「君だね、黒幕君は」


 その夜。

 セント・リンデン刑務所内の建物の屋上に、人影が現れた。右手には望遠鏡が構えられ、左手には懐中時計が握られている。


 影は暗い闇の中で、時計を小まめに確認しては、望遠鏡で特定の方向を見つめた。



「お目当てのものは、見られそうかい?」



 突如聞こえた声に、人影は肩を跳ねさせる。



 人影のすぐ隣に、美しい女が現れた。白く細い手に持った望遠鏡を覗き込み、人影が心奪われていた方向を見やる。


「ふむ。あれは、オズウェル君が入院している病院だね。ここからだとよく見える。

 ほら、ティムもこちらへきてごらん。クリフォードも」


 ラヴは、屋上の入口を振り返る。

 ティムは松葉杖を付いて、言われた通り近寄ってきた。クリフォードは、入口の傍から動かない。構えた拳銃を、人影へと向けている。


「どうだい。月明かりに照らされた病院は、中々綺麗だとは思わないかい? 病院だけではない。街全体が、ランプの灯りと星に照らされ、神秘的な輝きを纏っている。実に美しい」


 ラヴはティムへ望遠鏡を渡し、微笑んだ。



「こんなに美しい光景を、爆弾で壊そうとする人間がいるだなんて。信じられないね」



 ふふ、と喉を鳴らし、ラヴは、人影へ視線を流す。



「そうは思わないかい? ショーン・ビショップ君」



 月明かりが、ゆっくりと屋上へ注がれていく。


 若い看守の顔が、闇夜にはっきりと浮かび上がった。


 ラヴの美しい微笑みも、はっきりと、浮かび上がる。




「君だね。黒幕君は」




 夜風が吹き抜け、ラヴの長い髪を揺らした。




「そして、オズウェル君を事故に見せ掛けて殺そうとしたのも、君だ」




 若い看守――ショーンは、静かに瞬きをする。



「……何故、自分がそのような事を? 自分は、オズウェルという人間と面識はない。関わりもない。殺す動機は生まれようがないかと思うが」

「確かに、そうだね。だから私は、爆弾が目的なのだと思った。

 君は、私とティムの会話を聞いていたね。今までずっと聞いていた。クリフォードにも報告書を出していたね。ティムの報告と、君が見聞きした内容に相違がないか、確認する為に。そうだろう、クリフォード?」


 拳銃を向けたまま、クリフォードは小さく肯定する。


「私はまず、ティムを経由して、クリフォードに今までの報告書を全て見せるよう頼んだ。事件資料だと偽装してね。いやぁ、大変だったよ。なんせ君に聞かれては意味がないからね。メモ帳へ気付かれぬよう指示を書き、証拠隠滅の為に飲み込んだ。

 そうして秘密裏に資料を持ってこさせ、ティムと君、二つの報告書の内容を確認した。


 同時に私はティムへ、しばらく休むと君に伝えるよう指示を出した。その際、私が散歩へ行かないよう気を付けて欲しい旨も、伝えるようにとね。

 その結果、君は散歩だけでなく、見舞いも行かせないと言った。私が見舞いへ行こうと考えているなどと、特別監房内以外で、私もティムも話題にはしていない。よって、ある程度話は聞こえているのだと確信した。

 加えて君は、オズウェル君の爆弾制作について、報告書に書かなかったね。ティムもその点はぼかしたものだから、クリフォードは全く知らなかったよ。お陰で私は、君に不審を抱くようになった。


 更には、君が黒幕君だと仮定すると、色々と説明が付いたんだ。

 例えば、君は警察関係者に当て嵌まるし、ピーター君の言う、警察のお兄さんのお友達にも該当する。シエラさんの夫が警視庁で保護された時刻、君も警視庁へきていたと確認された。ヘンリーを助けたのも君だと、ヘンリーの妻や同室者が証言している。


