ティムの依頼


「それで、ティム。君はこれから、どうするつもりだい?」

「お、俺は、取り敢えず、情報を、集めます。あの日、オズウェルさんを、見た人を、探して、それで、話を、聞いてみます。会社にも、行ってみようと、思います」

「良い判断だね。警察は、オズウェル君の件を、事故として処理しようとしているのだろう? ならば、これ以上証拠が出てくるとは思えない。自分で動いた方が、まだ手掛かりが見つかる可能性は高いだろう」

「は、はい。そうして、証拠を集めて、オズウェルさんが、誰かにお酒を、飲まされて、突き落されたと、証明します。そ、そうしたら、警察は、動いてくれます、よね?」

「殺人未遂だと、きちんと証明出来ればね。けれどこういった事は、時間が経てば経つ程、立証が難しくなる。警察も、次から次へと舞い込む事件に、対応しなければならない。あまり悠長にやっていると、例え殺人未遂を証明したとしても、取り合って貰えない事もあるよ」

「え、そ、そう、なんですか?」

「あぁ。それと、君は今、謹慎中なんだよね? ならば情報を集めるにしても、あまり派手に動かない方がいい。下手すればクリフォードの耳に入り、説教をされてしまうからね」


 確かに、そうかもしれない。医師に無理をするなと繰り返されたのと同様に、クリフォードからも、大人しくしていろと再三言われていた。


 もし破ったと知られたら。ティムは顔を強張らせ、大きく頷く。


「あ、あの、ありがとう、ございます、ラヴさん。助言を、頂けて、とても、助かります」

「そうかい。それは良かった」


 そう言って、ラヴは微笑みを絶やさず、ティムを見上げた。

 ティムも頭を下げ、ラヴを見下ろした。



 見つめ合ったまま、妙な沈黙が、この場に落ちる。



「……あ、で、では、その、大変、申し訳ないの、ですが……そろそろ、戻りません、か?」

「ん? 戻るのかい?」

「え、えぇ。きっと今頃、ラヴさんが、いないと、看守さん達も、気付いていると、思います。ジャッジ班長も、既に、動いているかも、しれません。

 その、お、俺の、お見舞いに、きて下さった、事は、本当に、嬉しいです。本当の、本当に。け、けれど、そろそろ、戻らないと、きっと、ジャッジ班長に、怒られて、しまいます。ラヴさんも、俺も」



 すると、ラヴは珍しく目を丸くした。


 常に微笑みを絶やさない口も、無防備に半分開く。



「……ティム。一つ確認したいのだが」

「あ、は、はい。何でしょう?」

「君は、何の為に、私と面会したかったんだい?」

「それは、ラヴさんと、話を、したかったから、です」

「何を話すつもりだったんだい?」

「オズウェルさんの、事件について、です。もしかしたら、俺の知らない、情報を、知っているかと、思ったので、聞かせて貰おう、と、思いました。それと、俺の推理を、聞いて貰って、助言を、頂けたらな、と、思いました」

「……それだけかい?」

「えっと、はい。あ、いえ。もう一つ、情報を、集める方法、や、コツ、の、ようなものを、教えて、貰えたらな、と、思いました」


 そう締め括るティムを、ラヴはまじまじと見つめる。

 何か可笑しな事でも言っただろうか。ティムは後ろへ体を引き、眉を下げた。


「……なぁ、ティム」

「あ、はい。何ですか?」

「君は、私に依頼をしようとは、考えなかったのかい?」


 え、と目を丸くするティムに、ラヴは続ける。


「本当は、クリフォードのように、オズウェル君転落の真相を暴いてくれと、私に依頼しようと思っていたのではないのかい?」


 いつもの笑みを潜ませ、ラヴは美しい顔を、ティムへと向ける。


 ティムは、困ったように目を泳がせた。唸り声を上げ、頻りに松葉杖を掴み直す。


「……じ、実は、そう、です。ラヴさんに、オズウェルさんの、事件の捜査を、お願いしようと、思って、いました」

「あぁ、そう。そうだよね」

「で、ですが、その……」


 と、ティムは、ラヴから顔を背ける。




「……ジャ、ジャッジ班長の、ように、ラヴさんへ、その、く、くくく、口、口付けを、する勇気は、な、なかったので、なので、や、止めました……っ」




 言い切るや固く目を瞑り、俯いた。

 その頬は赤く染まり、大きな体を羞恥で震わせる。


 そんなティムを、ラヴはポカンと見上げた。

 しばし呆けたように佇み、かと思えば。




「ふ……ふふ、ふふふっ。く、口付け……っ」




 口と腹を手で押さえて、笑い出した。


「そ、そうか。それは、成程。確かに、私はクリフォードに言ったね。依頼を受けて欲しければ、今すぐ口付けをしたまえと。だからティムは、そんな真似をする勇気がなかったから、依頼しなかったと、そ、そういう事か。なんだ、そんな理由だったのか」


