フェスティバル!

春之之

フェスティバル!

 運営 佐野彰の学園祭Ⅰ


 書類やノートが出しやすいからと言う理由で去年まで使っていた青くて小さめのリュックサックは、押し入れの中でぐしゃっとなっている。今は、ビジネス用鞄のような形で、薄い青色の鞄を親に強請り、買ってもらった。携帯で時間を確認する。時間は十二時十五分。ここから大学まで歩いて十分もかからない。会議室に向かうには十分すぎるほど余裕だった。口角が少し上がる。大学前の少し色が落ちた信号で足を止める。みな、取りつかれたようにポケットから携帯を取り出して画面を見つめた。俺もまた携帯を取り出して時間を確認する。

「おっ、サノピーじゃん」

 呼ばれ慣れないあだ名に反応して振り返る。そこには何かの授業で、一緒になった女の子が手を振っていた。俺も適当に手を振り返す。

「お疲れー、これから大学?」

「うん。ちょっと会議でね」

 数回授業で一緒になっただけなので、緊張してしまう。急いでいるのもあり、少々早口で彼女に説明する。早くこの場から去りたいが、彼女のマツゲの濃くしたせいでまん丸の黒目が俺を捕らえて離さない。逃げてはいけないような気持ちになり、足を進めることも出来ない。

「会議? サノピーがぁ? なんの」

「学園祭だよ。今日が初」

「へぇー。頑張ってねー、んじゃ」

 彼女は信号が青になるのを確認して、小走りで走っていった。俺は真緑ストローを吸いながら横断歩道を渡る。あの子の名前はなんだったか。

「おっ、おはよう彰」

「おはよう」

 校門を渡ると、同じ学科で運動系のサークルに入っている男が話しかけてきた。大学に何しにきたのだろう。そう言いたくなるほど筋骨隆々とした腕が俺の肩にずっしりのしかかる。

「三限からか?」

「いや、今日は四限からだよ」

「ん? だったら家でごろごろしてりゃいいのに」

「うん……。ちょっと会議でねぇ」

 こういうタイプには少しうんざり目に言うのが攻略法である。運動部系の人間の中にはなぜか、ノリノリで仕事をしている! と話すと「変わった奴だな……」という哀れな目で見てくる奴が稀にいる。高校の時のトラウマだ。相手が男の場合は、なすりつけられたかのように同情を誘うのがいいと学んだ。

「へぇー、よくわかんないけど頑張れよ。また飲みにいこうぜ」

 また、とはいつだろうか。彼とは新入生歓迎会で一緒になって大人数で行った二次会カラオケオールをして以降、一度も飲んでいない。

 なのに、毎回言う。俺と誰かを勘違いしているのだろうか。彼の名前は何だっただろか。

「あっ、みっちゃんの彼氏さん。こんにちはぁ」

 やっと学校施設内に入れるというタイミングで挨拶をしてきた。

 しかし、彼女も慌てているのか。お互い軽く一礼だけしてすれ違った。

 彼女は覚えている。美香ちゃんだ。苗字は知らない。

「よっ、佐野!」

 会議室も近くなる時、男が突然肩に腕を回してきた。熊野だ。名前に似合わない細身の男だ。熊野は雰囲気も軽い感じで、こうして相手の警戒心を気にせずに来る。

「なぁ、聞いたで。学祭の実行委員長やってぇ? えらい職つきましたなぁ」

「聞いたって誰から」

「み、ち、こ、ちゃんっ!」

 わざわざ汚い唇をこちらに向けるように真正面に移動して言った俺の彼女の名前に少し鳥肌が立った。思わず腕の当たりを撫でる。

 しかし、これが熊野という人間だと知っていれば、嫌悪を感じるまでには至らない。

「わざとらしい言い方やなぁ」

「そんなことよりもさ! 今年の学園祭はごっつ派手にしたい思わへん?」

 熊野は俺に悪企みを提案するように顔を近づけて言った。タバコの臭い匂いがした。

「やめて、胃キリキリするから……」

「お前の権限なら多少無理通せると思うんやけどなぁ」

 ニヤニヤと笑いながら、熊野は俺から少し離れた。離れてみると頭の上に寝癖が立っている。

「実行委員の仕事は、無事に終わらせることが目的だから」

「つまんねぇ奴。じゃあじゃあ、俺っちのサークルでやることには目、閉じていてや!」

「あの変なサークルか? 何すんだよ」

「そりゃまだ決めてへんけど……んー、派手なことはしたいやん?」

 熊野は腕を組んで唸りながら考えていた。熊野の髪が寝癖で跳ねているのが見えた。

「……企画書を見るのは俺じゃない。賄賂渡すんならそいつに渡すんやな」

「じゃあ、そいつの名前聞かせてぇな」

 別れようとして、言葉を吐いたが、熊野は食い下がってくる。俺が会議室に向かって歩いている時も、後ろからついてくる。

「絶対に教えへん。じゃあ、急いでいるから。ちょっと会議があってね」

 熊野から逃げるように、彼に背を向けて、目的地である会議室まで早歩きをする。この後予定があるからか、熊野も追いかけてこなかった。お昼時だからすれ違う人の数が鬱陶しい。

 人混みを避け続け、会議室の前に着く。時間は十二時二十五分。会議の開始は十二時半からなので、しっかり五分前集合だ。時間を正確に守った時に達成感というか、充実感を味わうことができる。だから何事も時間だけは守るようにしている。

 俺が扉を開けると、まだ三人ぐらいしかいなかった。俺と同じ感性の人間は、どうやら少数派らしい。

 広い会議室には二つ繋がった机が並べられている。奥にもう一つ。会議室だからか、部屋の端には、さまざまな書類が入ったファイルが収納されている。

 二つの机と、本棚だけの無機質な部屋に、女性が2人座っており、俺を見つめた。

「おはよう。ごめんね。待たせて」

 軽快に挨拶をして席に座ると一人の女の子は申し訳なさそうに手を横に振って「いえいえ」と小さく呟いた。背が小さいショートカットの大人しそうな子だった。

「おはよう。サノピー実行委員長!」

 もう片方も軽快にこちらに話しかけてくる。丸い目が俺を見つめる。今日は暑いからか、長い髪をポニーテールに纏めている。

 彼女、アッキーとは一年の時にあったワークショップで一緒になった。

 そこでは絶対にあだ名をつけないといけないという謎のルールがあり、「佐野ちんって高校の頃呼ばれていました」と明るく元気よく、印象のいい挨拶をして印象付けをしたのに、数名の女子の悪のりでサノピーにされてしまったのだ。その主犯が彼女なのだ。

 別に佐野ちんもサノピーも大差ないのだけれど、ずっと呼ばれていたあだ名と、突然「そう呼ぶことにしよう」と決めて付けられた呼ばれ慣れないあだ名じゃあ、なんとなく聞き心地が違う。内心では拒否反応が出ているが、言及できない。俺は、空いているアッキーの隣に座って、そのまま会話を続ける。

「まぁ、ほぼ強制みたいな感じだったけどね……」

「うん、あの空気は流石にねぇ」

 学園祭実行委員。聞こえはいいが、要はボランティア活動に近い。給料も出なければ単位も出ない。報酬は思い出と成長だけ。ブラック企業の求人の方がまだマシだ。

 委員会のメンバーは、学科ごとに強制で誰かが生贄となって集められる学生会という組織から作られる。さらにその中から、下級生である一年、二年が強制的に仕事をしなければならない。実行委員長はその生贄の中からまたまた強制的に一人を選出しなければならず、その選出の時間が地獄のようであった。誰か行けよという空気だけが充満し、前年度の被害者である女性の実行委員長が遠慮しながら、早く終わってほしいと言う悲痛の目をしながら「ど、どなたかいらっしゃいませんか?」と小さく震えながら声をかけていた。多くの者は彼女とは目すら合わせない。

 あれを見て手を差し伸べることができない連中は流石に人間じゃないと考えるが、そういう人間は結構いるものだ。俺もそういう人間でありたかった。そうであればこんな仕事を受けなくてもよかったのに。

 あまりにも長い時間に、やむ終えなく手を挙げたのが俺なのだ。ここで誰かが生贄にならなければ、この沈黙の空気が三十分以上続いてしまう。俺にはそれが耐えることができなかった。

「誰も手あげないんだよね。襲名制にしてしまえばいっそ楽なのに」

 アッキーは天井を見つめながらぼやいた。他人の鼻孔が見えるのは少し後ろめたい。

「確かになぁ。前年度の実行委員長と親しい人物にやらせていけば、引継ぎやらなんやらやり易くて済むし、あんな地獄の時間を送らなくてよかったのになぁ」

「まぁ、サノピー様が、生贄となってくれて助かったわぁ。私もこうして、生贄代表サノピーに感化されて、部署長にいるわけですし」

 彼女は笑いながら、俺に向かって拝む。本名はなんだっただろうか? アッキーとしか覚えていないのは失礼だが今更聞きなおせない。

 彼女とはワークショップの間に何度も食事に行ったし、別学科だけど同じ学生会の都合で毎月会う。彼女が自分に続いてくれたおかげで少しは気持ちが楽になった。

「感化っていうか、面倒ごとを押し付けることができたから、後はパパっと終わらせるために部署長になっただろう?」

 俺がそういうとアッキーは芝居じみた表情できょとんとして、黙り込む。じっと見つめられたのでこれから怒られるのかと思うような気迫を感じる。

「……まぁね。それにほら、飲食管理って楽しそうじゃん? あたし飲食バイトだし」

 そのつながりはよくわからなかったけれど、アッキーはそう言って、まだ新品のノートを出して「学祭用のノートなんだぁ」と自慢げに見せてきた。自慢げだが、買ったもの自体は大学内購買部で買った安いノートだった。

 そういえば、ワークショップの時も、小まめにメモを取って、情報整理していたなと思い出す。

 時計を見る。時刻はもう十二時半を過ぎてちょっとだった。過ぎて数分で流れ込むようにメンバーがやってきて軽く謝罪をする者、無言の者それぞれ席に座る。

「えーっと、それでも一人、少なくないですか?」

 周りを見て人数を数えると、本来は統括、企画管理、食品出店管理、広報、装飾、舞台施設管理、衛星管理と合計して七人は必要なのに、一人いない。この状態で始めていいものか、迷っていると、部屋に入ってきた大学側の職員が始めちゃってと慣れた口ぶりで俺に耳打ちをする。首から下げているネームプレートには「森沢 香織」と書かれている。

「え、えーっと。じゃ、とりあえず自己紹介でも、しましょうか!」

 俺はなるべく笑顔を作って場を仕切り始める。

 アッキーだけが味方で、彼女だけちょっと乗り気に対応してくれる。

「じゃ、じゃあ右回りで。最初は俺から。えっと文学部二年生、佐野彰っていいます。一度部署に分かれる会議の時にも自己紹介しましたが、慣れない仕事ではありますが、総合統括、しっかりやりたいと思いますので、よろしくお願いします」

 沈黙が発生して、俺は不安で頭がいっぱいになる。助けを求めるようにアッキーの方を見つめる。彼女は俺の訴えに気づく。アッキーがちょっと慌てたように声を上げた。

「じゃ、次あたしね! 秋山千春と言います。飲食店の食材などの管理をします。ここの近くの居酒屋でアルバイトしているから、終わったらみんなそこで打ち上げしようね!」

 俺はアッキーにバレないようにメモ帳に『アッキー→秋山千春』と記入する。

 秋山さんは、肩まで伸びた茶色に染められたウェーブのかかった髪に、オレンジを基本とした格好でいかにも可愛らしいと言った風貌をしている。

 秋山さんの言葉に何人かの男性がいいねぇーと盛り上がり始めて、少し雑談になりそうなところで怖くなり、俺は「つ、次行こうか! えっと、広報さん。お願いします」と強引に話を広報さんに振る。秋山を見ると両手を合わせて苦笑いのままジェスチャーでの謝罪をした。俺はそれを見て、すぐに広報さんに目線を移す。

「えっと、広報の岡田、です。その、よろしくお願いします」

 岡田さんは少し人が苦手なのか、俯き気味におじおじしながら話す。髪もおかっぱに近い黒髪に、適当なロングシャツを着ていて、おしゃれにも興味はないのが伺えた。

 みなが黙って岡田さんを見つめ、言葉が続かなくなったのを確認して、彼女の自己紹介を終えたと判断した企画運営さんが俺達と目を合わせて頷く。

「はい。んじゃあ次俺ね。企画運営を行います! 堀といいます。経営学部ね。こういった企画の運営は他でも何度かやっているから、力になれると思う。みんなよろしく!」

 先ほど秋山さんの紹介の時に雑談に入った一人の男性だった。堀くんはハキハキと話す。

 俺は、こういうタイプは好んで仕事をしてくれそうだと勝手に納得した。ピシっとアイロンかけをされたワイシャツを着ており、姿勢も正しく、優秀さが滲み出ている。俺はこういった人間は苦手である。

「舞台設備管理を担当します。土井加奈子といいます。よろしくお願いします」

 丁寧な一礼をする土井さんは、顔もそうだが、佇まいから大学生らしさを感じさせない大人のような雰囲気を醸し出していた。白い柔らかそうな生地の衣装やロングスカートなども大人らしさを感じる原因だろうか。

「渡部っす。今回は装飾の部署のリーダーやらせてもらいます。よろしく」

 軽い調子で敬礼をする渡部くんに少しイラっとする。だぼっとしたシャツに、ダメージジーンズを履いた恰好をしており、だらつきが目立った。渡部くんは話しながらも、首が痒いのか軽く掻きながら話す。

 今までの人生の中で、こういうタイプの人とはあまりいい思い出がない。

 「それで、えーっと、衛星管理の方が来ていないということですね」

 俺はなんとかまとめようとした言葉に、堀くん以外は頷きもしない。

「じゃあえーっと、今回は顔見せとこれから大きな枠組みを決めるためのスケジューリングも決めないといけません」

「まずはコンセプトじゃないのか?」

 企画運営の堀くんが軽く手を挙げる。急にきた予想外の出来事に俺は一瞬身じろいでしまう。

「そうだね。そこで色々見えるから」

「それもだけど、次の会議で発表しないといけないことじゃない?」

 食品衛生の秋山さんがそういって手を挙げる。俺は持っている資料を必死に探って自分のメモを探す。

「えっと、次の会議までには『目標入場者数』と『予算表の作成』が最低限。あと、可能ならコンセプトも発表したい」

 こうして喋っている間、目が合うのは企画運営の堀くん、食品管理の秋山さん。舞台設備管理の土井さん。それと、大学職員の森沢さん。他の二人は自分のノートをじっと見つめていた。

「一日で全部は決めることはできないので、順序も決めないといけませんね」

 舞台設備管理の土井さんは静かに手を上げて言う。長い指もピンと上に挙げられた姿勢の良いあげ方だった。

「なら、今日はとりあえず、目標人数を決めるっていうのはどうだろう?」

 堀くんが手をあげて提案してきた。みんなも黙ったまま堀くんの方向を見る。

「ほら、目標人数が出れば、自ずとその人数を呼べるコンセプトや、そのために必要な予算なんかも算出できるんじゃないかなって」

「確かに、そうだね。確か去年の人数は何人だったっけ?」

「そこはサノピーが知っておくべきでしょ」

 秋山さんが軽く笑いながら突っ込む。まさにそのとおりなので、苦笑いしか出来ない。

 僕ら学園祭実行委員の担当をしている森沢さんが一度部屋を出て、しばらくすると何やら大きなファイルを持ってきて戻ってくる。

「去年はざっと二万人ほど、後これは去年の予算表ね。彰くんに言われて探した去年のパンフレットとポスターも」

 そういって森沢さんがファイルに入っていた用紙を机に置くと、本来衛生管理さんが座るはずだった席に座った。

「去年が二万か……。だったら、やっぱり越えたいよね?」

 俺が皆に問いかける。堀くん。土井さん、秋山さんは同意を示すように頷く。

 しかし、他の人たちは普通に聞き流しているように見える。

 すると、装飾の渡部くんは脚を大股に開いて、考え事をするように上を見上げる。

「この大学のキャパシティ的に増やしすぎても仕方ないと思うんだよねぇ」

 渡部くんが、椅子の背もたれに身体を完全に預けながら答えた。ほぼ全員が渡部くんを見つめる。

「た、例えば三万人。とかどうかな?」

「無理。絶対、仮に入れたとしても人身トラブル確実」

 投げやりに話す渡部くんに少し苛立ちを感じたが、言っていることは的を射ていた。俺にはこの大学の広さから許容人数を計算できないけれど、確かに去年の学園祭の様子から、さらに一万人増えたらと思うと……。渡部くんほど消極的にはならないが、不安になってしまう。

「でも、広報としてはやっぱり実際に来る人数より大目に取りたい。かな」

 広報の岡田さんが渡部さんに恐る恐る話す。

「そうだよね! キャパはわかんないけれど、目標はでかく! 持ったほうがいいと私は思う」

 食品管理の秋山さんが広報の岡田さんの意見に乗る。すると、ゆっくり舞台設備管理の土井さんが手をあげる。

「そうですね。私も、参加するからには多くの人に来て欲しいとは思います。しかし、渡部さんの言葉を無碍にすることもできません。ここは広報である岡田さんには大勢の方が来ていただけるように工夫をしていただき、全体運営の佐野さん。舞台の私、企画の堀さんを中心に人身事故を防ぐための対応を施していくのがいいかと」

 土井さんが冷静に話し、俺たちはそれを聞いた後、しばらく沈黙する。みんな考えているのだ。

「現実問題、今年で一万人も増やすことは可能なんですか?」

 食品管理の秋山さんが森沢さんに声をかけた。森沢さんは一度腕を組んで考えた後、口を開く。

「去年と一昨年の増加率は大体三千人ほどだね。だから、三万人とすると今年は去年の最低でも三倍の増加率を出さないといけない」

「あ、あの……去年の広報さんとお話して、今年は広報に力を入れれば、一万人増加も可能だと、その、私は思います」

 岡田さんがしどろもどろに言った。みんなその言葉をゆっくりと聞く。

「確かに、企画も参加比率が悪かったと私も前年の方に聞きました。どうやら去年は、色々と、後手に回ってしまった故に準備が悪かったと、なので、企画募集なども力を入れていけばよいのではないでしょうか」

