」

「影澤さんは既にご存知なんですよね?この事件の全貌がどのようなものなのかを。」

「どれほどくれますか?」

お金の話をしてるのかと健は思ったが、光はスーツの裏側から1枚の文書の用紙を出した。それは二課(捜査二課の意)が極秘で追っている例の不倫疑惑のある議員の収賄事件の機密情報だ。

「【情報は金や権力より強し】というのがあなたのモットーですしね、影澤女史?」

「流石、物分りがよろしいですね明神刑事は。」

その気迫にも似た何かを二人から感じ取った健は底知れない何かをも同時に感じ取っていた。そして、影澤は光から貰った機密情報と引き換えに灘川連続不審死事件の不審点を話し始めた。

「いやー、そこら辺の情報屋よりも使えますね~、フリージャーナリストって。」

健は飄々とした口調で運転しているのを余所に光は黙々と影沢の取材レポートを読み漁った。するとある文章に目を止めた。次の瞬間、光は健に行先の指示を出した。

「東京都麻布十番の繁華街に行ってください。早く。」

「はっ、はい。何かわかったんですね?明神主任。」

「えぇ、あの影澤っていう一流のフリージャーナリストに感謝しないといけませんね。」

繁華街とは名ばかりの寂れた商店の連なりのその街に来た光と健は真っ直ぐ行った先にある左手前の薬局と酒場のあいだの通路を通った。すると向かいには寂れたビルの出入口のドアが一つあった。すると光は健に目配せをした。健は何を言いたいのか分からなかったが、ピッキング、要は不法侵入しろという事だった。

「不味(まず)いですよ、令状も無しにそんな事・・・。」

「一刻を争う事態なんです。お願いします、末永さん。」

光と健の両者は手袋を着用し、光がスーツの胸元に隠し持ったピッキング用具を健に差し出した。

「中に誰かいて捕まったら、光君、責任取ってもらいますよ。」

「責任は一緒に取りましょうよ、健さん。」

勝手に言ってろよっと健は心の中で毒づきながらも手際良くピッキングを完了させた。

「所轄の刑事課の盗犯係にいた時に凄腕の空き巣にピッキングを教えてもらった事を何で明神主任は何故ご存知だったんですか?」

「一応、私の部下になる人ですから、個人情報はきちんと確認しております。」

彼(光)の個人情報を確認してなかった自分は刑事としてよりも警察官として失格って事かよと思いながら、玄関の奥に2人は入っていった。

室内は冬にしてはだいぶ熱く感じる程のエアコンの調節だった。凄くベタに感じるとすればこの室内の奥から犯人らしき人物が出てきて、自分達を刃物か、銃で襲ってくるのではないかという最近の刑事ドラマでもあまり見られない展開があるのでは無いかと健は思ったが、案の定それらしき人影が奥から出てきた。すると、その人物の顔を見た健は驚いた表情をした。

「あ、あなたは・・・。」

そう、今回の灘川連続不審死事件のホンボシ(真犯人の意)は、担当刑事である杉坂武雄であったのだ。――

信じられない光景を見てるのかと健は思ったが、光はそのような素振りは一切無く杉坂を問い質した。

「貴方が、灘川氏両名を殺害した犯人ですか?杉坂元警部補。」

杉坂は否定する素振りすらなく【そうだ】と光と健に返した。

「俺が灘川の叔父と甥を殺害した。」

健は少し萎縮しながらも光と同様に語気を強めに杉坂を問い詰めた。

「動機は、何ですか?」

「土地買収の件だよ。」

「土地買収?それって例の不倫疑惑がある議員が関わっている五反田の一等地の再開発に関する件ですか?」

不倫疑惑のある議員は影澤が調査中であった取材対象の人物なのにまさかこの人が関わっていたとはと健は内心、驚きを隠せなかった。

「あぁ、俺は灘川歩が五反田の一等地の再開発を関わっている事を本庁で勤務している捜査二課の同期から聞いて初めて知った。灘川は以前から選挙違反や汚職、果てはインサイダー取引まで手を出していた悪徳町内会長だったからな。奴は政治屋(せいじや)共の御意見番だった訳だ!!甥の庄助も小遣い欲しさにその案件を半グレ集団と徒党を組んで犯行に及んでいた!!今思い返せば腸が煮えくり返る思いだったよ・・・。」

