第6章

愛とは



「下手くそ」



 ティムの剥いた林檎を見下ろし、ベッドに横たわるオズウェルは、顔を顰める。



「何でこんなに汚いんだ。大きさはまちまちだし、身は抉れているし、第一時間が掛かり過ぎだ。全く。皮剥きも出来ないで、よく独り暮らしをしていられるな」

「す、すいません。俺、道具を、使うのは、苦手で」


 ティムは、椅子の上でしょんぼりと肩を落とし、大きな体を縮めた。


 オズウェルは眉を顰め、包帯の巻かれた腕を動かす。


「……まぁ、今は喉が渇いているからな。仕方ないから、これで我慢してやる」


 一切れ摘まみ、齧り付いた。


「生温い。それに口当たりも悪い。こんなに不味い林檎を食べたのは初めてだ」

「す、すいません」

「……だが、まぁ、食べられない程ではない」


 ふんと鼻を鳴らし、オズウェルはもう一口頬張る。


 ティムはホッと胸を撫で下ろし、徐に松葉杖を掴んだ。


「あの、それでは、俺はそろそろ、帰ります」

「……何だよ。お前、まさかとは思うが、僕の見舞いを、何かのついで位に考えているんじゃないだろうな」

「い、いえっ。そんな事は、ありません」

「だったら何でこんなに早く帰るんだよ」

「それは、こ、この後、ラヴさんに、呼ばれていまして……」

「彼女に?」


 オズウェルは目を丸くし、食べ掛けの林檎を口から吐き出した。


「馬鹿っ。お前、彼女に呼ばれているのに、なにこんな所でのんびりしているんだっ。さっさと行けっ」


 そう言って、オズウェルはティムの腕を引っ叩いた。



 途端、悲鳴を上げて、ベッドに突っ伏す。



「ぐ、うぅ、ひ、久しぶり過ぎて、忘れていた……っ。くそっ、この金剛野郎めぇ……っ」

「だ、大丈夫、ですか、オズウェルさん? 看護師さんを、よ、呼びますか?」

「い、いいっ。そんな事より、お前は、早く帰れっ」


 しっし、と犬を払うように促され、ティムは眉を下げた。唸るオズウェルへ、おずおずと頭を下げ、立ち上がる。



「……あ、あの、オズウェルさん」



 病室の扉をそっと開け、ティムは振り返る。


「ま、また、お見舞いに、きても、い、いいですか?」


 涙目のオズウェルから、視線を向けられた。


「つ、次は、もっと、上手に、林檎を、剥きます。そ、それから、もっと、長く、います。ラヴさんの、話も、沢山します。オズウェルさんを、楽しませられる、よう、頑張ります。だ、だから、だから……

 また、一緒に、食事をして、く、くれませんか……っ?」


 拳を握り、ティムはじっと、オズウェルを見つめる。


 唇を噛み締めて返事を待つティムに、オズウェルは目を丸くする。

 かと思えば、口を思い切りひん曲げ、顔を背けた。


「……まぁ、僕の怪我が治るまで、食事の補助は必要だからな。手伝わせてやってもいい」

「っ、は、はいっ。手伝いますっ。ありがとう、ございますっ」


 ティムは強張っていた頬を緩め、深く頭を下げた。

 嬉しそうに輝く瞳に、オズウェルは鼻を鳴らす。ティムに背を向け、早く行け、とばかりに手を払った。


 ティムはもう一度頭を下げ、病室を後にする。

 扉を閉めるや、じわじわと頬を赤くした。にやけそうな口元を窄め、病院の玄関の方へ、松葉杖の先を向けた。



 すると。



「良かったね。無事仲直りが出来たようで」



 唐突に、声を掛けられた。


 ティムは大きな体を跳ねさせ、振り返る。



「……っ、ラ、ラヴさん……っ?」


「やぁ、こんにちは」



 壁に寄り掛かるラヴが、笑顔で手を挙げた。


「な、何故、ここに」

「なに、少々君が心配でね。きちんと自分の気持ちを伝えられるか、見届けにきたんだ。ついでに、散歩でもしてこようと思ってね」

「だ、駄目ですよ、ラヴさん。勝手に外へ、出てしまっては」

「分かってはいるのだけれどね。気持ちはどうにもならないものだろう?」


 それは、そうかもしれないが、とティムは眉を下げた。


「大丈夫だよ。今日はすぐに帰るつもりさ。ほら、行こう」

「い、行くって、どこへ?」

「決まっているだろう。散歩だよ」


 ふふ、と喉を鳴らし、ラヴはさっさと行ってしまう。

 その細い背中を、ティムは慌てて追い掛けた。



 病院を出て、二人は賑わう通りを歩いていく。



「天気がいいね。絶好の散歩日和だ」


 空を見上げ、ラヴは機嫌良く微笑んでいる。

 対するティムは、落ち着きなく視線を動かしては、松葉杖片手にラヴを窺った。


「あ、あの、ラヴさん」

「何だい?」

「こちらの道は、刑務所の、方角、では、あ、ありませんが」

「そうだね。君が飛び降りた橋の方角だね」

「……お、俺は、向こうの方に、行きたいの、ですが」

「では、後程行こう」


 その後程が、一体いつになるのだろうか。ティムの眉は、どんどん下がっていく。


「そういえば、ティム。君、怪我の事は家族に報告したのかい?」

「え、い、いいえ。報告は、していません」

「何故?」

「と、とても、心配を、掛けるから、です。怪我は、勿論ですが、怪我をした、理由を、知ったら、きっと、驚き、悲しみ、怒ると、思います」

「ふむ、成程。相変わらず家族仲がいいね。愛情に溢れ、互いを想い合う、とても温かな家庭だ。羨ましいよ」

「あ、ありがとう、ございます。お、俺の、自慢の、家族です、ので、そ、そう言って、頂けて、とても、嬉しいです」


 頬を赤らめ、照れ臭そうに頭を下げるティム。

 ラヴは微笑ましいとばかりに喉を鳴らし、つと、前を向く。


「なぁ、ティム」

「あ、はい。何でしょうか?」

「愛とは、何だろうね?」


 不意に、ラヴが呟いた。

 ティムは目を瞬かせ、首を傾げる。


「あ、愛、ですか?」

「そう、愛。愛情。恋愛。友愛。親愛。色々な言葉で表現されるこの愛というものは、一体何だと思う?」

「え、えっと……愛は、相手を、想う気持ち、の、事で、とても、尊く、素晴らしい、ものだと、俺は、思います」

「だが、愛は美しいだけではない。時に醜く、汚い姿へと変わる。諍いの元にもなる。犯罪を引き起こす事もあるし、場合によっては、生死が関わる事態にもなる。そうだろう?」


 ティムは、困惑しつつも、肯定する。


「愛故に犬の仇を取り、愛故に相手の恋人を殺し、愛故に自殺し、愛故に肉親を葬った人間がいる。これは果たして、尊く、素晴らしいと言えるのだろうか? 些か疑問に思わないかい?」

「う、で、ですが、それでも、美しい部分、は、あると、思います。罪を、犯してしまう、程、その方々は、愛に、溢れていたのだ、と、思います」

「成程。


 つまりは、愛の過剰分泌が故に、脳や体に異常をきたしたと、そういう事だね」


「え、い、いえ」

「ふむ。そう考えると、愛というのは、一種の伝達物質と言えるのかもしれないね。適量ならば人体に良い影響を与えるが、何かしらの原因により過剰分泌されると、様々な問題を引き起こす。

 君のミオスタチン関連筋肉肥大と同じだね。体質的に筋肉が付きやすいお陰で、日常生活に支障をきたしてしまう。


 君の場合は、家族に恵まれていたからこうして真っ直ぐ育ったが、もしそうでなかったら、今頃は私と共に服役していたかもしれないね。愛に狂って罪を犯した彼らのように」


 ラヴは、満足気に頷いた。


「まぁ、要は、何事も適量が大切だ、という事だね」


 ふふ、と喉を鳴らし、また空を見上げた。


「しかし、その適量というものも、中々難しいものだ。

 目に見えないが故に、具体的にこれとは提示しづらいし、提示した所で、必ずしもそれが適量だとは言い難い。人それぞれ、と言ってしまえばそれまでだが、それでも指針というものは必要なのではないかね」

「ラ、ラヴさんでも、難しい事が、あるんですか?」

「勿論あるさ。私だって人間だからね。それに精神科医として、私は様々な人間を診てきた。受刑者となってからも、様々な事件と関わってきた。

 そうして多種多様な愛を知ってしまったからこそ、余計に悩んでしまう節もある。さて、どうしたものか」


 顎に手を当て、ラヴは口角を持ち上げる。


 黙り込んだラヴを、ティムはそっと窺った。

 それから目を伏せ、しばし自分の足元を見つめる。


「……あ、あの……」


 つと、ティムが顔を上げた。



「お、俺は、ラヴさんが、きてくれて、とても、嬉しいです」



 突然の発言に、ラヴは目を瞬かせる。


「お、俺が、オズウェルさんと、仲直り、出来るか、見届けに、きてくれて、と、とても、嬉しく、思いました。

 オズウェルさんと、喧嘩を、してしまったと、話を、聞いてくれた、時も、嬉しかった、です。

 仲直りを、する為の、助言を、頂けたのも、とても、嬉しくて……

 そ、そのように、相手を、喜ばせる、喜んで、貰える事、が、適量の愛、なのでは、ないで、しょう、か……」


 ティムの顔はどんどん下がり、声も尻つぼみとなっていく。ラヴの視線から逃げるよう、顎をきつく引いた。


 流れる沈黙に、ティムの顔は、見る間に情けないものに変わっていく。



「……つまり」



 ポツリと、ラヴが呟く。




「私は、ティムを愛していると?」




 ギョッと目を見開き、ティムは勢い良く身を引いた。


「い、いいい、いえっ。そ、そういうわけでは……っ」

「だが、今の話は、そういう事だよね?」

「すすす、すいませんっ。これは、その、こ、言葉が、過ぎたと、言いますかっ」

「では、ティムは私が嫌いなのかい?」

「っ、いえっ! いえ、そんな、そんな事は、あ、ありませんっ。

 す、好きですっ。尊敬、していますっ。と、とてもっ、とてもですっ。本当ですっ」


 ティムは包帯の巻かれた腕を振り、ついでに首も振り、必死で言葉を紡ぐ。


「そうかい」


 すると、徐に、ラヴが腕を伸ばした。

 真っ赤に染まるティムの頬へ手を添え。



「――それは良かった」



 背伸びをし、ティムの頬へ、唇を寄せた。


 柔らかな温もりが頬に押し当てられ、ティムは全身を硬直させる。


 目を瞑る美しい顔が、すぐ傍にあった。




「私も、愛しているよ」




 吐息と共に、ゆっくりと瞼が開く。



 目元と唇に弧を描き、ラヴは、微笑む。




 途端、ティムの肌が、一気に赤くなった。情けない声を上げて、後ろへ仰け反る。



「な、ななな、何を……っ?」

「ふふ、落ち着きたまえ、ティム。そんなに力を入れては、松葉杖が壊れてしまうよ?」


 ハッと掌を開き、松葉杖から離す。握る部分が、若干曲がってしまった。

 どうしよう、と慌てるティムに、ラヴはまた喉を鳴らす。


「さて、では行こうか」

「え、あ、ちょ……っ」

「ほら、早くしたまえ」


 ラヴは微笑みを深め、踵を返した。長い髪を揺らして、歩いていってしまう。


「あ、ラ、ラヴさんっ。ま、待って、待って下さい……っ」


 松葉杖を付き、ティムは急いで追い掛ける。



 晴天の下。

 賑わう通りを、一際大きな男と、一際美しい女が、仲良く並んで進んでいく。



 まるで、一時の逢瀬を楽しむかのように。


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そして、犯罪者は微笑んだ。 沢丸 和希 @sawamaru

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