ボヘミアン・ラプソディにどハマりしたにわかファンの話

深水映 *深水えいな

特に期待しないで見た『ボヘミアン・ラプソディ』の感想

※ガッツリネタバレしてますのでネタバレ注意!!

※にわかオタクなので間違った知識や思い違いがあったらすみません




 私が『ボヘミアン・ラプソディ』を見て、ハマってしまったのはつい最近、今年の1月に入ってからでした。


 映画の公開は去年の11月なので、世間の流行からは随分と乗り遅れてしまった時期遅れのオタクです。


 昔からのQUEENファンはそんなにわかファンが知ったかぶりで語るのを見て苦々しく思うと思いますが……でも、愛さえあれば、にわかファンだろうが、流行遅れだろうが、そんなの関係ねぇ!


 ……ということで語りますが、まあ、すっかり映画『ボヘミアン・ラプソディ』とQUEENにハマってしまっている私。


 ですが映画を見るまではQUEENについては、曲は『WE ARE THE CHAMPIONS』とか『WE WILL ROCK YOU』ぐらいしか知らず、あまり興味はありませんでした。


 なにせライブ・エイドが行われた1985年には私はまだ産まれておらず、作中でかかる曲も私が生まれる前の曲ばかりでしたから。


 ジョジョに出てくる「キラークイーン」っていうスタンドの元ネタがQUEENの曲名だってことすら知りませんでしたからね。


 でも実際に映画館に行ってみると、世代が違うにも関わらず、えっ、この曲もQUEEN!? あの曲も!? みんな聞いたことのある曲ばっかり! となりビックリしました。


 それ程までにQUEENの曲はCMやドラマ、映画などを通して日本人に浸透してるってことなんでしょうね。


 メンバーもヒゲでマッチョなオッサンがボーカルって事ぐらいしか知りませんでしたが、映画を見た後はこのヒゲでマッチョなゲイのおじさんが大好きになりました(笑)


 そんな訳で、曲もメンバーもあまり知らず、なんか流行ってるらしいから一応見ておくかぐらいのつもりで映画館に入ったんですが……結果、ボロ泣きしながら映画館から出てきましたよ!!


 最後のライブシーンなんかずっと泣いてました。


 後からラストのライブシーンだけで21分あったことを知り、それもまた驚いたり。


 普段たとえば紅白なんかで20分も人が歌ってる所を見せられたら途中で飽きてしまうし、5分もじっと見ていられないのですが、あの21分間はあっという間で、終わらないで~~!! って感じでした。


 ライブだけでなく、ラストで流れる『DON'T STOP ME NOW』でもボロ泣きしましたね。


 何が泣けるかって、そこで実際の彼ら、若かりし頃の実際のQUEENの映像が流れるんですよ。


 それが凄く楽しそうで、元気で、仲が良さそうで、キラキラしてて、でも現実にはフレディはもうこの世界のどこを探しても居ないんだって思うと……うわああああああ!!


 思い出しただけで涙でiPhoneの画面が霞んで執筆できません。みんなよく平気で見てられるな??


 明るいアップテンポの曲だけに、余計に刺さるんですよね。


 フレディは最後はエイズで死ぬって事前に知ってたし、もうこの世にはいない人を描いた映画だってのも知っていたんですが、それでもフレディに生きていて欲しいと切実に思いました。


 こう見ると死にネタで泣きを誘ってるだけにも見えるんですが、実は私、安易に人が死んで涙を誘うような映画とか小説とか大嫌いなんです。


 でも見てない人には意外に思うかも知れませんが、この映画にはフレディが死ぬシーンが出てこないんです。


 悲しい映画じゃないんです。物語はバンドが団結を取り戻し、ライブが最高に盛り上がったところで終わるんです。


 ライブが成功して、爽やかなラストで終わる。フレディが死んだところや闘病生活は映さない。それがまた悲しい。


 他にもグッと来るポイントはたくさんあって語りきれません。家族と和解するところとか、バンドのメンバーとの絆とか。


 特に父親と和解するシーンはボロ泣きでしたね。ロジャーもインタビューでそのシーンが一番好きだと言っていましたし


 もちろん泣けるだけでなくクスッと笑えるシーンやスカッとするシーンもあります。


 夢を追いかけるバンド少年たちにワクワク

したり、「この曲はこうやってできたのか!」となるような楽しいシーンも沢山あります。とにかく夢中。


 この映画を見てからというもの映画のパンフレットとサントラとCD数枚、それにライブDVDを買い、QUEENが特集されている雑誌を買い、ジム・ハットンの本も買いました。