杉坂は自分の中に眠っていた獣を解き放つかのような声を高らかに光と健の二人に向けた。

「殺害方法に練炭が使われていましたが、何故、縊死に至る寸前にまでに首を絞めてから灘川歩と灘川庄助を密室に閉じこめ、殺したんですか?」

すると杉坂は息を少し吐き、光の質問に答えた。

「理由は簡単だ。俺【達】が背負わされた地獄をアイツらにも味合わせる為だ。」

「俺【達】?」

健は杉坂と誰の事を言ってるのかはピンと来なかったが、光は思い当たる節があったのか、聞いてみた。

「奥様の君江さん、ですね?」

「あぁ、俺の妻はあの再開発の暴動に巻き込まれて、突き飛ばされた挙句に交通事故で亡くなった。」

健は急いで影澤のレポートを見てみると杉坂の奥さんに関する事故死も書かれていた。

「今回の事件は奥様の復讐の動機ですか?」

「それだけじゃあ、無い。」

杉坂のこの次の言葉は2人の想像を遥かに超える、灘川両名への深い遺恨であった。

「奴らは俺の父にまで毒牙を向けていたんだ。」

杉坂が言うには灘川歩が政治家時代に杉 坂の父は彼の秘書官を勤めていたのだ。杉坂の父は秘書として非常に優秀であり、周りの評判も上々であったのだ。しかし、ある談合事件の汚名を着せられ、苦痛に耐えきれなくなった杉坂の父は首吊り自殺で死去した。実はこの談合事件の黒幕は灘川歩であり、彼の差し金で雇われた殺し屋により自殺に見せ掛けた偽装工作により殺害されたのだ。

「そして、父の代から秘書官に鞍替えしたこの男が全部吐いてくれたよ。」

杉坂はそう言うと、拷問した後であろう謎の男を髪の毛を掴んで光と健の前に連れてきた。

「こいつの名前は矢沢賢治、54歳。父亡き後に灘川の秘書官となり、灘川の退官後も甘い汁を吸い続けてきた俗物だよ。」

すると光は影澤から渡されたレポートの写真を杉坂に見せた。

「その男は例の不倫疑惑のある衆議院議員の羽柴弥太郎氏の秘書で先程までホテルで彼と一緒にいた人物ですね。」

「そうだ、お前たちがフリージャーナリストの女と話し合ってる間に俺がスタンガンで気絶させてココで拷問を加えていたんだ。」

杉坂のその発言は恐ろしい程の復讐心が垣間見えるかの様に嬉々としたものだった。対する光はそれとは真逆に理路整然と話を続けた。すると杉坂にとって衝撃的な言葉を放った。

「その人はあの談合事件とは一切関係ありませんよ。」

杉坂は光が何を言ったのか分からず聞き返した。

「今なんて言った?コイツがあの談合事件に関わっていないだって。そんな筈は無い!!現にコイツは・・・。」

すると光は例のレポートの写しを杉坂に見せるように彼の手前に捨てた。杉坂はそれを拾って見てみるとそこに信じられない事実が載ってあるかのように驚き、光を見た。

「お前、コレって・・・。」

「それが貴方が関係している談合事件の真実です。」

確固たる意思を表した光の眼光を前に杉坂は膝を地面に強く、打ち付けた。

光が杉坂に見せた影澤のレポートは以下の一文だった。

【灘川歩氏は談合事件の主犯である。しかし、矢沢賢治氏は本件とは一切無関係である。彼はその日、灘川が談合事件の犯行に及んでいた際、居酒屋で酒をかっくらっていて泥酔状態であり彼の犯行を認知していなかった。】事実、同封してあるのは談合事件の犯行時刻である午後10時、影澤がデジカメで撮って映っていた男は矢沢賢治だった――。