 ラヴは一頻り身悶えると、大きく深呼吸をする。


「ふぅー。しかし、何とも予想外な答えだったな。口付け、ふふ」


 目元を指で拭い、美しい顔へ、妙に晴れ晴れとした笑みを浮かべる。


「安心したまえ、ティム。私は、依頼者全員から口付けをせがむような女ではないよ。助手の願い位、無償で引き受けてあげるさ」

「え、あ、で、ですが、ラヴさんは、今、ピーターさんに、殺人教唆を、した、人物の、特定を、ジャッジ班長から、依頼されて、いるのでは」

「いいんだよ。可愛げのない相手からの依頼よりも、可愛らしい相手からの依頼の方が、やる気が出るというものだ。

 それに、あちらは現在、未解決事件の犯人逮捕の真っ最中なものでね。クリフォードが結果を持ってくるまで、少々時間が空いているんだ。だから問題ないよ」

「で、でも、あの、流石に、無償は」

「ならば、君の体を観察させてくれたまえ。蒸気機関車に生身で勝つだなんて、非常に興味深い。更にはあり得ない程軽傷だったらしいじゃないか。病院で聞いたよ。その強靭な肉体や、怪我の治る速さなど、調べたい事は山程あるんだ。

 私の好奇心を満たしてくれるのならば、君の依頼を受けようじゃないか」


 ふふ、と喉を鳴らし、ラヴは、どうする? とばかりに微笑み掛けた。


 ティムは目を見開き、やがて、じわじわと緩む唇を噛み締める。


「あ、ありがとう、ございますっ。よろしく、お、お願いします……っ」


 姿勢を正して、包帯の巻かれた頭を、ぎこちなく下げる。

 ラヴは笑みを深め、任せたまえ、と一つ手を叩いた。


「では、早速行こうか」

「え、あ、え? い、行くって、どこへ?」

「オズウェル君のアパートだよ。何か手掛かりが残っているかもしれないだろう?」

「え、で、でも」

「分かっている。いい加減元の場所へ戻りたまえ、と言いたいのだろう。勿論、戻るとも」


 ふふ、と喉を鳴らし、ラヴは踵を返した。



「オズウェル君の部屋を、調べ終わったらね」








 オズウェルが住むアパートの前までやってくると、ラヴは玄関のノブを掴んだ。


「ふむ。鍵は掛かっているね」


 二度三度と捻り、ティムを振り返る。


「ティム。開けてくれ」

「え? あ、す、すいません。俺、オズウェルさんから、合鍵は、預かって、いなくて」

「ならば、壊せばいいじゃないか」


 平然と言われた言葉に、ティムは目を白黒させた。


「い、いや、それは、不味いのでは」

「不味いだろうね。けれど、それ以外の方法はないのだから、致し方ないよ」


 さぁ、とラヴは、扉の前から一歩退く。更には、手でノブを差した。


 ティムは眉を下げる。けれど、代案が思い付くわけもなく、結局ラヴの言う通りにするしかなかった。


「やはり、ティムの力は素晴らしいね」


 鈍い音と共に開いた扉を、ラヴは颯爽と潜る。ティムも、オズウェルへの謝罪と、後で弁償する旨を心の中で何度も繰り返しながら、松葉杖を付いて中へと入った。


「思った通り、綺麗な部屋だね」


 ラヴは部屋の中を見渡すと、目に付いた場所へ腕を伸ばしては、中を確認したり、手に取ったりしている。

 あまりの躊躇のなさに、ここはラヴの部屋だっただろうか、と一瞬ティムは錯覚してしまった。


 だから、反応が遅れた。


「っ、あっ。ラ、ラヴさん、そこは……っ」


 制止する間もなく、ラヴは隣の部屋の扉を開けた。



 途端、壁一面に張られたラヴの写真が、ラヴ本人の前に晒されてしまう。



「ほぉ、これは凄い。想像以上の量だ」


 焦るティムを余所に、ラヴは平然と中へ踏み込む。

 ティムが恐る恐る部屋を覗けば、オズウェルの宝物達に囲まれながら、ラヴは手際良く調べていった。


 そして、部屋の奥に置かれた机の前で、立ち止まる。


 上に並ぶ本や道具、袋詰めされた材料らしき金属やコード、備え付けの引き出し一つ一つを、丁寧に確認していく。



「……ティム」



 つと手を止め、振り返る。


「君は、先日言っていたね。オズウェル君が作った爆弾を、壊してしまったと」

「は、はい。そうです」

