ダイヤモンド-4
ソファの背もたれにだらりともたれかかって、桜蔵がうたた寝をしていた。
珪は先程終わりを告げる音を鳴らした洗濯機から、洗いたて乾きたての衣類をカゴに入れて、リビングに戻った。
桜蔵のきれいな寝顔が、不意に歪む。
「…………ちが、う。……いや。行かないで!」
悲しげな声でうなされる桜蔵の目はまだ閉じている。
「ヤダ!……ちがう!珪ちゃんっ」
うなされている桜蔵の口から自分の名前が出てきて、珪は不思議そうに眉間を寄せてかごを置くと、眠る桜蔵を覗き込んだ。
「なに?」
「珪ちゃん……」
「だから、なに?俺はここだけど?」
寝言に応えているうちに、桜蔵が悲しげな顔のままで目を開けた。
「……珪ちゃんだ」
「なんの夢を見てたの?すごいはっきりと寝言言ってたけど」
尋ねながら、珪は、桜蔵の正面の二人がけのソファに腰を下ろした。桜蔵は、ソファに座り直してため息をついた。
「悪夢……」
「夢で良かったな」
「うん。……珪ちゃん……俺、珪ちゃんと相棒でいたいからね?珪ちゃん以上に気の合う相棒はいないと思ってるからね?」
「なんだよ、突然……。なんの夢を見たんだ?」
珪は洗濯物をたたむ手を止めて、訝しげに桜蔵を見た。
「宇月に言われたことを、珪ちゃんにも言われる夢を見た……。俺、思ったより、あの時の言葉が引っかかってるのかも」
――俺は、お前の駒でも道具でもねぇ!利用したいだけなら、俺は降りる!
珪を相棒だと思っているし、信頼もしている。それは腕だけではなく、珪という人間そのものを。
それでも、自分は本当は昔のように珪のことですら、道具だとか駒だとか思っているのだろうか、と不安になる。
桜蔵は、恐る恐るといったふうに、正面にいる珪を見た。
珪は、少し考えたあとで、柔らかに笑った。
「俺は、自惚れてもいいのか?お前に、そこまで必要とされてるって」
桜蔵が不思議そうに珪を見る。
「……?必要だよ!今言ったじゃん!珪ちゃん以上の相棒はいないの!」
「ふふっ。俺、宇月が現れてから自信なくしてて……。宇月のほうが、お前の相棒には相応しいんじゃないかって。ドロボーだしな?」
珪の思いを聞いて、桜蔵は心底嫌そうな顔をした。
「宇月ぃ?」
「お前の痛みを理解できるし、ドロボーとしての腕もある。俺より、相応しい気がしてた」
「4区の時の痛みは俺だけの痛みだし、4年前のあのときの痛みは、俺たちの痛みだよ。俺は、珪ちゃんがいい。尊敬できる、カッコいい珪ちゃんがいい!…………でも……」
桜蔵は、不安そうな顔をしていた。
「俺は、お前の心を感じてる。俺を利用なんて、絶対にしてない」
「なんで、断言できるの?」
「お前は、わかりやすいから」
最後の一枚をたたみ終えて、珪は、少し意地悪な笑みを浮かべた。
不安そうだった桜蔵の顔は、一瞬にして不満げな顔となった。
「なにそれ、失礼なっ……!」
「これからも頼りにしてるからな、桜蔵」
意地悪な顔を優しく変えて、珪が言う。桜蔵は、嬉しそうに笑った。
「うん」
「さぁて、久しぶりに色々悩んだから、気晴らしに甘いものでも食べに行く?」
「行く!」
支度を整えて、桜蔵と珪は、以前来たことのあるカフェへ向かった。自宅近くの商店街の一つ奥の通りにあるそのカフェでは、まだイチゴフェアを開催していた。
以前と同じテーブルに席を取る。
しばらくしてやってきたケーキと珈琲が、テーブルに並ぶ。
珪は、以前宇月が食べていたイチゴのタルトを目の前に、口元が緩むのを感じていた。桜蔵は、フルーツが乗せられた丸いショートケーキを、それは幸せな顔をして見つめていた。
「俺、11月と12月と1月の三ヶ月が一年で一番好きかも」
桜蔵の声が弾んでいる。
桜蔵が11月から1月の三ヶ月が好きな理由なら、簡単に想像できる。
「俺の誕生日があって、クリスマスがあって、自分の誕生日があるから、ケーキを食べる機会が多いもんな?」
「そう!お祝いっていいよねー」
素直に喜びを表す桜蔵を見て、珪は小さく笑った。
