友の為に
七日後。
退院を果たしたティムは、松葉杖を付きながら、賑わう露天通りを一生懸命進んでいく。
本当は、後半月程入院する予定だった。だが、検査の結果どこにも異常が見られない事と、本人の強い希望があった為、最終的に医師が折れたのだ。
無理をしない、異変を感じたらすぐに病院へくる。いいですね、と最後まで繰り返す医師に、ティムも何度も頷いて、どうにか病院を後にした。
ティムが向かったのは、現在住んでいるアパート、ではない。セント・リンデン刑務所だ。
姿を現したティムに、立番をしていた若い看守は、驚きに目を見開いた。
「どうされたんですか、リトルさん? ジャッジ警部からは、入院中と聞いていますが」
「あ、は、はい。先程、退院、しました。今は、謹慎中、です」
「そうでしたか。ですが、それならば、何故こちらに?」
「それは、その……ラ、ラヴさんと、ラヴィニア・ラヴレスさんと、面会を、しに」
「面会、ですか?」
「は、はい。少しだけ、お聞きしたい、事が、ありまして」
折れた左腕を軽く揺らし、ティムは看守をじっと見つめた。
「残念ですが、彼女は外部との接触を制限されています。いくら助手と言えど、今のあなたは謹慎中です。面会を許可するわけにはいきません」
「そ、そこを、何とか、なりませんか?」
若い看守は穏やかに、けれど断固とした姿勢で、首を横へ振った。
ティムは眉を下げ、立ち尽くす。
「十日後に、また起こし下さい。それまでは、どうかご自愛を」
「……分かり、ました。失礼します」
頭を下げ、ティムは丸めた背を若い看守へ向けた。刑務所内の建物の屋上から監視している人影を素通りし、アパートへ向かって、松葉杖片手にとぼとぼと歩いていく。
もしかしたら、と思ったのだけれど。駅前を通過しながら、ティムは溜め息を吐く。
ラヴならば、オズウェルの事件について、何か知っているかもしれないと、希望を抱いていた。だから早々に退院してきたのだが、どうやら当てが外れてしまったようだ。
クリフォードの話では、警察はオズウェルの事件を、事故として処理しようとしているらしい。酔っ払いが誤って転落し、運悪く蒸気機関車に轢かれそうになった、と。
絶対にあり得ない。ティムは、今でもそう思っている。
オズウェルが酒を飲むわけがない。誤って飲んだとしても、すぐさま気付き、吐き出すか倒れるに決まっている。少なくとも、橋まで自力で歩けるわけがない。
誰かが一緒だった筈だ。ティムは、確信めいたものを感じていた。
けれど、その人がオズウェルを突き落したという証拠はない。そもそも、誰なのかさえ、ティムには見当が付かなかった。
仮に、見当が付いていたとしても。
果たして自分に、相手を追い詰める事が、出来るのだろうか。
この一件は、既に警察が現場を調べている。その上で、事故だと判断している。本職が下した結論を、素人同然の自分が引っ繰り返せるのだろうか。
添え木で固定された足を、引き擦るようにして松葉杖を付いていく。顔を俯かせ、込み上げた不安に眉を下げた。
それでも、ティムは諦めたくなかった。オズウェルを突き落した犯人を、どうにか見つけたかった。
そうして、何故そんな真似をしたのか、問い質したかった。
確かにオズウェルは、怒りっぽいし、すぐに叩くし、文句も多くて、ストーカーまでやっている。けれど、悪い人間ではない。
料理も上手だし、知識も豊富だし、爆弾を作ってしまう程手先が器用だ。ティムが落ち込んでいると、不器用に励ましてくれもする。
また、一緒に食事をしたい。
自分の拙い話を聞いて欲しい。
オズウェルの話を聞かせて欲しいし、集めたラヴの持ち物も見せて欲しい。
仲直りも、したい。
ティムは、唇を噛み締めた。顔を俯かせ、込み上げた涙を、瞬きで散らす。
鼻を啜り、道の端をゆっくり進んでいくと、煉瓦造りの橋に到着した。先日、ティムが飛び降りた場所だ。欄干の一部が抉れている。恐らく、思い切り蹴った拍子に壊してしまったのだろう。
相変わらずの力の強さに、申し訳なさが込み上げてきた。
「――いやはや、凄いものだね」
突然、すぐ横から声が聞こえてきた。
ティムは驚いて、人一倍大きな体を跳ねさせる。
そして、目をこれでもかと、見開いた。
「踏み切っただけで破壊してしまうだなんて。しかも、想像より広範囲だ」
いつの間にか、ティムの隣に、美しい女が立っていた。欄干の抉れた部分を指でなぞり、観察するように見つめている。
「これは、ミオスタチン関連筋肉肥大の影響からくるものなのだろうか? それとも、体の制御装置が緩んだ事が原因なのだろうか? 非常に興味深い」