「オズウェル君が爆弾を作る際、試行錯誤を繰り返し、何度も設計図を書き直したとも、言っていたね」

「はい、言いました、けど……」


 それが何か? とティムはラヴを窺い見る。


「ないんだよ」

「え?」

「壊れた爆弾の残骸も、設計図も。それどころか、試作品らしきものも見当たらない。オズウェル君が処分したとも考えられるが、全くないというのも可笑しな話だ」


 ラヴは、徐に辺りを見回す。


「ならば別の場所に保管してあるのか、とも思ったが、それらしいものは室内に見当たらなかった。室外に持っていたのだろうか? それでも、一つ位はあるものだろう。事実彼は、作り直すと言ったんだ。少なくとも、制作途中の爆弾がある筈だ。

 けれど、ない。


 ここから考えられる答えは二つ。

 一つは、既に制作を終え、爆弾設置後に全ての証拠を消し去った場合。けれど、その可能性は低いだろうな。

 何故なら、オズウェル君が意識不明となってから、既に七日が経過している。という事は、爆弾が設置されたのは、七日より前だと考えられる。起爆時間をそこまで長く設定出来る爆弾を、独学で作れるとは思えない。

 よって設置されていないか、設置されていても不発だったと考えられる。なので特に焦る必要はない。私が戻った後、刑務所内を捜索して貰えばいい」


 滑らかに吐き出される推理に、ティムは唾を飲み込んだ。


「そして、二つ目。私は、こちらが本命ではないかと考える」

「そ、それは、一体……?」


「オズウェル君ではない誰かが、持ち去った場合だ」



 ひゅ、とティムは息を飲んだ。


 ラヴの微笑みが、深まる。



「オズウェル君に酒を飲ませた相手は、もしかしたら、これが狙いだったのかもしれないね」



 ティムの顔色が、青く変わっていく。


「しかし、仮にそうだったとして、疑問が残る。

 何故犯人は、オズウェル君を橋の上から突き落としたのか。

 別に殺す必要はなかったと思うんだよ。オズウェル君を酔わせ、体調を崩している隙にアパートの鍵を拝借し、爆弾を盗むだけでよかったのではないかな? 


 まぁ、目を離した隙に、オズウェル君が一人でどこかへ行ってしまい、その途中で橋から転落した、という事であれば、また話は別だがね。

 けれど、ティムはオズウェル君の口元に、殴られた痕があったのを見たんだよね?」

「う、は、はい、そうです、けど……ほ、本当に、少しの間だけ、だったので」

「自信はないか。まぁ、それはそれで構わないよ。どちらにせよ、オズウェル君が間違えて酒を飲んでしまった、という可能性は、まずないと考えていいだろうね」


 腕を組み、小首を傾げる。


「仮に犯人の狙いが爆弾だったとして。犯人は、オズウェル君が爆弾を制作していると、どうやって知ったのだろうか? オズウェル君に、そのような事を話す程親しい友人は?」

「えっと……す、すいません。分かりません」

「では、爆弾を作るに当たって、誰かに師事したり、相談したりしていたという事は?」

「それも、すいません。わ、分かりません」

「そうか。

 因みに、ティム。君は爆弾の件を、誰かに話したりはしたかい?」

「い、いいえっ。あ、いえ、あの、ラ、ラヴさんには、話しました、けど、で、でもっ、それ以外の、方には、い、言っていませんっ。外でも、話は、していませんっ」

「では、クリフォードへの報告書には?」

「それも、その、か、書いては、いません。友人と、喧嘩を、してしまった、という話を、ラヴさんにした、という程度で、詳しい、内容は、実は、書いては、いない、です……」

「成程、いい判断だね。しかしそうなると、一体どこから話が漏れたのやら」


 ふむ、と唸り、ラヴはしばし目を伏せる。

 そのまま黙る事、数拍。



「……よし」



 徐に、顔を上げた。

 ティムへ視線を向け、口角を持ち上げる。


「ここは一つ、実験してみよう」

「じ、実験、ですか?」

「あぁ。協力してくれるかい?」


 ティムは、考える間もなく、頷いた。

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