謹慎明け


 謹慎が解けた次の日。

 ティムは、久しぶりにセント・リンデン刑務所へ入った。若い看守に連れられ、ラヴが収容されている特別監房に向かう。


「やぁ、ティム。十日ぶりだね」


 ラヴは、謹慎前と変わらぬ微笑みでティムを迎えた。


「今日は少し遅かったね。もしかして、まだ体が本調子ではないのかい?」

「あ、いえ。そういうわけでは、ありません。ただ、こちらへ、くる前に、ピーターさんと、会ってきたので」

「あぁ、ピーター君か。元気だったかい?」

「はい。包帯で、グルグル巻きな、俺に、とても、驚いて、いました」

「ふふ、確かに、グルグル巻きだね。どれ、見せてごらん」


 手招きされ、ティムは松葉杖を付きながら、鉄格子の傍までやってくる。


「ふむ、成程。処置が施されているのは、頭と頬、左腕、左足か。服の下にも包帯が?」

「あ、は、はい。全身に、あります」

「少し触っても?」

「は、はい。どうぞ」

「ありがとう」


 鉄格子の隙間から手を伸ばし、ティムの体をなぞる。

 くすぐったさと、近付けられる美しい顔に、ティムは頬を赤らめた。


「っ、あ、そ、そういえば、ラヴさんに、報告が、あります。

 ピーターさんが、言っていたの、ですが、ピーターさんに、犯罪を、促した、男性は、自分の事を、警察の、お兄さんの、お友達、と、名乗った、そうです」

「警察のお兄さんの、お友達?」

「は、はい。警察の、お兄さん、とは、ピーターさんと、お母さんを、保護してくれた、警察官の事、だそうです。その、お友達なのだ、と、相手は言った、と」

「それは、警察関係者という事かな? それとも、本当に知り合いだと?」

「そ、そこまでは、分かりません。確証も、ありません。

 け、けれど、もし、本当に、警察関係者、だとしたら、ドナルドさんの、証言と、繋がるのでは、ありませんか?」

「それだけではないな。もしかすれば、シエラさんの証言とも関係があるかもしれない。彼女の夫は、認知症で一度警視庁に保護されている。その際、黒幕君と接触した可能性も考えられるだろう。

 他の犯人も、数名は直接もしくは間接的に、警察との関わりが確認された。これは本格的に、黒幕君が警察関係者の可能性を、視野に入れた方がいいかもしれないな」

「で、ですが、警察官、ではなく、警察関係者、となると、絞り込むのは、難しいのでは?」

「まぁ、その辺りはクリフォードに頑張って貰うとしよう。人海戦術は、彼らの専売特許だからね」


 ふふ、と喉を鳴らし、ティムの胸の上へ、細い指を滑らせていく。


「しかし、君は本当に頑丈だね。重傷なのに軽傷としか言いようがない。医師もさぞ驚いていただろう」

「は、はい。経過も、順調だ、と、昨日、言われました。

 けれど、順調過ぎて、逆に、心配なので、もう一度、検査入院、するように、とも、言われました」

「そうだろうね。私が担当医でも、同じ判断をするかもしれない」

「な、なので、明日から、三日間、また、お休みさせて、頂きます。すいません」

「そうか、分かった。では、今度こそ見舞いに行くとするか」

「え、あ、い、いえ、わざわざ、そんな」

「なに、気にするな。散歩のついでだよ」


 その散歩自体が、問題なのだが。ティムは眉を下げる。


「よし。では、ティムのカルテをきちんと作っておく事にしよう。そうすれば、三日後にどの程度回復しているのか、正しく測れるからね」


 ラヴは、鉛筆とメモ帳を取ってきた。ティムの怪我の具合を観察しては、メモ帳に書き込んでいく。


「そういえば、オズウェル君の様子はどうだい?」

「オ、オズウェルさんは……まだ、目を覚まして、いません」

「そうか。そろそろかと思ったのだが。いい加減、意識を回復して貰いたいものだね。まぁ、こんな事を言った所で、仕方がないのは分かっているのだけれど。しかし、彼が目を覚ましさえすれば、事件は間違いなく進展する。そう思うと、中々歯痒い状況だよ。

 全く、困ったものだ。黒幕君も、オズウェル君も」


 ラヴは鉛筆を走らせながら、溜め息を吐く。


「そもそも、彼は爆弾で私を連れ出して、その後はどうするつもりだったのだろうね?」

「え、さ、さぁ。どう、でしょうか」

「仮に脱獄が成功した所で、逃亡生活は一生続く。その間の生活はどうするつもりだったのか? 住む場所は? 買い物は? 警察の包囲網を潜り抜け続けるのは至難の業だ。

 それならば、こうして事件を推理しつつ、悠々自適に日々を過ごしていく方が余程いい。そうは思わないかい?」


 ティムは、何も言わない。

 眉を下げ、忙しなく動くラヴの手元を見つめるのみ。


「まぁ、君も友達をどうこう言われるのは、あまり気持ちのいいものではないだろう。だからこの件については終わりにするが、しかし私の本音としては、彼にはそろそろ現実を見て貰いたいのだよ。私達は恋人ではなく、ただのストーカーと被害者だとね」