「そうだな」
「いただきます」
きっちり手を合わせてから、桜蔵はケーキを頬張った。
珪は、添えられているイチゴのアイスを少しだけ口に入れた。
「うまっ」
珪の口から思わずこぼれ落ちた言葉。それを拾ったのは、桜蔵ではなかった。
「ベリーのソースを一緒に食べると、もっと美味しくなる」
得意げに言う声を聞いて、珪は目を丸くして、桜蔵は実に嫌そうな顔をして振り仰いだ。
こちらを見下ろして立っていたのは、宇月だった。
「なんでここに来るの?」
桜蔵の文句は聞き慣れているらしく、宇月は、構うことなく隣に座った。
「なんで隣に座ってるの?!」
「空いてるから。今日は、なんのイチゴにしようかなぁ」
宇月が、タブレットから注文を始めているのを見て、桜蔵は更に不機嫌な顔をした。
「せめて向こう側に行って!」
「い、や、だ」
ニヤリと笑う宇月とむくれ顔の桜蔵を交互に見て、珪は呆れたように笑った。
「ここに桜蔵がいるってことをわかってて来てるんだろ?なにか用があったんじゃないのか?」
永遠に言い争っていそうな二人の代わりに、珪が話を振る。
「あぁ、あのふざけた伝言のお礼を言いに」
宇月の表情が、やや不機嫌に変わる。桜蔵は、反対にニコリと笑った。
「よろこんでくれた?」
「なにが、『かわいいかわいい元相棒』だよ」
「なーに?先を越されたのが悔しいのかなぁ?」
「先を越されたことより、あの伝言がムカつくんだよ。人をバカにして」
宇月の言葉を、桜蔵は意外だという顔で聞いていた。
「あれ?ダイヤはいいの?」
「あの石は、元々アリスが欲しがってたものだ。アリスは、俺たちが盗った石で満足してる。だから、あれはあれでいい」
「へーえ」
珍しく今の相棒を語る宇月を、桜蔵はニヤニヤと見つめた。
「それはよかった」
「なんだよ、その言い方。なんかムカつくんだけど?」
桜蔵の表情は、宇月の癇に障ったようだが、桜蔵は気にもせずに自分のケーキを頬張った。
「別に?ストレートに受け取っていいよ」
「お前相手だと、裏になにかありそうなんだよ」
「ひどーい。良かったって思っただけなのにー。相棒との関係がうまくいってんだなぁって安心しただけだよ」
宇月が注文をしたケーキと紅茶とが運ばれてきた。上にいちごのゼリーがのっているレアチーズケーキとゆずシャーベットのプレートだ。
宇月が紅茶を口にする。その間、静寂が流れた。
「……上手く、いってると言えば、上手くいってる」
自信なさげな答えに、桜蔵と珪は顔を見合わせた。
しかし、桜蔵は素知らぬ顔をして珈琲を飲み始めた。仕方ないというような顔をしたあとで、珪は口を開いた。
「俺が見てても上手くいってるように見えるけど、なにかあるのか?」
「……アリスは、興味を持ったら、何でも手を出して極めていくタイプだ。でも、興味を失えば、見向きもしなくなる。俺は、リュータ、お前みたいに人を惹きつけるような人間じゃない。きっと、飽きられる……」
その時、パシンという軽い音とともに、宇月の頭に鈍い衝撃が降ってきた。
「いって!!」
文句を言おうと見上げれば、そこにいたのはアリスだった。
「あーんぽーんたーん」
呆れたように、アリスは相棒を見下ろしていた。
「アンポンタンって言うな!なに活用してんだ、その言葉」
「こんなに今のお前に相応しい表現が、他にあるか?」
「はぁ?!」
理解できないというような顔をして、宇月はアリスを見上げた。
珪の隣に座りながら、アリスは言う。
「失礼だよね。ヒトを飽きっぽいやつみたいにさー」
「そういうことじゃなくて……だから……」
口ごもる宇月を、アリスは仕方ないというように微笑んで見つめた。
「お前のそういうところが、桜蔵くんとの相棒関係解消の本当の原因だってことを、そろそろ気づけ?」
「あれは!こいつが自分のことしか考えないからっ!」
ビシッと隣を指差して宇月が反論すると、桜蔵はムッとした顔をして言い返そうと口を開いた。
「さーくーら」
