制御装置を外した代償



「――車体破損。脱線事故誘発。更には遅延を起こした事により、市民を混乱させ、鉄道側の業務を滞らせた。これにより、鉄道会社へ損害賠償が支払われる事となった」



 病室に、クリフォードの声が淡々と落とされる。

 読み上げられる資料の内容に、ベッドに横たわるティムの顔は、どんどん情けないものに変わっていった。


「また、車掌や乗客など、合わせて十六名が軽傷を負った。そちらにも治療費や慰謝料などが支払われる」


 ティムの頭には、包帯が巻かれている。頬にはガーゼが張られ、入院服の下から覗く肌にも、擦り傷や青痣、火傷が刻まれていた。

 左腕と左足は、添え木で固定までされている。


「他にも多岐に渡って問題が発生している。修理費や補償金など様々なものがあるが、その辺りは後で資料に目を通しておけ」

「はい……あ、あの、ジャッジ班長……」


 ベッド脇に座るクリフォードへ、ティムは包帯の巻かれた頭を、ゆっくりと下げた。


「こ、この度は、大変、ご迷惑を、お掛けしました。申し訳、ありません」

「……全くだな。どう考えても、謝って済む範疇ではない。それは、理解しているのか」

「は、はい……」

「今回の件で、どれだけの人間が迷惑を被ったのか、理解しているのか」

「た、沢山の、人間に、です。鉄道会社の、方や、蒸気機関車に、乗っていた方、乗りたかった方、蒸気機関車を、作った方……沢山の、人間に、俺は、ご迷惑を、お掛けました」



 それでも、あの時は、これ以外の方法を思い付かなかった。


 オズウェルを助ける為に、必死だった。



「お前が仕出かした事は、迷惑行為に相当する。また、不用意に市民を恐怖に陥れた。

 車掌や前方の車両にいた乗客は、欄干から飛び降りたお前を、野生のゴリラと見間違えたそうだ。体当たりをした直後に、機関車が脱線。このまま自分達に襲い掛かってくるのではと、強い不安に苛まれ、椅子の下で怯えていたらしい」


 クリフォードは、俯くティムへ鋭い視線を向ける。


「いいか、リトル。お前は警察の人間だ。警察官ではないが、警察という組織に携わる一人だ。

 そのお前が、市民を脅かしてどうする。傷付けてどうする。助手だからと、直接関わりがないからと、腑抜けているのではないか」

「い、いえっ。そんな事は」

「では、自覚が足りないのだな」


 クリフォードの眉に、力が籠る。


「リトル。私は言った筈だぞ。お前が研修を終えた際、警察の一員として、恥ずかしくない行動を常に心掛けろと。その自覚をきちんと持てと」


 覚えている。


 同時に、『己の力を過信するな。身を危険に晒す位なら、全力で逃げろ』と言われた事も。


「今回は、全てにおいて運が良かった。特に死者が出なかった事は、奇跡としか言いようがない。乗客は勿論、お前自身も命を落としていたかもしれない。いや、少なからず、お前は命を落としていただろう。走行中の蒸気機関車へ突撃して、生きている事自体あり得ないんだ。一歩間違えれば、お前自身が轢かれていた。

 肉団子となったお前を、ご家族は受け取らなければならないんだぞ。悲しませるどころの話ではないと、分かるだろう」

「……はい、すいませんでした」


 ティムは、只管謝るしかなかった。



 それでも、決して後悔はしていない。



 もしあの時、何もしていなかったら、今よりもっともっと辛かっただろうから。



「これだけの事をしておいて、ただで許されるとは、流石に思ってはいないな」

「……はい」


「懲戒免職も、辞さないな」



 懲戒免職。つまりは、クビだ。



 ティムは唇を噛み締め、小さく首を縦に振る。


「では、これより、お前の処分を伝える」


 しばしの沈黙が流れ、クリフォードは、徐に口を開いた。


「警視庁刑事部捜査一課特殊捜査班所属、ティム・リトル特別専務員。お前は世間を大きな混乱へ陥れ、また組織に重大な損失を招いた。その結果発生した問題は見過ごせぬものとし、本日付けで懲戒免職とする」


 反論出来ぬ言葉に、ティムは歯を食い縛って、耳を傾ける。




「――本来ならば、そのような処分となっていた」




 続いた声に、え、と思わず顔を上げた。


「だが、あの場で早急に助け出す手段が用意されていなかった事は、鉄道会社側の落ち度とも言える。また、そのような状況で、身を呈して人命救助に当たったお前の行動を、先方は高く評価してくれた。