光と健に連行された杉坂が一連の犯行を素直に供述し、事件は終結を迎えた。後日、光は『洋ちゃん家』に呼び、事件解決の報告とお礼を影澤にした。

「今回、あなたのお陰でこの事件を解決出来ました。ですから、何か奢りましょう。」

「奢りならワイン一本出すのが筋でしょ?」

影沢のその一言ともに洋子は一寸の隙もなく高級ワインであるシャトーブリアン一本を差し出した。

「これはあなたの自費?」

影澤は皮肉を一部混じえながら怪訝そうに聞いた。

「はい、影澤さんのワイン好きはヨネさんにリサーチ済みなので。」

光はクールに笑みを浮かべ、とある話を切りあげた。

「影澤さんに相談したい事件があります、あなたとも関係がある【未解決事件】だ。」

怪訝そうな顔をしながらも影澤は【それで?】と話しの続きを催促した。――

6

事件の風化はどの部署も下げてはならないと躍起になっている。平成も残り僅かで元号は今の所、全く決まっていない。だから今年中に解決しなければならない凶悪犯罪は警視庁本部には山の如くある。当然、未解決事件特別捜査班にも幾重にも連なる10年以上の捜査資料が運ばれてくる。これを何時も平然とした顔でまとめていた正田班長と南雲さんは凄いなと健は感心しきりだった。光も本人が持つ完全記憶能力と呼ばれる素晴らしい頭脳で丸1日は掛かりそうな仕事をたった数時間で終わらせる、ある意味【努力の天才】だなと改めて実感していた。しかし、健には上層部から密命が下っている。それは光の常軌を逸するほどの未解決事件捜査の監視役だ。少なくともここ3ヶ月で彼と共に解決した未解決事件の事案は軽く10件以上は越えている気がする。それにしては睡魔に襲われないのかと健が突っ込みたくなるほど光はピンピンに事件の捜査に精進している。

「思ったのですが、明神主任は何時に寝てるんですか?寝不足とかじゃないですよね、その血色の良い顔付きは。」

それが健の些細な疑問だった。先輩警察官で、年上の恋人で、婚約者でもある彩花と半同棲をしている割には生活感と呼ばれる雰囲気が光には感じられない。その割には肌ツヤも良く、とても20代後半の成人男性の肌では無いからだ。

「まぁ、何時もだいたい11時一寸には寝ますよ。この仕事してれば長丁場でゆっくり眠りにつけませんし・・・。」

何だ、案外普通なんだなと健はガッカリ感みたいなのを感じた。もうすぐアラフォーの自分としては肌の清潔感は欠かせないと妻である洋子の為にスキンケアは朝起きた時と夜寝る前にはお手入れをしている。まぁ、彼の場合そんな事を毎日しなくても化学用な肌で童顔な為か40の坂を登ろうとしているこの時期でさえ、童顔で目下の女子高生からはタメだと思われている。

「こういう顔ってモテるっていうメリットがあるけど、上の人からも下の人からも舐められるっていうデメリットがあるんですよね。」

健がそう言うと光と正田はぽかんとした顔で眺めた。それと同時に空気は凍りついた。

自分のせいで凍りついた空気を何とか軌道修正しようとしたいのか健は話題を別の方向に移した。

「そう言えば、今日は再捜査の案件がほとんどありませんよね?基本は捜査資料のデータ入力がメイン作業なんですか?」

「まぁ、例え未解決事件の再捜査が無くとも地道にこういうデスクワークをしていくのも我々未解決事件特別捜査班の仕事だからね、もしかして末永君は現場でバリバリ働きたいタイプなのかな?」

