『魔法少女まどか☆マギカ』の分析

【以下で、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』(テレビシリーズ)のストーリーに言及するのでご注意下さい。あらかじめ視聴されておくことをお勧めします。】



 ここまで1クールのオリジナルTVアニメの人気作によく見られる「王道」のドラマ構成について語ってきましたが、『魔法少女まどか☆マギカ』の構成は明らかにそれらとは異なります。

 しかし破格であることとデタラメであることはイコールではありません。『まどマギ』の構成を検討してみたところ、破格ではあるがアゲ↑サゲ↓ の仕組みや三幕構成の原理を巧く利用しており、物語の構成についてとても示唆的だと感じました。


 『まどマギ』の第1話はプロローグ的に主人公の鹿目まどかの夢の場面から始まり、続いて主人公の日常を描きます。

 第1話のAパートの前にオープニングアニメーションを普通に入れていますが、あえて「定型」にすることで「普通の魔法少女もの」っぽさを演出して見せている、というのは穿った見かたでしょうか。

 主人公の日常側の登場人物として、まどかの家族、美樹さやか、志筑仁美が、非日常側として暁美ほむら、巴マミ、キュゥべえが第1話で登場。夢の場面を含めばワルプルギスの夜も登場しており、さやかのサブプロットに関わる上条恭介も名前だけは出てきます。さらに第2話のAパートで、巴マミの口から魔法少女について説明させて、第一幕でするべき情報の提示(セットアップ)が完了します。


 第一ターニングポイントは第2話のBパートに来ます。このくらいなら、第一幕が長すぎということはないと思います。

 主人公のまどかは「今の自分を変えて周囲の人々を助けたい」という主張(目標)を持っています。(これに対して、暁美ほむらは「まどかを今のままの日常に留めておきたい」のですが。)

 この主張によってまどかは、魔法少女である巴マミに同行し、非日常の世界に踏み込んでいくことを決意します。まどかにはまだ躊躇いがありますが、魔法少女の衣装のデザインを自分で描いてきていることから、単に状況に流されているわけではなく、彼女なりの魔法少女への意志が読み取れます。

 そして、これまで見てきた作品でもそうでしたが「第一ターニングポイントで主人公は自分の決意の意味と重みをまだ理解していない」というパターンが、鹿目まどかにも当てはまっています。


 続いて第二幕の前半。マミが魔女を倒して人々を救う様子を見て、まどかは自分も魔法少女になるという思いを強めていきます。ところが第3話の最後、自分も魔法少女になると約束した直後にマミは魔女に殺され、まどかの意志はここでいったん折られます。ここで作品の空気が変わります(ミッドポイント)。

 つまりまどかを主人公として見た場合、早くも第二幕前半は終わるのです。


 普通のアニメなら第二幕の前半がいちばん長くなるのですが、『まどマギ』ではあっさり終わらせ、次に来る第二幕後半が長いのです。暗くて鬱な第二幕後半は引き延ばしてはいけないというのがセオリーなのに、敢えてそこを長くすることで陰鬱で悲劇的な作品を成り立たせているわけです。


 しかし何の工夫もなく主人公が無力で暗い展開を長く続けても苦痛なだけで、観客は離れていってしまうでしょう。

 まどかは魔法少女になりたいという心を折られたものの、「周囲の人々を助けたい」という気持ちまで捨てたわけではないので、魔女の犠牲者に成りかけた仁美を助けようとしたり、魔法少女となったさやかを支えようとしたりして、物語に関わり続けます。しかし如何せん、状況に対してあまりに力不足であり物語を支えることができません。

 そこで『まどマギ』では、まどかに代わってサブキャラクターたちがそれぞれのサブプロットという形でストーリーを担います。サブプロットは主人公の物語と結びついて話を展開させているので、話が脱線してる印象を与えることはありません。


 ちなみに巴マミのサブプロットは、第二幕の前半と重なっています。今まで孤独に戦っていたマミですが、まどか達という仲間が増えるという希望によって持ち上げられた(アゲ↑)後、魔女に殺害される(サゲ↓ )という悲劇型の構成でした。

 サブキャラクターの物語がどれも悲劇型なのも『まどマギ』という作品の重いトーンを印象深くしています。


 そして、まどかの物語を引き継いで第二幕後半を主に支えるのは、副主人公と言うべき美樹さやかのサブプロットです。


 * * * * *


〈さやかのサブプロット〉

 美樹さやかのサブプロットは、まどかの物語とは別の、独自のドラマとして分析できます。


 世界設定などは本筋と変わりませんから、上条恭介の説明さえすればさやかの物語に必要なセットアップは終わります。

 まどかと違ってさやかには魔法少女になって叶えたい具体的な望みがあり、マミの死によってその意志を折られることはありません。さやかは恭介の怪我を治すために魔法少女になることを選びます。これがさやかの物語における第一ターニングポイントです(第4話Bパート)。

 しかし、さやかの主張(目的)は混乱したものであり、そのために彼女の物語は悲劇的な結末を迎えることになります。


 さやかのサブプロットの第二幕前半に当たる部分で、さやかは魔女からまどかと仁美を救い、恭介の怪我の奇跡的な回復を目の当たりにして、束の間の高揚感を味わいます(アゲ↑)が、長くは続きません。


 さやかの物語のミッドポイントは、佐倉杏子が登場し対決になるときです。ここでさやかは自分の魔法少女としての弱さを突きつけられ、高揚していた気分に水が指されます。これ以後、さやかの物語は第二幕後半に入り、彼女の苦境が続きます(サゲ↓ )。

 追い詰められたさやかは、親友のまどかを拒絶し、ほむらが差し出すグリーフシードを受け取ることも拒みます(第8話Aパート)。この誤った決断が、さやかにとっての第二ターニングポイントです。


 さやかの物語の悲惨な結末が語られるのが、サブプロットの第三幕です。

 絶望したさやかは魔法少女から魔女へと変わります。さやかを救おうとする杏子の試みは失敗。杏子は魔女となったさやかとともに死ぬことを選び、さやかの物語は終わります。


〈佐倉杏子のサブプロット〉

 さやかのサブプロットと平行して、佐倉杏子のサブプロットが進行します。

 杏子の第一ターニングポイントは、さやかを教会の廃墟に呼んで自分の過去を打ち明けるところです。ここから杏子はさやかを助けるための行動を取り始めます。

 さやかが魔女になる場面がミッドポイント。

 第二ターニングポイントは、魔女となったさやかを救うためにまどかに協力を求める箇所。しかし、さやかを救う試みは初めから成功の見込みがなく、杏子は死にます。

 やや簡略ですが、杏子のサブプロットにもドラマ的な構成が認められます。


 * * * * *


 さて本来の主人公のまどかですが、さやかの苦しみを目の前にして、一度は挫かれていた「魔法少女になる」という意志を取り戻してさやかを救おうとします。しかしこれは、ほむらによってとりあえず阻まれます。

 さやかの物語が幕を引くのと入れ違いにまどかの物語が再始動の兆しをみせるのですが、魔法少女はいつか絶望して魔女になるしかないという残酷な真実が明らかになり、まどかの意志は再び退けられます。


 * * * * *


〈ほむらのサブプロット〉

 まどかの物語が第二ターニングポイントを迎える前に、暁美ほむらのサブプロットが挿入されます(第10話)。

 ここまで読んでいただいた方にはお分かりだと思いますが、『ガルパン』の角谷杏や『ゾンサガ』の巽幸太郎とおなじく、暁美ほむらは「裏主人公」であり、その物語は第三幕の直前に回収されるのです。


 過去に、ほむらは魔法少女になっていたまどかに命を救われました。その後、まどかはワルプルギスの夜と戦って死にますが、ほむらはまどかを救うために魔法少女になることを決意し、魔法を使って時間を過去に巻き戻します。