 企画運営の堀くんも広報の岡田さんの言葉に続く。

「そうだね。俺の前担当、去年の統括の方も似たようなことを言っていました。学内の生徒を積極的に参加させることが出来れば、人数増加は望めるって」

「なら、目標人数は?」

「んー、渡部くんの言いたいこともわかるし、一万人増えるとしても負担は大きいかも知れない。間を取って二万五千人というのはどうでしょうか?」

 俺は時間を見て、提案するように答えた。

「消極的だよサノピー! ここはガツンと三万人って言っちゃおうよ。目標はでかく!」

「うん。そちらの方がモチベーションも保てると思う」

 堀くんが秋山さんの言葉に乗っかる。話の流れが良い方向に進んでいる。だからこそ、流されている人の意見を大事にしなければならない。俺は俯いている岡田さんの方を見る。

「んー、岡田さんはどう思う?」

「わ、私ですか?」

 俺に突然話しかけられて戸惑った広報の岡田さんは少し考えた後、「わ、私も目標は三万人がいいかと、思います」

「じゃ、それでいいんじゃないの? 土井さん意見ある?」

 装飾の渡部くんが面倒臭そうにそう言って舞台施設管理の土井さんに話を振る。土井さんも特にない。と答える。

「ほ、本当に異論はないね? だ、だったらまずは目標人数として三万人を目指したいと思います。次に、コンセプトも決めたいんだけれど……」

 俺は時計を見る。まだ少し余裕があるし、このままコンセプトまで決めてしまいたい。

 不安要素は早めに片付ける。夏休みの宿題は最初の一週間で全部やらないと不安で遊べない。あの感覚だ。


「皆さん何か案はありますか?」

 俺はみんなの表情を窺いながら、ノートの右上に『コンセプト案一覧』と書き込む。

「んー、やっぱり楽しい感じのコンセプトにしたいよね」

 食品管理の秋山さんが開口一番に口を開く。

 しかし、アイデアというよりは希望のようなもので、他の人が少し迷うように腕を組む。

 コンセプトの話し合いっていうのはどんな案が出ても「それだ!」ってならないものだから、決まらないのはわかっていた。

「えっと、個人的に幻想的な装飾を頑張って『ファンタジー』っていうのはどうだろう? 楽しいって意味のファンとスペルは違うけれど、デザインすれば……」

 俺は、密かに考えていたものを恐る恐る話す。しかし、みんな三者三様の反応を示すだけ。しばらく沈黙が続き、俺は居た堪れない気持ちになる。結構いけると思ったんだけれど、みなの評価はかなり厳しいようだ。

「えっと、他にはどのようなものがあるでしょうか?」

「適当に暴れる! 的なのでいいんじゃないの?」

 装飾の渡部が少しだるそうに言う。真剣に考えているとは思えないほどだらけている。会議が長引くのを面倒だと思っているのだろうか。

「暴れたらダメだからね」

 森沢さんが少し呆れたように溜息を吐く。少し苦笑いなのも見るに、渡部くんの言葉を本気にしているわけではないようだった。

「渡部さんほど適当ではないですが、やはり派手な言葉がコンセプトとしてはいいかも私は思います」

 舞台設備管理の土井さんが森沢さん相手に手を挙げて答える。ピッと綺麗にあげられた手の爪はとても長かった。

「それでも、暴れる。という物の言い方はまずいわ。ご近所に無暗に不安を煽ると、後々のクレームや、企画を出した人達のはしゃぎ方とか……」

 森沢さんは不安症なのか、それを話しながら、じわじわと顔が青白くなっていく。その話を聞いて俺もなんだか、血の気が引いてくる。顔を触れると、熱さがなかった。

「た、確かに過ぎるのはねぇ。暴れるって案自体は反対ではないけれど、それなりの言葉を選ばないといけない……ですよね」

 不安になりながらも言うと最初に発言した装飾の渡部も腕を組んで黙り始めた。

「……爆発、とかどうでしょ」

 企画運営の堀くんがぼそって言い始めた。全員が堀くんの方に視線を向ける。堀くんはまだ何かを考えているからか、自身の顎をつまむように揉んでいた。

「暴れる。だとやっぱり悪い印象ですけれど、爆発ならこぉー。お祭り感出ませんか?」

 堀くんは軽口でみんなの方をちらりちらりと見ている。みんな発言の一つ一つが探り探りになっている。堀くんは、なんとか説得しようと言葉を重ねながら手でろくろを巻いている。

「い、いいじゃん! 爆発! エクスプロージョンとかかっこいいよね!」

 しばらく沈黙が続いた後、食品管理の秋山さんがはしゃいだ声で、みんなの賛同を得ようとする。俺としても、ここでもし誰かが反対意見を言えば、ここから数時間はぐだぐだになるのは経験則でわかっていた。演出としても良い。装飾のコンセプトも作りやすいし、来る客も楽しそうな雰囲気が伝わりやすいだろう。多分。

「もちろん、火薬などの使用はそもそもの学園祭のルールで禁止。このコンセプトを利用した愉快犯は出てこないと、思いますよ」

 企画の堀くんは言葉をさらに続ける。手でろくろを巻いている。他のメンバーは、それを聞いて考えているように視線が上を向いているものもいれば、目を閉じ、俯いて腕を組むものもいる。

「確かに、爆発……エクスプロージョンっていうコンセプトなら広報としても、分かり易くて宣伝しやすいとは、思います」

「舞台に誘うアーティストなどの候補も作りやすい、ですかね?」

 広報の岡田さんと、舞台設備管理の土井さんも自分の仕事のことを考えて、企画管理の堀くんの提案に乗った。

「まぁ、俺はなんでもいいと思いますよ。決まってから従えばいい」

 装飾の渡部くんが髪を掻きながら答える。彼の中では、このコンセプトを決めている話し合い自体がきっとどうでもいいのだろう。俺も少しそう思っている。

「だったらそれで大丈夫ですか?」

 俺は唯一まだ賛成意見を言っていない森沢さんの方を恐る恐るのぞき込む。

「まぁ、そうですね。それで問題が起こらないなら、大丈夫です。ただ、エクスプロージョンってだけでは、少し物足りないとも思いますので、サブのテキストを足すか、表紙などに掲載する際のデザインでの懸念は残ります」

「そこは、あの、私に任せてください」

 岡田さんが手を上げる。俺は彼女を見て、少し緊張している様子に心配になりながらも、今の話の流れをノートに記す。一度、後で清書すればいいだろうと乱雑に書いたメモが隣のページに書かれている。その隣のページに新しいことを書く自分に、あぁ、隣の文字は清書しないとなと考えた。特に隣の文字が自分でも読めない程で、小さく溜息をついた。

 岡田さんが口を開いた。

「他の係の皆さんもそれぞれのお仕事で忙しいでしょうし、枠組みさえ決まれば、後は私が頑張って作りたいと思います」

「だ、だったら、そのデザインの最終確認を俺と、森沢さんで行えばいいのではないでしょうか?」

 俺は話が早く終わるように、慌てて森沢さんに念を押す。岡田さんの努力を無駄にしない。ここですんなり終わらせたい。

「んー、だったら……いいでしょう」

「よし! じゃあコンセプトを仮決定と言うことでよろしいでしょうか?」

 俺の言葉を聞いて、全員頷く。ここで俺は、ゆっくり安堵の息を吐く。

「じゃあ、各自改めて自分の仕事に遵守してください。コンセプトにも従うように。では、また次回集会の時はよろしくお願いします」

 俺は軽く一礼をする。全員がノートにメモを取って、それぞれ片付けをし始める。

 みんなあっさりと準備して、部屋を出て行く。俺はみんなの行動に妙な寂しさを感じた。

「……研究室行こう」

 俺は天井を見て、独り言が自然と出た。腰を上げて部屋に忘れ物がないか確認した後、電気を消して部屋を出た。


 研究室に入ると、まだ授業を行っている時間だからか、人は少なかった。珈琲を置いて、鞄を地面に置いて椅子に座る。自分が座った隣に誠の鞄が置かれていた。それの存在に気づいた俺はそこの隣に座った。誠が来るまでパソコンを開いて、ブログを書き始める。毎日ブログを書くのが俺の趣味なのだ。知人に見られるのは恥ずかしいから隠しているのだけれど。

「おっ、彰。お疲れ」

 手についた水をばたばたと払いながら、誠は俺の隣に座った。太いフチの黒メガネをかけていて、学生のくせに整えられた顎髭が特徴的だった。俺はパソコンを急いで鞄にしまった。鞄にしまった後、俺は地面に顔を突っ伏す。誠も俺の隣に座る。

「あれ、授業は?」

「ないべ。あってもサボるべ」

「お前出身大阪だろ」

「べ」

「方言でもないな。疲れているのか?」

 誠はほどほどに突っ込みを入れながら俺の背中に手を添えた。俺はまた机に顔を突っ伏す。

「どうした?」

「いや、今日初会議でさぁ」

「あぁー。あれか。学園祭の」

「うん。あれの。いやぁー疲れた」

「人見知りのお前には苦痛だよなぁ」

「べさべさ」

 俺は机に顔を横にして、頬を押し付けたままコクリコクリと頷く。

「ほれ、このコーラやるから元気出しな」

 誠は未開封のコーラのペットボトルを俺の前に置いたと思うと、席に立ち、研究室を出た。なんとなく振り返って研究室の扉を見つめているとしばらくして戻ってくる。

 もう一本のコーラが握られていた。

「これで、一杯やろうぜ」

 誠はちょっとわざとらしく言った。俺は前に突きだされた誠のコーラに俺のコーラを軽く当てて、二人ともキャップを開く。溢れはしなかったが、聞き心地の良い炭酸の音が研究室内を響く。二人ともそれを一気に飲めるだけグビグビと流し込む。しかし、俺達も鍛えた芸人ではないので半分ぐらいで口を離す。

 しばらく二人とも口を開かずに目を合わせていると、お互いほぼ同じタイミングでゲップが出る。それに俺も誠もおかしくなってくる。対したことではないのに、ここまではしゃいでしまうのは、研究室で二人しかいないという特別感が原因だろうか。

「二人とも、ちょっとだけ静かにね」

 低い声の大学職員、ムーディがそういって軽く咳込む。

 ムーディは顔の彫りが深く、太い睫毛や分厚い唇が特徴的で、昔流行ったお笑い芸人、ムーディ勝山に似ている。入学時に出会った俺達は彼をこっそりムーディと呼んでいる。

 俺と誠は軽く謝罪して、誠も元の自分の席に座る。職員さんがいることを完全に忘れていた俺と誠は恥ずかしくなってきて、互いにちらちらと見合う。先に口を開いたのは俺だった。

「今すっげぇの出たな。お互い」

「あぁ、あれ録音しときたかったな」

「いやいやそれはない。それはない」

 俺は誠が言ったおふざけを笑いながら突っ込んでまた机に突っ伏す。緊迫した気持ちが切れて、身体からやる気が消えていく。誠に貰ったコーラも一瞬俺の喉あたりを刺激しただけで、結局その力も胃袋の中で消え失せる。

「昨日緊張して寝むれなかったのか?」

「あ。あぁ……まぁな」

「えっと……話しかけてほしい? 無視していてほしいか?」

 誠は鞄から文庫本を取り出しながら俺に問いかける。俺は冷たい机に頬を当ててどちらにしようか悩む。

「んー……話しかけてほしいかな」

「そっか。それでなんで疲れているの?」

「人見知りのせいだろ?」

「うん。なんかヤンキーっぽいのいる」

「マジかー」

 誠はこういう時、大雑把に話を聞いてくれるから楽だ。解決策も言わずに聞くだ聞いてくれる優しい男だ。

「まぁ、嫌いではないけれどさぁ。ちょっと難しい人だなぁって。変にいろんな人いるから。秋山さんがいるのが救いだよ」

「あぁ。秋ちゃんか」

 誠は秋山さんと知り合いで、よく俺の家にみんなで集まって、料理を振舞っていた。

「秋ちゃんはどうなの?」

「ん? 今回もしっかり仕事してくれるとは思うよー」

「それなら安心だな。また三人で食事するか」

「いいなぁー、次何にする? もつ鍋か? カレーか?」

「……お前のカレーって何入っているの?」

 誠が思い出すように聞き出すので俺は少しにやりを口角が上がってしまう。先日カレーを振舞った際の、誠の喜びようを思い出す。

 ルー自体はただのカレーを使っているのだが、味のアクセントにウスターソースを入れたり、摩り下ろしリンゴを入れたり、食材の硬さがバランス良く完成するように色々と工夫をしている。休日一人の時に何度もレシピ見て作り続けた賜物であった。

「教えてやんねぇ」

「また今度持って来てくれよー」

 俺は適当にそれを流す。誠本人も、この場を少しでも盛り上げるために駄々をこねているのは明白だったからだ。しばらくして、誠が声のトーンを変えた。

「まぁ、なんだ。しんどい時はちゃんと言えよ。お前より下手だけど、飯の一つでも作ってやるから」

「お前が作ったインスタントラーメンが食いたい」

「それ手料理じゃねぇだろ」

「へっへっへ」

 無気力に笑い、机に突っ伏して目を伏せる。自分でもなんでこんな発言をしたのかよくわかっていない。誠はこんな意味のないことを言っても相手してくれるので楽だ。

「大分疲れているんだな……」

 誠は少し呆れたように溜息を吐く。

「まぁねぇー」

「今年は大阪の花火大会行けそう?」

「無理かなぁ。夏休みも準備に追われるし」

「そうかぁ。残念だな。お前花火好きなのに」

「うん。今年はテレビ中継で見れたらいいかなぁーって感じ」

 毎年大阪で行われている花火大会には必ず行っていたのだが、今年はあの鮮やかな光を見ることが出来ないと思うと少々の寂しさを感じて、溜め息が漏れた。

「道子ちゃんにもちゃんと言えよ?」

「うん。言うよぉ」

「そろそろ寝るか? 何時に起こしてほしい?」

「んー、二時間後くらい」

「わかった」

 すると、うっすら開いた目には本を開いて読書を始めた誠の姿を捉えた後、俺は目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。


               ◇

 高校生 政人の学園祭Ⅰ


「政人ー。いるんでしょー」

部屋の外から僕の姉の声が響いてくる。姉はこういう時、無神経に僕の部屋に入ってくるのだ。

「うん。窓はしっかり開けているね。窓越しでも光とか、風とか入ってないと本当に辛気臭くなるよ?」

 部屋を暗くしたかったのに姉がしつこく言うものだから、機嫌取りに昼は窓を開けているようにしている。うるさい時はカーテンはせずに窓を閉めるけれど。確かに姉の言うとおり、湿っぽくはならないけれど、だからって元気になるわけではない。

「あんた今日もゲームしていたの?」

「うん。していたけど、悪い?」

「いや、別に。母さんも特に文句言っていないし、あんたがいいなら私もとやかく言わないよ。どこまで進んだの?」

「もうすぐボス戦。これが結構強いから資材集め集中しようってところで止まった」

「そっかぁー。ボス戦のとき呼んでよ。見たい」

「姉さんが大学行っている間にしとめるから」

「そう言うなよ弟よー」

 姉は根がいい人なのだろう。きっと大学でも仲の良い友人に囲まれて過ごしているんだろう。それはわかる。姉は優しいし、明るいし、僕からみても良い姉だ。しかし、だからこそこういう時に鬱陶しい。

「わかった、わかった。ボス戦の前には呼ぶから」

「約束だからね」

「はいはい」

 姉はしつこい。もしボス戦のときに僕が姉を呼ばなかったら、面倒なほど怒る。それも半分冗談なのかも知れないけれど、かなり根に持つ。基本はいい姉だから逆らわないことが一番平和なのだ。だから姉にゲームも貸すし、姉と一緒にドラマも見るし、姉に言われて部屋の換気も行う。逆らうとそのお洒落に敏感な長い爪が僕の皮膚を抉る。腕には姉の抉った後がシワのように残っている。

「それで? 姉さんが来たのは僕に絡みに来るため?」

「うん。それもある」

 姉は無神経に僕のベッドに座った。こうなると長居されると僕は察して、部屋の小型冷蔵庫から缶のコーラを一本取り出し、一本姉に向かって放り投げる。

「ありがと」

 姉はそれを勢いよく空ける。一瞬炭酸がこぼれるんじゃないかと危惧したが、いらぬ心配だった。僕も一本取り出して飲む。

「あんたコーラ好きよねぇ」

「まぁ……おいしいし」

 姉のほうは見ず、すするようにコーラを飲む。このコーラは炭酸が強いから、最初のうちはそっと飲まないと咽てしまう。

「あたしはたまに飲む程度でいいかなぁ。特にあんたが飲んでいるの、炭酸きついし」

 姉は舌が痺れるのか、ちびちびとコーラを飲みながら、僕がやっているゲーム画面を呆然とした表情で見つめている。ボス戦で勝つための雑魚狩りの時間、やっている僕自身そこまで楽しいというわけではない。姉弟揃って無表情でゲームを見つめている時間が続く。

 つまらないなら出て行ってくれた方がいいのに、姉はなぜかじっとゲーム画面を見つめているので、僕は資材集めの作業に集中することが出来ず、セレクト画面を開いてセーブをした。

「ん? どうしたの?」

「飽きた。姉ちゃんもいるし、こっちやろう」

 セーブを終えてゲームの電源を落とした後、僕はゲームソフトを入れている箱から対戦が可能な格闘ゲームを取り出す。このゲームの主人公はハードボイルドでロックな男で、姉さんもそのキャラクターがお気に入りだ。僕が想像した反応通り、姉は少し嬉しそうな表情をして「やろう! 今度は負けないよ!」とベッドに置かれていたもう一つのコントローラーを手に取る。

 キャラクターセレクト画面で、やはり姉は主人公の男を選ぶ。僕が選ぶのは、エネルギーチャージなどが面倒だが、決まれば心地のいい連打を繰り出すことの出来るチャイナ娘のキャラクターだ。二人とも選び終わり、戦闘画面に変わると、お互いにテレビを見つめたまま、小さくコントローラーのボタンを叩く音と、それに反応して技を叫び、悲鳴を上げるキャラクターの声が響く。

 姉は僕に気を使っているのか、よく遊びに誘ってくれる都合上、この手のゲームはほどほどに強かった。

「ねぇ政人」

「何、姉さん」

 姉が話しかけてきてからも、画面のキャラクターたちは動き続ける。

「うちの彼氏なんだけどさ」

「何? 惚気?」

「まぁ、そんなとこ」

「それで、彼氏さんがどうしたの」

「なんか最近忙しいらしくてさぁ、昼休みはいっつも一緒に食べていたんだけど、最近は行かなくなっちゃってねぇ、気づいたらいないのよ」

「浮気だったりして」

 僕は少し嫌味でも言ってやろうと意地悪く笑ってみせた。少しでも姉に傷跡をつけるための浅はかな作戦だった。

「んー、浮気する余裕はないと思うなぁ」

 しかし、姉は、僕の攻撃なんて、攻撃とも思っていないかのように、苦笑いをするだけだった。

「彼氏ねぇ、今うちの学校の学園祭の実行委員長しているのよ。楽しそうにしているとは思うけれど、一方でなんか疲れてそうでねぇ。目の下なんかパンダさんなのよ。パンダさん」

 僕は姉の言葉を聞いてまだ顔も知らぬ彼氏さんのクマを想像した。どれだけ黒くてもパンダではないだろうと感じて、姉の感性に疑問を抱く。姉はそのまま流れるように、彼氏に対しての心配、愚痴、惚気を僕の適当な相槌を聞きながら、話し続けた。僕はその間、姉の彼氏という人物について想像をしてみた。大学の学園祭を取り仕切る人で、姉の彼氏というところから、きっと明るくて、元気がよくて、社交的で、だから無神経で、豪快な人なのだろう。高校で出会った人たちを思い出して気持ちが少し暗くなる。その一瞬で隙が出来ていたからか、姉のキャラクターが必殺技を放ち、僕はガードを取れずにやられてしまった。