「あ、め、珍しい、ですね。ラヴさんが、そのように、言うだなんて」

「私だって人間だからね。そういう時もあるさ」


 ふふ、と喉を鳴らし、ラヴはメモ帳へ文字を綴っていく。


「そうだ、ティム。君に一つ、質問があるのだが」

「な、何でしょう?」


「もしも、黒幕君がクリフォードだったら、どうする?」


「……え?」


 ティムは、勢い良く顔を上げた。目を見開き、ラヴを凝視した。


 つと、ラヴの笑みが深まる。


「冗談だよ。ただ、黒幕君が警察の人間だった場合、クリフォードも容疑者の一人となるだろう? 勿論、君もね」

「っ、お、俺は、オズウェルさんを、突き落しては、い、いませんっ」

「分かっているよ。あくまで、条件に該当する、というだけの話さ」


 と、不意に、鉛筆を止めた。


「さて。観察はこれ位にしておこうか。ティムの怪我の具合もある程把握した事だし、次は、入院中や謹慎中の出来事でも聞かせてくれたまえよ」


 ラヴは、メモ帳を鉛筆で叩く。


「は、はいっ。分かりましたっ」

「いい返事だ」


 ラヴは微笑むと、徐にメモ帳を一枚千切った。静かに握り潰し、指先で丸くしていく。



 そして。



「楽しみしているよ」



 丸めたメモ帳を、口へ放り込んだ。



 ゴクリと喉を上下させ、口角を持ち上げる。








 本日の報告書を書き終えたティムは、待機していた若い看守に連れられ、刑務所の玄関までやってくる。


「それでは、お疲れ様でした」

「お、お疲れ様、でした。あ、明日から、三日間、お休みさせて、頂きます。なので、三日後に、また、よ、よろしく、お願いします」


 ティムは頭を下げ、おずおずと若い看守を見やる。


「あ、あの……ラヴさんの事も、よろしく、お願いします。と、特に、散歩には、行かないよう、見て頂けると……」


 言外に、脱獄しないよう気を付けて欲しい、と伝えると、若い看守は苦笑した。


「分かりました。散歩も見舞いも行かせないよう、厳重に監視させて頂きます」

「す、すいません。看守さんに、このような事を、言ってしまって……」

「いえ、お気になさらず。お大事にどうぞ」

「う、あ、ありがとう、ございます。よろしく、お願いします」


 もう一度頭を下げると、ティムはセント・リンデン刑務所へ背を向けた。高い塀に沿って、松葉杖を付いていく。


 顔を上げれば、建物の屋上に、望遠鏡で辺りを監視している人影が見えた。

 相変わらずの物々しさに、ティムは眉を下げる。会釈をするように視線を逸らし、ゆっくりと歩いていった。



 次の日から、ティムは病院に再度入院する事となる。

 担当医は入念に検査を進めていくが、結果はやはり問題なし。順調に回復へ向かっていると、非常に納得のいっていない顔の医師から伝えられた。

 何だか申し訳なくて、ティムは人一倍大きな体を終始縮こまらせたまま、診察を受けていた。



 三日後。

 静かな病室に、ティムはいた。椅子に座り、傍らのベッドを見つめる。


 横たわるオズウェルは、目を瞑って微動だにしない。




「失礼する」




 ノックと共に、クリフォードが姿を現した。手には、分厚い封筒を持っている。


「ここにいたか」

「あ、す、すいません、ジャッジ班長。えっと、俺に、何かご用、ですか?」

「いや、大した用ではない。ただの見舞いだ」

「そ、それは、どうも、ありがとう、ございます」

「いい。どうせあいつに言われてきただけなのだからな」


 あいつ、とは、恐らくラヴの事だろう。それでもティムは頭を下げ、新しく椅子を出そうと手を伸ばす。


「結構だ。長居はしない」


 クリフォードは、持っていた分厚い封筒をティムへと差し出す。


「え、あ、こ、これは……?」

「オズウェル・エアハートの転落事故に関する資料だ。ラヴレスより、お前に見せるよう要請がきたので、持ってきた」

「そ、そうですか。ありがとう、ございます」


 ティムは、封筒から資料を取り出す。表紙を捲り、内容へ目を通していく。



 すると、ある一点で、視線が止まった。



 ハッと息を飲む音が、病室へ小さく響く。



「こ……ここに、書かれている、事は、本当、ですか……?」

「……あぁ。事実がそのまま載っている」

「……そう、ですか……」


 ティムは、深く息を吐き出した。

 しばし呆然として、また、資料を捲っていく。



「……ありがとう、ございました、ジャッジ班長」



 最後まで読み終えると、ティムは資料を丁寧に封筒へ戻し、クリフォードに渡した。


「退院は、今日だったか」

「はい。手続きは、もう、しました」

「では、明日から通常業務に戻るように」

「……分かりました」


 頷くティムを一瞥し、クリフォードは踵を返した。


 去っていく上司の背中を見送り、ティムは、緩慢にベッドへ視線を戻す。眠るオズウェルを、じっと見つめた。

 唇を噛み、情けなく眉を下げる。

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