第46話 久遠の愛

 山崎は土方からの文を静かに開いた。

 黙って山崎はその文を読み進めて行き、読み終わるとすぐに閉じた。

 山崎の瞳には今にも零れ落ちそうな熱い涙が溜まっている。


「やま、ざきさん?」


 椿は驚いた。山崎が隠しもせずに目に涙を溜めていたからだ。零れる寸前に着物の袖で拭い去ると、その文を椿に差し出した。


「椿さんも、読んで下さい」

「良いのですか」


 山崎は黙ってこくりと頷いた。

 椿は躊躇いながらも、その文を手に取り読み始める。





 山崎 烝殿


 この文を貴殿が読む事を切に願いて、此処に記する。

 先の鳥羽伏見での戦の勤め、大変御苦労であった。新選組を此処まで導くことが出来たのは、貴殿の力が有ったからこそである。

 残念ながら我らが惨敗致した事は、貴殿に顔向け出来ぬほど後悔極まりない。

 新選組は、此れをもって解散致したく候。

 よって貴殿の新選組諸士調役兼監察を解任し、山崎烝の離隊を此処に勧告申し上げる。

 貴殿のこれまでの働きは生涯忘れまい。


 最後に、我ら元新選組隊士は椿の事を妹の如く慕っていた。どうか貴殿の手で幸せにしてやって欲しい。他の者では椿の手綱は操る事は出来まい。

 これは我らからの、最後の任務だと受け入れて貰えないだろうか。

 一生をかけて遂行して欲しい。


 慶応四年一月 土方歳三 筆



 読み終わると、椿は静かにその文を元のように畳んだ。


「土方さんったら、酷い。私を馬に例えるなんて」


 土方の字は見た目に似つかず、細く繊細な線だった。あんなに大胆な決断を下すのに、それがまた余計に胸に沁み入った。


「俺は今日から新選組ではなく、何も無いただの男になりました」

「何も無いだなんて!」


 椿がその言葉に強く反発し、山崎を一喝した。

 そんな椿の姿を見ていると、山崎は不思議と心が楽になって行くのが分かった。これからは只の男として、目の前の愛しい女だけを見て行けばいいのだから。

 もう二度と、何かと天秤にかける必要はないのだ。


「そんなに怒らないで下さい。今はそれが妙に心地良いのです」

「山崎さん」


 山崎の言葉に不安を抱えながら椿はそっと男の顔を見つめた。すると山崎がふわりと笑って、両の手を大きく広げた。


「さあ」

「え?」


 向かい合ったままの状態で椿は動けずにいた。山崎は椿の困惑が分かったのだろう。

 もう一度言葉を紡ぐ。

 伝わるだろうか。


「椿、俺の所に」


 椿、と山崎が初めて呼び捨てにしたのだ。椿はその瞬間、高揚したかのように顔を真っ赤に染め、目を大きく開いてた。


「や、山崎っ、さん」

「椿、俺の事は?」

「あっ」


 山崎は黙ったまま手を広げて何かを待っている。頬を緩めて、柔らかな眼差しを椿に注いでいる。

 只の男に戻った山崎が椿に求めるもの。


すすむさん、烝さんっ!」


 椿は山崎の腕の中に飛び込んだ。山崎は椿をその腕でしっかりと受け止め、抱きしめ返す。

 二度と叶わないと思われたその抱擁に、椿は歓喜した。あのまま命が絶えてもおかしくなかった。例え命が助かっても、普通の暮らしは無理かもしれない。そう何度も思った。

 山崎が腕の力が緩めると、椿がそっと顔を上げる。目にはたくさんの涙を蓄えてながら。

 それはもう苦しみの涙ではない。絶望の涙ではない。歓びに満ち溢れた美しい涙だった。


「椿。俺と夫婦になってくれませんか」

「っ、烝さん! 嬉しいです。私、貴方の、お嫁さんになりたい」


 その言葉を聞いた山崎は安堵の微笑みと共に、椿の唇を奪った。