その正田の問いに健は【別にそんな事は言ってませんよ。】とはぐらかしながら昼食の時間になったのでそそくさと部屋を出ていった。――

健はここの所、自宅に帰ってこない。洋子は不安になり、光の年上の彼女である彩花に電話をし、相談に乗ってもらった。

「彩花さんは、彼氏である光さんが浮気してると知ったら、どうしますか?」

「えっ?」

(洋ちゃん家)で食事を取っていた彩花は洋子にそう質問されると自信ありげに答えた。

「確証があったら100パー問い詰めた後にぶん殴るわね、私なら。」

「フフ、乱暴です事・・・。」

洋子は微笑みながらお茶を啜った。

一方、洋子と彩花の話の当人である健はビジネスホテルに泊まっていた。理由は至ってシンプルである。この『男』のせいである。

「あの、明神主任。何で男二人でビジネスホテルの、しかも部屋が同じにならなきゃいけないんですか?」

「良いじゃないですか、不倫してる訳じゃないんですから。」

男同士の不倫なんてどこに需要があんだよと健は心中毒を吐きながら、話題を振った。

「俺に話があるんですよね?主任。」

そう健が言うと、光は不敵な笑みでこう切り出した。

「そろそろ末永巡査部長にも大事な話を教える日が来たからここに呼んだ次第です。」

「その話って・・・。」

「俺が貴方を未解決事件特別捜査班メンバーに指名した本当の二つの理由です。」

【本当の二つの理由】?健は疑問に思いながらも光からその話を真剣な眼差しで聞き始めた。 ――

光は非番のある日、警学(警察学校)時代の恩師である馳教官の命日の為に彼が眠るお墓参りに来ていた。馳教官は光が警察学校在学時に警察官としてのイロハを叩き込んだ鬼軍曹のような人物だった。それと同時に家庭に居場所が無かった光を周りの生徒の同期達と共に彼の自宅に招き入れられていた。馳教官は校内では扱き(しごき)に次ぐ扱きを行うが、一度校内を離れれば父親のように彼らを息子、娘同然に愛した。かなりの老齢だがそれでも筋骨隆々とした身体付きと紳士的な身のこなしで妻子持ちだが彼の隠れファンは男女問わず多かった。多くの人に慕われた彼が特に目を掛けていた生徒が光だった。光は馳教場の中で座学、銃剣道、現場実習等あらゆる分野でトップクラスの成績を誇っており、誰もが彼の幹部入りのポストが約束されていた。しかし、当の本人は現状に満足せずにただひたすらストイックに馳の訓練に耐えていた。ある日の警察学校外出泊日に、馳は光を草野球が行われている野球場に呼び出した。

『来たか、光。』

『馳教官。お話とは・・・。』

光がそう聞くと、馳は自分の隣の席に促すかのように指を指した。光が【失礼します】と言って席に着くと馳は本題に切り出した。

『光、お前はどういう警察官になりたい?』

『どういう警察官、ですか?』

馳の質問をしっかり咀嚼し、しっかりとした視線で光は答えた。

『一人でも多くの犯罪に巻き込まれた被害者達を救う為です。』

馳は光のその言葉を聞くと静かに微笑んだ。

『うん、お前のその言葉を聞いて安心したよ。何時までもその初心を忘れるなよ。』

馳は一通りの話を終えるとクーラーボックスに入れてあったコーラ2本分の1つを光にも渡した。

それから5年の月日が経ち、他の同期達は堅実に警察官を続け、中には転職した者もいたり、結婚したりして子供を設けている者もいたりする。光自身は?と言うと婚約者兼女性検視官である彩花がいるものの、彼女からの逆プロポーズの返事を今も保留している。既に結婚する前からマリッジブルーに両者とも掛かってるんじゃないか?という噂が庁内には出回っていた。しかし、当の本人達はマイペースに仕事もプライベートもこなしていき周りからも何時結婚の吉報が出ても良い雰囲気は満ちていた。それでも彼には彩花と結婚へと踏み込めない最大の理由があった。それは自分を導き、支えてくれた親代わりとも言える恩師・馳教官に突然発生した殺人事件の被害者になってしまったのであった。――

7

2019年4月27日。あと三日で平成時代は終わり、令和時代が始まる。未解決事件特別捜査班はこの日、平成元年に発生したとある未解決となった東京銀行世田谷支店強盗殺人事件の再捜査の依頼を珍しく彼らを煙たがっている捜査一課から通達が入った。

『我々には他の事件(ヤマ)の捜査があるからそちらに回す。』と言っていたが、要は我々を信用して任せるって言いたいんだなと健はしみじみと感じ取っていた。

「ウチに仕事が回るのは有難いけど、事件自体、既に時効じゃないですか。」

健は時効済みの事件の再捜査は自分たちに必要なのかと愚痴をこぼした。

「いや、末永さん。あの人たちの話にはちゃんと続きがあったじゃないですか。」

南雲はそう言いながら捜査資料の下書きコピーをパソコンで起こし、テレビの画面に移した。

【その後、この事件の特捜(特別捜査の略意)本部は一年以上もの長期捜査の末に打ち切りとなったものの、先日の深夜、警視庁宛てに31年前の銀行強盗殺人事件の犯人らしき人物からの犯行声明文が届き、不本意ながらも刑事部一同は未解決事件特別捜査班に任せる旨となった。】