珪の声に、桜蔵はハッとなった。自分が、ここで言い返すと論点がずれていく。桜蔵は、黙ってケーキをひとくち頬張った。
その間に、アリスがいつの間にか注文していたらしい、紅茶とフルーツゼリーが運ばれてきた。
「少しは自信を持ってほしいね」
アリスが話を続ける。
「自分の選んだ道に自信を持っていいんじゃない?ウヅキはドロボーとしての鼻が利く。今回だって、俺の宝物を手に入れてくれただろ?」
石の価値は、自分が決める――――他人にとっては無価値でも、それは関係がない。あれは、大切な思い出で宝物なのだ。
そして、それを盗んできたのが宇月だ。
本人は、桜蔵に出し抜かれたことを悔しがっていたが。
「例えば、」
自信なさげに、宇月は言った。
「あの石のように、こいつにとっては無価値な俺でも、アリス、お前にとっては価値のある宝だったりするのか?」
「ウヅキ、お前はそろそろ自分がダイヤモンドだって気づいたほうがいい。桜蔵くんが魅力的に映るのは、自分の価値に疑問を持っていないからだ」
アリスの言葉に、隣で珪がうんうんと頷いている。
桜蔵は、よくわからないという顔で宙を睨んでいた。
アリスは、紅茶を口にして宇月の答えを待った。
「俺の価値……。わかんないけど、お前がダイヤだって言うなら、それでいいや」
そう言って、宇月はゆずシャーベットを口に運んだ。アリスは、カップを置いて困ったように笑った。
「自分の価値を他人に委ねるなって話なんだけど……まぁ、いいか」
「他人じゃない。お前は『相棒』だろ」
自信に満ちた顔をして、持っていたフォークでアリスを指した。
聞いていた三人は、目を丸くして宇月を見た。
珍しく照れた顔でフルーツゼリーを掬いながら、アリスが応える。
「フォークで人を指さないの。お行儀悪いよ?」
「ハイハイ」
元相棒がなにやら満足そうな顔でケーキを食べている――――今の相棒を、大切に思っている。それが二人の会話から見て取れて、桜蔵は嬉しそうに「ふふ」と小さく笑った。
過去に仲違いをして、気まずいまま分かれてしまったが、お互いに、ピタリとはまる素敵な相棒を見つけた。
「よかった」
小さな呟きを、珪が拾う。
「なにが?」
「珪ちゃん、こういうのを『クリスマスの奇跡』っていうのかな?」
桜蔵の言わんとしたことを察して、珪は桜蔵の隣に視線をやった。
「……そうかもな」
珪の顔にも、嬉しそうな笑みが浮かんだ。
「なぁ、宇月!」
いいことを思いついたと、桜蔵が声をかける。
「……な、なに?」
宇月は、やや警戒をした顔で振り向いた。
「いつまでこっちにいる?」
「まだしばらくいるつもりだけど?」
「ふーん」
悪戯な顔で笑う桜蔵に、宇月は嫌な予感しかしなかった。
「なに企んでる?」
「企んでないよ。4人で仕事ができる日もあるかもなぁって、考えてただけ」
桜蔵の思わぬ言葉に、宇月は目を丸くした。
アリスが、ニコリと笑った。
「お?良かったじゃないか、ウヅキ」
「…………マジか。リュータが?」
宇月が呆然と呟いた。
「リュータじゃなくて、今は桜蔵!呼び方覚えてよね、いい加減」
やや不機嫌にそう返しながら、桜蔵は携帯端末を操作する。
すると、宇月の携帯端末が短い音を鳴らして通知を知らせた。
「番号ね。もう、データ盗まれるとかいうアンポンタンなことしないでよ?」
宇月はまだ目を丸くしていた。
じっと通知があった画面を見つめている。
「聞いてる?宇月」
桜蔵が声をかけると、気のない返事が聞こえた。アリスは、テーブルの向こうで笑っている。
珪は桜蔵の言葉を思い出していた。
「クリスマスの奇跡、か」
自分の正面で、相棒が幸せそうな顔をしている。過去を思えば、これは奇跡と言っても過言ではない。
桜蔵は、ずっと独りで戦っていた。
ずっと独りで、必死に戦っていた。
今は、こんなにも味方がいる。
ー第3話:ENDー and continue……
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