鳴神裁×バーチャル悪代官
畳縁(タタミベリ)
鳴神裁×バーチャル悪代官
頭上の小窓から冬の月が差し込んだ牢に、ひとりの青年が繋がれている。
水責めに遭わされたのだろう、うっすらと薄い筋肉が付いた裸の上半身には、肌から水が伝わっており、暗色のパンツも、彼を縛るように纏わりついていた。
彼、鳴神裁は両腕を上げたまま、石壁に背を向けて磔にされている。壁から伸びた鉄の鎖は、それぞれの手首に嵌まる鉄の輪へと続いていた。鎖の長さが足りないため、座ることもできず、ひざまづく途中の姿勢で浮いた形だ。
俯いた彼の正面にある、固く組まれた木格子。その四角い切れ込みに納められた扉が開かれ、二人の男が現れた。
「鳴神裁、顔を上げろ」
片方は、彼を尋問した手下の男。
「冷水を浴びた気分はどうじゃ……」
その後ろに控える、巌のような顔が、バーチャル悪代官である。
「鳴神ッ!」
「よいわ」
前に出た悪代官はぱんっ、と勢いよく扇子を片掌にぶつけ、畳んだ。それを俯いた青年の顎元に押し当てる。そのまま、手繰るように強引にこちらを向かせた。
紫色の髪の先に溜まった水滴が散る。
「威勢が無いのう」
悪代官は口元を緩ませながら、顔を近づける。
鳴神が睨み返した。憔悴しきってはいるが、鷹のような目をしている。
気圧された悪代官は扇子を彼の顎から離し、後ずさった。
そして怒りをにじませたが、すぐに余裕を取り戻した。
「続けますか」
「いや。外してよい」
「はっ」
手下が去り、この場は悪代官と鳴神だけだ。
「鳴神の。少し話をしようではないか」
「何度でも、言ってやるよ。俺は、悪を失くすVtuberだって……」
「まだ言うか」
悪代官は出来の悪い弟子を諭すように、扇子を開き、閉じ、歩き出した。
「ならばおぬしは何だ。正義か。それも違うであろう」
壁の端でぐるりと回り、繰り返す。
時折、品定めをするような目を彼へと向けた。
「大人になれ……鳴神。"何者でもない"など、在りはせぬ。何れかの立場に属するのが、一人前というもの。じゃからの、ワシがおぬしを定義してやろうというのだ。おぬしは、悪だ」
「違うっ!」
「おぬしは"露悪"で、ワシは"俗悪"。相容れぬのう」
悪代官は彼の否定を聞き入れない。
足を止め、突然に問うた。
「ときに、沢○研二は知っておるか?」
「沢田○二……だと? リアルは管轄外だな。確か、オエドとか歌ってたっけ」
「違う。それは微妙に違うぞ鳴神よ」
慌てて扇子で彼を指した。
「まあよい。去年、奴はコンサートを中止した。理由は奴なりのケジメ、じゃがワシから言わせればな、そんなものは、ただの我儘ぞ」
「だからどうしたってんだ……話は短くしないとフォロワーが外れるぞ」
鳴神は苛立つ。鎖が鳴った。
「大事なのはここからよ。コンサートの中止を受けて、折角期待していたファンはどう思ったか?」
「……怒る。当然だろ、期待を裏切ったんだ。俺ならそうする。ファンを裏切ったら、終わりだ」
「ふふ」
悪代官の顔が嘲りに歪んだ。予想通りの答えが返ってきたと。
「おぬしは青い。何十年も鍛えられたファンというものはな……」
悪代官は熱を帯びて語りだした。
「Vtuberのように一年か二年の、始まったばかりの取り巻きではない。故に、奴の短慮を起こす性格も知り尽くしていたのだ」
「(とか言ってるけど、Vtuberのファンも、懐が深くなってきてるよな……)」
「まず本人の体調不良を心配した。そして、中止について謝罪したことに、大方は彼も丸くなったものだという感想を持ったのだ。若かりし頃ならば、謝りもしなかったというのだから驚きじゃな」
鳴神は絶句する。
「馬鹿な……キズナアイでも、コンサート当日ドタキャンは許されないだろ」
「よいか。ファンとは、究極的には赦しなのだ。推しのすべてを受け入れ、赦す。それが、ファンというものよ。この与太話の戯作者もな……推し歌手がスピリチュアルに嵌ったり宗教的な歌を作ったりしたのを、苦しみながら赦してきたのじゃ」
悪代官は鳴神を見た。
「分かれ、鳴神。オフパコだろうが何だろうが、それを裁くのはお前ではなく、推しを追い続けたファンの権利なのじゃ……。そして、多くの結論は赦しであろう。赦されないのだとしたら、それはVtuberという存在の若さゆえ」
強風で削られた岩肌のような顔が、今は凪いだようだった。
「おぬしのした事は、紛れもない悪ぞ」
「あぁ……」
もはや鳴神の全身は鎖に預けられ、力なくうなだれるのみ。
「……それでも、俺は悪を裁きたい」
「マウントを取るためか?」
「違う。違うんだ……」
「構わぬぞ。なにも言葉を並べて分かって貰おうなどとは、思わぬ」
取り巻く空気が、途端、不穏に変わった。
彼に近付いてゆく。
「ちょっと待て、なんかするな!?」
がちゃがちゃと鎖を鳴らすが、無駄な抵抗だ。
「互いに向いている方向は違えども、同じ悪ぞ。ワシとおぬしが組めば、より面白き世が来るとは思わぬか?」