 YouTubeでQUEENの動画を見たりInstagramでブライアンやロジャー、映画のキャストをフォローしてチェックしたりもしました。もう頭の中がQUEENで一杯。


 まるで麻薬です。数分おきにQUEENとボヘミアン・ラプソディのことを考えているんですから。


 歌詞を読み漁って感傷に浸ったり、フレディやジムやメアリーの気持ちについて考えたり。


 白髪のお爺ちゃんになったブライアンやロジャーがインスタで少年のようにはしゃいでるのが可愛すぎて飛び上がりそうになります。


 でも『ボヘミアン・ラプソディ』が最初に欧米で公開された時は、批評家たちにずいぶん叩かれていたそうですね。


 アメリカのニューヨーク・タイムズ紙なんかは「映画を見るより本物をYouTubeで見た方がいい」とバッサリ。


 「同性愛者の欲望について、あるいは1970年代の性の解放が80年代のエイズ危機につながってゆく中、同性愛者をめぐる政治状況をどのように扱ったらいいのか、わからないように見える」とまで書いています。


 イギリスのガーディアン紙も「非常によくできたカバーバンドを見せてもらったように感じる」とし、フレディのステージの外の人生を十分に描き切っていないという見方をしています。


 映画はフレディの人間性に深く迫ったものではなく、ひとつのバンドの成功と挫折、そして復活を描いたありきたりなストーリーだというのがこの映画を酷評する人たちの意見のようですね。


 だけれど酷評する批評家たちの意見とは逆に、観客の評価は高くて、世界13か国で2018年の興行収入1位、日本では興行収入100億円を突破しました。


 公開から三ヶ月経った今も連日応援上演がなされていて、3回、5回と見るリピーターも後を絶ちません。


 ゴールデン・グローブ賞でも2部門で受賞し、アカデミー賞作品賞・主演男優賞ほか5部門ノミネートしています。


 ではなぜ酷評する人がいる一方で、私を含めこんなにも熱狂するファンがいるのか?


 そう思い、私は同じく『ボヘミアン・ラプソディ』にハマった人たちのブログやTwitterを漁りました。


 そして気づいたのは、ハマった理由や心に刺さったシーンが人それぞれだということ。


 あるゲイの方は「そうそう! ゲイってどういう訳か好きな人と同じようなファッションや髪型になっちゃうのよね~周りがどんどん結婚していって寂しいのも分かる!」と書いていたり。


 とあるバンドマンの方は「俺も若い頃はバンド仲間と田舎の別荘みたいなところで曲を作ったりしたんだよ。あんなふうに揉めたりしながらさ~」と語っていたり。


 とある若者は「うちも親が保守的で自分のことを分かってもらえなくて孤独で……」と書いていたり。


 他にも自分の好きだった70年代や80年代のロックを懐かしがって語るおじさんの話。


 QUEENに憧れていた当時の友達と久しぶりに連絡をとり、一緒に映画を見に行き少女に戻ったというおばさんの話。


 特に印象に残ったのは、孤独で病に苦しみながらもステージに立ったフレディを見て涙し、QUEENの曲を弾きたいとピアノの練習を始めた小学二年生の男の子の話。


 もうこの話だけで涙腺の弱い私はボロ泣きですよ。

 

 映画に影響を受けた様々な人のストーリーがそこにはあり、人によってグッとくるポイントも違うことに気が付きました。


 思うに、『ボヘミアン・ラプソディ』の話は確かに批評家の言う通り単純なのかも知れません。


 でも王道で単純なストーリーだからこそ、逆に観客が自分なりの感動ポイントを掘り下げる余地があったからなのではないでしょうか。


 ゲイだったり移民だったりをそこまでドロドロに赤裸々に語らなかったことで、逆に自分なりのポイントを掘り下げることができ、多くの人が自分なりの「答え」を映画の中に見つけることができたのではないでしょうか。


 で、逆に刺さらない人にはこの映画は「浅い」ように見えるのもなんとなく分かりました。でも手前が浅いだけで、奥に進めば進むほど深い沼が広がっているのですよ!


