-Birth-
A:名前
名前を呼ばれていた。
それは、自分が持つたくさんの呼称の一つにすぎないが、それでもあの人に呼ばれる名前は、それだけは、特別ななにか、だった。
それから――――――――。
濃い灰色をした三角の屋根と明るい木の扉、白に近い灰色をした外壁。そこに、少年は暮らしていた。少年の自宅ではない。ここは、「
隠れるように、ひっそりと――――。
それでも、少ないながら訪問者はいた。
玄関から続くリビングダイニングのソファに、桜蔵と珪がいた。
少年は、二人を伺うように見つめながら、コーヒーをテーブルに置いた。
「ありがと、ミニアキ」
少年は、二人から「ミニアキ」と呼ばれていた。
嬉しそうにコーヒーを手にする桜蔵も、それを見て小さく笑う珪も、目の前のこの少年がどこから来たのか知っている。
「大丈夫なんですか?よくここへ来てますけど」
「監視の類は、最初にここに来たときに確認してる」
珪は、当たり前のように言った。何も心配はないというような顔をしてる。
しかし、少年の体には、チップが入っている。ここのかつての主が開発に携わっている、高性能の管理監視チップだ。少年がどこにいるのかは、少年の所属施設に送られている。
「耳の後ろのそれに、盗聴機能とか映像送信機能とか付いてるなら別だけど?」
桜蔵も心配をしていない。それどころか、楽しんでいるようにすら見える。
「心配なの?ミニアキ」
「それは……もちろん。お二人があそこに利用されるのは本意ではありません。博士も、そう思ってる……」
桜蔵は、「ふーん」と返事をして、コーヒーを啜りながらじっと少年を見つめた。
「取れないの?それ」
「え?」
「だから、取り外しできないの?って」
「できない……と、思いますけど……」
「やったことは?」
「やろうと思ったこともないです」
やり取りを聞いていた珪が、桜蔵の隣で吹き出した。
「そんなこと考えるのはお前くらいだろ」
「えー?鬱陶しくない?体に異物が入ってるなんて」
「いや、桜蔵、言い方」
「珪ちゃん、思考がヤラシイよー」
「お前のせいだろ?」
二人で呑気にケラケラ笑っている。
少年は、それをやはり不思議そうに見つめていた。
目の前にいる自分は、二人の親友である
二人が、バラバラにされてしまう未来だって、すぐそこにある。
「……楽しそうですね」
「え?そう?」
桜蔵が、笑いの残る顔で少年を見る。
「珪ちゃん、俺たちなんか楽しそうなんだって」
「だから、それお前のせいな?」
この二人は、これでもいざというときは頼りになる。それを分かっているから、余計に今の姿が不思議でならないのだ。どんな場所にも侵入して、確実に狙ったものを奪っていく。
「ミニアキさぁ、それ、取れるなら取りたい?」
桜蔵は、悪戯な顔をしてそう言った。
少年は、目を丸くした。
「それは……(考えてもいいのかな、自分で)」
「考えてみれば?桜蔵と俺が、なんとかする」
珪の言葉が背中を押した。
「……取りたい、です」
それで、自由にサクラ博士を捜せるのなら、サクラ博士のもとに行けるなら。
しかし――――。
「でも、それが可能だとして……」
少年は、最悪を考えてしまう。
「まぁ、監視できなくなったら不審に思うよな、あっちは」
珪が、少年の不安を言葉にしてつなぐ。
「ミニアキが追われる身にならないようにすればいいってこと?」
言いながら、桜蔵は考えているようだが、良い案が浮かばないのかすぐに答えを出すことはなかった。
「あの、無茶なことだけはしないでください」
少年のそのセリフを聞いて、桜蔵が嬉しそうに頬を緩ませる。珪は、頬を緩ませている桜蔵とあくまで表情の変わらないように見える少年とに、優しいまなざしを送った。
「いいんだよ、ミニアキー。こういうときは、大人に任せなさい」