 再戦を押して、また互いの人物が戦い続ける。高校で元気な人たちは、なぜか僕のような人間を対等に見てくれなかった。それに、周りも自然だと感じていて、彼らが授業を妨害しようが、イベントで騒ごうが、受け流していた。弱い僕はそんな空間に耐えることが出来なかった。だから逃げた。

「あんた、大学どうするつもりなの? 十八でしょあんた」

 姉が突然僕についての話をしてくる。僕は突然責められたような気がした。返事できなくて僕は、八つ当たりのように姉のキャラクターに猛攻撃を仕掛ける。僕の勝利画面が映る。

「まぁ、あんたも引きこもるのもいいけれど、たまには外出るのもいいんじゃない? この三日間が学園祭の日だから」

 姉のキャラクターが敗北して、キャラクターセレクト画面に入ると、姉は僕にちらしを一枚見せてきた。ちらし自体は企画書提出用紙なのだが、そこにははっきりと学園祭が開かれる日程が書かれていた。

「結局、宣伝?」

「そう。彼氏の頑張りに米粒程度の手伝いがしたくてね。それに、あんたも外出るきっかけがあったほうがいいでしょ」

「きっかけねぇ」

 姉は僕が、ちらしを受け取ったのを確認すると「一勝は出来たし、満足満足」と立ち上がり部屋を出て行こうとする。

「道子ー、買い物手伝ってくれない?」

 部屋の外から母の声がする。姉はそれに簡単に返事をして部屋から出て行った。僕は格闘ゲームの電源を切ってから立ち上がり、部屋の窓から外を見下ろす。ちょうど高校の下校時間を過ぎていたのか、馬鹿みたいにはしゃいでいる男子学生たちの姿が見えた。彼らは姉の学園祭に行くのだろうか。近くの大学の祭りだし行くのかもしれないな。と考えると、苛立ってしまい、カーテンを閉めて、小さく舌打ちをした。


                ◇

 学生 熊野の学園祭Ⅰ


 俺っち、熊野は軽いスキップを刻みながら大学の通路を歩く。道行く人たちを華麗に避けていく。当たったら死ぬ、マリオのゲームみたいな気分になって心が躍った。脳内にはマリオのBGMが流れる。気分は陽気な配管工だ。途中で自販機を見つけて寄る。お気に入りの「贅沢生クリームカフェオレ」を買って、階段を一段飛ばしで軽やかに上る。三階まで登りきり、まだ息が上がっていないから、体力の衰えはないと少しほっとした。そこから少し進めば、我らのサークル「楽新会」の部室に辿りつく。

「おはよう! 諸君!」

 あえて大袈裟に大きく挨拶をして扉を開け、高らかにポージングを決める。

 早めに到着している後輩四人ほどがスマホゲームをしていた。今流行りのマルチプレイというやつだろう。一人がポージングで静止している俺っちに気づく。

「どうしたんすか先輩」

「そんな真顔で聞くなよ。萎えるやろ」

 俺っちも大人しく後輩達と少し距離を置いて座る。その後、先輩方も入ってくるが、三人に一人ぐらい、寒いギャグを突然始めて入ってくる。

 突然のギャグに対応できないので、俺っちたちも冷めた顔で同志の行動を見つめるしか出来なかった。なるほど、俺っちが高らかに声をあげた時の後輩の気持ちはこれか。ある程度の人数が集まると、雑談となる。

 ここは「娯楽追求サークル楽新会」という組織であり、なぜ生まれたかは所属している俺っちでさえもわからない。我が大学に七不思議があるとすれば確実に一つに加えられるだろうといういわく付きのサークルなのだが、活動理念は「楽しいことを存分にやろう」というもので、楽しいことが大好きな連中で遊びまくるというサークルだ。先月は総勢三十名ほどの大学生で、鴨川沿いで「だるまさんが転んだ」を全力で楽しむ。ということをしていた。あれ、誰かがTwitterに投稿したらしく、ちょっとだけ話題になった。

 しかし、誰かが思いついたときにそういった大々的な遊びを行うだけで、実際のところは、今日みたいになんとなく集まって、各自で好き勝手に遊んでいることが多い。先ほどの後輩四人は、まだマルチプレイのスマホゲームに興じているし、あるところは人生ゲームを広げている。あるところは大げさに声をあげて、寸劇を楽しんでいる。今日のテーマは海賊もののようだ。あのサル役の人超上手い。役者向いているよ。他にも菓子を広げて話している女子グループ。パソコンでアニメを見ている連中。大学の広い一講義室は混沌に包まれていた。

 みんなうるさいのに誰も文句を言わない。それがこのサークルのいくつかあるルールの一つなのである。「他人の楽しいに口出しをしてはいけない」これのおかげでみんな好き勝手やっているのに喧嘩にならない。

 自分の家だとお隣さんに、研修室やカフェのフリースペースなどでは他の利用者に白い目で見られてしまう遊びも、この空間では好き勝手やっても良いという免罪符がある。ここの部長はそこも配慮して、この部室は大学の端も端、周辺の教室が授業に使われていない部屋を部室として申請されている。

「おいおいプーさんや」

 わざとらしいおばあさんの真似で、男友人が俺っちに声をかけてきた。俺っちはこのサークルの懇親会のカラオケで蜂蜜を飲んでいる。熊野という名前とこの行動もあって、プーさんと呼ばれている。光栄の至りである。体型がプーさんじゃないのが実に惜しい。

「ちょいとこれを飲んでみてくれんかのぉ」

 明らかにおかしい紫の色をした液体が俺っちの視界に飛び込む。辺りを見渡すとクスクス笑っているグループがある。周りには色んなジュースなどが置かれているのであれらを混ぜて作ったのだろう。俺っちはばあさんに微笑んだ後、自分の鞄から蜂蜜を取り出し高らかに上げる。合成班はその行動に少し驚き、俺は紫の液体にこれまた大量に蜂蜜を投入。そのコップを持って、合成した奴らの元へ向かう。

「俺っちも混ぜたし、ここはこれで決めよう」

 俺っちは握り拳を作り、彼らに示した。すると彼らもすっと立ち上がり、全員が下卑た笑いを浮かべ、握りこぶしを前に出した。何かが始まると察して、メンバー全員が俺っちたちの集団へと集まった。

 一言でいえば、蜂蜜作戦は成功だった。大量に蜂蜜を入れたことにより、表現出来ない味が、まずい蜂蜜味に昇華した。誰だよ、お好みソース入れた奴。蜂蜜と相まってお口の中がねっちょりとした絡みに襲われたよ。

 みなの拍手が響いたのを確認して俺っちは吐きそうな気持ちを抑えて教室の最前列の教壇に立つ。

「うっ……。み、みんな聞いてくれ!」

 我らのサークルのルール。部室の教壇に立ったものの呼びかけには絶対に従う。みんなでやりたいことが発生した際に代表して誰かが立って、演説をするのだ。

「みんな、聞いてくれ!」

「さっきの飲み物大丈夫かぁー!」

「大丈夫、じゃないけど! 聞いてくれ」

 俺っちはこの雰囲気を楽しんで、教壇を思いっきり叩く。手の平が少し痛い。

「今年の学園祭で俺たち楽新会は、今までの学祭になかったモノをやりたいのだけれど!」

 俺っちは、この混沌とした空間にいる三十人以上の同志たちに呼びかけた。


                 ◇

 運営 佐野彰の学園祭Ⅱ


 学園祭の準備は進んでいた。夏休みを挟み、各部署が本格的に働き始め、総合統括である俺も色々と書類仕事が舞い込んできて、その書類を処理していくことに奔走した。

 道子と遊ぶ日は減っていってしまう。学園祭まで一週間を切ったころには、総合統括としての仕事も忙しくなるが、色々な事の方向が定まってきて、気持ちは随分と楽になった。

 ブログで、最近買ったゲームが大学で忙しくてできていないという愚痴の記事を書いて投稿する。記事を書く前にお湯を入れていたカップ麺を開けて啜る。パソコンで他のブロガーの記事を見続ける。アイドルマネージャーの宣伝も兼ねたもの。暇な主婦が書いているもの、自分と同じくらいの年齢であろう奴のブログも読む。Twitterなどが流行ったこともあり、ブログを書く人口は一気に減ったが、それでもいるところにはいるもので、そういった人達の記事を読むのも趣味の一つである。一人のゲーマー「MASATO」の姉に対する愚痴の記事を読んだ後、自分の画面に戻ると、コメントが書かれています。と画面に出ていた。気になってそれをクリックすると、コメントがされている記事まで飛んでいく。その記事には「匿名」と言う名前でコメントがされていた。

 『あなたが通っている大学の学園祭にて爆破事件を起こします』

 淡泊に書かれているこのコメントに呆然と見つめる。ネタにしては丁寧なコメントである。誰かの悪ふざけだろうか。が不安に駆られる。

 このブログには、自分が学園祭の運営をしているということは、一切書かないようにしていたのだ。それなのに、なぜそれを知っている人がいるのか。数年以上やっていたこともあって、このコメントの後、いつも見てくれている人が心配と驚きのコメントなどが投稿されている。

『佐野ちん学祭の運営とかやってんの?』 犬丸さん

『上のコメント唐突すぎワロタ』 たこやきさん

『そんなことより俺の記事見てくれよ https://blogs.yahooo.co.jp/BROG/VOQ7RKQ5crTcHrjyci4jnvq2Opzy』 綾波大好き☆さん

 他にもたくさんのコメントが自分の記事に投稿され、俺のホーム画面には「新着コメントがあります」と言う赤い文字が消えることはなかった。TwitterなどのSNSでも、面白そうなものを見つけると、みながそれを玩具のように追及や己の意見をぶつける。それは人が減少したブログ界隈でも変わらなかった。

 突然来た犯罪予告コメントと、それに群がるコメントに俺の頭は追い付かず、久々に大量に送られるコメントへの返信処理を必死で行った。自分の聖域が荒らされたことによる衝撃で額から汗が滲み出る。みんな本気にはしていないだろうけれど、どのように対応していいものかわからぬまま、ネット友人には大丈夫という旨を伝え、他の知らないコメントなどには無視を決め込み、なんとか対応する。

 喉が渇いてしまい、冷蔵庫へ向かい水のペッドボトルを取りだしてそれをガバガバと飲む。

 その時、突然インターホンが鳴る。俺は急いで扉に向かって、覗き穴を見る。向こうには道子がいた。俺は一度深呼吸をして、腕でかいている汗を拭って、鍵を開けた。

「やっほ」

 扉を開けて彼女の顔を見る。その後、暖色の赤みがかかったスカートと、食材が入った大きなビニール袋が視界に入る。俺は彼女を家に迎え入れる。

「ちょっと冷蔵庫借りるけど、開けて大丈夫?」

 一応礼儀でそれを聞くが、こちらの言葉を聞くまでもなく冷蔵庫を開けて買ってきた食材を冷蔵庫に詰め込んでいく。

 俺はその間に部屋に向かい、開きっぱなしのパソコンを閉じて、いつもパソコンを入れているケースに収納する。

「なんかごめんね急に来て」

 彼女はそう言ってスカートを押さえながら少し崩した正座のような体勢で座る。俺はキッチンに向かって、コップ二つに冷蔵庫から取り出した麦茶を入れて持っていく。冷蔵庫の中は彼女が買ったであろうもので溢れていた。

「それで? どうしたの?」

「彼女が理由もなく彼氏の家訪ねちゃダメ?」

 少し眉を細めながら言うが、彼女はすぐに笑みをこぼす。

「冗談冗談。最近、大変そうだし、なんか手伝えることないかなぁーって。ごはんと掃除くらいしてやろうかと思ったんだけど……。片付いているよね」

 道子は部屋をぐるりと見渡す。部屋にはテレビとその前に乱雑に飾っている食玩フィギュアが飾っている程度で他はしっかり、整頓されている。

「まぁ、あんまり最近友だちとか呼べなくなってしまったからなぁ」

 ここ最近は、帰って飯作って皿洗ってテレビ見て寝る。のルーティーンを繰り返している。以前のように友人を呼んで飲み食いしながら格闘ゲームをするようなことも減って、テレビ台の上に乗せているPS4も、少し埃をかぶり始めていた。

「お腹は空いている?」

「うーん。まぁ、そこそこ」

「なら作ってあげるよ。キッチン借りるね」

 道子は良い奴だけれど、こちらがもうその返事を返す前提のように話しかけてくる。今の場合も、俺がお腹空いていないか聞いていたが、腹が空いていなかったとしても、彼女はキッチンに向かって料理を始めるだろう。それが道子という女なのだ。

「白菜と豚肉の煮込みでいいよねー」

 そういって彼女は白菜に包丁を入れる。この段階で俺に断る権利はなくなっていた。

 俺はキッチンで料理をしている彼女を数秒部屋から覗いた後、机に戻って大学祭用のノートを取り出して、今まで決まったことなどを改めて確認する。彼女の料理音だけが響く空間に違和感を抱いて、テレビをつけてニュース番組を流す。今まで決まったことの流れ、現在の各部署の進行状況と問題点。学園祭までのスケジューリングのシミュレーションなどを行う。けれど、結局不安は拭えず、頭を掻く。

「あれ? 彰くん」

 煮込みと言っていたから煮込んでいる最中に戻ってきたのか、部屋に入ってきた道子が俺を見下ろしながら話しかけてくる。俺が見上げようとしたとき、道子は俺の頭を掴んで抑えて、俺の髪を探るように触る。

「やっぱり……」

 上から聞こえる道子の声は少し申し訳なさそうだった。その後、頭上からカシャリと携帯の写メを撮る音が鳴った。俺は道子の手を振り切って彼女を見上げる。彼女は表情は引きつりらせ、携帯の画面を見る。そして俺の方を申し訳なさそうに見つめた。

「こ、これ……」

 道子が携帯の画面を俺に見せてきた。画面には俺の頭が映っていた。綺麗な毛先の黒が画面を覆っていると思ったが、一つ、まるで月のクレーターのようにぽっかりと肌色が中央に空いていた。

「十円禿……できているよ」


 次の日、俺の脇から38.8度の熱が計測された。道子の白菜と豚肉の煮込みの後に、ポカリスエットが献立に追加された。

 認知の力というのはなんと恐ろしいのか。前日まで元気に仕事をしていたのに、十円禿という己の身体の異変を自覚してから途端に頭痛が走り、喉がカラカラになって、目もシパシパとかゆみが襲う。

 昨日の会議の時、誰も気づかなかったのか、そもそも気づいていて、気を使われていたのか。二十代でも十円禿はできるものなのか、この前言ったゲームセンターで後ろの人に見られていたのでは、コンビニ買い物の時も見られていたのか。そんな恥ずかしさによる発熱だと思っていたが、翌日まで引きずって、これは風邪を引いてしまったのだと自覚した。

 布団からもぞりと動いて、布団横に道子が置いていってくれた冷えピタの箱を取り出す。デコについたものを剥がして、新しいのを付ける。少し失敗して前髪が巻き込まれた。

 しかし、それを直すほどの元気もなく、そのまま寝転んだ。携帯をつけて時間を見るともう昼だった。目を閉じて数秒寝ようと心がけるけれど、身体とだるさと寝すぎによって寝付くことが出来ず、LINEを開いて学園祭のメンバーに、今日自分がいない旨を伝えた。今日も衛生管理の坂本くんは会議にいなかったそうだ。彼は仕事をしっかりしてくれるのだが、まったく会うことはない。前年度の資料や、職員に確認を取って仕事はできている様子なので、まぁ、いいと言えばいいのだが、この二か月でまだ顔すら見ていない気もするので、少々疑念が浮かぶ。

『あなたが通っている大学の学園祭で爆破事件を起こします』

 見慣れた天井を見ながら、昨日のコメントを思い出す。ただの悪戯だと思いたいが、なぜ俺が運営をしていることを知っているのかが不安でならなかった。風邪のせいか、恐怖のせいか、身体が震える。

 携帯が鳴ったかと思うと、秋山さんが個人LINEに心配しているという旨のスタンプを送ってくる。彼女にブログの事を相談しようかと一度考えた。

 しかし、そもそも俺がブログをやっていること自体を知らない相手に相談としていいものだろうか。内容が内容だ。真剣には扱ってはくれないだろう。俺は『大丈夫。問題ない。明日には治す』とコメントをして元気そうなキャラクターのスタンプで返信する。

 動けば軋む身体を無理やり起こして、先日彼女が作りおきしてくれたおかゆをコンロで温める。かすかに鼻にふれる

 詰まっているから微妙にしかとらえられない香りを必死で脳に叩きこむ。さっきまでなかった食欲が徐々に湧いてくる。次第におかゆはマグマのような気泡を作って湯気を放ちはじめる。ここらで焦げないようにお玉を持って、軽く混ぜる。そしてまた気泡を放つまでじっとおかゆを見つめる。風邪の時にNHKの番組を思わず見てしまうような感覚で、普段なら気も留めないのに、おかゆが放つ気泡をただただ見つめることが楽しくなってくる。いい感じに気泡が上がると、もう一度混ぜて、また気泡が上がり始めるまで、見つめる。これを繰り返す。


 焦げた香ばしさがまた食欲をそそり、火傷した舌を冷水で冷やす。焼けた皮膚がヒリヒリと悲鳴を上げる。

 やっと脳に栄養が回ってきた。呆然としている自分に違和感を覚えて、ノートを取り出して、現在の学園祭について改めて確認作業をする。もうすぐで始まるという状況で体調を崩すとはなんと情けないと自分を責めた。

 しかしこの時期は、総合統括はいうほど仕事がない。みんなの進捗状況の確認や書類の不備がないか、部署リーダーたちの疲労度はどうかの心配をしないといけない程度である。

 けれど、考えれば考えるほど、途方もなくて、諦めるように俺は布団に入って眠ることにした。学園祭当日には過酷な労働が続くのだから。変なことを心配している暇はない。


                ◇


 学園祭前日。俺は、仕事を終えた部署リーダーは真顔で袋詰めをしていた。ビニールの袋にパンフレットと、サービス券、そして企画などの広告用ポスターや、当日公開される映画のチラシなどがあり、それをただただ無言で袋に入れていく。最初のうちはみんなでわいわいしていた。パンフレットの中身の談義とか、公開される映画の話とか、もうすぐで学祭でドキドキするねぇーと言う話をしていた。

 しかし、三十分経っても終わらない袋詰め作業に、みんな辟易とし始めて、次第に口数が減り、全員死んだ魚の目でただただ仕事に従事していた。ふと我に戻って辺りを見た時、みんなの顔が死んでいて、その光景に耐えかねて俺はトイレへと逃げた。囚人の作業場とか、あんな感じなのだろうかと思わず想像した。部屋を出た時の空気と喧噪は、まさにシャバへ解放されたかのごとく心地の良いもので、思わず大きく深呼吸をした。