「っだそうですよ。『不本意ながらも』なんてありますけど。」

未だに不服そうな態度の健に光と正田は優しく諭した。

「まぁまぁ。彼らだって他の事件の捜査があって忙しい訳だし、例えお零れでもこちらにお鉢が回ってきただけでも充分良いじゃない。」

「そうですよ。末永さんは何でもかんでも物事をマイナスに捉えすぎてるんですよ。少しはポジティブ思考で行きましょうよ。」

二人の楽観とも受け取れる発言に健は根負けし、渋々引き受ける形となった。

「まぁ、仕方ないですよね。仕事ですから。」

「前回もこの東京銀行世田谷支店銀行強盗殺人事件の犯人は犯行声明文を出して、実際にそれを犯行に移してますもんね。今回も油断は出来ませんよ。」

事件の再捜査を前に光と健、未解決事件特別捜査班一同は着替え等の荷物受け取りの為、一旦自宅に帰宅する事となった。

荷物を受け取りに帰ってきた光に対し、彩花は早々に心配の声を口にした。

「ねぇ、光君。最近、帰り、遅いよね?やっぱり仕事?」

結婚とかを意識し始めるとやはり早い方がいいが、光は未だに彩花からの逆プロポーズに首を縦に降っていない。

「うん、まだまだ読み込んでない未解決事件の資料が山ほどあるんだよ、これが。」

「ふ~ん、そうか・・・。」

白々しい建前よりも彼の口から本当の気持ちを言ってくれる方がどれほど楽かと彩花は思った。光には何かしらの【闇】を抱えている。そういうのは彩花には女の勘で分かる。だけど、それを光は明かしてくれないし、一緒に背負わせてくれない。そんなモヤモヤを抱えたまま、彩花は光と一緒に食べる夕食を淡々と進めた。

再捜査開始一日目の翌日。その日の捜査の進展は気味が悪い程のトントン拍子だった。犯行声明文には犯行決行日は平成最後の日、4月29日、つまり明日の午前中には単独とグループの二つの可能性があるという事だ。前回は強盗事件の典型的な例である集団での犯行で殺害されたのは不正疑惑が拭えなかった支店長の柊拓斗氏、52歳と副支店長の六車武雄、49歳の二名。彼らはいずれも資産家が保管していた金塊を自身らの懐に忍ばせるかのようにそれらを現金に換金したが、事件発生以前はその様な証拠は一切上がらず、次第に風化するかのように忘れ去られようとした。っが、1989年5月1日、元号が平成へと変わってまだ日が浅いその日に事件は発生した。被害があった東京銀行世田谷支店は大正時代から築き上げている老舗で今年でちょうど150年ほどの歴史となっているものの、10年前から防犯面は完全に、完璧に人物と現場の状況を捉えられる最新鋭の防犯カメラが設置され、意外にも今年に入ってからは全くこの支店には犯罪が未然に防がれている。そんな四面楚歌ともいえるフィールドで犯人はどのように犯行を起こすのかを光と健は互いに思案し合っていた。

「結局、あれから一日考えたのに、犯行決行日である今日になってしまいましたね。」

2019年4月29日午前5時半。世田谷支店付近のビジネスホテルで一夜を過ごした光と健はあれから犯行パターンを推測に推測を重ねたものの、全く手掛かりを掴めずにいた。しかし、光の目の奥は死んでおらず、寧ろ水を得た魚のように活き活きした面持ちだった。

「僕は、この事件の犯人、読めました。」

「はい?」

健は光のその言葉の真意が読めず、すると光は椅子に掛けていた急にコートを羽織って、ルームを颯爽と出た。

「今回の事件の再捜査を依頼した深見京二郎です。」

銀行内を案内してくれるこの初老の男性は、勤続30年以上の東京銀行世田谷支店支店長でほぼ30年以上もこの銀行の行員として汗まみれで働いてきた苦労人と周りからの評価は上々の人物だった。健は会って直ぐに彼の事を何処かきな臭く感じたが、隣にいる光は全くそんな素振りを見せず、握手をしてくる深見に警戒心が無く、ずっと光自身も差し出した。健もそれを見習って、深見に握手をした。

