銀河バス、じょうぎ座からみなみのさんかく座間の道程にて
天の川の脇に敷かれた星屑の砂利道を走る、それを銀河バスと呼ぶ。
名前の通り、銀河を走るバスなのだ。
星より明るい銀色の車体に、夜のきらめきを散らして走る夜行バス。小さなバスだ。車内はお世辞にも広いとは言いがたい。座席も星雲のようにふんわりとやわらかいが、やはりこじんまりとしていて、大人が腰掛けるには些かの苦労がいるだろう。
しかしそこは大した問題ではない。なにしろ銀河バスは、子供達を乗せるためのものである。
いて座を始発駅にいっかくじゅう座の前にある尋常小学校へと向かうのだ。
星の海を抜ける姿はゆっくりと流れる箒星のようにも見えるだろう。年に数えるほどしか走る事のない夜のバス。
いっかっくじゅう座の尋常小学校は全寮制だ。つまりバスは、年に数度の長い休みの、始めと終わりにしか走らない。
星の海を走るそのバスに乗ることは少年達のちいさな夢のひとつであり、そして子供と大人を分ける曖昧な旅路の入り口に立つ為の、いわば門出の意味合いも持っていた。
三月の夜は澄んでいる。
きらめく星々は近くで見ると随分と明るい。
天の川の輝きは地上にも影を落とすほどのものなのだと、そう教師が言っていた事を、クロトス少年は不意に思い出した。
太陽、月、金星、そして天の川銀河。地球の上、その大地に影を落とすほどのひかりをもたらす事ができるのは、空にこの四つだけ。
バスがじょうぎ座の前で停車した。
同じような制服を着た少年達が規則正しく乗り込んでくる。年齢は皆、ばらばらだ。十にも満たない子もいれば、もう今年で卒業なのだろう、背の高く大人びた少年もいる。
「やあ、失礼。銀河バスに乗るのは、君、何度目だい?」
乗り込んで来たうちのひとりが空いていたクロトス少年の向かいの座席に座り、そう声を掛けた。
ほっそりとした、端正な美貌の少年だ。長いまつげの先に星の光が宿っている。銀色の睫毛だ。波打つ髪も、銀の色をしている。
「僕は初めてなんだ。転校生でね」
「そうなのか。どうりで、一年生でもなさそうなのに制服がぴかぴかだと思ったよ」
「それはよかった。僕はもう、四年生なんだ。間違えられたら恥ずかしい」
「大丈夫だよ。僕より大人びて見えるもの」
そう言ってにこりと笑う。
クロトス少年には彼がいくつなのか、何年生なのか、見当も付かなかった。
「それにしてもこのバスは、随分高いところを行くんだね」
「そりゃあそうさ。銀河バスだもの」
分厚いソーダ色の窓ガラスの外には、ざらざらとした歪な形の星の砂利と、どこまでも続く長いながい天の川がある。
藍色の中に黒をまぶしたような夜の空に、銀色の星がどこまでもどこまでも遠く溢れていた。
「いっかくじゅう座はまだなのかな」
「まだだよ。次はみなみのさんかく座さ」
「そうなのか。よく覚えているね」
「僕はそうさ、長いからね」
ふとクロトス少年は、彼の胸に控えめに光るブロォチがある事に気が付いた。どことなく淡い色合いのその少年に、それは殊更良く似合っていた。
バスが大きめの小惑星を踏み越えてがたんどんと揺れるたび、彼の胸でさらさらと鎖が涼やかな音を奏でる。
星を繋いだような小さな硝子が、鎖の先で音もなく光った。
銀の縁取りをされた青い石の中に、やはり銀色のモチィフがある。この青は、夜空だ。クロトス少年は目を奪われていた。小さな銀河がそこにはあった。
石の中の青い夜空を、銀色のバスが走っている。銀河バスだ。
「――ねえ、これは」
「銀河バスだよ。わかるだろ?」
くすりと少年が笑う。
「随分と気に入ったみたいだね」
「あ、ああ、ごめんよ。ジッと見てしまって」
「いいさ。これは僕も気に入りだからね」
「なら、よかった。それにしても」
ほう、と感嘆のため息を吐いて、クロトス少年も笑った。
「これに僕が乗っているなんて、なんだか夢のようだよ……本当に、夢だったんだ。よかった、僕も銀河バスに乗れて」
「そうか」
ふと向かいに座る少年が、バスの揺れも気にせずに立ち上がった。彼は自分の胸からそのブロォチを取り外すと、クロトス少年へ差し出した。
「うれしい言葉を聴けたからね。これを君に」
「え?」
「受け取ってよ」
細く白い指がクロトス少年の右手を取り、手のひらに銀のブロォチを握らせた。
「そんな、悪いよ。君の気に入りなんだろ?」
「だからこそ貰って欲しいんだ。銀河バスに憧れて、そしてやっと乗れた、君に」
あげるよ、クロトス君。
そう言うと少年は手を、離した。
――――がたん!
ハッとしてクロトス少年は瞼を開けた。バスが止まっている。みなみのさんかく座、みなみのさんかく座。運転手の低いアナウンスが車内に響く。
向かいの席には、誰も座っていない。
夢、だったのだろうか。ぼんやりと、少年は目をしばたいた。
バスの中には幾人もの少年がいるが、あのどこか浮世離れした美貌はどこにも見当たらない。
夢、だったのだろうか……。
しかしクロトス少年は、固く握られた自分の右手の中に、何かがある事に気が付いた。金属の冷たさ。しゃらしゃらとした鎖のすべらかさ。
開いた手のひらにあったのは、間違いなく、あのブロォチだった。
ドアが閉じる。
銀河バスが走り出す。
少年はソーダ色のガラスの向こうに広がる夜空を眺めた。遠くに青い星の影が見える。半分黒い影に浸かったような、美しいホワイトマァブルの浮かぶ星だ。
それ以外にも、夜空には数限りなく、どこまでもどこまでも、星々が瞬いている。
手の中の小さな銀河バスを握り締めて、クロトス少年は静かに微笑む。
さっきの彼が誰なのか、彼にはほんのりと、わかったような気がした。
ふるもの 杏野丞 @anno_j
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