 いつも思うことがある。このお昼時、学祭の仕事をしている時にトイレに行くと、必ず奥の便座が閉まっている。その手前の小便用のトイレに立って用を足す。ほっと一息が出る。

 会議室以外で仕事をしている人たちの所へ行こうと決める。学園祭実行委員長として、学園祭の進行状況の確認は大事な仕事だ。決して、あの腰を痛める単純作業に飽きたわけではない。決してない。

 トイレを出て、大学内を回っていると、装飾の渡部くんを見つけた。

「おはよう」

「おはよう……。すごいクマだな」

 声をかけるとこちらを見る渡部くん。俺にそういう彼も、俺以上に目のクマが酷い。パンダみたいだ。

「これ、この前会議で言っていたやつ?」

「あぁ、これを大学の柱に切り貼りして、装飾する。ちょうど手が足りなくて困っていたところだし、手伝って行けよ」

 その後、俺は渡部くんの指示通りにパネルを押さえておく。渡部くんは俺の顔を見ずに作業に集中する。最初の方は嫌な感じの人だと思ったが、約半年も一緒に仕事をすると、ほんの少し彼の真面目さを理解し始める。まだ目を合わせたりするのは怖いから反らしてしまうけれど。

 俺は作業を手伝いながら、渡部くんに会議室が地獄と化している話をした。

「やばいな。そっちはそっちで。正直もう仕事ほとんどない広報連中ちょっと恨んでいたのに、同情する」

「ほんと、みんな目にクマ作ってパンダみたいなんだよ。その癖、無表情で作業しているからチラチラ見ていると怖いぞぉー。特に秋山」

「あぁ、あいつの無表情怖いよな。いっつも明るい表情だから」

「そうそう。たまに素の時、超怖い」

「わかる」

 渡部くんは俺と世間話をしながらも作業に集中している。俺が押さえていた場所からきれいにシールがついていく。灰色のコンクリートで出来た柱に装飾が施される。俺と渡部くんはそれを見るために二人とも二、三歩下がる。

「すっげえ、爆発しているわ」

「そうそう。この爆風のイラストをいたるところに貼って、作業する。他のところも貼ってもらっているんだけど、まだまだあるんだよなぁ」

「手伝うわ」

 俺と渡部くんは二人で、柱を装飾する作業をはじめる。大きなシールの端を持って、ずれないようにコンクリートの柱に合わせて、その後、ゆっくりと両面テープの付いている用紙を剥がして、貼る。

「こんだけ時間かけて貼っても、三日過ぎれば一気に剥がすんだろなぁーと思うともったいないよな」

 渡部くんが少し笑いながら答える。確かにそうだ。俺たちが二か月以上続けてきたこの学園祭の準備は、明日から三日間を過ぎれば。きれいに片付けられる。頑張って企画を纏めても、装飾をしても、舞台を整えても、一週間過ぎれば俺たちがやってきた面影すらもなくなる。そこには一抹の寂しさは渡部くん同様感じずにはいられなかった。

「けどさ。やっぱり来た人は覚えてくれるんじゃない?」

 俺はなんとかフォローを入れようと渡部君に向かって話す。作業していたシールが張り終わる。

「そうだなぁ。せめて俺らは覚えておかないとなぁ」

 渡部くんはもう一度、シールがしっかり貼ることができているかを確認して、余分なところをカッターで切って、最終確認をした後大きく伸びをする。

 俺は一通りロビーを見ると、全ての柱が爆発していた。思わず目を見開く。地味な作業を続けた先にある派手な結果に心を奪われた。

「よし、後は一人でもできる作業が多いし、他の部署も見て回るんだろ?」

 渡部くんが身体を大きく回して背骨を鳴らした後、俺に話しかけてくる。そうだ。ここで結構手伝ってしまったが、まだ他にも様子を見に行くべき人がいることを忘れていた。

「そうだねぇ。じゃあ頑張って!」

「おう、終わったら会議室に行くわ」

 その言葉を残して俺と渡部くんは別れた。


 大学の屋外を歩き回る。目のクマがじわりと痛みを走らせるような眩しい光に思わず目をこする。今日はかなり暑い。もう十月だというのに、日本はまだ自分が夏であると勘違いしているようだ。みんな来ていたジャンバーやコートを脱いで長袖のシャツ姿になっている。

「堀くん。お疲れ」

 俺は企画運営の堀くんを見つけて声をかける。彼が俺に気づいたのを確認すると、先ほど買っておいたお茶を彼に渡す。

「おごり?」

「まぁ。頑張っているしね」

 堀くんに渡しながら、渡部くんにもおごってあげればよかったと後悔する。あの時には思いつかなかったのだ。悪意はない。

「それにしても暑いなぁ」

 堀くんが俺から受け取ったお茶を流し込むように飲む。彼の首元から汗が流れているのを思わず見つめる。

「堀くんってさ。モテるでしょ」

「なんだよ急に」

「いやぁ、汗が似合うなぁと」

 少しからかうように笑うと、彼は謙遜のように否定した。

「それで、なんで来たの? 休憩中?」

「まぁ、気分転換に作業中の各部署の人達の状態を見ているんだよ。どう?」

「それがさぁ……」

 堀くんが少し苦笑いをする。

 すると堀くんの部下らしき子がこちらに走ってきた。彼女の後ろには小さな段ボール箱を持った小柄な女子二人と、屈強な男がいた。この三人の共通項が見つからず、俺は堀くんとその三人を交互に見つめる。

「堀さん! 猫愛護サークルの方々来てくれました」

「ありがとう。ちょっと悪い」

 堀くんが俺に謝罪した後、猫愛護サークルの方へ行って、何かを話し始めた。俺も統括としてトラブルは知っておきたい。少しずつ近づいて耳を傾ける。

「それで、またたびを持ってきましたか?」

「はい。後、ねこじゃらしと。ツナ缶も」

 秘密裏に行われている会話とは思えない素っ頓狂さに俺は状況の理解に手間取った

「じゃあちょっとお願いします。本当すみません」

「いえいえ」

 猫愛護サークルが歩いていった。俺の隣の堀くんが溜息を吐いた。俺のお腹が少し痛くなる。

「えっと……。何かあったの?」

 俺は気になって恐る恐る堀くんに問いかける。堀くんはまた少し苦笑いをした。

「いやぁ、外で企画をする人のために、テント用の器材を運んでもらおうと思ったんだけど、なんかその通路にね、たむろしているんだよ。猫が」

「猫が」

「見に行ってみる?」

 堀くんに言われて、ついていく。

 テントのパイプを置いて待機している人々が集まっていた。その中心に目をやると、そこには数十匹の猫が通路で寝転がっているのだ。

 通路が塞がっており、かろうじて一人が跨がれるかどうか。という状態だった。これじゃあ確かにテントを運ぶのは至難の業だろう。

 写真を撮っている女子もかなりいる。これは明日までとはいえ、いい宣伝にも使えるかもと、俺も写真を撮って岡田さん宛に転送する。猫たちが群がって寝ている光景はそれだけで可愛らしいのだが、当の企画者たちや堀くんからすれば胃痛がするものだろう。

 見ていると、一匹の猫が目を覚まし、歩いていく。まるで何かに誘導されるように。

「よしよし」

 堀くんが頷きながらその光景を見つめている。そして一匹、また一匹と目を覚ました猫がなぜか同じ方向に向かって歩いていく。

「さっきのサークルの人達って」

「そう。お願いして、猫が別の場所に集まるように、協力してもらったんだ」

 少し歩いて猫愛護サークルの方へ行くと、彼女たちが餌やマタタビを端っこの方に寄せて見守っていた。最初に起きた猫は既に餌に食らいついている。

 猫が少しずつ移動していく光景も滅多に見ることが出来ないものだからか、野次馬の中でカメラを回している人がいた。

「これでも起きない子は驚かせないように抱っこして連れていくので、もう少し待っていてください」

 猫愛護サークルの女子が堀くんに頭を下げると猫たちの所へ行き、慣れた手つきで抱っこして運んでいく。これを何度か往復している。猫を抱っこする経験のなかった俺は、その光景を見ているしかなかった。寝ぼけ眼なのに運ばれていく猫たちを、野次馬たちが囲んで見ている。中には途中で起きて、暴れる猫もいた。死刑台に送られる囚人のように見えた。それぐらい暴れていた。

「よし! 猫の数も減ってきたので、予定通りテントの運び出しをお願いします!」

 堀くんのハキハキとした声が響き、テントを置いていた人達がそれぞれ自分の荷物を持ちあげ、ゆっくりと運んでいく。

「まぁ、さっきの変な事件はとりあえず済んだ。遅れは出ているけれど、今の所大きなミスとかはないよ」

 堀くんが俺の方を見て話す。俺はその堀くんのパンダみたいになっている目のクマを見つめた後、一度大きく頷いて。企画班の確認を終えようとした。

「なら、俺他の部署に行ってくるから。堀くんなら大丈夫だと思うけど、何かあったらすぐ呼んでね」

「パンフレット詰めから逃げたいから呼んでほしいんだろ?」

「違う違う。じゃあね」

 堀くんに手を振って俺は彼に背を向けて歩いていく。次は舞台の方を見にいこうかと考えて、大学の室内へと入っていく。

 学校内外共にいろんな人で溢れていた。俺たち運営、企画参加のために準備している人たち、既に終えて駄弁っている人。なんとなく準備の光景を見て回りたい野次馬っぽい人。

 運営とそうじゃない人の見極め方は簡単だ。

単純にビブスやトランシーバーをつけている人かどうかも判断材料ではあるが、それ以外にも大きいものを見つける。それは目のクマが出来ているかどうかだ。まず目を見た時に、運営の連中はかなりの目のクマの黒さがあることに気づく。その後トランシーバーなどの着用で確信に変わるのだ。運営メンバーの全員がここ数日まともに眠れていないのだろう。煤けた黒が目元に集約されているのだ。


 舞台に入ると、目にクマが出来た、パンダさんだらけだった。

「あっ、佐野さん。おはようございます」

 一人パンダじゃない女性がこちらに向かってくる。舞台設備の土井さんだった。

「進行状況はどう?」

 俺は彼女に対してお茶を渡す。彼女はそれを受け取って一口飲んだ後、肩の力を抜くように一息吐いた。

「まぁ大体は順調ですよ。ただ、単純に業者が来る時間などのズレもありますので、一日いっぱいは仕事になるかと」

 ここまで順調すぎると、かえって何もできないな。土井さんたちも今は待機中らしいし、特に追及するようなこともなかった。

「何か問題が起こるとすればこの後来る音響設備の時の音ですかね」

「あぁー、ちゃんと色々音が通るかどうか?」

「はい。音響トラブルは結構あると聞いていますので。ただそれくらいなので、ご安心してください」

「そうか。なら、俺も仕事に戻るわ」

 土井さんの完璧すぎる仕事に、逆に不安が煽られる。何も起こらないということは、これから起こるということなんじゃないか。何か見落としはないかと思わず思考が駆け巡ってしまう。お腹がいたい。

「あっ、佐野さん。下、下」

 何かに気づいたように土井さんが驚いて俺の下に指を向けた。俺がそっちへ見ると、足元にさっきの猫の軍勢の一匹が、黒猫がついてきていた。その猫は俺の足に絡みついてきた後、嘲笑うように「にゃー」と鳴いた。


 猫を見て、激痛に襲われた俺は、黒猫を追い出した後、トイレに急いだ。個室に入る頃には汗が額に流れていた。相変わらず奥の個室は閉まっている。黒猫は不幸の象徴だという話を聞いたことがある。その黒猫がずっとついてきていた。それ以外に特に悪いことは起こっていないのにも関わらず、お腹がどんどん痛くなる。出すもの出したのにまだ痛くて、お腹を抱えたまま会議室に戻る。

 会議室に戻ると、全員が死んだ魚の目で内職のように無言でパンフレットを詰めていた。

 統括である俺が戻ってきたというのに、みんな声もかけてくれない。俺は寂しさを感じながらも、集中しているからだなと一人で納得して席に戻った。俺もまた一匹のパンダとして内職に精を出し、静寂な空間と一体化した。

 誰かが思わず発した溜息と同時に全員が顔を上げた。パンフレットの残りを見ると、後少しなのだ。虚ろだった皆の表情に光が差し込む。少しだけ談笑が始まりながら、残りの冊数を袋に詰めていく。

「よしっ! これで最後! 最後だよね!」

 俺が袋を入れた後、みんなに確認をする。装飾の渡部くんや企画運営の堀くんも参戦して、彼らの部下も手伝ってくれてようやく終わった。久々に携帯を見ると、舞台設備管理の土井さんの所から戻ってから二時間以上経っていた。時刻はもう夕方だった。閉じていたカーテンを開けると夕日の明かりが目に染みる。

「ないない。全部終わりです!」

「よっしゃー!」

 大声を上げたのは堀くんだった。企画の仕事でへとへとで、帰る前に声をかけようくらいのつもりで来たのに、まだまだ残っているパンフレットの山を目撃し、半ば強制で仕事をさせられていた彼は、もう疲れが限界だったのだろう。

「終わったー」

「終わった終わったー」

 装飾の渡部くんと食品管理の秋山さんは、対照的に机に顔を突っ伏して籠った声が部屋に響く。

「二人とも本当にお疲れ」

「お疲れーっす」

「カツカレー食べたいー」

 顔を突っ伏したまま二人が話すのを見て、広報の岡田さんが思わず失笑して、その後、スマホを取り出して二人の写真を撮る。その後、スマホ画面を何度か、タップしている。

「ちょっとー。肖像権―」

「そうだぞー俺らにはなんたら権があるんだぞー」

 秋山さんと渡部くんはよっぽど疲れたのか、岡田さんの行動に言及しているが、顔は机に突っ伏したままだった。

「一応顔も隠れているし、大丈夫だと思うけど……。嫌なら消そうか?」

 岡田さんも少し笑いながら答えると、二人は「いや、大丈夫」とだけ言った。

 俺は気になってTwitterを開いて学園祭宣伝用アカウントを見に行くと、死屍累々のごとく倒れている二人の写真と共に『運営一同、頑張って準備をしております』という文面が添えられていた。確かにこっちの方が全力で頑張っている感は伝わるような気もする。いくつかいいねを押されていたので、俺もいいねを押して、携帯を戻す。

「いやぁ、後は明日からの三日間を耐えるだけだな」

 堀くんが笑顔で言った言葉で腹痛が走る。俺は明日からのしんどさを想像して、そのままお腹を押さえながら顔を突っ伏した。

「みなさんこんばんはー。あっ、パンフレット作業終わったんですね」

 舞台設備管理の土井さんの声がする。舞台設置が終わって駆け付けてくれたみたいだ。顔を突っ伏したまま「土井さんもお疲れー」と答えておく。

「佐野さんの方が疲れてそうですね。先ほどはお茶ありがとうございました」

「えっ、サノピー。土井さんにお茶おごったの?」

 秋山さんが突っ伏したまま俺に突っかかってくる。

「あぁ、俺もおごってもらった」

 土井さんの言葉に堀くんも乗ってくる。

「おいおい。俺おごられてねぇぞ」

「渡部の時は飲み物を持っていこうって発想なかったから。後でおごるわ」

「よし、コーラで」

 この間も俺と渡部は顔を突っ伏している。

「ずるいあたしは?」

「全員におごってたらキリないからナシ」

「不公平だぁー」

 秋山さんが駄々をこねるが、そろそろ本気で財布に金があるか不安なのもある。誰かにおごった分もあるが、こうして学校で作業をしていると、どうしても飲み物や昼食でお金が減っていく。世のサラリーマンがお金たまらないの、これが原因だとも思うよ絶対。

「でもまぁ、やれることはやったでしょう」

 しばらく沈黙した後、堀くんが言葉を始める。沈黙が続いた空気を変えようとして出した言葉なのはすぐに理解した。

「そうだなぁ、大変だったけれど、充実したっちゃあ充実した」

「だよねえークタクタだけど、明日からは正直楽しみだよ」

「何か問題起こらないといいけどな」

「渡部くん、空気読んでよー。今はいい方向にしか考えないようにしているんだからさぁ」

 秋山さんが渡部の言葉にかみつく。

「渡部そういうとこあるよなぁ」

 堀くんも続く。渡部くんも今回に限っては悪いと思ったのか、少しだけ狼狽していた。

「まっ、統括さんも頑張ってくれたし、俺らも頑張ったからそれなりに人は見込めると思うぞ」

「うん。広報もできる限りのことはした」

「天気予報も確認しましたが、基本的には晴れが続くそうですし」

「晴れすぎると明日暑いんだけどなぁ」

 堀くんが泣き言を言う。今日の天気からして、かなり汗がぐっしょりとなっているのだろう。明日も同じ目に合うことへの嫌悪感がぬぐえない。

「そのためにうちわも用意しているし、大丈夫でしょう」

 土井さんがフォローを入れる。天気予報を改めて確認しても晴れマークが続いている。天気も心配ない。

「最後に確認だけど、みんな各部署隠しているまずいことはない?」

「はい、食品管理、秋山、大丈夫です。後、衛生管理からも大丈夫との報告ありました。坂本くんと同じ部署の美雪ちゃんがちゃんとやってくれているので」

「企画部署、堀も概ね心配ない。企画者への注意もしっかりしているし、明日からも積極的な監視を心がけるつもりだ」

「装飾部署、渡部も、しっかりと装飾を終えたと後輩たちからも連絡が来たから大丈夫。後で見て回って確認作業を残すだけです」

「舞台設備管理、土井。舞台も音響設備、舞台設備、照明設備共に問題ないです」

「広報部署、岡田。パンフレットの詰め終わり作業も終えたので、後は明日までできる宣伝を行うだけです」

 全員それぞれの言葉を聞いて俺は安心して大きく息を吐く。その後、ゆっくりと椅子から立ち上がって全員を見る。流石に突っ伏していた渡部くんと秋山さんもこっちを見る。

「えぇー、皆さん。今日の準備はお疲れさまでした。明日から行われる大学祭。私たちが準備した全てを持ってお客さんが楽しんでもらえるように頑張りましょう。じゃあ、今日はこれで学園祭前日準備を終了します!」

 俺は一応纏めようとしたのだが、解散するどころか、みんな疲れていて、そこからうめき声だけを上げて動かなかったので、いまいち締まらず、俺はもう一回椅子に座って顔を突っ伏した。


 家に帰って、家事をする気力もなく結局弁当屋で買ったカツカレーを食べながら、テレビでバラエティ番組を見ていた。ここでバカっぽく喋っているお笑い芸人たちも、舞台裏では腹痛を起こしているのだろうか? 十円禿が出来ていたりするのだろうか。なんとなくそんなことを考えていた。