悪代官は青年の睨みに目を細めた。手を伸ばす。
「ほほ。どう、どう」
「くそっ」
顎を掴み、懐から赤い紐が結わえられた小さな銭を出し、鳴神の前に下げた。
真鍮製の、穴の開いた硬貨だ。意図が読めぬ鳴神は毒づいた。
「リアルマネーなんか持ち出しやがって……」
「電子マネーにはワシの望む輝きが無いのでな。ワシらは、バーチャルだ。だが、金だけは真実でなければならん……」
悪代官は遠い目で呟き、再び我に返った。
なんということか。悪代官はこのキャッシュレス化の波において、実体的貨幣を愛好する現金主義者なのだ。これも越後屋の入れ知恵に違いない。
「バテレンの魔術に惹き込まれるがよい……!」
悪代官が好む黄金色に輝いた、真鍮製の硬貨が、振れる。
振れ幅は徐々に大きくなり、鳴神を誘った。
「グフフ、ワシの元へ来い。"露悪"と"俗悪"のコラボ配信が待っておるぞ」
「お……」
カチコチと硬貨の振り子に誘われ、青年の目は虚ろに変わってゆく。
「ワシらで"邪悪"や"巨悪"を弄り倒してコンテンツ化するのだ……リスナーが集まるぞぉ、そのときワシらの悪は正義となり……分かるか、鳴神、分かるのだ」
効果の程を確かめ、悪代官は独りごちた。
「まぁ、ワシも配信としては、根拠の弱い放言に過ぎないのじゃがな」
決定的な一言を、彼は逃さない。
鷹の目が、開かれた。
「……聞いたぞ。言質は取った」
「何っ」
いつの間にか、腕の拘束は解かれていた。鳴神は顎を掴んでいた手を振りほどき、もう片方の手で悪代官に拳の制裁を加える。
「げぅっ」
頬を思い切り殴られ、悪代官は牢の床に伏した。
「き、貴様っ」
「効かねえだろ。俺ケンカ弱いしなぁ……」
だが、十分な侮辱だ。
「この輪っぱ、初めから緩いんだよ」
鳴神はなまった腕を回す。
「牢にぶちこんだはいいけど、その後で逃げられるってお約束の展開には逆らえない。アンタは悪代官だからな」
「出会え、出会えーっ!」
立ち上がった悪代官は、手下を呼ぶ。
鳴神は、起き上がる悪代官に敢えて、物理的マウントポジションを取らなかった。
「いいぜ、仲間を呼びなよ。まとめてやってやる」
彼は指を開き、言葉を唱えた。
「"俺、鳴神裁とバーチャル悪代官は裏で繋がっている"。手を見な」
二人の手指に、白い糸が繋がっていた。
不可触の、だが切れない糸だ。
「ややっ、これは面妖な!」
「関係性を可視化する。俺の能力だよ。厨二病って笑ってなかったか? こういうのもできるんだぜ?」
「おのれっ」
悪代官は糸に触ろうと必死にもがく。
「この糸は"根拠"が無ければ決して切れない。相性悪いよな、オッサン。そして!」
鳴神が糸を握り込んで、引いた。
華奢な青年の素の腕が、僅かに盛り上がる。
「こ、こんなのこじつけだぁっ」
悪代官の軽くない体重で、いとも簡単に引きずられた。
浮き上がり、回りだす。
「俺の出す言葉の方が"重い"んだ。アンタは"軽い"。好きにさせてもらう!」
「ウオオーッ!」
木枠の牢、石の壁に次々とぶち当たり、それらがドリフのように外側へ倒れてゆく。
「ぶち飛ばすぜぇ!」
回転は止まらず、回る度に糸は伸びてゆき、背景オブジェクトを轢き倒していった。
「ガッ!、グハッ、ワシの屋敷……ァァァアア!」
「ぇぇぇぇっ!」
「「お代官様ッ、グワーッ!」」
遅れて駆け付けた手下共が、耐G訓練機の回転軸に入り込んでしまったかのように、弾かれて消えてゆく。バタバタと屋敷は倒し尽くされ、伸びきった糸の端で悪代官は飛び続けていた。
「ワシがぁ、ワシの! 参った!」
「忙しいんだ、聞こえねえ!」
延々と回し続ける鳴神にも疲れが見えた。
「そろそろ終わりにしようぜ……"俺、鳴神裁とバーチャル悪代官は、無関係!"」
ぷっつりと糸が切れた。
「あっ……」
「以上だ、配信終わり!」
「アアアァーッ!」
悪代官は小さくなり、古いアニメのような星となり、消えた。
「はぁはぁ……、終わったぜ……」
荒く呼吸する鳴神は、月夜の下に座り込んだ。
「どうすっかな……」
おかしな事態だったが、指摘は尤もだ。彼はこれからを考えねばならなかった。
<とでも思ったか?>
「なんだ、どこからっ」
鳴神は左右を見回したが、辺りには屋敷の建っていた森の木々だけがある。
<ワシはバーチャル悪代官。バックアップは怠らぬ主義ぞ……>
「てめえっ」
拳を振り上げたが、向ける先が無い。
<悪の誘い、まだ諦めた訳ではない>
「しつこいオッサンだな」
<おぬしが何者か、まだ断ずるには早そうじゃ。配信を見ておるぞ……>
そして、邪な気配は遠のいていった。
「チッ」
舌打ちした善悪不確かな青年を、月が平等に見下ろしている。
夜風が吹き込んで、彼は寒さを思い出した。
「上着探さないと……」
彼の忌み嫌う悪は、まだ失くなりはしない。
鳴神裁×バーチャル悪代官 畳縁(タタミベリ) @flat_nomi
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