 今までのどの口付けよりも、熱く、深く、長く。自分の想いを、そして共に戦って来た仲間の想いも一緒に乗せて、この椿と言う女に全てを注ぐつもりで。


「んっ、ふっ」


 椿の方が先に限界を迎えたのか、唇の隙間から吐息を漏らす。ゆっくりと唇を離すと椿は肩で息をしながら、山崎の胸に頬を寄せた。


「山崎さん。私、果報者です」


 山崎は椿の背を撫でながら、「山崎さんじゃ、ありません」と少し拗ねた声で言った。



 ◇



 明治という元号にも随分となれた頃、思いもよらない客人が椿たちのもとへやって来た。


「御免」


 突然、玄関から低い声が響いたのだ。決して大きな声ではないのに耳の奥に真っ直ぐに届く。


「どなたかしら」

「椿はそこに。俺が出ます」


 烝が土間へ降り、声の主を確かめに行った。

 暫くは何も聞えなかったが、逆を招き入れる烝の声がする。椿のもとへ戻ってきた烝はにこりと笑う。


「驚きますよ。誰だと思う?」

「どなた、でしょうか」


 首を傾げながら土間の方へ目をやる。そこに立っていたのは腰に刀を差した洋装の警察官だった。椿の心臓は跳ねた。何かいけない事をしてしまったのだろうか、と。そしてその後ろには、体格のいい男が二人。もう一度、その三人を見る。


「あっ!」


 椿は驚きのあまりに立ち上がり、走って土間へ降りて行った。


「走ってはいけない」


 烝の注意も耳に届かないほどである。

 椿は目を輝かせ、三人の男に声を掛けた。


「斎藤さん! 永倉さん! 島田さんっ。よくぞご無事で!」


 そこにはかつて新選組として働いた、三番組長の斎藤一、二番組組長の永倉新八、そして島田魁がいたのだ。

 斎藤は藤田五郎と名を改め警視庁の人間となり、永倉は関東で道場を営み、島田は故郷の京都で道場を継いだそうだ。


「椿。元気だったか、変わりないようだな」

「椿ちゃん、美人になったじゃねえか」

「椿さん。もしや腹にお子が?」


 斎藤のあの低く通る声が、永倉の明るい笑顔が、島田の柔らかな物言いが、懐かしくて胸に込み上げて来る。それをごくんと呑みこんだ。


「はい! 変わりないです。お腹には烝さんとの子がいます。皆さんもご立派になられて」


 三人には家に上がってもらい、お互いの近況を語り合った。

 皆、それぞれの地で新政府軍に降伏し謹慎生活を送っていたのだという。こうして話しているとあの頃がとても懐かしく、今にも土方や沖田が「何をやっているんだ」と現れそうだった。

 いつもの椿なら彼らの事を口にしそうなものだ。しかし話の中に一度も出て来ないその名に、やはり噂は本当だったのかと椿は噛みしめていたのだ。近藤が斬首刑にされたのは知っている。そして沖田は一人寂しく病に散った事。原田は上野戦争で行方知れず。そして土方は遠く北の大地、函館で戦死したのだと言う事を。


「さて、そろそろ来る頃だと思うが」


 一頻り話が終わると斎藤が、入口の方に目を向けた。


「どなたか来られるのですか」

「まあ、来てのお楽しみだ」


 戸の方へ目をやると、烝は何かの気配を感じたのか静かに土間に降りて行った。カタッと戸を開けると「君はっ」と驚いた声がした。烝に連れられてやって来たのは、土方の小姓として箱館まで同行した市村鉄之助だった。


「鉄之助くん!」

「御無沙汰しております。っ、俺、もう大人ですから。くんは......」


 椿が思わずそう叫ぶと、鉄之助は顔を真っ赤に染めて照れてしまった。あの頃の面影はあるものの、立派な青年へと変貌していたのだ。あの鉄之助が土方と共に、海を渡ったのかと思うと胸が熱くなる。


「ご存知かと思いますが、土方さんは箱館で最期を迎えました。箱館で戦争が始まる少し前に、俺は土方さんから江戸に戻るように言われました。ご家族宛の文やこれまで貯めてきた給金と、土方さんの形見の写真を持って。その時に一緒に預かった物があるのです。これを」


 鉄之助はそう言うと、小さな包みを椿の前に差し出した。椿はそれをじっと見つめた。


「椿さんに渡してくれと預かりました」


 椿はそっとそれを手に取り、包みを開いた。


「あっ」


 中から姿を現したのは玉簪たまかんざしであった。黒い串に真っ赤な玉の飾りがあり、その玉にはツバキの花柄が刻まれている。よく見ると少しその線がいびつに見える。


「何処で手に入れたのかは知りませんが、そのツバキ柄は土方さんが彫ったのですよ」

「えっ!」

「箱館の冬の夜は長かったですから」

「どうしてこれを私に」

輿入こしいれ祝いだと、言っていました。あいつは山崎の命を絶対に手放さないからと」

「ぇ、ううっ。ひじ、かた、さん」


 椿はその玉簪を胸に抱き泣いた。あの日、皆を見送った時に預かった手紙が全てだと思っていた。なのに遠い北の大地で尚も、自分たちの事を案じていたのだ。そう思うと、我慢できなかった。


「烝さんっ、土方さんがっ。土方さんが......」

「椿、良かったですね。大切にしなければ」


 烝は椿の背を優しく撫でながらそう諭すと、椿はうんうんと頷きながら幼子おさなごのように泣いた。

 その姿を見た他の男たちも熱いものが込み上げる。土方がどんな思いで、この簪にツバキの絵柄を刻んだのか。あの頃、共に走り抜けた男たちならば分かるだろう。


「もしお腹の子が女の子だったら、この子に。もし男の子だったらお嫁さんに引き継ぎます。かつて、新選組わたしたちが歩んで来た歴史を、ずっと忘れないように」


 椿は烝の胸に寄りかかった。


新選組おれたちが存在した事を忘れない為にも」


 山崎も言葉を添える。



 新選組隊士それぞれに愛と誇りがあった。

 会津の為に、幕府の為に、家族の為に。

 武士になる事を許された、ほんの僅かなな瞬間ときを駆け抜けた田舎者たち。そんな彼の誠の心を引き継ぎ、それを愛した男がいた。

 その男は彼らの為に最期まで戦い、北の大地で銃に打たれて散ったのだ。



「烝さん。この簪、魔除けにもなりそうですね」

「へ? ぷっ、ははっ。確かに」


 泣く子も黙る鬼の副長が残したそれは、どんな悪も寄せ付けないだろう。質の良いその簪は軽く布で拭くだけで艶を出す。

 山崎家の女性に伝わる家宝となりそうだ。

 未来へ繋ぐ熱い想いとなって。


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 ツバキの花言葉

『完全な愛』

『誇り』 

『私は常にあなたを愛します』

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 椿と言う、身寄りのない女の医者がいた。彼女は新選組の監察である山崎烝に慕情を抱いた。

 幕末の乱世の時代を、滅びゆく運命と知りながら、もがき、抗い、戦った。

 澱みのない清らかな川のように、男たちの周りをサラサラと流れては、時に優しく纏わりついて和ませた。

 この時代に愛という言葉があるのなら、彼らはきっとこう使っただろう。


「己が持ちうる全ての愛を、この女へ捧ぐ」と。


 口に出さない男たちの想いは、未来へと引き継がれる。

 このツバキ柄の玉簪を手にした者は、どんな困難も乗り越えられるだろう。


 抱えきれぬほどの愛を君に、そして未来の君たちにそれを繋ごう。



【終】

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抱えきれぬほどの愛を君に 佐伯瑠璃(ユーリ) @yuri_fukucho_love

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