 小さい頃、お笑い芸人といえば生まれた時から面白くて、そういう性格の明るい人間が自分の好きなようにやってみんなを笑わせているのだと思っていた。

 一度だけ、お笑い芸人になりたいと思ったことがある。しかし、自分は上っ面だけで実際には面白いことも思いつかないし、明るい奴じゃないからと諦めていた。

 今ならわかる。明るい人間が明るいことをするんじゃない。面白い人間が面白いことをしているんじゃない。それぞれが苦労して、その中でやっと人間を笑顔にできるのだ。テレビの前でバカをやっているお笑い芸人を見て、彼らの裏の努力を想像する。彼らの努力を実感できるようになっただけで、実行委員という仕事は良い経験になったと納得する。

 ご飯を食べ終えて、空のパッケージをゴミ箱に捨てた。ゆっくりと風呂に入った後、落ち着かない気持ちを押さえて、音楽を流しながら、なんとか意識を鎮めてようと努めた。


                 ◇


 外の光の眩しさで目を開く。寝落ちる前に時計を見たときには深夜三時だったのを思い出す。起きたのが、七時ほど、鏡を見ると、目の回りがさらに黒くなっているような気がした。パンダ度が跳ね上がった。洗面台にある、道子が置いていった化粧品で隠せないかと思ったけれど、それも叶わないような化粧水ばかりだった。しょうがないのでこの目で笑顔を保つしかないかと、朝食に買っておいたバナナを頬張って学校に移動を開始する。

 学校の会議室に着くと、装飾の渡部くんが座らされていた。

 渡部くんの顔に舞台設備管理の土井さんや食品衛生の秋山さんが群がって何かをあてている。広報の岡田さんが会議室に入ってきた俺に気づいて、秋山さんの背中を何度か叩く。

「あっ、サノピーもやっぱりやばいじゃん!」

 秋山さんがこちらを見ると、げんなりと溜息を吐く。彼女の目は、なぜか昨日までいたパンダがいなくなっていた。秋山さんがこちらを見たのを確認した渡部くんはすごすごとこっそり女性たちから逃げていった。

「ちょっとサノピーもここ座って!」

 秋山に引っ張られて、無理やり椅子に座らせられる。何が起きているかわからず戸惑っていると、土井さんが俺の肩に手を置く。

「安心してください。佐野さん」

 いつもなら安心できる土井さんの頼もしい言葉も今日ばかりは、脅迫されているようにしか感じることが出来なかった。土井さんの目にもパンダのようなクマはなかった。

「大丈夫です。ちょっと化粧で目のクマ隠すだけなので、目を閉じてください」

 俺は恐る恐る力みながら目を閉じる。岡田さんや土井さん、秋山さんの話声と共によくわからないものを顔に当てられているのを感じる。なんだか粉っぽくて気持ちが悪い。道子とかっていつもこんなことをしているのかと少々戸惑いが隠せなかった。

 しかも、これが結構時間かかる。すぐに終わらないから目を閉じたまま、長い時間を過ごさないといけない。何をされているかもわからないのが地獄だ。人間、視界を奪われるだけでここまで苦しいものなのかと改めて実感した。

「め、目開けていい?」

「ダメ」

 秋山さんの厳しい声に逆らうことができずにまた目をぐっと閉じる。

「そこまで強くしたらやりづらいでしょ。もっと落ち着いて!」

 こんな脅迫のようなものを受けてリラックスしろと言うのが無茶だ。けれど頑張って深呼吸をして、心を落ち着かせる。

「男子たちが目のクマそのままにしてくるのは予想通りだったよ」

「そうですねぇ。流石に運営をやっている人間の表情が怖いと、お客さんも楽しんでくれないですからね」

「うん。そこは、とっても重要」

 女性陣が話している間にまだ向こうから男の声が聞こえる。

「おはよう。ごめん遅れて、あれ? 何しているの?」

 声からして企画運営の堀くんが来たようだった。俺はしめたと感じた。堀くんが次の被害者になれば俺も渡部くんのように逃げることができると確信していたからだ。

「おっ、流石堀っち。ちゃんと隠しているね」

「うん。姉から借りた」

 堀くんが秋山さんと談笑している。俺はその間にゆっくり目を開けて渡部くん同様に逃げようとするが、岡田さんの手が俺の肩を捕まえる。

「佐野さん、あの、まだクマが消えていません」

「つ、次の堀くんをやった方が……」

 俺が堀くんを指刺して、彼の表情を見たが、昨日まであった彼のパンダはどこかへと姿を消していた。

「堀っちはちゃんとできていたから、後はサノピーだけなんだよ!」

 そのまままた秋山さんに脅迫され、目を閉じさせられ、こわばった表情をしていても怒られて、頑張って平常時の表情を作って、彼女たちがしてくる化粧攻撃をなんとか堪えなければならない時間が過ぎていった。


 皮膚を何かが押さえつけているような感覚に慣れないまま、会議室で一人ぽつんと座っている。食品管理は飲食店で使う食券販売の管理をしており、企画班の者たちには困っている人達がいないかどうかの周辺の警護、舞台設計の土井さんたちには舞台での客引きから列整理までやってもらっており、装飾は自身が設置したゴミ箱などに溜まったゴミの回収や、装飾の故障がないか確認を、企画の人同様に周りを確認しながら行ってもらっている。衛生部署もしっかりとアルコール管理などをしてくれているそうだ。

 それで、総合統括である俺はというと、落とし物を届けにくる人や直接質問に来るお客様のために、ここで待機しておかないといけない。総合統括は、一人しかいないこともあり、広報さんなどが後で代わってくれるらしいが、基本的には一人ここで、お客さんが楽しんでいる光景を窓から眺める仕事になってしまう。滅多に外に出れないこともあり、珈琲もグランデを買っておいた。

 パンフレットを見て、今日来てくれている外部のアーティストなどのチェックをする。朝のうちから落とし物が届くこともないので、退屈だ。

 携帯を開いてTwitterで自分たちの学園祭について調べる。企画を出した者、遊びに来た者の呟き、それなりに楽しんでくれているみたいで、少しだけ心が落ち着く。

 順調に進んで三十分、とうとうトランシーバーを外してくつろいでいた。頬を机に押し付けて、机の冷たさを肌で感じていたのだがトランシーバーから声がする。俺は慌てて耳に当てて、もう一度報告を促す。

「すみません! なんか、猫が大声で鳴いているんですけど……どうしましょう?」

 俺もよくわからない状態だったが、これなら企画部署の堀くんが対処してくれるだろうと思ってその場から動かないでいた。

「サノピーお疲れー、ちょっと代わるからごはんでも買ってきたら?」

 さっきのようなミスをしないようにトランシーバーをつけっぱなしで、形だけでも真面目に待っていると秋山さんがやってきた。さっきの状態で見つかったら怒られていただろうなぁと思うと、ちょっとほっとした。

「うん。じゃあ、そうしてもらおうかな」

「なんかさっき気になること言ってなかった?」

 秋山さんも俺同様にトランシーバーをつけている。多分、先ほどの猫がなんたらって話だろう。

「うん、それも飯買いに行くついでに堀くん辺りに聞いてみる」

 俺はトランシーバーをつけたままで、財布を持って秋山さんと交代する。自分たちが作った空間なのに、僕はお客さんが来て一時間経ってから、このお祭りに参加しているんだと実感した。多くの人でごった返していて、周囲に気をつけないとぶつかりそうなほど、盛況だった。

 学外に出て、入り口で入場者数確認をしている人などに挨拶をして、現在の入場者数を確認。かなり順調に人が入っているみたいで安心した。その後、飲食店が連なっている辺りに向かって歩く。

 飲食集合地に行くとすぐに、先ほどトランシーバーから聞こえた声の原因がわかった。今も企画部署たちが話し合っているのが片耳から聞こえるが、もう片方の耳には猫の鳴き声がかなり響いているのだ。飲食の集まりで、食事を目当てに集まってきたのか、それとも別の原因か、猫たちが喧嘩しているように鳴いているのだ。お腹に急に痛みが走る。お客さんは気にしていない人も多いが、やっぱり食べ物を取られるんじゃないかと警戒しているお客さんもいる。それに耳触りな甲高い猫の発狂声が響くのでは、気になって仕方ないだろう。

 歩いている途中で見つけたフランクフルト屋に寄る。二本ほど注文する時に、俺のトランシーバーを見て、屋台の注文受付をしている人が「ご苦労さまです」と一声かけてくれた。

「問題はないですか?」

 俺もお仕事口調で彼女に問いかけると、少し戸惑ったように苦笑いをして。

「いやぁ、猫ちゃんの声がずっと響いているのはちょっと……。でもこれって誰のせいでもないですからねぇ」

 彼女は溜息交じりに笑みを浮かべていた。

「猫たちが興奮して材料に手を出してくる可能性もあるので、材料管理はしっかりお願いしますね」

「はい、企画のリーダーさんも各店舗にそう言いまわっていました。在庫を入れている容器や冷蔵庫の開けっ放しに気をつけるようにって」

 そう会話をしている間に、俺が注文したフランクフルト二本が出来上がった。安っぽいトレーに乗せて、その上にケチャップをどっぷりとつけられているのを渡される。これは濃い味になるだろうなぁと考えると、先ほどまで痛めていた腹が食欲で鳴き声を上げる。

 フランクフルト屋を去って、人にぶつからないように歩きながらフランクフルトを頬張る。塩コショウが濃い目に味付けされており、そこにケチャップがどっぷりついていてかなり美味しい。普段ならそこまで美味しいと思うことはないのかも知れないけれど、お祭り中だという効果が上乗せされてとっても美味しい。もぐもぐ頬張っていると、何かにぶつかる。

「す、すみません」

 人にぶつかったかと思って、咄嗟に謝るが、辺りにぶつかった人はいなかった。その後、トレーを見ると、俺の大事な、フランクフルトが一本消えていた。けれど真下にも俺のフランクフルトがない。俺の、フランクフルトを探していると、少し離れた所で、昨日も遭遇したあの黒猫が、俺のフランクフルトを咥えていた。

「おい、待て!」

 黒猫は俺の方をじっと見て「うぅー!」と汚い呻き声を上げ、逃げていった。

「……はぁ」

 俺は一本しかないフランクフルトの串が乗ったトレーを見つめた後、ゴミ箱に捨てた。


 他にも色んなものを食べたが、その全ては腹痛のせいで全部流れていった。会議室に戻ってまた、一人のゆったりとした時間を過ごす。

 けれど、やっぱり先ほどの猫たちのような事件が起こるかも知れない。起こったらどうしようと思うだけでお腹に手を当てずにはいられなかった。あの黒猫の顔が頭によぎる。

「あのぉーすみません」

 会議室に少々緊張しながら、一人の学生が入ってきた。高校の制服のようなものを着ているので、この大学の志望者かもしれない。

「あ、あの……これ、落としものがあったので、届けに来たんですけれど」

 俺は覚えている対応としてノートを取り出して、その少年を椅子に座らせた。

「まず、落ちていたものを渡してもらっていいですか?」

 学生は恐る恐るそれを俺の前に出した。それは小さな袋だった。中に白い粉が入っている。

 京都は結構、そういったことが多いらしい。先日有名な大学に公安が入ったとかどうだとかとか、そもそもそういった違法ものを配っているサークルが存在していたりと、噂程度なら耳に届く。

 流石に違うだろう。と思ったのだけれどどうしても不安になってしまう。

「と、とりあえず落ちていた場所を教えてもらっていいですか?」

 俺も冷静に対応しないといけないと思って、学生に指示をする。学生に場所を教えてもらって、そこについてノートで記載していく。

「あ、あの……これって……」

 学生の子も、血の気が引いたような表情で白い粉を見つめている。

「大丈夫ですよ。きっと粉薬か何かですよ」

 俺はノートに全てを書き終えて、学生を安心させるために言葉を選ぶ。

「で、では。よろしくお願いします」

 学生はその後、頭を下げて会議室を出ていく。内心お腹が痛くて困っている。

「気にせず、楽しんでいってくださいね」

 俺も別れ台詞を言って、彼が去っていくのを確認した。誰もいなくなってからどっと疲れが出た。会議室の椅子に腰を落とす。

 改めて、落とされていた白い粉の入った袋を見つめる。大丈夫、これはただの胃薬だ。きっとただの胃薬だ。そう考えていると、途端に腹痛が襲いかかる。この部屋で一人なのもあって、トイレに行くことも叶わずに、なんとか腹痛を押さえて、落とし物が来ていないか確認しにきたお客様に、電話番号や落としたものの概要などを聞いて、それをメモする。今日は散々だ、帰りたい。

 岡田さんが来てくれたこともあり、トイレにしばらく入って腹痛が収まるまでゆっくりしている。奥のトイレ個室はまた誰か入っていた。トイレから出て、元の場所に戻ると、岡田さんは、ゆったりと待っていた。

 最初には何もなかった机の上も、色んな人の落とし物などで溢れていた。

「いやぁ、ごめんね。トイレ行かせてもらって」

「い、いえ。あっ、これみたらし団子買ってきたので食べてください」

 岡田さんが買ってきたみたらし団子を一つ受け取って、これを口へ運ぶ。もちもちとした食感が美味しくて、思わず二本目にもすぐに手が伸びてしまった。

「人、たくさん来ていますね」

 岡田さんが気を使って俺に話しかけてくれる。俺もその会話の心地良さを感じて、彼女との会話に興じる。

「そうだねぇ、今日は結構人来ているね」

「そうですねぇ、広報として、とっても嬉しいです」

 岡田さんはとても満足げに窓から見えるお客さんを見ていた。

「それに際して、落とし物もこんなに……」

「意外と落としものを探しに来た人と、落とし物って一致しないんですね」

 落とし物が入れられている段ボールと、落とし物がないかと尋ねてきた人達の連絡先と名前が書かれたノートを交互に見る。意外と一致せず、届けることもできない。これ、残ったらどうなるのだろうか? 学校側が管理するのだろうか。段ボールの中にある白い粉の袋はどうしたらいいのだろうか。一応警察に届けた方がいいのだろうか……。勘違いだったら怖いので、岡田さんにも話せていない。もしも薬物だったらと考えると、またお腹が痛くなってくる。胃薬を買っておけばよかったと激しく後悔する。

「この落とし物、みんなの手元に戻ってくれたらいいんですけれどね。何かをなくすって結構大変なので」

 岡田さんがダンボールの中をのぞき込む。高そうなハンカチとか、イヤリングとか、イヤホンとか結構色々入っている。これの管理も総合統括の仕事なのかと当日になって理解した。

「放送でお伝えとかできないんですかね?」

「んー、イベントごとの連絡とかと勘違いして動揺させる可能性もあるし、これ一つ一つやるとキリがないからなぁ」

「そうですねぇ、確かに……」

 俺も岡田さんも黙り始めたので、俺はペットボトルを取り出してお茶を飲む。この間ににも岡田さんは、新しい話題でも探しているのだろう。

「あ、あの……すみません」

 すると、初老のお婆さんがこちらに入ってきた。また新しい落とし物だろうか。

「あ、あの。私の胃薬を知りませんか? この袋に入ったやつなんですけれど……」

 お婆さんが鞄から袋を取り出す。

「今日のお昼飲もうと思ったら一つ足りなくて、もしかして朝食の時に落としたかなと思いまして……」

 俺は気分が高揚した。あの袋はやっぱり胃薬だったんだ! 俺は段ボールから急いでそれを取り出して、お婆さんに確認した。

「この袋で間違いないですか?」

 お婆さんは俺の持っている袋と自分の持っている袋を交互に見て、大きく頷いた。

「はい。これです。ありがとうございます」

 お婆さんに白い粉の袋を渡して俺は大きく溜息を吐いた。一つの大きな不安が解消されたからだ。

「よかったですね。一つ持ち主が見つかって」

 岡田さんが俺に話しかけてくる。俺はもう安堵で少し表情がにやついてしまう。

「いやぁ、あの白い粉の袋がドラマで見るヤクだと思っちゃってー。ヒヤヒヤしたわぁ」

「それはテレビの見すぎでしょう」

 岡田さんもクスクスと笑った。俺もさっきまで不安がっていた自分がバカらしくなって引きつったように笑う。さっきの胃薬、俺が飲んでおけばよかったと後悔するくらいお腹が痛くなった。やっぱりあの黒猫のせいだろうか。


                  ◇


 岡田さんが代わってくれたので、また外に出ることが出来た。そろそろ俺も昼食を食べたくなったのだ。そのために今度は室内で用意されている各学科が行っている店舗にお邪魔することにした。

 自分の学科の列に並んでいると、誠がメニュー表を渡しにこっちへ来た。

「おっすお疲れ」

「お疲れー、昼飯買いに来たわー」

 メニュー表を見せてもらうと担々数種類あって、適当なのを選んで誠に注文した。

 長い列をスマホでゲームをしながら待っていると、また誠が隣にやってきた。

「そういえばお前あれ聞いたか?」

「あれって?」

「別学科で火事があったの?」

 お腹が急に痛くなる。火事が起きたとなると、来年は中止の可能性もある。汗が出てくるのも実感する。

「か、火事ってどういうこと?」

「いや、ほんの一瞬だけど炎柱がボーッ! と燃え盛ってな。すぐ消したから大事にもならなかったし、お客さんもそんなに見ていなかったけれど」

「い、いつ頃……?」

「二時間前くらい?」

 不意打ちで来た報告に俺はお腹だけじゃなくて頭まで痛くなった。消防局との連携のために俺は消火器を、各火器使用店の近くに設置して、前日にも店の人には必ず火事のような事件を起こすことのないようにと忠告をしたにも関わらず、こういったトラブルが起きていて、それを知らされていないことに衝撃を隠せなかった。

「はい。佐野、お前の担々麺」

 俺は誠から担々麺を受け取るが、もうさっきの事実のせいで血の気が引いていくように気分が優れなくなった。消防局にバレたら来年から俺の責任で学園祭が出来なくなるかも知れない。

「お、落ち着けって。すぐに消えたんだし。お前も運営大変だと思うけど、しっかり楽しめよ」

「お、おう」

 そのまま担々麺を持って、その火事を起こした店がどこかを考えながら会議室へと戻った。


                ◇

 高校生 政人の学園祭Ⅱ


 姉は不親切で、一緒に来てくれることはなかった。行ったこともない大学に、引きこもりの僕、政人が一人で行くのは、とても骨の折れることであった。そもそも大学までのルートを姉から聞かなかったので、道がわからなかった。携帯でしっかり調べないといけなかった。

 本来なら行くのをやめようと考えていたのだけれど、行かなかったことが姉にバレると後々まだ面倒なことが多発する。笑いながらつねられたり、トイレに入った時に電気を消されたり、自分の嫌いな食べ物を俺の皿の中に無断で入れてきたりと地味に怒ることもできない仕様もないいやがらせをしてくる。