 考えてみたら、映画だけではなく、QUEENの曲の歌詞も、ロックなのにそこまで激しい感情だとか社会への不満だとかそういうのをぶつけてくるものって少ないように思うんですよね。


 とっても婉曲的で繊細で芸術的。ちっとも不快な要素がないんです。


 「僕は人を殺してしまった」というボヘミアン・ラプソディの歌詞一つ取ってみても、


「ファルーク・バルサラという昔の自分を殺してフレディになったことを示す歌だ」


 という人もいれば


「ゲイだという自分のセクシャリティを隠して押し殺して生きるという意味だ」


 という人もいれば


「人を殺した部分はさして重要じゃない。その後の母親に向けた『明日の今ごろ俺が帰らなくても平気な顔で生きていてほしい』が重要なんだ」


 という人もいて、受け取り方は聞く人それぞれだったりします。

 実際にフレディも「歌詞はリスナーのもの」と言っていて、解釈は聞く人に任せて多くは語らなかったみたいですし。


 個人的には楽曲の良さを存分に楽しんでもらうために映画のストーリーラインはあえてシンプルにしたのではと思うのですが、シンプルな筋立ての中に分かる人にだけ分かるような小さな引っかかりがあるんですよね。


 そしてそこを自分なりにめくっていくと、奥深いストーリーが見えてくる、これがこの映画の面白さなのではないでしょうか。


 ストーリーだけでなく、登場人物についても、掘り下げが甘いと言う意見もありますが、個人的には覚えやすい登場人物ばかりだったおかげでスッと物語に入っていけて良かったと思っているんですよね。


 バンドのメンバーたちだけ見ても、長身で知的なギターに、イケメンでキレやすい女たらしのドラム、ニコニコと穏やかで可愛いベースと、どいつもこいつもキャラが立っています。


 ある意味では登場人物というよりは、漫画やアニメのキャラクター的で、そこが日本人にとって逆に受け入れやすいポイントだったのかもしれませんね。「QUEENは少女漫画だ」と言っている人もいましたし。


 個人的にはQUEENのメンバーたちは少女漫画というよりは凄くジョジョのキャラっぽいと思うんですけどね。全員がジョジョ立ち似合いそう!


 でもここもストーリーと同じで、「このキャラが気になる」と引っかかる人がいたら、自分なりに深く掘り下げることが出来るという所が魅力だと思っています。


 例えば東方とか、アイマスとか、ボーカロイドとか、二次創作が盛んなジャンルって大抵キャラ設定があまり無かったり、多く語られていないことが多いんですよね。

 でもあまり語られない方が、逆に気になってしまうものなんだと思います。


 映画『ボヘミアン・ラプソディ』も、全てを語らなかったことで、「もっと彼らを知りたい!」と逆にリピーターを増やし、興行収入アップに繋がっているようにさえ思います。


 現に私も過去インタビュー記事や映像を漁る日々。まんまと映画の制作スタッフや広報スタッフに踊らされているような気がしなくもない……。


 そうして色々とバックグラウンドを知った上でもう一度映画を見てみると、一度目では分からなかったことが分かったりもして面白いです。


 20世紀フォックスのテーマがブライアン・メイとロジャー・テイラーによる演奏だったというのも初めは気づきませんでしたが、知った上で二回目を見ると、もうそれだけで感動。


 「こんな曲を車のラジオでかるやつなんていない!」って言ってたお固いレコード会社の社長が、映画の中で『ボヘミアン・ラプソディ』に合わせて頭をブンブン振ってたマイク・マイヤーズだったのも分かって見るとそれだけで爆笑です。


 アダム・ランバートやブライアン、ジョンの子供たちがこっそりカメオ出演してたりなんてのも面白いです。


 フレディの死後、ブライアンとロジャーは活動を続けているけどベースのジョン・ディーコンは引退している、という情報が頭に入った上でもう一度映画を見ると、フレディが病気を告白したシーンでジョンだけ涙を流す演出の意味が分かり、グッときたり。


 バンドが売れなくて貧しい時代に、ロジャーとフレディーは同居しながら一緒に古着屋を営んでいたんだということを念頭にフレディーが新居で食事に誘うシーンを見ると、「妻と子供がいる」と冷たく断られるシーンが前にも増して悲しく思えて……!


 他にもブライアン・メイが今もずっとあの髪型だと言うのを知ると「この髪型で生まれてきた」というセリフが余計に笑えます。


 彼が今でも天文学をやっていて、還暦を過ぎてから学位を取ったことなんかを知ってると「僕がいなければ君は誰も読まない宇宙の論文を書いてた」的なセリフも、面白かったり。


 あの時メアリーが妊娠していた子供はリチャードで、フレディが名付け親になっただとか、妊娠しているにも関わらず雨の中駆けつけたメアリーに対し、ポールは雨の当たらない屋内にいる演出にハッとしたり。


 フレディは自分がエイズであることが分かった時に自分との交際をやめるべきだとジムに伝えたけれど、ジムはフレディが死ぬまでそばに居ただとかそういうことを知っていると画面にジムが映るだけで「ジム~~!!」ってなったり。