 よって損害賠償の額も下がり、お前の入っていた保険や警察の損害保障で賄える程度となった。


 怪我をした者も、軽傷である事や、人命救助故の事故だった事を受け、理解を示してくれた。特に問題もなく、やり取りを終えている。

 お前自身も深く反省している事から、処分を懲戒免職から、半年の給料三割減と、退院してから十日間の謹慎に変更する事とする」


 クリフォードの鋭い視線が、呆然と固まるティムを捉える。


「これは、異例の判断だ。こんな事はもう二度と起こらない。仮にまた同じ事をしようものなら、次こそ懲戒免職となる。私がお前をクビにする。必ず。

 だから、周りから何を言われようとも、己の行動を肯定する事も、美化する事も許さない。只管反省し、悔い改め、二度と繰り返さぬよう、己を戒しめろ。

 そして恩赦に感謝し、迷惑を掛けた人間全てに報いるべく、己の使命を全力で果たせ。分かったな」

「っ、は、はいっ」


 ティムは姿勢を正し、大きく頷こうとした。

 けれど全身に痛みが走り、呻きながらベッドに突っ伏す。


 クリフォードは溜め息を吐き、徐に立ち上がる。


「病気休暇などの申請書はこちらの封筒に入っているから、次回私がくるまでには書いておくように。以上だ。ゆっくり休め」

「あ、ちょ、ま、待って、下さい」


 ティムは涙の浮かぶ目を、必死でクリフォードへ向けた。


「あ、あの、オズウェルさんの、容体は……?」

「……一命は取り留めた。けれど、意識はまだ戻っていない」


 クリフォードは、ティムを見下ろす。


「恐らく、橋から落下した際、頭を強く打ったのだろう。複数の骨が折れ、線路の形をした痣も発見された。それだけの衝撃を受けたのだから、脳が異常をきたしていても可笑しくはない、というのが医者の見解だ」

「な、何故、オズウェルさんは、橋から、落ちたの、でしょうか?」

「衣服に付着していたワインと、口元と橋の上に残っていた吐瀉物から、酒に酔い、気を大きくして欄干によじ登ったか、よろけた拍子に、そのまま落下したものと推測される」

「そ……それは……それは、お、可笑しいです。違います」


 クリフォードの眉が、僅かに顰められる。


「オズウェルさんは、お酒を、飲みません。飲むと、気分が、悪くなり、吐いて、しまうのです。なので、いつも、葡萄ジュースを、飲んでいます。そ、それは、ラヴさんも、知っています。

 オズウェルさんは、ラヴさんの、元、患者です。精神科に、掛かる程、お酒を、飲む事が、辛い人が、お酒を飲んで、酔っ払うなど、する筈が、ありません」


 ティムは、音を立てて喉を上下させた。



「オ、オズウェルさんは、誰かに、お酒を、む、無理矢理、飲まされたのでは、ないでしょうか?」


「……誰かとは、一体誰だ」

「そ、それは、分かりません……け、けれどっ。オズウェルさんの、意志では、飲んでいない、筈です。

 オズウェルさんは、ラヴさんに、言われて、います。無理に、飲む必要は、ない、と。だから、飲みません。診断書も、書いて貰って、います。なので、オズウェルさんの、会社の方が、飲ませた、という事も、ありません。だから――」

「だからと言って、絶対に飲んでいないという証拠にはならない。自分の意志でなくとも、隣の人間の飲み物を、誤って飲んでしまう事もあるだろう。それがたまたま酒であり、図らずとも酔ってしまったという可能性も、捨て切れないと思うが」

「そ、それは、そう、かも、しれませんが……で、ですが、オズウェルさんは、口元に、薄く、青痣が、出来ていました。誰かに、な、殴られたのかも、しれません。

 そうして、無理矢理、お酒を、飲まされて、橋から、つ、突き落された、の、かも、しれませんっ」

「落下した際にぶつけたとは考えなかったのか。そうでなくとも、相手は橋の上で一度嘔吐している。その際、どこかへぶつかった、という事も考えられる」

「で、ですが、ですが」


「リトル」



 鋭さを増した眼差しに、ティムは思わず口を閉ざした。


「お前は現在、病気休暇中だ。つまり業務を停止している。よって捜査をする権利はない。仮にあったとしても、情報が殆ど揃っていない状態で行われる推理に、どれだけの信憑性があると思っている」

「う、そ、それは、そう、ですが」

「分かっているならば、下手な事を考えず、治療に専念するんだな。いくら医者が驚く程軽傷だったからと言って、脳や内臓まで損傷が軽かったとは判断出来ない。問題なしと診断されるまで、徹底的に調べて貰え。それまではオズウェルとの面会もなしだ。いいな」

「は、はい……」

「それと、謹慎中はラヴレスの元へは勿論、ピーターの元へも向かわなくていい。二人にはこちらから説明しておく」

「わ、分かり、ました。よろしく、お願いします」


 ぎこちなく体を動かし、ティムは頭を下げた。

 クリフォードは一瞥すると、では、と踵を返す。


 クリフォードの背中を見送り、ティムは体に響かないよう、ゆっくりと寝返りを打った。唇を噛み締め、枕へ顔を埋める。


 静かな病室に、鼻を啜る声が、小さく落とされた。

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