 さらに、姉はとても活発だ。今日もサークルでの仕事や、友人関係が広いが故に、大学内を歩き回っている。だから、会わなかったら絶対に来ていないとバレてしまう。だから仕方なく携帯でバスの時刻表を調べて、人が充満しているバスに乗って大学に向かわないといけない。どうして京都のバスは、時刻表通りに来ないのだろうか。時刻表通りに来ないせいか、朝のバスは人がかなりいて、座ることもできず、秋にしては暑い天気も相まって、部屋でまったりと過ごしていた僕には耐えがたい熱気に包まれていた。

 バスを降りて、大学の長い階段を上がる。この段階で体力が尽きつつある。階段を上りつめた時に、来ていたひとたちの賑わいが一気に耳を襲った。

 母親が久々に外に出る僕に喜んだのか、一万円ほどのお小遣いをくれたし、色々楽しもうと思った。入り口でパンフレットを受け取り、それを確認。まずは外にあるらしい焼きそば屋が気になったので、そこまでゆっくりと歩いていく。歩いていると、徐々に甲高い声が聞こえてきた。音が近づくと、猫が二匹ほど口論のように鳴きながら喧嘩をしていた。端っこも端っこだった。猫同士が尻尾をピン! と立てて思いっきり鳴いている。真ん中にツナ缶が置いてある。これの取り合いだろうか。

 猫は可愛いと思っていたけれど、実際に喧嘩をしている猫を目の当たりにすると、可愛げなんてどこにもなかった。鳴き声も生まれたばかりの赤ん坊みたいだし。こんなのを可愛いと言っていた姉がいまいち理解できなくなってきた。

 この二匹の喧嘩が発端なのか、他の猫たちもまるで縄張り争いのように鳴きわめいている。僕のように周りにも野次馬がたくさんいた。猫を無視して焼きそばを買いにいこうかと思うと、女性の悲鳴が聞こえた。猫が買っていった食べ物を盗まれたみたいだ。僕はああならないようにしようと心に決めて、焼きそばを買いにいく。焼きそばを用意してくれる店員さんの後ろを覗くと、警戒心を強めて材料の近くに人が構えていた。

 その先で、猫が食材を狙っているように睨んでいる。

「だ、大丈夫ですか?」

 僕は思わず話しかけてしまった。女性の学生さんが笑顔で対応してくれた。

「普段はおとなしい猫ちゃんたちなんですけれどね。大勢の人や食べ物にびっくりしちゃったのかなぁ?」

 笑いながら、女性は僕に焼きそばを差し出した。僕はそれを受け取って、屋外で食べたら猫たちに襲われると思い、屋内に入ってから食べることにする。けれど、屋内にも飲食があり、近くのカフェの席は中々座ることの出来る場所がなくて困っていた。

 焼きそばを片手にやっと席に座れた。そこの近くにもパスタ料理を提供している屋台がある。焼きそばを食べ終わったら今度はあれを食べようかな。なんて思いながら焼きそばを食べる。祭りで出されるうますぎずまず過ぎずの普通の焼きそばだ。その店の肉を焼いている音を聞きながら、ずっとその店を見ていた。

 一瞬の熱量に驚いて、思わず目が見開く。目の前で炎柱が発生したのだ。店をやっている人も慌てふためいて、消火器を取り出してすぐに鎮火していた。その光景を全部見ていたのは僕を含めて数名だけだろう。慌てていたとはいえ、その迅速な対応には驚く。彼らがすごいのか、近くに消火器があるのがすごいのか。

 猫の喧嘩、火事になる寸前の光景と、学園祭に来てすぐにかなりの衝撃的な場面を見せられてしまった。久々の外だから、なおさら心臓に悪く、今も心臓が物凄い勢いで脈を打っている。心拍数が上がっているからか、息も上がってくる。空になった焼きそばの箱を捨てて、僕は自販機で飲み物を買ってそれを一気に飲む。

 その後も、学園祭内にあるライブ会場に入る。ちょうどバンドとバンドの入れ替え時間だったからか、お客さんの入れ替えのタイミングにすんなりと入ることが出来た。パンフレットを開いて確認を取ると、どうやらこの大学の軽音部が作ったバンドみたいだ。入って周りを見ると、彼らの友人であろう人達がキャーキャーとはしゃいでいた。こういう内輪感は高校にいた奴らを思い出して、少し不快な気持ちに陥った。

 バンドマンたちがチューニングを始める。その光景に僕は格好良さを感じた。さっきまで観客席にいた知り合いに仲良く手を振っていたのに、チューニングを始めた瞬間、まるで外の歓声なんか聞こえないかのように真剣な表情で準備を進めはじめる

「皆さん、今日は集まってくれてありがとうございます。では、聞いてください」

 ボーカルの人が真剣な表情で簡単な挨拶をしている所に僕は思わず息をのむ。

 そして彼らの演奏が始まる。彼らの友だちもそうじゃない人もみんな歓声を上げて、その音楽に酔いしれていた。僕も興奮して歓声を上げてしまう。彼らみたいな人は苦手だったけれど、そんな人達の本気の演奏を見て、僕は心が躍った。時を忘れてバンドマンたちを見つめ続けた。

 ライブルームを出た頃には叫びすぎて喉を痛めていた。また僕は自販機で飲み物を買ってガバガバと飲み干す。

 額に手を当てると汗をかいていた。久々にここまで汗をかいたような気がした。それぐらいさっきのライブが衝撃だったのだろう。

「あっ、見つけた! おーい政人―!」

 嫌な声が聞こえて思わず身体が硬直する。振り返ると、愛らしい我が姉が手を振って向かってきていた。

「何あんた、そんなに疲れているの?」

「いや、その……。ライブハウス入ってて」

 僕はなんだか恥ずかしくて、姉と視線を合わせづらい。姉の顔を見ないように、顔を反らす。

「あんたちゃんと楽しんでいるじゃない」

 姉が僕の背中をバン! と叩く。姉にこう言われると、楽しんでいた自分を笑われているようで、胸が痛くなる。

「姉さんは何していたの?」

「ん? いや、学科の店とか、サークルとか、仲いい子がやっている出店のスタッフとか、色々と。今はちょっと休憩貰ったからあんた探していたんだけど」

 やっぱり僕を探そうとしていたか。これで僕が学園祭に来ていなかったら、どうなっていたんだろうかと想像するだけで、家での数々の嫌がらせを思い出してしまう。来てよかった。

「ちょうどいいや、私これから彰くんに会いにいくけれど、あんたも来る?」

 この来る? は、やめとくよと言われても引っ張られるのが目に見えていた。僕は返事をするまでもなく、姉の後ろについて行った。

 姉が差し入れとしていくつか学園祭で出されている食べ物を買って、その荷物は僕が持たされていた。姉は、毎回僕に持ってとも言わずに自然と渡してくる。僕もそれを無意識で受け取ってしまうのも染みついた悪癖だと思う。

 姉のせいで二度目の焼きそばを持ったまま、広い窓のある部屋に入っていく。完全に荷物持ちである。家族で出かけるときは毎回そうだから慣れている。

「彰くーん。大丈夫?」

 姉が扉を開くと、一人の男性が真剣な表情で耳にあるトランシーバーに集中していた。彼が座っている机にはたくさんのいろんなものが置かれている。落とし物だろうか?

「ほら、政人! 紹介するね。この人が私の彼氏の佐野彰くん」

 姉が佐野さんと呼ばれる男性に手を向けて、紹介をしてくる。

「ど、どうも。佐野彰っていいます。えっと、弟の政人くんだよね。よろしく」

 頭を手で押さえて、軽く一礼した佐野さんはとても凛々しく、僕とは正反対のような気がした。こんなに賑やかな学園祭を作り上げた人だ。きっとお笑い芸人のように、普段から友人も多くて明るくて、悩みなんかない人なのだろう。

 その後、姉と佐野さんがしている世間話の内容も頭に入ってこないほど、僕は放心状態で二人を見ていた。姉の彼氏は僕の想像を超える人間だった。凛々しくて、しっかりしていて、明るい姉と一緒になれるだけの人物だと実感する。

「えっと、政人くんって今いくつだっけ?」

 突然佐野さんに話しかけられて慌ててしまう。

「あっ、えっと……十八です」

「そうか、じゃあ今年受験生だよね?」

「でも、こいつ引きこもっているから、進路とかも決めているんだか、決めていないんだか」

 姉がまた無神経に僕のことを話す。佐野さんには僕が引きこもりであることを知って欲しくなかったのだが、この調子だともしかしたら姉は既に話しているかもしれない。そう思うとなおさら恥ずかしくなって、俯く。

「い、一応。勉強はしているんですよ……」

「えっ? そうなの?」

 姉の方が食いついてきた。佐野さんは軽く微笑んでくれた。

「流石にゲームばかりしているわけにはいかないし、母さんうるさいから。それに、勉強自体は嫌いではないし、学校がちょっと、居づらいだけで……」

 なんだか照れくさくなって口数が増えてしまう。姉はへえーっと感心するような声を出す。

「だったら、後は行きたい大学次第だね」

 佐野さんの言葉を聞いて、ただ頷くだけになってしまった。佐野さんを見つめていると、佐野さんの耳元から音がして、そこに集中し始めた。

「じゃ、そろそろ私たちも邪魔みたいだし、戻ろうか。政人」

「えっ、うん」

二人は目を合わせて軽く手を振って、姉は僕を引っ張って会議室を出た。ライブにも行って、姉と別れた後、また色々な所に見て回って、気がついた頃には夕方になっていた。上映された映画にも行ったし、お化け屋敷では絶叫した。一人で回ることになったけれど、それでもとても満足のするものだった。

 行きの時は苦痛だと感じてしまった長い階段も最後には心地よく降りることが出来た。階段を下り切った後、後ろを振り返って大学を見直す。今日の楽しかった思い出を全部佐野さんが作ったのかと思い出して、僕は心の中で一度大学に向かって一礼をして、帰りのバスへと乗った。


                ◇

 運営 佐野彰の学園祭Ⅲ



 俺たち運営陣は、一日目は落とし物の管理をして、明日の事を確認して、全員速やかに帰っていった。

 装飾も店舗もそのままで人だけがいなくなった空間は静かだった。先ほどまでの喧騒が嘘のようだった。

 家に帰ってすぐのことは覚えていない。起きたら汗と垢で身体が臭かったから、すぐに風呂に入った。せっかくだから湯船につかる。

 久々にゆっくり入った湯船は、思った以上に身体を癒してくれた。風呂上り、よっぽど身体が固まっていたのか、一回身体を大きく回すと、ゴキゴキっと心地のいい音が鳴り、俺は大きく深呼吸をした。鏡を見ると、不思議とクマも減っているような感じがした。ドライヤーで髪を乾かし、朝のテレビ朝日の番組を見て、気分が高揚した状態で歩いて大学へ行く。普段自転車で見過ごしていた光景をゆっくりと堪能する。やっぱりこの土地はいい。風通しもよく、大学からも近い。就職する時もこの辺に住みたいとまで思った。

 長い階段を上って会議室へ入る。今日は風呂も入ってゆっくり休んだからか、秋山さんのパンダチェックも素通りで合格できた。

 時刻がお昼を過ぎた。今日はまだ腹痛が起きていない。尿意を感じてトイレに行く。いつもの通り、奥の個室は閉まっていた。

 こんなに晴れやかなのは久々だった。落とし物も届くには届くが、それと同じぐらい、昨日の落とし物の持ち主が取りにきたりしてくれて、紛失物問題は順調にことが運んでいた。他の部署も同様に順調なようで、一日目に出来なかった連携も見直しがあり、スムーズに仕事が進んでいた。

「サノピー。ひと段落着いたから、ちょっと遊んできなよ。二時間ほど」

 秋山さんが扉を開けて、俺に話しかけてくる。俺は単純に二時間も休みをくれることに喜びを得て立ち上がった。

「ありがとうアッキー。じゃあちょっと色々見てくるわ」

 俺は秋山さんに手を振って、部屋を後にした。昨日と同じ。いや、それ以上に大学祭は盛況だった。俺は後々詳細を聞いた炎柱が出た店に向かって歩いた。

「すみません。統括の者ですけれど」

「はい。注文ですか? でしたら列に並んで――」

「いや、昨日の件なんですけれども」

 店の受付が一瞬で真顔に戻る。その表情の急な変わりように思わず吹き出しそうになったが、話を続ける。

「一瞬だったとはいえ、トラブルがあった場合は私か、食品管理を行っている秋山さんに連絡をお願いします。それと、連絡するようなことが起こらないように細心の注意をお願いします」

「は、はい。すみません」

「いえ、し、しっかり消火していただけただけて、こちらとしても助かりましたので、以後お気を付けください」

 一礼をした後、その店を後にする。他の店にも一応軽く、昨日あった出来事と、繰り返し注意を払って活動をしていただくように指示をした。相手は受け流すように返事をした。不安だ。

 飯自体は秋山さんと交代してもらう前に誠に差し入れでもらった分があったので、雑貨やイベント系の場所へ行こうと考えて、パンフレットを開く。

 目に入ったのは熊野がやっているサークルの名前だった。

 楽新会。そこが熊野の所属しているサークルだ。まぁ、適当に遊んでばかりいるサークルらしい。そこがやっている店の説明分が喫茶店で「ハロウィンルーム! 少し早めのハロウィン気分を楽しみましょう」と言う感じの内容だった。熊野とは腐れ縁なので、なんだかんだ遊びに行ってみようという気になってしまう。熊野がやっているハロウィン喫茶へと足を運んだ。

 意外と盛況だった。あそこのサークル、見た目だけならいい子も結構いたもんな。結構本格的なコスプレをしている。可愛いのもいれば単純に怖いものもある。

「おっ、佐野! いらっしゃい!」

 呼ばれたので振り返ると、俺の鼻に何か固いものが当たった。そして目の前には誰かわからない天狗が立っていて、俺は思わず身じろいだ。

「俺っちだって。熊野!」

 天狗は気さくに俺に話しかけてくる。何が怖いってお面じゃなくて、顔を真っ赤に塗っている上に何か固いものを鼻に着けて固定しているから、普通に目が会うし、口が動いていて怖いのだ。

「いやぁー、うちのお化粧趣味の女子たちはすごいよね。もはや特殊メイクのレベル」

「そういうのが趣味の奴がいるのか?」

「うん。コスプレ衣装とか作る奴。そいつを中心に各々妖怪や怪物に成り代わってもらったわけよ。一応コンセプトもあるんだぜ?」

 そういわれながら熊野に案内されるままに席に座る。辺りを見てみると、フランケンの大男、狼男、魔女、吸血鬼といる一方で、天狗、河童、座敷わらしなども本格的な恰好の者がいる。西洋なのか和風なのかわかったものではない。

「はい。これ、メニュー表。後、数個の飴ちゃん」

「えっ? なんで」

「食べずに持っておくと良いことあるぜ。後、店出る前にアンケート答えてね」

 メニュー表と一緒に飴玉数個と、アンケート用紙が渡される。アンケート用紙には『あなたはどっちがよかった? 西洋 和風』と書かれていた。なるほど、こうしてゆっくりした後、投票されることで、結果としてコスプレしたメンバーを顧客がしっかりと見ることに誘導できるということか。

 俺はハロウィン風紅茶というのを注文する。来たのは結局かぼちゃを練りこんだクッキーがついたただの紅茶だった。けれど、このクッキーがちゃんと美味しくて、正直楽新会を舐めていたけれど、これは十分に満足の行くものだった。俺はなんとなく熊野の方である和風側に投票をした。店のものも、うまかったとだけ伝えた。


 会議室に戻ってゆったりとしている。今日は大きな問題も起こっていなくてとてもすがすがしい気分だ。

「ちょっと天気曇りそう、ですかね?」

 一緒に会議室で休んでいた岡田さんが外の天気を見て言った。

「ちょっと雲が増えたくらいじゃない?」

 俺は帰りに買っておいたみたらし団子を口に頬張る。もう夕方も近く、大きな事件は起こらないだろうと安心していた。

 夕方にもなると、大きな舞台で行われる映画も、バンドマンの演奏も終わりが近づき、晩飯のために室内のカフェ付近がかなり混雑していく。もちろん時間のせいもあるが、それを踏まえた上でも混雑しすぎな気がした。

 すると、トランシーバーから音が聞こえる。

「こちら堀! 突然の雨の対応しっかり行うように、このままひどくなるようだったら器材などを畳むように各企画に報告して回って!」

 企画部署のそんな会話が聞こえて、少しお腹を押さえる。まだ痛みが走るほどじゃない。

「外一応晴れているのに……」

「狐の嫁入りってことだろ? すぐに止んでくれるだろう」

 俺はまだトイレに行くほどじゃない。と思いながら、トランシーバーから聞こえる堀くんたちの言葉に耳を集中させた。

 結論から言えば、雨は結局通り雨という結果に終わった。だが、多くのお客さんが雨に濡れて室内で雨宿りをしていただけあって、会議室から少し出てみると、人の密集度と、湿気で何人かの人がげんなりとした表情をしていた。その表情がまた俺の胃袋をキリキリと痛めつける。

 今日は前半こそ一度も腹を下さなかったからこそ、今日こそは絶対にストレス性腹痛による原因で、トイレへ駆け込むことはやってたまるかと、意地になっている。

 雨がすぐに止んだこともあり、湿気に耐えられんかった人が外へ出ていって、外にあるお店もまた盛況を取り戻した。さっきまで危なかった腹痛もだいぶ収まってきた。

「今日はもう、何もないだろう」

 もう閉園近くの時間になってきた。遠くから来た人はもう帰っているだろうか。かなり人の数が少なくなっていて、今日もあっという間に終わるなぁーとしみじみと感じていた時だった。

 突然、大きな音が響きわたる。俺はもちろん。仕事がほぼ終わった土井さんや渡部くん、岡田さんも驚いたように身体が硬直してしまう。

「な、なに?」

 会議室から出ていくと、魑魅魍魎が歩き周り、残っている学生や観客を驚かしていた。何割かのお客さんは何かイベントが始まったと思ってはしゃぐように笑っているが、何人かは本当に怪訝そうに周りを見ている。

「お菓子をくれないと悪戯するぞー!」

 大声で叫んでいる奴らをよく見ると、吸血鬼の恰好をしていた。その吸血鬼の後ろをジャック・オー・ランタンのかぶりものをした女性が闊歩している。他にもゾンビのコスプレをしている者、ぬりかべ、猫娘、フランケンなどの恰好をした人達が周りの人達を驚かしている。

「堀! これお前の差し金か?」

 後ろから渡部くんが叫んでいる声がする。

『いや、僕じゃない僕じゃない! こっちも今、対応にてんやわんやしているんだよ!』

 堀くんの声がトランシーバーから響きわたる。本当に慌てているのか、耳が一瞬痛くなるほどの大声が響きわたる。

「あの恰好……楽新会だ!」

 俺は思い出す。あの恰好の連中、楽新会のハロウィン喫茶の人達だ。俺は責任者として彼らに向かって歩く。

「あの! こんなの報告されていないんですけど」

 俺が吸血鬼の一人に問い詰めると、彼はなり切ったように「トリックオアトリート! お菓子をよこせ!」と返す。俺は本気で怒っていたのだが、彼らも本気でなり切るつもりなのか、話を聞き入れてくれない。俺はどうしたらいいかと考えると、ポケットの中に飴ちゃんが入っていたので、それを一つ渡す。