それから数分後にAIを搭載した監視カメラを見たが、何処も彼処も異常と呼べるような異変は発生していなかった。これはとんだ肩透かしだなと感じて今回応援に駆け付けた捜査一課一の狂犬刑事山萩と如何にも理系な見た目の若手刑事の春沢匠と絵に書いたような優等生風の女性刑事の宮田雅の三名は監視カメラを見ずに春沢が暇潰しで持って来たトランプで大富豪を始め出したが、雅のみは参加せずに光と健の三人で真面目に監視を続けた。しかも雅は東大の理工学部卒でブラインドタッチもお手の物なのか、とても手慣れており手元を見てる素振りはなく素早く両手を交互に動かし、目が二つ以上もあるんじゃないかという重箱の隅をつつくかのように観察力で不審者は疎か、猫や鼠の入る隙間も無いほどの徹底ぶりだった。しかし、ものにも限度というのが彼女にもあったのか、目がチカチカしている感じが傍目からでも感じられた。健はいつになく鋭い剣幕で後ろでトランプの神経衰弱をしている二人を睨み付けた。

「わ~ったよ、宮田の代わりに監視カメラを見ておくよ。代われ、宮田。」

「すいませんお願いします、山萩さん。アレ?明神警部補は?」

そう言われるといつの間にか光の姿は無かった、しかも、あの人の姿も消えていた。

鉄格子が無数にある貸金庫室に一人の男が立っていた。その男は片手にパソコンを取り付け、それで何やらハッキング行為で施錠しようとしていた。すると暗闇で覆われていた貸金庫室は一瞬にして光に覆われた。

「やはり、貴方が前回と今回の強盗殺人並びに強盗事件の主犯格だったんですね、深見京二郎さん。」

そう31年前も、そして、今回の同件の銀行強盗も深見京二郎が裏で全てを操っていたのだ。すると、さっきの穏やかな笑みとは違う、不敵で不気味な笑みで深見は光を見た。

「ハハ、ハハハ、ハーハハ!!アンタ間抜けだな~。私がたった一人でここに立ってる訳無いでしょ?」

すると光の背後には謎の覆面男がいた。光の背中にサイレンサー付きの自動小銃で突き付けていた。

「私の倅(せがれ)の深見壱之輔ですよ。私がここで金をたんまりと盗んでいる隙にコイツが銀行内で人質を取り、一緒に逃走するはずだったのに。アンタみたいな切れ者の、しかし、間抜けな刑事がいたから・・。」


(((バン!!)))


何が起こったのか深見京二郎には分からなかった。しかし、息子の深見壱之輔の足の膝あたりには出血が少しばかり流れていた。

「ア、アンタ。銃は一つしか持ってるはずじゃあ・・・。」

「安心してくださいよ。彼が防弾チョッキを着けてることぐらい百も承知だったんですから。」

すると光のその瞳は【刑事の眼】では無く、【殺人者の眼】になっていた。

「わ、分かった。金なら、幾らでも、好きなだけ払うので、私たちの命、命だけは助けて下さい、、、お願いします。」

光は深見を足蹴にし、眉間に銃口を突き付けた。

「ウンザリなんだよ、アンタらみたいな屑がのさばってんのがさ~。」

依然として光の眼は冷酷なままの眼差しだった。

「う、う、うわ~~~。」


(((パン。)))


するとそれは玩具の拳銃の空砲だった。しかもかなりリアル志向に作られたモデルガンで本物と見紛う程だった。

「悪いな、私は警察官なんだよ。お前ら犯罪者とは違う。」

そう言って光は右ポケットで手錠を掛け、その後、健含めた捜査員が一斉に深見親子を取り押さえた。

健は無断で動いた光に無言で拳で鉄拳制裁で一閃し、胸ぐらを掴んだ。

「何で、何で俺に一言も相談も無く、勝手に動いたんだ!!貴方は!!!」

「すいませんでした。今回の件は僕の力で解決を測りたかったんです・・・。」

そう言うと光は自身のスーツの乱れを直し、とある書類を出した。

「これが前に言っていた、健さんをウチ(未解決事件特別捜査班)に読んだ理由の一つです。」

健は驚愕した。それはあの深見家が十三年前に発生した警視庁全体を震撼させた【霞ヶ関地下鉄爆破テロ事件】の最重要関係者だったのだ。――

8

それから数時間後、東京銀行世田谷支店強盗殺人事件の主犯格の深見京二郎と彼の息子で共犯者の深見壱之輔が逮捕され数日後、彼等は留置場で謎の死を遂げた。原因が全く不明だったものの、彼らが死ぬ二時間前にとある男が面会に訪れていた。名前は【巾木廉太郎】、職業は警視庁公安部在籍の刑事だった。――

