貧乏くじ男、東奔西走
吉岡梅
ミスター貧乏くじ ダーツー
中学生の頃、一回ちょっと自殺してみよっかな~と思って遺書っぽい物を書いて断崖絶壁みたいな所に行ってみたことがある。そんな深刻じゃなくて。いや、自分的にはそこそこ深刻だったんだけどフラっと流れでなんとなく、みたいに。
田舎なので火サスみたいな崖はそこここにあって、そのうち飛び降りたら死ぬのは確実レベルな場所も全然吟味しなくても結構あった。ただし下は海じゃなくて川なんだけど。過疎過ぎて見つけてもらいにくそうという点はあるけれど、その辺は遺書でフォローするとかでカバーするしかない。メリットもあればデメリットもあるって事で許してほしい。
そんで崖の淵に立って下を覗いてみると、はるか先に結構な勢いで川が流れている。白くキラッキラ光る早瀬が眩しい川面までにはそこここに灌木やごつごつした岩が突き出している。今まで何回も見たことあるそれは、自殺してみよっかなと思って見てみると、それまでとは違ってやけにくっきり見えた。怖いのだ。それも半端なく。いや本当に。
あ、これ普通に死ぬな。そう思うと急に心臓がバクバクする。足が震えて、目にはうっすら涙まで浮かんでくる。俺はそんな自分に気が付いて驚く。なにこれマジかよ。俺、ビビりすぎでは? ジェットコースターとかバンジーとか余裕でウヒャーなんて言って急降下中に写真用に腕上げたりしてたのにこの程度の高さで? そう思っている頭の中とは裏腹に、俺の足や心臓や体は全力で怖がってしまいしゃがみこんでしまう。こんなに身体が言うこと聞かないってあるんだと妙な感心をしているうちにやがて俺は悟る。悟ってしまう。
ああ、俺は自殺無理なタイプだわ。って。
自分で命を絶つという事と向き合ってみると、怖くて怖くてたまらないのだ。死にたくないとかまだ死ねないとかじゃなくて、シンプルに怖い。俺にはその怖さに立ち向かう勇気なんて無い、と分かってしまった。俺の中のほんの一部である脳的には死んでOKとかある意味美しい思ってるけど、その他大勢の手や足や心臓や尻などの皆さんは完全に拒否してる。多数決でいったら問題にならないくらい全会一致レベルで怖がってるのだ。そんな会議を強行突破なんて無理無理無理のかたつむりだ。
それと同時に、自殺やべーなという思いが沸き上がる。日本では、いや、世界中でもそこそこな人が毎日自殺しているらしいけど、その人たちはこんな恐さを乗り越えてんのかよマジかよやべーな。と心から思った。それとも、こんな怖さも感じられない程追いつめられてるのかもしれない。それはそれでもっとやべーじゃん。とますます思った。今までともすれば負け犬とか思ってた自殺達成者の皆さんに、ちょっとしたリスペクトまで感じるくらいに心の底から怖かった。
達成者の方々に比べたら、俺の行動なんてとんだファッション自殺だ。それでもあれだけ怖いのだ。到底無理だ。たぶん人間は自分で死ぬようにはできてない。
俺は涙を流したまま速攻家に帰って机の上の遺書をゴミ箱へと投げ込んでゲームを始めた。ガチャでURが出てちょっと笑った。
そんな経験をして以来俺は、逆説的に「生きねば」と思うようになった。全然ポジティブな理由ではないけど、「生きない≒死ぬ」が無理だから生きるしかないのだ。どんなに自分が嫌いで辛くても。だって無理だもん。できることをやるしかないじゃん。そうやってるうちにいつかは俺にも死ぬ怖さを乗り越える力が付くのかもしれない。だけど、少なくとも当分は無理そうだ。生きていても何の意味もない俺だけれども、それでも生きていくしかない。
いろんな人がよく「死ぬ気になればなんでもできる」とかいうけど、俺には無理だ。だってあの怖さじゃん? 死ぬ気の一歩手前くらいのちょっと余裕あるところで防がないと、怖くて体が動かなくなって結果死ぬ。「死ぬ気にならないように一歩手前で率先してなんとかする」を座右の銘とするのだ。書初めの宿題とかではとても書けないアレだけど。
だからなのか、それとも、元からのいらちな性格のせいか、俺はクラスの皆が嫌がるような役割、つまりは、決める時にダラダラと「誰がやるんだよそれー」的な空気が続いてしんどくなるような役割を自ら引き受けるようになった。まさかそんな事で死人は出ないだろうけど、じりじりと、ある意味のデッドラインに近づいていくのが我慢ならなかったのだ。決して喜んで引き受けているわけではない。あくまでも仕方なく引き受けるのだけれども、ただ、その「仕方なく」のラインが皆よりも1歩早いらしかった。