 そして、私が話を聞いた犯人達が、決して口を割らなかった理由にもなる。

 黒幕君を聞き出す場に、黒幕君本人がいたからだ。だから捕まった犯人達は、下手な事が言えなかった。裏切ったらすぐに知られてしまうからね。しかも相手は看守。囚人である自分は、何をされても可笑しくない。

 だから、直接君と関わりがない人間以外は、だんまりを決め込んだのだろう」


 ラヴは、口角を持ち上げる。


「どうかな、私の推理は。当たっているかい?」

「……いいや。外れだ」

「そうか。残念だね」


 口で言う程残念には思っていない顔で肩を竦め。



「では、もう一つの推理を、ご披露しようか」



 微笑みを、深める。


 夜風に長い髪を靡かせ、ラヴは小首を傾げた。




「君、私の事が好きだろう。恋愛というよりも、尊敬という意味で」




 ショーンは、何も言わない。


「殺人教唆をしたのは、恐らく私の真似だね。オズウェル君を狙ったのは、オズウェル君自身を亡き者にする為だ。理由は、彼が私のストーカーであり、私が彼の思い込みに少々困っていたから。


 爆弾は、ついでかな? 何かに利用出来るかと思い、設計図ごと手に入れた。

 もしくは、オズウェル君が爆弾を作っていたと警察に知られれば、捜査の手はティムの元まで伸びる。爆弾の存在を知っていたとなると、何かしらの処分を受けるだろう。もし懲戒免職にでもなれば、私が残念がると思ったのかな。だから証拠隠滅を図った。


 似たような理由で、君はティムが入院中は、爆弾を使用するつもりなどなかったのではないかと、私は考える。

 因みに、ティムの謹慎中に爆弾を仕掛けなかったのは、単純に完成していなかったから。ティムが壊したお陰で、一から作らなければならなかった。


 そうして出来上がった爆弾を、君は漸く設置した。仕掛けた場所は、先程君が望遠鏡越しに見ていた病院だ。オズウェル君の病室近くのゴミ箱から発見されたよ。菓子屋の店名が捺印された紙袋に入った状態でね。勿論その場で回収し、既に解体を済ませている。

 いつまで待っても、君の望む結果は訪れないよ」


 ラヴは微笑みを崩さずに、ショーンを見据える。


「どうだい? 今度は当たっているかな?」


 ショーンも、ラヴから目を逸らさない。



 しばし無言でその場に佇み、やがて、ゆっくりと口を開いた。



「もしそうだとしたら、どうする?」

「私はどうもしないさ。ただクリフォードが、君の手首へ手錠を掛けるだけだよ。

 あぁ、言っておくが、逃げようなんて思わない方がいい。この一帯は既に包囲されている。例えクリフォードをやり過ごせたとしても、刑務所から出る事はまず無理だろうね。下にも警官が待機している。飛び降りた所で、自殺は叶わないよ」

「忠告、感謝する。だが自分は、逃げるつもりも、自殺するつもりもない」


 ゆっくりと、表情が変わっていく。



「あなたがそうしなかったのですから、自分も大人しく投降します」



 目と唇へ、緩やかな弧を描いた。


 ラヴも、嬉しそうに微笑む。



 クリフォードが拳銃を構えたまま、ゆっくりと近付いてくる。



「切っ掛けは、何だったんだい?」

「苦しむ人間を助けたかったからです。あなたのように」

「別に、そんな大層な志など、掲げてはいないのだが」

「知っています。けれど、間違いなく救われた人間はいる。私達が救えなかった、沢山の人間が」


 ショーンは、穏やかな顔で続ける。


「自分は、看守という職業についてから、行政の限界を強く感じるようになりました。

 受刑者には、刑に服してしかるべき者もいますが、同情の余地がある者や、法が守り切れなかったが故にここへいる者もいます。自分の力不足を、まざまざと思い知らされるようでした。