9

警視庁刑事部捜査一課係長を若くして拝命した藤枝一角警部は未だに彩花に未練を抱いていた。だが、その彩花は自身の大学時代の後輩でもある明神光と交際及び婚約をしている。だが、藤枝が理解し難いのは二人が未だに結婚に踏み切っていない事だ。

「さっきから何神妙な顔つきしてるんですかね?藤枝係長は?」

春沢の空気を読まないその発言に隣で聞いていた山萩は無言で肘鉄を喰らわした。

「あの顔したら、女の事だという事覚えとけ、オタク野郎。」

「はぃ、すいません。」

藤枝が【何か用ですか?2人とも。】と眼鏡をかけて神経質そうな眼で二人の事を睨みつけると途端に山萩と春沢は残っていたデスクワークの残を整えた。

山萩は世間ではGW(ゴールデンウイーク)を迎えようとしている5月1日に光と健の二人を伴い、恩人の先輩刑事である田所優作の命日に百合の花を携えて彼の墓前に来ていた。今回、山萩は上司である藤枝と主任(警部補)の後藤拓真に許可を貰い、四年前に発生し未だに未解決の自身の恩師である田所優作殺害事件の再捜査の許可を頂いた。

「やはり、あなた方が来たという事はウチの上司が其方に掛け合ったという事ですか?」

光と健は首を横に振り、【違います。】と示した。

「それもありますが、日頃から世話になっている山萩さんのためにも動いただけです。僕らは。ねっ、末永さん。」

「えぇ、それに山萩さんの上司ならきっといい人だっていうのは山萩さんのさっきの姿を見れば分かります。」

健がそう言うと山萩は照れくさいのか、肩パンを無言の笑顔で喰らわせた。

「アォ、痛ェ。ハハ。」

そう言うと三人は再捜査を始めた――。

10

殉職した田所が最後に電話で山萩に残した言葉【ミネ、農家。】が実は事件の真犯人へのダイイングメッセージだと気付いた光は健と鑑識課の朔太郎を引き連れ、とある一件の民家を訪ねた。

「貴方が、四年前に発生した田所優作刑事殺人事件の犯人ですね?農家の峰山智さん。」

そう聞かれると峰山という男性は有無も言わずに黙ってコクリと首を縦に降り、大人しく御用となった。意外にも簡単に解決した事件だった。

「今日はありがとうございました、明神警部補。あなたがいなければこのヤマは解決しませんでした。」

山萩は珍しく殊勝な態度で光に礼を述べた。光は照れ臭かったからなのか視線をデスクの書類に一瞬目を移した。

「いえ、僕らの仕事はあくまでも過去の事件を捜査するのが仕事ですし、それに今回はたまたま未解決事件と関連があったと言うだけです。」

「そうですか、それと彼女とのご結婚は?もう同棲して長いんでしょう?いつかするんでしたら、私、仲人を努めますよ。」

その話題が出ると、光は笑顔のままながらも思う節があるのか柔らかい口調で続けた。

「今は・・・、考えてません。解決しなければならない【ヤマ】が【山】ほどあるんで。」

「おっ、上手いこと言いますね~、ハハ。じゃあ失礼します。おう、末永、邪魔したな。」

「はい、お疲れ様です、山萩さん。」

山萩が去った後、光は自分のデスクの下の引き出しに閉まってあった一つの捜査資料を暗い目で見詰めた。そう、光の解決しなければならないヤマというのは警察の禁忌が隠された十三年前の【霞ヶ関地下鉄爆破テロ事件】であったのだ。――

EPISODE Ⅱに続く。

参考文献:【ミステリーファンのための警察学読本】

この作品はフィクションです。実在する人物・職業・団体とは一切関係ありません。



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