先生のおつかいやら、ゴミ捨て係やら、応援団やら、班長やら、その内容は多岐にわたった。繰り返しているうちにクラスの皆も俺の習性にピンと来たのか、その手の決め事の場面が来ると、無言の期待をヒシヒシと感じるようになった。
どこかの大統領は、戦時中に危機的状況に陥っても、皆より何秒かだけその場にとどまることを我慢できたがために英雄として尊敬されたらしいが、俺はクラスの皆が危機的状況に陥った時に、皆より何秒かだけ我慢できないがために貧乏くじを引く英雄的なポジションを確立して重宝されるようになってしまった。
そんな場面が訪れた時、俺はしぶしぶ手を上げる。すると、「ですよね」的な空気が流れて一件落着するのだ。皆は、まじかよ
そんなわけでその日もミスター貧乏くじである俺は、高校の文化祭後の戸締り要員としての職務を遂行していた。
##
文化祭を終えた高校生のテンションは尋常ではない。しかも出店していた連中は小銭まで持っている。そのままガストとかバーミヤンに打ち上げに行ってくれればいいのだが、わざわざ学校近くの西山商店でお菓子を買って戻って来てまで教室でおっぱじめる連中が後を絶たない。俺はそんな連中が占拠している教室のドアをガラガラピシャーンと勢い良く開けて、マジ帰れよお前ら打ち上げならファミレスとか行けよ頼むわ、と言って回るのだ。
大抵は、そんなつれない事言うなよ津田~、いいじゃんダ~ツ~とか言われるけど断固拒否だ。奴らもミスター貧乏くじであるところの俺を知っているので、しぶしぶといった様子で帰り支度をしてくれる。ありがたい。そして奴らが教室を明け渡すまで腕組みをして見守っていた俺は、キッチリ鍵をかけて次の教室へと向かうのだ。
旧校舎である東棟の教室をコンプリートした俺は、3階の窓際でふうっと一息ついた。すると、窓から見える西棟の屋上に人影が見えた。しかもその人影は、短いスカートをひらひらさせたまま手すりの外側に立っていた。角度と視力次第ではパンツが見えそうなのも気にする素振りも無く。俺は西棟へ続く渡り廊下へとダッシュした。
西棟の4階まで上がるとさらに階段を駆け上がり、屋上へのドアを勢いよく開ける。夕焼けに赤く染まった空が広がる屋上には、人っ子一人いない。その人影を除いては。
「おい!」
俺が大声で呼びかけて近づくと、そのロングヘアの人影が振り返る。それは、3-2の
「え、津田くんじゃん。なんで……あ、そっか。また?」
「おう、ミスター戸締りが来たぞ。さっさと帰れ」
長い髪がふわっと風に揺れる。白木は小さな頃から髪を腰くらいまで伸ばしていた。そして、小学生の頃はいつもスカートではなくパンツを履いていた。ぶわっと広がる長い髪に細身のパンツというシルエットは何かアンバランスで不思議で、俺はとても好きだった。好きの理由にしていた。
中学になってからは制服になったため、パンツではなくスカートになったのだが、それでも俺は白木のシルエットがとても好きだった。いや、シルエット云々というよりも、白木自身が。
その白木が、屋上の手すりの向こうでくすくすと笑っている。なんか書いてある紙の上に脱いだ上履きをそろえて置いて。靴下のまま。
「帰れって言われても津田くん。私、今から死のうと思ってたんだけど」
「は? やめとけよ」
俺の言葉に、白木が口をとがらせる。
「やめとけって、なんで? ひょっとして、津田くんが戸締り当番の時に面倒が起きると怒られるから?」
「違うわ」
「じゃあ……あ、そっか。私が飛び降りたら、その片づけ的な物をやることになるから?」
「確かに、誰か手伝う生徒を決めるって事になったら、おそらくは俺が手を上げることになるだろうな。でも違うわ。そんなんじゃねーよ。いいから無理すんな。やめとけ」
白木の顔が険しくなる。キッと俺を睨みつけ、問い詰めるような口調でまくしたててくる。
「じゃあなんで! どうせ津田くんも私の気持ちなんて何もわからないんでしょ! ううん。わかるつもりもないんでしょ! 適当な事ばっか言って、自分が良ければそれでいいんでしょ! 私のためだとか言って、本当は自分が困るのが嫌なだけのくせに!」