 ここからほむらの戦いが始まるわけで、第一ターニングポイントとなります。ほむらの主張(目的)は「まどかを守ること」です。


 二度目の時間で、ほむらは自分の魔法を使いこなすことを学びながら、まどか達とともに戦います。ここが第二幕の前半に当たります。

 しかし結果として、まどかは魔女となってしまい、ほむらは魔法少女の末路は魔女であると悟ります。ここがミッドポイント。


 その後が、ほむらの物語の第二幕後半。何度時間を巻き戻してもまどかを救えないという苦境が描かれます。他のキャラクターたちと同じく、ほむらの物語も第二幕の前半よりも後半の方が長くなります。

 何度目かの時間で、魔女になりかかったまどかは、時間を遡って自分が魔法少女にならないように止めてほしいとほむらに頼みます。ほむらはこれを約束し、まどかの望み通り、まどかが魔女になる前にそのソウルジェムを砕きます。これがほむらにとっての第二ターニングポイントです(第10話Bパート)。


 ここで観客には、第1話からのほむらの行動が、ほむらの物語の第三幕だったことが明らかになります。


 第11話でついにワルプルギスの夜が到来しほむらはこれと対決しますが、敗れます。絶望しかかったほむらの前にまどかが現れ、魔法少女になることを告げます。

 まどかを守るという目標は失敗に終わり、ほむらの物語は終わります。


 * * * * *


 そして、まどかが魔法少女になると決心することが、物語全体の第二ターニングポイントです。

 まどかは「今の自分を変えて周囲の人々を助けたい」という当初からの主張を貫きます。ただし、それは第一幕で示されたときよりも強く鍛え上げられたものになっています。


 第12話が第三幕に当たり、主人公の決意が生む帰結が描かれます。

 クライマックスでは、ついに魔法少女となったまどかがその願いによってすべての魔女を生まれる前に消し去り、魔法少女たちを「救済」します。しかしその代償として、まどかは人間としての存在を失ってしまいます。

 一般に、エンディングでは主人公が報われたことと、世界が前より良くなったことが描かれるものです。でも『まどマギ』では、主人公の願いは叶ったとはいえ、報われたとは言いがたく、魔女が生まれなくなったという点で世界は前より良くなったかもしれませんが、新たに魔獣という敵が現れ、魔法少女たちが命がけで戦わなければならないことは変わっていないことが示されます。苦いエンディングです。


 『まどマギ』は、魔法少女ものの形を取りながら残酷な物語を描いたことや、タイムループのギミックで注目を集めた作品ですが、独特のドラマ構成にも注目する価値があります。ある意味でセオリー破りをしているのですが、それを成り立たせるために理にかなった緊密な構成がなされています。


 日本のTVアニメのストーリーは、ハリウッド映画ほどには標準化されていません。今後、標準化が進んでいく可能性もあり、その場合、おそらく「王道」パターンの構成が洗練されて定着していくでしょう。

 他方で、それ以外のパターンもいろいろと開発されるかもしれません。例えば、『まどマギ』と同じ構成で、でもぜんぜん別の話なんていうのも作れそうな気がします。あるいは、さらに別の新しいパターンの構成だって工夫次第で作れる余地はまだあるかもしれませんね。

 映画には2時間程度という時間の枠があるせいで、構成が一つのパターンに収束してしまいますが、TVアニメは尺が長い分、もっと構成上の可能性があるかもしれない…。『まどマギ』を観ると何となくそんなことを考えてしまいます。



(追記)

最後まで読んでいただきありがとうございました。カクヨムでは「物語のしくみを考える」という文章も書いていて、そこで三幕構成と「どんでん返し」などの関係について書いていますので、よろしければ読んでみてください。(2019.9.14)

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ハリウッド三幕構成で分析するTVアニメ 志水鳴蛙 @croakingfrog

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