「わーいわーい。ありがとー!」

 吸血鬼はわざとらしく可愛い声を出して俺から飴ちゃんを奪ってどこかへ去っていった。

「今、注意したけれど。全然聞いてくれません」

『そうなんだよ。お菓子を寄越せとしか言わないんだよなぁ』

 堀くんが呆れたように言った。

『ただ、お客さんも本気で怖がっている人もいるけど、大半は楽しんでくれているし、どう対応しようか』

「楽新会の企画立案者を探して辞めさせないといけないよなぁ」

 俺は会議室に残ってもう休んでいた土井さんたちを集めた。

「全員でこれから各妖怪たちに注意勧告! 何も報告されていないイベントを勝手にやらないように怒ってください。それでもやめいようなら企画立案者を聞いてください。どういう理屈なのかを説明しておかないと本気で怖がっている人がいると思いますので。よろしくお願いします」

 二日目が終わる一時間前。俺達は突然ゴーストバスターとなった。コスプレした人たちを注意し、怯えた人達を誘導して。そして真犯人を探した。

 俺は頭の中に、ブログでのコメントを思い出した。この企画の立案者が俺のブログにあの予告をしたのかも知れない。ラスト一時間とはいえ、学園祭は滅茶苦茶になった。

 楽新会のメンバーは人数だけは多かった印象だったが、やはりどこに行っても、完成度の高い妖怪、怪物が闊歩していた。全員違反なのをわかった上でやっているからか、いまいちすぐにやめてはくれない。俺の注意の仕方が悪いのか

「まあまあお祭りだし、もう終了時間なんだし」

 どうしてこう娯楽しか考えていない奴らは後先の想像ができないのかと舌打ちをしたかったけれど、それをするほど俺の度胸は座っていなかった。

「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞー!」

「キャー! ギャー!」

 こうして一人に注意している最中にも、遠くから悲鳴が聞こえる。

「当日やってしまえば勝ちってことや」

 どこかで熊野がしたり顔で笑っているような気がして、思わず歯ぎしりをしてしまった。それを見た俺に注意されていた吸血鬼は苦笑いをしながら、さーっと逃げていった。

 辺りを見渡すと、悲鳴を上げるものと、歓喜に絶叫している黄色い声が響きわたり、視界は和洋折衷古今東西の妖怪が埋め尽くされている。

「飴を寄越せー!」

 俺は冷めた態度で飴を渡して走り回る。この企画のリーダーをしているだろう熊野を探して問い詰めないといけないと思ったのだ。

 探しても、探しても、熊野は見つからなかった。天狗はかなりの数いて、全てに声をかけていっても熊野の姿を見つけることが出来ない。妖怪に驚いた猫の鳴き声も外から響く。

 妖怪に祟られたのかと思うぐらい、腹痛が襲いかかり、時刻は学園祭終了時刻に近づき、かなりの数いた妖怪軍団はひっそりと消えていった。用が済んだら部室に戻るかと思ったが、さも客のようにその恰好のまま出て行ってしまった。外に出られるとこちらは後始末があるので追うことが出来ず、熊野を見つけることは最後まで不可能だった。

 トイレから戻り、会議室に入る。

 部署リーダー全員が憔悴しきっていた。全員が走り回って妖怪封じに赴いたのだ。疲れるに決まっている。結局全員を成仏させることは出来なかったけれど。

 俺も椅子に座って、机の上に置かれている箱から何枚か紙を取り出す。

 この箱はパンフレットなどを入れていたビニールに入っていたアンケートを入れてもらっている箱である。折りたたまれた紙をいくつかを開いて見てみる。

 一枚目は歓喜の感想『最後のサプライズ! 驚きました。ハロウィンカフェで飴ちゃんを配っていたこともあって、妖怪たちにちゃんと飴あげられました♪ 楽しかったです!』と書かれている。確かに祭りを楽しむ側からすれば面白い演出だっただろう。熊野のしたり顔がまた頭をちらつく。

 二枚目を開くと、今度は対称的なものだった。

『とても怖かったです。演出としてはいいかもしれませんが、やはり事前にこの時間になったらああいったイベントが開始することをパンフレットなどに記入していただきたかったです。私も、そして一緒に来た子どもも泣き喚いて逃げるように回らなければいけなくなり、とても苦労しました』

 やはり想像通り、こういった意見の人が現れた。身勝手で行われることに苦痛を感じる人もいる。これは三日目に響くだろうか。

「みんなごめん。俺のせいだよね」

 堀くんが申し訳なさそうに頭を掻く。全員が違う違うとフォローを入れる。

「あれは楽新会の連中が勝手にやったことだし、あれが違反なだけだから……」

「うん。そう思うことにしなよ」

 秋山さんも俺が堀くんに言ったフォローに上乗せする。堀くんも真剣な表情で何度か頷く。

「今日はみんな疲れているし、ゴミ箱のゴミを処理したら、そのまま解散しよう。明日で最後だから。楽しくやろう」

 俺が頑張って、その場を取り仕切る。みんなも頷いて、運営委員がやってくれていたごみ処理がちゃんと行われているかの確認を行った。全部のごみがしっかり処理されているのを確認すると、みんな集合せずに帰っていった。俺も大学を出た。

 携帯を取り出して熊野に電話しようとするが、その前に今日昼頃来なかった腹痛が一気に攻撃してきて、コンビニのトイレに飛び込む。今日こそはストレスも腹痛もなく過ごせると高をくくっていただけに、鏡に映っている便座に座っている自分の情けなさに大きなため息が出た。額から汗が出ている。

 家に戻って、大好きな家事をやって精神を落ち着けようとした。皿洗いは本当にストレス軽減に役立つってテレビでもやっていた。

 けれど、洗いながらも大学での阿鼻叫喚を思い出し、皿にスポンジを強く押し付けて洗う。使っているスポンジがぐしゃっと潰れる。

 全てを洗い流し、フライパンを置いて、火をつけてフライパンを温め、ごま油を大量に注ぐ。

 しばらくそれを見届けていると、パチっと音がなる。そのタイミングで卵をかき混ぜ一気に投入する。卵とごま油の香りが鼻を通り、まだ半焼け状態の卵の中央部へ向かって分けておいた米を投入して一気にかき混ぜる。冷凍から解凍しておいた米を使うと、とてもパラパラに仕上がる。今日は疲れたので、市販で売っている粉状のレトルト調味料を使う。袋を開けて一気に卵、ごま油、冷凍ごはんが混ざった香ばしい炒め物に、味付けを施すべく炒飯の素が米たちと融合を果たしていく。

 ここに俺は冷蔵庫から取り出したおろしにんにくを丸く描くようにかけて、かき混ぜる。強火で激しく混ぜながら作る。八つ当たりのように強くかき混ぜる。今日の辛さを忘れるように強く、強く。混ぜ続ける。少し焦げた匂いがして、ぼーっとしていたことに気づいて慌てて火を消す。ガス栓も締める。皿に炒飯を入れると、古いフライパンだから、フライパンの底に米がこびりついていた。鉄へらでこれを力強く剥がしていく。その焦げた米を上にふわりとのせて、少し奇妙な見た目の炒飯が出来た。思わず写真を撮る。恐らくこの写真を今後使うことはないだろう。

 炒飯は中々美味しかった。せめてもの工夫で入れたおろしにんにくが功を奏し、とても素晴らしい結果となっている。レトルトも少し工夫すればこうして美味しいものになるから家事はやめられない。たまに失敗するけれど。

 炒飯を食べながら、Twitterを覗く。自分たちの学園祭を検索すると、絶賛してくれた声もあったが、ラストの妖怪パレードに戦慄し、批判をしていたものもいた。胸が痛くなる。けれど、そこを除けばとても好評で、来てくれたアーティストの人が他を回ったという感想なども見ることができて、少し満足だった。

 炒飯を食べ終え、パソコンを起動して、ブログを書くことにする。先日の予告以降、仕方がないので学園祭のことも日記に書くことになった。と、言っても総合統括をしていることなどの身バレをするようなことはなるべく避けている。ブログを開くと、やはりあのコメントを思い出す。

 あのコメント、きっと熊野の奴が俺のブログを見つけて、悪ふざけにコメントして、あの事件を起こしたに違いない。そういう意味では一つ、不安点が解消されたような気がした。今日の学園祭が楽しかったよーという旨をブログに書きあげた後、俺はここ最近のコメントをスクロールしながら眺めていた。

 スクロールしていたコメントの日程が、悪戯コメントの日程になる。この日々はいつもよりもコメント数が多くて、中々その日程が終わらない。

 予告のコメントを見て、思わず目を見開いてしまう。コメントにはこう書いてあった。

『あなたが通っている学園祭にて爆破事件を起こします』

 爆破予告。と書かれていた。熊野が起こした百鬼夜行事件の中に爆破はあっただろうか。

 企画の堀くんや装飾の渡部くんからもそんな報告を受けていない。爆破は突然の大雨で中止にしたのかも知れない。いくら俺のブログを見つけ出す熊野でも、天気までは操作できまい。

 何とか今ある不安を払拭しようとした時に突然インターホンが鳴り響く。俺は思わず扉を凝視した。扉の向こうにいるのは誰だろうか。道子が今日の事を心配してきてくれたのだろうか? いや、道子は心配な時は放っておく方の気遣いをする奴だ。じゃあ誰が。

 扉についている覗き穴から扉の先を見る。そこには熊野が申し訳なさそうな笑顔でこちらを見ていた。俺はチェーンを外さずに扉の鍵を開ける。

 鍵の開いた音がしたからか、熊野は疑うことをせずに思いっきり扉を開ける。突如として止まる扉に、本来開くと信じ切った熊野は腕に走るしびれに反応して何度も手を振るう。

「なんの用?」

熊野の振っていない手を見ると、そこには大きなビニール袋がある。

「流石に、悪いと思ってるんやって、無断であんなことしてもうて。だからせめてもの償いを」

 腕のしびれがなくなったのか、熊野はまた笑顔でこっちを見ながら、買った袋をこちらに出してくる。

 ここまで買ってきてくれた相手を追い返すことは少し気が引けたので、仕方なく一度扉を閉めてチェーンを外す。

「お邪魔しまーっす。佐野、飯食った?」

「食った食った」

「なら、皿洗いしてやるよ」

 人の家の冷蔵庫を勝手に開けて、飲み物やら食べ物やらを詰め込んでいく。

「なんだ、俺が作ってなかったら作ってくれるつもりだったのか?」

「いや、それは作ってもらうつもりだった。佐野の方が料理上手いし」

 こいつのこういうところが嫌いなんだ。

「明日も忙しいだろうし、酒を飲むのはやめとくけ?」

「あぁ、二日酔いとか勘弁」

「だったらちょっとキッチン借りるでー」

 熊野は、俺が炒飯作るのに使った皿やら、フライパンやらを洗い終わった後も、キッチンに籠った。俺はさっきまでつけていたパソコンの電源を切って、仕方ないのでテレビをつける。

「おっ、その番組、俺っち好きやねんそれ」

 キッチンから熊野の声がする。何かを包丁で切っている音も聞こえる。熊野の言葉に俺は「そうかぁ」としか返さない。俺は特にこの番組に執着がない。けれど、熊野がそう言ったせいでチャンネルを変えづらい。

 黙ってテレビを見ながら、スマホゲームをポチポチと巡回していると、キッチンから何かが焼ける音がしてくる。それと同時に香ばしい匂いが部屋に充満する。飯は食ったはずなのに少し腹が減ってくる。

「ほい、こういうちょっと摘まむくらいやったら食後でも食えるやろ」

 熊野が持ってきたのはジャガイモとウィンナー、アスパラガスをこんがりと炒めたものだった。マーガリンの香りがするから、油はマーガリンを引いたのか、よく見るとニンニクも使われている。その上に大きくパセリがふりかけられていて、さっき食べたというのに食欲がわいてくる。

「これに、これや!」

 熊野は冷蔵庫から2Lのコーラを取り出す。

「酒は無理ならこれしかないやろ」

 熊野は俺の分のコップも持ってきて、コーラがしっかり泡立つように注いで渡してくれる。それと、料理を食うためのフォークも受け取る。フォークでじゃがいもを突き刺して口に入れる。ホクホクでマーガリンの風味が口の中に入り、味付けに使ったブラックペッパーが口の中を辛みで支配する。

 自然に手がコーラへと向かって、一気に飲む。勢いよく飲んだからか、飲み込んだ後、大きくゲップをしてしまう。

 うまい。それに準備も心使いも完璧でこういうところが、熊野の好きなところなのだ。無神経で面白がって来る変な奴だが、一度仲良くなるとここまで手厚くしてくれる。風邪を引いた時に、わざわざ見舞いの品を買ってきてくれるのはこいつくらいだ。

「美味いって食うてくれるならよかったわ」

 熊野も自分で作った料理を口に運んでコーラを飲み、好きだと言っていた番組を無表情で見ている。

「本当に、悪いな。面白いと思ったんやけど、企画会議で通らんくてなぁ」

「そりゃそうだろ。ルートの形成とかあれやこれやこっちの仕事が増えるし、一組に許したら、第二、第三の者が現れて来年からさらに混沌として企画が成り立たなくなる。まぁ、堀くんの判断としては、当日に間に合わない例を考えたのかもなぁ」

「というと?」

「毎年必ず、大きいことをなそうとする人たちがいるんだとさ。今年もお前ら以外にいたらしいけど」

 コーラしか飲んでいないのに気分が高揚してきて、部外者である熊野にかなり愚痴ってしまっていた。熊野の料理は全て食べ終わり、奴が買ってきた酒用のつまみやポテチでコーラを飲む。

「そういう奴らって企画書だけ書いて、一か月後には用意できませんでしたーってのが多いの。無計画な奴に限って、大々的なことをやりたがるわけよ。お前みたいな」

「いや、間に合わせたやんか。しかも、そこそこ好評やったし」

「苦情も同じくらい来ているんだよ!」

「素晴らしいものには必ず弾圧者が現れるもんや」

「カッコつけんな、むかつくな。人のこともおちょくりやがって」

「ほんまに無断でやったことは謝っているやんか」

「そっちじゃねぇよ」

 俺はブログでのコメントを思い出して、いつもよりも厳しい口調で睨みつける。熊野にはその厳しい視線は、効果がないみたいだ。

「生憎の雨で爆発は出来なかったみたいだけどな」

 俺は嫌味っぽく熊野に言ってやった。自分が準備していたことを実行できなかったり、失敗すると悔しがる奴なのはここ二年で知っている。さぞ残念そうな顔か悔しそうな顔をするに違いない。熊野の顔を覗き込む。

 すると、熊野はきょとんとした表情で首を横に傾げた。

「爆発? 何を言うてんの佐野」

「はぁ? お前爆破予告俺のブログに書いただろ」

「えっ、お前ブログとかやってたん? 懐かしいなぁ、俺っちも中学の頃Yahoo!ブログしてたわぁ」

 俺はじわりと汗が噴き出してきた。

「冗談言うなよ。お前だろ? 俺のブログに悪戯コメント送ったの?」

「だからなんの話や、面白可笑しいことするのは好きやけど、陰湿なことは俺っちせえへんで?」

 熊野がちょっと気分を害した顔をしてチーズ鱈を口に運ぶ。

「じゃあ、あのコメントは?」

「だから、佐野のブログは知らんし、コメントなんかもしてへんって」

 熊野が帰った後、俺はトイレに三十分籠って、アルコールも取っていないのにふらつく頭のままに、眠りへと落ちていった。


                 ◇

 運営 佐野彰の最終日Ⅰ


 会議室はいつから医療室になったのだろうかというほど、早朝のこの部屋は過労者で溢れていた。三日目ともなると、みんなもう満身創痍になっている。

 俺以外の全員が、会議室の奥にある机で突っ伏していた。まだ化粧が出来ていない連中の、その目元とだらけている様子はまさしくパンダそのものになっている。

「ぐぉー。ぐぉー」

 パンダ筆頭の秋山さんが鳴き声を発しながら机の上で身体をくねらせる。その光景に誰も笑う余裕も突っ込む体力もない。

 早朝の準備は各部署の部下たちがやってくれているらしく、部署リーダーはこうして、みんなここで屍になっているのだ。かくいうおれもたっぷり寝たはずなのにまだ気持ち悪さが抜けない。今日のスケジュールを確認して、俺だけ、みんなと違う机で顔を突っ伏す。

 早朝にパンダが六匹。机にぐでーんと横たわっている。部下たちがあくせく働いてくれているのを後目にぐでんぐでんとしている。

 流石に部署長の俺は立ち上がろうと、一念発起して、落とし物の整理を始める。そろそろ入場者も少しずつ入ってくる頃合いだ。他の部署リーダーは、今日はほとんど休みをもらっているからまだ動かない。

 けれど、みんなしっかりしているのは、いつ仕事が来てもいいようにトランシーバーだけはしっかり装備している。トランシーバーを装備してぐだぐだしているパンダ集団はなんともシュールだった。

「えっと、呼び出し食う前に、化粧して隠した方がいいよ?」

 俺は苦笑いして瞼のクマを隠す化粧を始める。と言っても、化粧品を使って肌色に塗りつぶすだけなのだけれど。

 落とし物の整理をしていく。ヘアゴムとか、イヤホンがかなりの数あり、酷いものではiPodなんかも落ちている。これ、落とした人は必死で探しているのだろうか。今日も来てくれたらいいんだけど……。

 学園祭の開始を知らせるベルが鳴る。渡部くんが「おーっし、頑張るぞー」とけだるい声を出して、そのまま机に再び沈んでいった。

 俺は屍パンダを横目に仕事を始める。外を見回ってくれている人たちに、火災が起きないように火器を使用する店舗への管理の強化、猫を警戒しておけなど、一日目、二日目にあった事件に関連することには注意をさらに強めるように指示をする。三日目ともなると、横にいる屍みたいな人たちとは違い、仕事に慣れてきて、言う前から行ってくれている人も現れる。うん。優秀、優秀。俺は昨日熊野が置いていったコンビニのサンドイッチを食べながら、窓から楽しむ人達の光景を見守る。

 今日でこの光景ともおさらばか。自分たちがやった学園祭は一体何人の人に楽しんでもらったんだろう。来たはいいけれど、不満を持って帰った人もいるだろうか。その答えはわからない。

 昨日一昨日のアンケートの感想を読む。そこに書かれている好評コメントを見て思わずにやけた。頭の十円禿のあった場所を撫でる。そこはもう髪の毛が再生していて、すっかり消えてしまっていた。安心したような、少し寂しいような、変な気分に陥った。

 最終日の飲食店は活気にあふれていた。在庫食材を出さないために、どこも必死に客引きをしている。俺はその中でもこの二日間で食べることができなかったハンバーガーや、クレープを買う。会議室で昼食を食べる。午前中は大きな問題はなかった。猫も暴れないし、また油をはねたみたいな話は聞かないし。