先ほどまでの冗談めいた口調とはまったく違った。正直言って、俺の知っている白木の印象とは全然違って驚いた。白木は本気で死にたがっている。そう思った。自分以外にもそんな奴が。俺は初めて俺以外の、そこそこ本気の死にたがりを目にしていた。
だから。――だから俺は思わず口に出してしまった。
「お前、下見てみ? 怖くねーのか?」
ポロっと口から出して、しまったと思った。だが、もう遅かった。白木はしばらく俺を睨みつけていたが、それでも下に視線を向けた。すると、その眼には涙が溢れ出した。
その眼のまま白木は俺を睨む。俺を睨んで、叩きつけるように叫ぶ。
「怖いよ! でも飛ぶしかないじゃん!」
その姿を、その言葉を聞いた俺は、反射的に口を開いていた。
「マジかよ。お前スゲーな」
俺の言葉に、白木は「えっ?」と小さく声を発すると、ポカーンとした顔を浮かべる。しまった。俺はなんだか焦ってしまい早口でまくしたてる。
「いやスゲーってのはアレで。違うんだよ。えーっと、そうだ! お前吹奏楽部だったよな? じゃあベートーベン知ってるだろ?」
「え? うん」
「ベートーベンも自殺しようとして遺書まで書いたんだよ。いやマジで。でもな、自殺しなかったんだ。書いただけでさ。それって俺が思うに、自殺できなかったんだよ。怖くて」
白木は相変わらず戸惑ったまま髪とスカートを風の吹くままに揺らしている。
「あのジャジャジャジャーンのすげーやつがだぜ? できなかったんだよ。自殺。無理だったんだ。それをお前がやれちゃうってヤバくない? 無理すんなよ。超難しいんだって自殺。わかるんだよ。俺も昔やろうとして怖くてできなくて俺だけなのかなーってちょっと調べたらそんな話が……」
そこまで一気に言って、さらにしまったと思い息を飲む。白木はと言えば、相変わらず黙ってこっちを見ている。しかし、その目は先ほどまでの怒りに燃えていた目とも、戸惑っていた目とも違う、何か面白いものを見つけた猫のような爛々とした光を湛えていた。
「あー、とにかく! えーと、あれだ。そうだ! お前さっき『私の気持ちがわからない』とか言ってたけど、当たり前じゃん! 俺はお前じゃねーもん。最近あんま話してねーし、気持ちも事情もわかんねーよ。まあ事情は聞けばわかるけど、気持ちはさ、お前じゃねーからわかんねーよ」
白木の目がむむっといったように鋭くなるが構わずに俺は続ける。
「でもさ、わかんねーけどさ。
そこまで言ったところで、白木がぷっと噴き出した。そして、声を上げて笑った。目には涙を浮かべたまま。俺はなんだか居たたまれなかったが、逃げるわけにもいかなくて白木が笑いやむのを待った。
「あー笑った。津田くん本当何言ってんの」
「知らねーよ」
「知らねーって。バカじゃない?」
「うるせーな」
俺がむくれていると、白木は上履きを履いて紙をポケットに突っ込んで、ひらりと手すりを飛び越えて来た。
「なんか死ぬって雰囲気じゃなくなっちゃった。止める」
「お、おう」
「てかさー、津田くんも自殺しようとした事あるとか本当?」
「は? 知らねーし」
「言ってたじゃ~ん」
「うるせーな。いいから戸締りするから帰れ」
「えー。あ、そうだ。まだ戸締りチェックするの?」
「お、おう。西棟一通り見て回るつもりだけど」
「じゃあ、それ私も付き合うよ。聞きたい話もあるし」
「は?」
「はやく行こ?」
そう言うと白木は髪をかき上げ、にっと笑って手を繋いできた。その手はとても暖かくて、驚くほど柔らかかった。でも、俺はそんな気持ちを絶対に悟られないようなんでもない体でドアへと向かう。すぐ隣の白木からは、ふわっと髪の毛の香りまでがくっついてくる。俺は理由もなく、さっき手すりを飛び越えた時に見えた白木のスカートの中を思い返してしまっていた。
生きててマジよかった。むしろもうこれ死んでもいいかも。俺は普通にそう思ってしまった。まあ、そうは言っても死ねないんですけどね。
貧乏くじ男、東奔西走 吉岡梅 @uomasa
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます