『ゾンビランドサガ』の分析

【以下で、アニメ『ゾンビランドサガ』のストーリーに言及するのでご注意下さい。あらかじめ視聴されておくことをお勧めします。】



 『ゾンビランドサガ』でも第一幕はコンパクトに第1話で終わらせています。

 主人公の源さくらはアニメ開始早々に交通事故で死亡。生前の記憶を失いゾンビとなって蘇ります。そして同じくゾンビとなった仲間たちと共にどういうわけかアイドルとして活動するという話なのは第1話でわかりますし、そこは最後までブレません。

 このようにまず観客に「どういうアニメとして観ればいいのか」を伝えた後、第一ターニングポイントで主人公が自分の意思で動き出すところを描いて、第二幕に移行します。『ゾンサガ』で言えば、いきなりデスメタルのステージに上げられたさくらが覚悟を決めてシャウトする場面がそれに当たります。以後さくらは、まだ乗り気でないメンバーもいる中でそれなりに前向きにアイドル活動をしていくことになります。

 ただし、『ガールズ&パンツァー』の西住みほがそうだったように、第一ターニングポイントの時点で主人公は自分の決断の本当の意味と重さを理解していません。源さくらは、「アイドルとして成功したい」という主張(目標)を実現すべく行動していきますが、第二ターニングポイントでもう一度、その決意を問い直されることになります。


 そして第2話から第二幕の前半が始まります。『ガルパン』では、エピソードが“週またぎ型”でしたが、『ゾンサガ』では基本的には“各話完結型”。トラブルや失敗はあるものの、目標に向かって前進していきます。


 第二幕前半の中でも調子の変化があって、第5話まではほぼコメディーですが、第6話以降は話にシリアスな要素が入ってきます。

 初めのうちは発生する問題もコミカルで、その結果もアイドルとしての大きな成功にはつながっていません。つまりアゲサゲの振幅が小さいわけです。ところが第6話からは、メンバーの死因と生前の出来事が物語にからむようになって話が重くなり(サゲ↓が大きい)、その反動として結末の感動も大きくなります(アゲ↑が大きい)。またアイドルとしてもだんだん成功してきます。後半に向かって、ドラマのアゲサゲの振幅を大きくしていくことで盛り上がりを作っている訳ですね。


 第二幕の後半は、第10話の最後にさくらがまたトラックにはねられたところから。『ガルパン』と比べると遅いですが、後で説明するように第三幕がとても短いので、その分、第二幕後半も後ろにずれているのです。

 ここでさくらは、生前の記憶を取り戻すと同時にゾンビになってからの記憶をすべて忘れてしまいます。どんなに努力しても決して報われることのなかったさくらの不運な生前の記憶が蘇り、絶望したさくらはアイドルを続けることを拒絶します。


 重く暗い展開になる第二幕後半は一週またぐのが限度で、それ以上は引き延ばさないのがセオリーですが、『ゾンサガ』では主人公が立ち直るのに第12話まで引っ張ります。これが観客へのストレスになっていないのは、さくらが車にはねられるのは天丼ネタでもあり、本格的に話が重くなるのは第11話からだというのがひとつ。それに主人公の心が折れる展開とはいえコミカルな雰囲気は続くこと、第11話の最後で解放感のある展開があるので(巽幸太郎の「俺が持っとるんじゃい!」)、もう一週引っ張られることがそれほど辛くないことも理由として挙げられます。


 この作品で、巽幸太郎は「裏主人公」です。ここでは「主人公の行動の裏側で、物語を支えるように動いているキャラクター」を裏主人公と呼んでいます。『ガルパン』では、生徒会長の角谷杏が「裏主人公」でしたね。幸太郎は生前のさくらを知っており、アイドルになりたいというその願いを叶えるためにここまでお膳立てをしてきたわけです。

 眼鏡やサングラスは「仮面」のような象徴的意味を持っていて、映画などで登場人物が本心やナマの感情を露わにするとき眼鏡を外す(外れる)演出がよく使われます。過去の回想の後で幸太郎がサングラスを外したのは、観客にその本心を見せたことを示しています。

 このように裏主人公のサブプロットは第三幕の直前で回収され、観客は今まで主人公とともに「表から」見ていた物語を、今度は「裏から」見ることで、その展望がグンと広がる感覚を味わうことができます。


 さて幸太郎や仲間たちの支えもあって、さくらがまたアイドルとして初の単独ライブのステージに立つことを決意するのが第二ターニングポイント。もう最終話の半ばまで来ちゃっています。残りが第三幕ですがこんなに短いのも珍しい。ちゃんと終われるんだろうかと心配になるところですが、アイドルものならではの見事な解決法が用意されていました。


 第三幕では、クライマックスとエンディングという二つの内容をこなさなければなりません。

「クライマックス」とは、第二ターニングポイントで新たな決意を抱いた主人公が最大の困難に立ち向かい、それを乗り越えるパートですが、「ヨミガエレ」の曲をライブで歌う場面がそのままクライマックスになっています。ライブ中、またも「不運」がさくらを襲い、ライブ会場が大雪で崩壊するというアクシデントが起こりますが、さくらたちは諦めず歌い続けてライブを成功させます。


 そして「エンディング」の役割は、最大の危機を乗り越えた後、「主人公が報われた」ことと「世界が良い方向に(わずかでも)変わった」ことを示すことです。例えばバトルものの作品なら、クライマックスで激しい戦闘を描いた後にエンディングで平和な場面を描かないと「苦しい戦いだったがそれも報われた」という感じが出ません。

 でも『ゾンサガ』では「FLAGをはためかせろ」のライブシーンが、それだけでエンディングとして成り立っています(その直前、楽屋での幸太郎やフランシュシュメンバーとのやりとりもエンディングに含めていいかな)。つまり主人公のさくらにとっては、努力が実ってライブを成功させたことで「報われた」ことになるし、ステージでともに歌う仲間や客席の様子を描くことで「世界は少し良くなった」ことも表現できています。「FLAGをはためかせろ」の曲と歌詞も相まって、多幸感あふれる締めくくりとなっていたと思います。

 ライブの場面の二つの曲をクライマックスとエンディングにしてしまうとは! 思わせぶりなCパートがありましたが、二期も期待できそうですね。


 ここで事例として取り上げた『ガルパン』や『ゾンサガ』だけではなく、1クールのオリジナル・アニメでは、このような「王道」パターンの構成の作品が他にもいろいろ作られています。BDやDVDの売上で利益を出さなければならないビジネスモデルで、「1クールでしっかり盛り上がって綺麗に終わる」作品が求められているからでしょう。

 しかし、こうした「王道」の構成を外れた作品が大成功を収めることもあります。そこで次は『魔法少女まどか☆マギカ』を取り上げて分析します。

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