 どうにか出来ないだろうか。そう考えるも、今の体制では限界があります。不幸な人間は日に日に増え、自分の心も、日に日に重くなっていきました。


 そんな時、あなたと出会ったのです。

 とても強烈でした。ずば抜けた頭脳と緻密な手口で、苦しむ多くの人間を救っていました。刑務所へ収容後も、難事件を解決しては、人々に安寧を与えていました。


 自分も、あなたのような存在になりたい。その想いは募り、やがて、実行に移しました」


 クリフォードは、懐から手錠を取り出す。


「しかし、自分には才能がなかったようです。あなたのように、事故や自然死に見せ掛ける事は、どう頑張っても出来なかった」


 ラヴへ顔を向けたまま、ショーンは両手を差し出した。


「なので仕方なく、未解決殺人事件、という方向でいく事にしたのです。それも、結局はあなたに暴かれてしまいましたけれど」


 ガチャリ、と手錠が嵌められる。


「けれど、嬉しいです。あなたに暴いて貰えて。少しは楽しませられたでしょうか?」

「あぁ、楽しかったよ。一点を除いてね」

「一点、ですか。それは一体?」

「ピーター君に手を汚させた事だ。その一点以外は、非常に楽しかった」


 ショーンは目を瞬かせ、苦笑する。頷くように、詫びるように、会釈をした。



「……行くぞ」



 クリフォードは、ショーンの腕を掴む。反対の手で肩を押さえ、屋上の入口へ向かった。



「っ、あ、あのっ」



 不意に、ティムが一歩進み出る。


「ピ、ピーターさんは、あなたを、覚えて、いました。写真を見せたら、『この、お兄さんだ』、と、言っていました。そ、それから、こっそりと、教えて、くれました。

 ピーターさんは、今、正しい知識を、覚えている、最中です。だから、自分の、した事や、あなたの、した事は、悪い事だと、分かっています。

 そ、それでも、教えて、くれたのです。

 あなたには、感謝している、と。

 秘密だよ、と、言っていたので、俺は、誰にも、教えて、いません、ので、あ、あの……

 す、すいません、ジャッジ班長……」


 鋭く睨み付けられ、ティムは身を竦ませる。


「は、犯罪を、肯定する、つもりは、ありません。で、ですが、ピーターさんが、救われたのは、事実です。お、俺も、沢山、助けて、頂きました。沢山、沢山。

 なので、あ、ありがとう、ございます。ピーターさんの、分も、本当に、ありがとう、ございました」


 頭を下げるティムを、ショーンは困ったように見つめる。


「そう言って頂けるのは、とても光栄です。ですが、自分は己の所業を、誇るつもりはありません。

 それと、お忘れかもしれませんが、自分は、あなたのお友達を、殺そうとしたのですよ? 酒を飲ませ、橋から落とし、爆弾まで仕掛けて」

「う、そ、それは、そう、ですが」

「更に言ってしまえば、彼の殺害未遂については、完全に個人的な理由です。個人的に、気に入らなかったのです。前々から、ずっと」


 ティムは、つと眉を下げる。


「……オズウェルさんも、同じような、事を、言っていました。『何となく、気に障る奴、だった』、と」

「言っていた? もしかして、目を覚ましたのですか?」

「えぇ。俺が、再入院する、少し前に。けれど、ごく少数の、人間しか、知りません。ラヴさんが、ジャッジ班長に、頼んで、情報を、制限した、ので」

「そうだったのですか。

 残念だな。もっと早く爆弾が完成していたら、殺せたかもしれなかったのに」


 ふふ、とラヴのように喉を鳴らし、ショーンは微笑んだ。立ち尽くすティムへ目礼をし、踵を返す。


 屋上から立ち去るクリフォードとショーンを、ティムは情けない顔で見送った。扉が閉まると、唇を噛み締め、項垂れる。



 そんなティムの頭を、ラヴは、優しく撫でた。


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