長く艶やかな髪と、簡素なワンピースの裾が、そよ風に靡いた。軽く目を伏せ、それから、ふと、微笑みを浮かべる。
「…………ラヴ、さん……?」
ささやかな呟きに、女の頬は緩み、口角が、緩やかに持ち上がる。
「やぁ、こんにちは、ティム。七日ぶりだね。体の調子はどうだい?」
ふふ、と喉を鳴らし、女――ラヴは、揺れる髪を耳へと掛けた。
途端、ティムが仰け反る。
その拍子に骨折した腕を欄干へぶつけ、痛みに身悶えた。
「大丈夫かい、ティム?」
「だ、大丈夫、です……そ、それよりっ。ラヴさんは、何故、ここに?」
「なに。クリフォードから、君が蒸気機関車に飛び掛かったと聞いてね。是非とも見舞いに行きたいと思ったんだ。
けれど、いざ病院を訪ねてみたら、君は既に退院したというじゃないか。オズウェル君も、意識不明により面会謝絶。なので仕方ないから、散歩がてら現場でも見に行こうかと思ってね。こうしてやってきたら、運良くティムと遭遇したというわけさ」
つまりは、例の如く脱獄したという事らしい。
本当に、ラヴはどうやって刑務所から抜け出しているのだろう。ティムは不思議でならなかった。
だが、今はありがたくもあった。
「あ、あの、ラヴさん。俺、ラヴさんと、話が、したかったんです。それで、退院して、すぐに、刑務所へ、行ったんです、けど、面会、出来なくて、だから、諦めたんです。でも、今、会えたから、ラ、ラヴさんに、聞きたい事が、あるんです。いいですか?」
「あぁ、いいとも。何だい?」
「オ、オズウェルさんの、事件について、です。ラヴさんは、オズウェルさんが、ここから、線路に、落ちた事を、知っていますか?」
「一応ね。だが、詳しくは知らないよ。そういう事があったから、ティムは蒸気機関車へ体当たりをし、怪我の為に入院すると、クリフォードから説明を受けた程度だ」
ティムは一つ頷くと、知っている限りの情報をラヴへ話した。それから、オズウェルは誰かに殺されそうになったのでは、という自分の推理も説明する。
「ど、どう、でしょう? 俺の推理、ラヴさんは、どう、思います、か?」
「ふむ、そうだね。確かに、オズウェル君が自ら酒を飲むとは思えない。口元にあった青痣も然り。だが、現時点では、クリフォードの言い分も一理あるだろう」
「そ、そう、ですか……」
「だが、あくまで一理あるだけだ。まだそうと決まったわけではないさ」
ラヴは口角を持ち上げ、欄干に寄り掛かった。
「オズウェル君の意識が回復すると、一番いいのだけどね。そうすれば、あの日何があったのか、今よりははっきりするのだが。
面会も出来ないとなると、体に残る痕跡も確認出来ない。いや、事件から既に七日が経過している。ティムが見たという青痣も、消えているか」
「あ、は、はい。なかったです。顔は、綺麗でした」
「ん? 君、オズウェル君と面会したのかい?」
「は、はい。お医者さんに、動いてもいい、と、言われたので、ジャッジ班長に、お願いして、お見舞いに、行きました」
「オズウェル君の様子は?」
「怪我は、沢山、ありますが、容体は、安定している、そうです。後は、意識が、戻るだけだ、と」
「ふむ、そうか。では、安心だね」
ふふ、とラヴは微笑み。
「不安でもあるけれど」
そう続けた。
「え? ふ、不安、というのは」
「だってそうだろう? ティムの推理では、オズウェル君は誰かによって無理矢理酒を飲まされ、吐く程苦しんでいる所を、橋の上から突き落された。事故に見せ掛けて殺す為に。
けれど計画は失敗に終わった。どういう理由でオズウェル君を殺そうとしたのかは分からないが、どんな理由であれ、犯人からしたら、オズウェル君に生きていられては少々都合が悪いだろう。しかも犯人はまだ捕まっていないときた。もう一度オズウェル君を狙ったとしても、可笑しくはないだろうね」
つまり、オズウェルは未だ、命の危機に瀕している、という事なのか。
ティムは息を飲み、人一倍大きな体を震わせる。
そんなティムへ、ラヴは微笑み掛けた。
「まぁ、あくまでティムの推理が当たっていれば、の話だけれどね」
「そ、そう、ですか……あ、あの、ラヴさん。ラヴさんは、俺の推理が、ど、どの程度、あああ、当たっている、と、思い、ますか?」
「そうだね。私としては、良い線をいっているのではないかと思うが。しかし、オズウェル君が狙われる理由が分からない。まぁ、通り魔の犯行だったと考えれば、この辺りはすぐさま解決するのだがね」
ふぅ、と息を吐き、肩を竦ませると、ラヴは口角を持ち上げた。
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