緩んだ顔のまま、桜蔵が言った。珪が、それを繋ぐように、笑みを浮かべたままで口を開いた。
「そう。おとなしく助けられてろ」
二人は、さっそく話し合い始めた。それは、少年の耳の後ろに埋められた監視チップから、彼を自由にするそのための話し合いだった。
「外からの干渉はできないの?珪ちゃん」
「アキのサンプル調べてみないとわからないけど、あいつが作ったもんだろ?そう簡単に干渉できるとは思えない」
「えー。でも珪ちゃんなら、アキの上をいくと思うなー」
「…………そういう目で俺を見ない」
「そういう目?」
「俺が言うこと聞きたくなる目」
「見ちゃう」
「……いや、調べるのは調べるけど、体に埋め込まれてる限りは史那センセーの協力もいるだろうし」
「あー、それもそうか」
桜蔵は監視チップが取れると、少年から開放させられると信じて疑わない。目の前の相棒はそれができる、と疑っていないのだ。その絆が、少年には少し羨ましくあった。初めて見るもののような、懐かしい何かのような、そんな感情。
「ひとまず、アキの作ったサンプル、あれを詳しく見てみるよ」
「あと、シナ先生に連絡だね」
ここは、心地よい――――少年は、その言葉が浮かぶ自分に、戸惑っていた。
心地よい――――自分は、LABで生まれた存在。造られた命。「感情」は知っているが、それは、相手を動かすための手段。
体の内側からこみ上げるものだとは、知らなかった。
ここでこうして過ごすことができたら、どんなにいいことだろう。
「ミニアキ?」
桜蔵の呼びかけに、少年は顔を上げた。
「はい」
「疲れた?」
「大丈夫です。ちょっと……」
言葉を濁すと、桜蔵も珪も、不思議そうな顔をした。
彼らを見ていると、話してしまいそうになる――――少年は、口を開きそうになるのを、必死にこらえた。
自分は、この人たちと一緒にはいられない存在。敵対する組織に属する存在なのだから。
「あまりにもポジティブで驚いただけです」
「珪ちゃん、誉められたぁ」
「呆れられてんの」
どこまで本気なのか、この二人の態度はあくまで軽い。立場を忘れさせるほどに。
桜蔵が、ニコニコしたままで少年へと声をかける。
「まぁ、考えといてね?ミニアキ」
「俺達は、それからお前を解放する方向で考えておくから」
その解放は、「LAB」からの解放を意味するのだろうか――――あとに広がる世界に、少年は光を感じていた。
「ミニアキ」
珪が黙ってしまった少年を優しく呼んだ。
「好きな方を選べよ?俺たちは、お前がどっちを選んでもその決断を尊重する」
「俺のオススメは、それをどうにかして俺たちを選ぶこと、かなぁ」
「さーくーらー」
咎めるような珪の声と表情だが、桜蔵はまるで動じない。それどころか、むしろ剥れたような顔をしてソファーに凭れた。
「だぁってー」
「とにかく、ミニアキ、お前にその気があれば、本当にどうにかしてやるからな」
「考えといてねー」
しばらくのんびりしたあとで、二人は帰っていった。
「またねー」
桜蔵は明るく言う。「また」があるのか、わからないというのに。
この場所は、嫌いじゃない。
自分の原点になる人が使っていた場所で、サクラ博士もいた場所なのだから。そして、桜蔵や珪が通ってくる。あの二人も、「アキ」として自分を見ている。だから、大切にしてくれる。自分と彼らの共通の人・サクラ博士へたどり着けるだろう人たちだ。
彼らを選べば、LABは敵となる。
LABは、サクラ博士と出会った場所だ。
自分を、製造番号ではなく名前で呼んでくれた人だ。博士との思い出は、LABにある。一緒に過ごした場所だ。
ここを選ぶなら、LABには、思い出の地には帰れない。
Eyesroid0 久下ハル @H-haru
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