 この人の本を読んだんですが、本当にピュアなんですよね。フレディに四つ葉のクローバーの栞を送ったり、フレディが死んだ瞬間に、彼に送った時計の針を止めたりとか。


 バンドのメンバーだけでなく、飼い猫やスタッフの衣装、ピアノの上のペプシや灰皿の配置までそっくりなんてことにも気づくと、スタッフのQUEENへの愛の深さを感じます。


 確かに『ボヘミアン・ラプソディ』には事実と違うところもあるし、本物のQUEENではないし、ストーリーは単純かもしれません。


 でもクイーンのギタリストで映画の音楽監督もつとめたブライアンは「これは伝記映画ではなくアート作品だ」と言っています。


 同じく映画に関わったドラムのロジャーも「フレディのメディア受けする要素ーーそれは私生活やもろもろあるけれど、そうしたことが時に大げさに伝えられ、人々が彼がミュージシャンであり、その中でも一流だったいうことを忘れがちだと感じていた」


「彼は偉大なミュージシャンであり、作曲家だった。だから映画ではそうした側面がきちんと描かれていることを重視した。新聞が好んで書くような話だけじゃなくてね」


 と、フレディのセクシャリティやメディア受けするスキャンダラスな要素よりも、彼のミュージシャンとしての偉大さを書いて欲しいと思っていたことをインタビューで語っています。


 思うに、残されたメンバーたちは、フレディを週刊誌のネタみたいに赤裸々に描くのでは無く、色々と困難はあったし考え方も個性も違うけど、自分たちのバンドは最高だし、家族だぜ! ってことを伝えたかったんじゃないかな、と。


 そしてフレディはその最高のバンドの魅力的で才能に溢れた格好良いボーカルなのだということを描いた作品だったのでは無いでしょうか。


 駄目なところもあるけど格好良くて才能があってお茶目で繊細。ひたすらにフレディの魅力を描いてる。そこが良かった。それがこの映画の一番の良さでヒットの要因だと思うんです。


 テーマは重いのに、堅苦しくなくて、爽やかで楽しい映画、それが『ボヘミアン・ラプソディ』です。

 楽しいから、もう一度見たいし、人に薦めたくなるのでは無いでしょうか。


 ちなみに映画のラスト『DON'T STOP ME NOW』が流れた後に最後に流れる曲のタイトルは『The Show Must Go on』という曲です。


 この曲はフレディが死ぬ前に出した最後のQUEENのアルバム『INNUENDO』のラストに収録されている曲です。


 この曲はブライアンが作ったのですが、この曲ができた頃にはフレディはもう既に病気が進んでいて、歌うのは無理だろうと思われていたのだそうです。


 でもこのデモテープをフレディに聞かせたところ フレディは'I'll fucking do it, darling'と答えたのだとか。


 ネイティブではないので、英語のニュアンスは正しくは分かりませんが「ファッキン・ドゥーイット」ですよ。病人なのに。やる気が伝わってくるではありませんか。


 この曲のサビの歌詞はこうです。



 “ショウは終わらせられない

終わらせるわけにはいかない

こころが壊れても メイクが剥がれても

最後まで笑顔で演じるんだ”



 そう、この映画はまさにショーであり、みんなを笑顔にさせるエンターテインメントなんです!


 フレディは最高のエンターテイナーでした。きっと生きていたら、闇を抱えた悲劇的な人物として同情を集めるよりは、皆を笑顔にさせるショーマンであり続けたいと思ったんじゃないでしょうか。


 小学二年生の男の子が泣いたんですよ。フレディを知らない小学生が、フレディのことを格好良いと言ったんです。


 若い世代や子供にも、QUEENやQUEENの曲の良さが伝わったんです。


 それだけで十分映画として成功なのではないでしょうか。


 評論家を唸らせる映画も素晴らしいですが、小学生が見ても素直に泣けて楽しめる映画って素晴らしいじゃないですか。


 多分この子供が5年か10年経った後に、ふとまた『ボヘミアン・ラプソディ』を見てみたなら、その時にはまた小二の頃とは違った感想を抱くはずです。


 そして背後にある沢山のストーリーや人の生き方や問題を知って、より一層楽しめるはずです。


 それを考えただけで……なんて素晴らしい映画なんだ~!!


 皆さんも、大人も子供も楽しめるこの素晴らしいショーを楽しみましょうよ! ショーは続くんだよ! ファッキン!! don't stop it now!!



【おわり】

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ボヘミアン・ラプソディにどハマりしたにわかファンの話 深水映 *深水えいな @einatu

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