卒業
湯野正
真夏は夢
「あっづいー」
真夏の教室は茹だるような暑さだ。
例えそれが突き刺すような陽射しのない夜だとしても。
「は、はしたないよユキちゃん…」
「ハルちん気にしすぎー。いいじゃん同性しかいないんだし」
夏が人を開放的にさせるからか、それとも本来の無頓着さか、ユキはスカートをばさばさと羽ばたかせ風を送り込んでいた。
当然下着は丸見えで、顔を赤くしたハルは視線を彷徨わせ、いつも通りのもう一人を捉え助けを求めた。
「加藤さん〜」
呼ばれた加藤さんはずっと眺めていたスマートフォンから目を離しメガネをかけてユキをちらりと見て、またメガネを外してスマートフォンに視線を戻した。
「ユキは何言っても無駄でしょ」
「さっすが加藤さんわかってるー」
「えぇー」
あてが外れたハルは情けない声を出した。
ハルはユキの自由さ、破天荒さに戸惑うことがよくあった。
夜の学校に忍び込もう、と今回言い出したのもユキだ。
しかし口でなんだと言っても、今教室にいることがハルがユキのそういうところが好きということを如実に表しているのだが。
「にしてもハルちん、加藤さんのおじさんポイント見たかい?」
「え?」
にやにやと厭らしい笑みを浮かべたユキに話を振られたハルだが、よくわからなかった。
するとユキは大きくため息をつくと大げさな身振りで呆れたと表現した。
「スマホ見るときだけメガネ外してるの、100万おじさんパワー!」
「ちょっユキちゃん!?」
ユキは机の上によじ登り片手を突き上げた。
「更にたまーに眉根を寄せてスマホを顔から離すのを合わせて200万おじさんパワー!」
もう片方の手も突き上げる。
そしてそこから跳ぼうというのか膝を大きく曲げ––。
「ユキちゃんそれは––」
「…ユキはおでこ広いから1000万おじさんパワーね」
「ぐはぁ!?家族にも言われて気にしてることを!」
そのまま机の上に崩れ落ちた。
「うぅ、毛根は遺伝じゃ、どうしようもないんじゃ」
「ユキちゃんキャラが崩れちゃってるよ」
「…スマホ、使いすぎかな」
加藤さんはスマホを閉じ、目を瞑った。
「うっ」
加藤さんの乾いた目には、何かがしみたみたいだった。
「にしても、夜のくせにあっついよ」
ユキの言ったことは、しかし全員の意見でもあった。
熱帯夜。今朝見たニュースで聞いた言葉だ。
シャツが汗で体に張り付き、長い髪の毛が肌に纏わりつくのは不快だ。
「加藤さんエアコン」
「つけられるわけないし、もしつけられてもバレちゃうでしょ」
「正論だ、正論いやぁいいと思いやがってぇ」
「別に思ってないわよ」
暑さのせいか、二人のやりとりもなんとなく雑に思えた。
ユキが再びスカートの裾に手を伸ばそうとしたその時、何か閃いたのかパンと手を叩いた。
「プール入ろう」
「ユキちゃん…」
「ついに暑さでおかしくなったか」
あまりに淡白な反応にユキは憤慨した。
「おかしくなってないよ!あれだよあれ、確か倉庫にビニールプールがあったんだよ!」
「どうしてそんなこと知ってるの?」
ハルの記憶では倉庫なんて一度も行ったことがないはずだ。
「えへへ」
ユキは舌を出しながら倉庫と書かれた鍵をバッグから取り出した。
なんの答えにもなっていなかった。
「はぁ、なにやってんのあんた」
「ユキちゃんまずいよ!」
「大丈夫大丈夫、ホレ!」
ユキはバッグから三人分のスクール水着を取り出した。
なんの答えにもなっていなかった。
結局、暑さには勝てず、特にやることもなかったのも手伝い、三人は倉庫に忍び込みビニールプールを拝借した。
見つかりはしないかとヒヤヒヤした三人だったが、なによりも大変なことはその次に待っていた。
水汲みだ。
「なんか、アフリカの子供の気持ちが理解できたよ」
「水を汲みに何時間、ってやつのこと?」
「そうそうそれそれ」
見つけたバケツに水を満たし、何度も水道と往復し、ようやくビニールプールは入れるほどになった。
真夏の夜の思わぬ運動でさらに汗だくになった三人は、我先にと水着に着替えて水に浸かった。
その姿はプールというよりも銭湯だった。
「…アフリカというか、水不足のところの子はこんな下らないことに水使わないでしょうけどね」
「日本でよかったってことだね」
「そういう話なのかな?」
「そういう話だよ」
それを機に、教室は静けさに包まれた。
嫌な感じのする会話のなさではなかった。
ハルは肩まで浸かり窓から空を見上げた。
都会だからなのか、雲がかかっているのか、星は見えなかった。
なんとなく暗い気分になったハルに気づいたのか、それともただタイミングがあっただけか、ユキが口を開いた。
「どことは言わないけど、随分まるまるとして柔らかそうだねハルちん」
ハルはユキの目を見た。
何かギラギラしていた。
手を見た。
わきわきしていた。
「か、加藤さん」
助けを求めるように加藤さんを見つめた。
「…たしかに」
「加藤さん…」
救いは、なかった。
「では、いただきます!」
「いっ、ひっ!」
ハルの膨らみをユキの指が遠慮なく弄った。
なんとも言えないくすぐったさにハルの口から声にならない声が漏れる。
加藤さんも最初は指でつんつんとするだけだったが、しばらくすると両手で揉み始めた。
「なんという脂肪の塊かね!けしからんけしからん!肉の食い過ぎか!ビールの飲み過ぎか?」
「何言って、やめっ…!」
「…やわらかいけど、芯があるね」
「ちょっと…もう…んっ…!」
二人が飽きるまでしばらくの間、夜の教室に押し殺したような声が響いた。
「私たち、いつまでこうしてられんのかな」
不意にユキが呟いた。
「それは…」
ハルには答えられなかった。
ずっと、と即答できるほど、子供ではもうなかった。
気まずい沈黙が訪れそうになったとき、それを破ったのは意外にも加藤さんだった。
「それは、私たちの頑張り次第だよ」
「加藤さん…」
「努力しなきゃ、縁なんて簡単に切れちゃうから。小中の友達とか、何人今でも会う?大事な関係だって、思ってくれてるなら、みんなで、頑張ろう」
何を頑張るのか、ハルにはわからなかった。
もしかしたら加藤さんにもわからないのかもしれない。
それでも––。
「加藤さんいいこというね!頑張って頑張って、加藤さんが葬式で焼かれるまで続かせるよ!」
「あはは…」
「ふふ、縁起でもない」
なんだか素敵な、素敵な気分になった。
「そういえばこれ、水の始末どうしよ」
ユキちゃんが言った。
「あ」
加藤さんがヤバ、という顔で言った。
「あはは…」
ハルは笑うしかなかった。
三人の終わりは締まらなくて、しかしそれは全然嫌なことではなかった。
帰り道、ふとハルは空を見上げた。
大きな月が見えた。
『ニュースの時間です。昨晩、都内の高校に無断で侵入したとして、住居侵入罪で三人の男が逮捕されました。逮捕されたのは会社員の
卒業 湯野正 @OoBase
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