『総合統括さん! アルコールコーナーじゃないところで酔いつぶれているおじさんがいます』

 平和とは簡単に崩れ去る。けれど、慌てない。

「こちら統括佐野。リストバンドはつけていますか?」

 トランシーバー先へ声を送る。トランシーバーの返事は少し待たないといけない。

『いえ! つけていません』

「じゃあ、来る前に酔い潰れていたか、バンドの渡し忘れかのどちらか」

 酔いどれの叫ぶ声がトランシーバー先からチラチラと聞こえる。よっぽど良い潰れているみたいだ。

『あ、あの! 酒はどこで出しているのかと叫んでいるんですけれど……』

「ってことは飲んだくれて入ってきたパターンか。その場合は――」

 指示をしようとした時だった。

『こ、こちら衛生管理の坂本。先ほど警備員を二人ほどそっちに行くようにお願いしたから、何かやらかさないように監視しておいて』

『あっ、わかりました!』

 始めて聞く男性の声と、さっきまで会話をしていた女の子の声がして、会議室にいた屍も全員顔を上げる。

「えっ。今の坂本くん?」

「みたいだね」

「……存在していたんだな」

 渡部くんが最後にぼそっといった言葉に俺達全員彼を凝視した。

「いや、流石に幽霊みたいなものではないでしょう」

 土井さんが冷静に諭す。渡部くんはまた顔を突っ伏した。

「いやぁーここ二か月見てなかったら、そら存在を疑う」

「確かにね。でも、資料作成もできていたし、今の指示もしっかりしていたし。仕事はしっかりしてくれていたよね」

 堀くんも苦笑いをしながらみんなに言う。

「なんで来ないんだろうねぇ」

「し、仕事さえしていればいい。慣れ合いが苦手な人なん、じゃないでしょうか。ちょっと気持ちわかります」

 岡田さんが俯きながら、坂本くんについての考えを論じた。

「まっ、坂本くんの働きにより、酔いどれの対処は済みそうだな。みんな」

「よかったぁー」

 実行委員、全員が安堵の溜息を吐いて、また全員顔に突っ伏して言った。彼らからはもう絶対仕事をしないぞと言う鉄の意志を感じる。

「あのー、落とし物を探しに……あれは?」

 会議室に入ってきた制服をきた女の子が、ぐでーんとなっている屍たちを見て驚いた。

「あぁ、疲れているだけですので、気にせず。

えっと……何を落としましたか」

「あっ、えっと……赤色のiPodなんです、けど、あ、ありますか?」

 気にするなと言われても気になるのだろう。数名の男女が机に突っ伏してダラダラしている光景は、あまりにも物珍しく、女学生はちらちらと、俺に話をしながら彼らを見ている。当の屍たちは見られている自覚がないようで、その脱力状態をやめることはない。

 俺は落とし物ボックスを漁って、赤いiPodを見つける。

「こちらですよね?」

「は、はい! ちょっと確認してみます」

 俺はそれを渡して、女学生はポチポチとボタンを押して音楽のプレイリストを見つめる。

「はい! これです。ありがとうございます!」

「無事、見つかってよかったです。次は落とさないように気を付けてくださいね」

 まるで用意していたかのような常套句を女学生に言ってほほ笑む。クマはちゃんと隠れているだろうか。彼女にはどう映っているのか少し気になった。

「はい。ありがとうございます」

 女学生は礼を言って一度軽く頭を下げた後、会議室を出る。この問題も無事に完了。今日はトラブルが起きても簡単に処理できている。その手ごたえがあった。俺は一度大きく深呼吸をした後、珈琲を買いに外へ出ることにする。

「アッキー、もし誰か来たら対応よろしくね!」

「えぇー……わかったぁー」

 顔を突っ伏したまま、秋山さんは手を挙げて承諾のサインをした。顔を上げていないけれど、人が来て気づくのだろうか。気になったけれど、俺は珈琲を買いに外へ出た。

 最終日ということもあり、外は以前の二日以上に盛り上がりを見せていた。食事処に足を運んでいても、二日目に大雨のせいで売り上げが落ちてしまっていたからこそ、ここで取り戻そうとどこも必死だ。

 ただ、二日間ずっと大学にいると、もう出店している飲食店は一通り食い尽くしていて、改めて食べたいと思うものが少ない。

 自販機で珈琲を買って、せっかくだから辺りを散策する。展示物を発表している所もある。雑貨品を作成して売っているところもある。全て買うほど金があれば買いたいと思いさえする。三日間のために用意したに二、三ヵ月は会議とかばかりでちょっとずつ決めたことだから、こうして今お祭りを開催していること自体にいまだ実感が湧かない。

 これが渡部くんなど、施設の設計にまで大きくかかわっていた人だったら別だったのだろうか。

 外に出て、学園祭の様子を見てまわる。昨日のゲリラ豪雨が嘘のように快晴で、お客さんもかなりの数行き来していた。普段の大学なら、歩きスマホなんかしながら教室に移動するのだけれど、今日はスマホ歩きどころか、立ち止まるだけでぶつかりそうなほどの賑わいだ。

 俺はフランクフルトをまた買って頬張る。一日目の時には途中で黒猫に奪われてしまったから全部は食べ切れなかった。一日目にも思ったが、本当に美味しい。悔やまれるは、フランクフルトを出しているサークルに友だちが一人もいないことだ。いたらどこで買いこんだフランクフルトなのか、あるいはどうやって作っているのか聞けたのに。

 味わうように頬張っていると、黒猫を見つけた。人達の合間をかいくぐって走っている。その口にはまた誰かから奪ったであろう食べ物を咥えていた。あの黒猫は準備の日に学内に入ってくるほど居ついている存在だった。先日フランクフルトを奪われたことを思い出して、黒猫を追いかける。通りかかる人々に謝罪しながら黒猫を追いかける。

 黒猫は何者も気にせぬといわんばかりに急いでいる様子だった。黒猫はそのまま大学の中にある森林の辺りに入っていく。俺もそれを追う。この森林はトランシーバーの音を拾ってくれただろうかと一瞬頭によぎったが、目の前の黒猫を追うことに集中することにした。

 黒猫は森林をさらに進む。俺もなんとか追いかける。猫は移動が速いから見逃すと思っていたのだが、思いの他、追いかけることが出来た。黒猫は途中で木の影へと消えていった。俺はその木を覗きこむ。

「ミーミー」

 子猫が弱弱しく鳴いていた。黒猫はその子猫にお客さんから奪った食べ物を分け与えていた。よく見ると、黒猫の脚などに小さな傷が目立っていた。確実にこの黒猫は弱っていた。黒猫はボロボロながら、警戒心は示しているのかフー、フーと声をあげている。

 傷の付き方からして、喧嘩をしていたのかもしれない。一日目にあった。猫が鳴き声をあげた事件にも関わっているに違いなかった。

 子猫は黒猫が持ってきた物を食べている。腹を空かせているのだろう。俺も何か持っていないかと思ったが、ここに来るまでにフランクフルトは食べ切っていた。それに猫は何を食べさせてはいけないのかもわからず、ただ子猫の鳴き声を聞き続ける。

 手当をしようと猫愛護サークルに伝えに行こうと考えたが、怪我をしている黒猫から目が離せなかった。

 黒猫は力尽きたように子猫に寄り添っていた。子猫は俺の目をじっと見た後「ミー」と小さく鳴いた。


                 ◇

 高校生 政人の学園祭最終日Ⅰ


 僕は二度目の長い階段を上り終える。一日目は姉にいろいろ言われるのが面倒で来ていた。

 だから、二日目は久々の外に疲れて、ずっと家でゲームをしていた。今日も本当はそうするつもりだったのだけれど、なんとなくもう一度大学に足を運ぼうと思った。だから今日は姉にも伝えていない。親にも伝えていない。自分でもなんで来たのかいまいちわからなかった。

 階段を上り終えた後、またパンフレットを貰って、それを開く。一日目に来たときはライブや食べ物ばっかりだったから、他のものを見て回ろうかと一覧を覗いてた。

「はーい。みなさん飴はいかがですかぁー」

 天狗が子どもに飴を配っていた。子どもは泣いていた。

 本物ではないことはわかっている。けれど、その天狗は決してお面なんかではなく、マンガの実写映画の俳優みたいな特殊メイクをしていて、顔も真っ赤な天狗がしゃがみこんで飴を渡していた。子どもは泣きながらも飴を受け取って、親御さんが謝ってその場を去った。大学に入ってすぐに襲われた奇怪な光景に呆然としていると、天狗と目があった。

「今、無償で飴配っているんだ。君にもあげよう」

 天狗は僕に飴を差し出した。僕は小さく一歩下がった後、飴を受け取る。

「な、なんで飴配っているんですか?」

 何気なく抱いた興味を天狗に投げかける。

「いやぁ、償いなんだよ。ちょっといけないことやっちゃってねぇ」

 天狗はニマニマと笑いながら答えてくれた。鼻も長く、顔も真っ赤なのに、目や口だけは元々人間だったという確固たる証拠を残していて、目と口にやたらと目が行ってしまい、なおさら不気味さが際立っていた。

 天狗は何かに気づいたように僕の事をじっろじろと見つめ、顎を自分の手で何度か撫でている。

「ん? もしかして、君高校生だったりする?」

 天狗は僕の目をじっと見て問いかけてくる。

 僕はなんでそんなことを聞いてくるのかと驚き、見透かされているようでさらに天狗に恐れを抱いた。

「いや、なんか学生の割には大学に入るのに緊張している様子だから少なくても大学生ではないだろうなぁって思っただけなんだけど、大学卒業した社会人にしては若すぎるし」

「は、はい。こ、高校生です」

「おぉーそうか。大学決めてないならうちとかいいよー」

 すごいお世辞っぽい定型のように自分の学校を勧める。天狗の見た目で『うち』とか言われても実感が湧かない。

「一応俺っちみたいなバカでも入れて楽しめているからね」

 天狗はカッカッカと笑う。

「君、顔から高校楽しくないって気持ち駄々洩れやからなぁ。まっ、学祭楽しんでってな。俺っちはまだ償いの飴配りの旅があるから。んじゃ」

 天狗は手を振って去っていった。僕は貰った飴を開けて、口の中に放り込んだ。

 大学のお祭りっていうのは高校の祭りとは全然違った。出される食べ物の店舗もクラス単位だけでなく、部活や好きな友だちグループで小さなオムおむすびを出している店もある。ライブも軽音部だけでなく、音楽好きで集まって組んだみたいなバンドもあればプロも来ている。展示物も、個人で出しているもの、サークルで出しているもの。それだけじゃない。ゲームサークルもあって、そこもあらかじめ調べておいたから僕はそのサークルに足を運んで対戦もした。見事に惨敗だった。

 回れば回るほど、僕が通っていた高校とはスケールが違いすぎると感じた。僕らがやっていた学園祭は先生が決めて、枠組みがあって、クラス単位以外ではできないものばかりで窮屈だったけれど、大学はそうではないのかもしれない。思わず好きなゲームキャラクターの小さなぬいぐるみを作っていた雑貨でも買ってしまい、いくつか食べ物を買って楽しんでしまった。冷静になって金が減っているのを実感して、来月のゲームの事を頭によぎってしまったが、後悔はしないほどどれも楽しいものだった。

 尿意を感じてトイレに移動する。便器まで移動して用を足す。思わず安堵の息を吐く。

 すると何やら話し声が近づいてくる。その男性は、佐野さんたちと同じようなビブスとトランシーバーを付けていた。トランシーバーに向かって何かを話しながら、苦しそうな顔でお腹を押さえている。

「こ、こちら衛生管理の坂本。先ほど警備員を二人ほどそっちに行くようにお願いしたから、何かやらかさないように監視しておいて」

 そして彼は駆け足で奥の個室へと入っていった。用を足し終えて去ろうとした時、彼の小さなうめき声が聞こえた。

 トイレを出て、乾ききっていない冷えた手でズボンを強くこする。

「……あれ?」

 時間を確認したくて、スマホをポケットから出そうとすると、ポケットには何も入っていなかった。自分が買ったものやパンフレットを入れた袋の中も確認するが、ない。

スマホを無くしたのだ。額から汗が一気に噴き出す。考えが一瞬フリーズする。

「お、落ち着こう、えっと。確かパンフに」

 思わず声を出してしまい、慌ててパンフレットを開いて一枚一枚丁寧に見る。

 確か、落とし物をした時に預かる、届けてくれるところがあったはずだ。あった。一回会議室ってところ。また地図を見て、人にぶつからないようにそこへ向かう。

 扉が閉じられているせいで、なんとも入辛い。特に悪いことしていないのに職員室に入るのと似たような感覚に襲われてしまう。

 外ドアノブを開いて恐る恐る開ける。

「す、すみません……」

 部屋に入って辺りを見ると、そこには六人ほどの男女が机に顔を突っ伏して、ダウンしていた。その光景はまさに死屍累々と言った様子だ。

「おい、秋山。お客さん」

 一人の男性が無気力気味に答える。言われた秋山さんと呼ばれる女性は、シャキと立ち上がって僕の方を見る。けれど、彼女の目にはクマが色濃く残っていて、疲れているのは明白だった。

「どういたしましたか?」

 秋山さんは僕の近くにある机に僕を誘導して座らせて、自分も向かい側に座る。秋山さんはノートを開いてペンを取り出す。

「あの、携帯を落としてしまいまして……」

「携帯はまだ届いていないなぁ。どんな携帯」

「あっ、スマホでiPhone6+です。青いスマホカバーに入っているものなんですけれど」

 僕の言葉を聞いて、必要な記号となるキーワードのノートに書きこむ。そのタイミングで秋山さんが耳にあるトランシーバーをぐっと抑える。

「ちょっとごめんね。うん、うん。どんな感じ? 特徴教えて。うん。うん。あっ、その持ち主ならちょうど来ているから届けてもらっていい? あぁーちょっと別件あるから少し遅れる? あぁーわかりました。ありがとう」

 秋山さんは押さえていた手を離して僕の方を見直す。

「どうやら貴方の携帯を拾った運営がいたみたいです。けど、ちょっと別件があるから五分ほど待ってほしいってことでした」

「あっ、その程度だったら全然待ちますよ」

「すみませんね、なんか。先ほどのようなもの見せてしまって」

「いえいえ、えーっと……皆さんは」

「学園祭実行委員です」

 姉の彼氏がやっていた仕事の人達か。

「あの、佐野さんって方は?」

「あぁーサノピー、いや佐野くんの知り合いですか。彼は今珈琲買いに行くって言ったっきり、休憩で回っていますよ。ああいうサボり癖あるからねぇ」

 秋山さんは呆れたように笑う。けれど疲れているからか、その笑みはとても表面的にも見えた。

「皆さん、お疲れなんですね」

 待っている間の沈黙にも耐えられず何とかできそうな会話を探して言葉を発する。

「うん。今日のためにいろいろ苦労してきたから。たぶん寝たふりしている渡部くん以外寝落ちていると思うよ」

「寝たふり言うな。寝たふりって」

 突っ伏している一人から突っ込みが入る。けれど他の人の反応はない本当に寝てしまっているようだ。

「もう夕方だしね。ここまで来たら大きな問題も起きないだろうって安心しちゃって、緊張の糸切れちゃったんでしょうね」

 秋山さんが温かい目で寝ている人達を見ていた。なんとなく、その横顔を見つめてしまう。目の下のクマが色白い肌の中で異彩を放つ。

「この間佐野さんに会った時は元気そうだったんですけれど」

「佐野くんは隠すの上手い人だからねぇ」

 秋山さんはまた笑った。

「隠すってしんどいってことをですか?」

「うん。外面いいから、あいつ」

 きっと秋山さんと佐野さんは友だちなのだろう。笑ったりする彼女の表情から2人の関係性の近さがうかがえた。

「隠すのが上手いっていうのは、嫌々やっていることを隠すのもうまいってことですか?」

 僕はなぜかそんなことを聞いてしまう。高校での日々から思い出したのだろうか。僕は、学校の中にある変な気持ち悪さを感じていないふりをして通うのが辛くなって、高校に行くのをやめてしまった。佐野さんはそういった気持ち悪さを感じぬふりができる人なのだろうか。

「うーん。そこまでは知らないけど、この学祭の準備は楽しんでいたと思うよ」

「楽しんでいた。ですか」

「うん。あたし達もバテバテになっているけれど、達成感はあるし。ほぼ学生だけで何かを成し遂げることができるのは良いよ。まぁ、しんどいことばっかりだから、嫌々の部分もあるけどね。最初は嫌々だったと思うし」

 秋山さんの言葉を聞いて、もう一度死屍累々の実行委員の方々を見る。この人たちはこの間からの三日間のために、ほとんど自分たちで準備を成し遂げたのかと思うと、屍は英雄に見えてきた。

「すみません、遅れました」

 部屋に一人女の人が入ってくる。

「おー来た来た。えっと、政人くん。あれ?」

 部屋に入ってきた女性が携帯を僕に差し出す。僕が持っていたスマホカバーと携帯だ。

「い、一応確認します」

 僕は携帯を一度受け取って、スマホからSNSのアカウントやLINEの履歴を見る。

「はい。僕のです。すみませんご迷惑をかけて」

 僕は秋山さんと携帯を持ってきてくれた女性に頭を下げる。

「いえいえ。学園祭、もうすぐで終わるけれど。楽しんでくださいね」

 秋山さんは微笑みながら言った。

「それと、とても興味深い話を聞かせていただきありがとうございます」

「いやいや、ちょっと先輩面したかっただけだから」

 秋山さんは照れたように頭を掻く。僕はもう一度簡単に頭を下げて、会議室から出ていった。

 外はもう、夜になっていた。最終日の終わり間近となると、品物が売り切れた店などはもう簡単な片付けを始めているところも出てきている。

 逆に飲食店は、在庫を出さないように必死に売っていた。値引きもしていて、晩飯時なのもあって、僕はフランクフルトを購入して食べる。人の数も減ってきていた時だった。僕の横を黒服にサングラスとマスクをつけた男が走って通りかかった。

「待て!」

 その黒服の男を追うように僕の横に通る実行委員の人がいた。佐野さんだ。佐野さんは僕に気づくこともなく、その黒服を必死に追いかけていた。もう終わってもいい中、メンバーが満身創痍の中、佐野さんはしっかり仕事をやり通しているんだろうな。本当はさっきの人たちみたいに寝たいだろうに。

 この学園祭で店を出している人も、そこを回っている人も、みんな笑顔だった。僕の口角も上がった。会議室から出て、すぐに見つけた大学の願書受付チラシが目に入った。僕はそれを一枚取った。

 さっき戻ってきた携帯を覗くと、着信履歴があった。母からだ。僕は母に電話をする。

 母はどこにいるのかと問い詰めてきた。僕は学園祭に来ているということを伝えた。

「ねぇ、母さん。姉ちゃんの大学ってまだ間に合うかな」

 母さんは調べておいてあげるから、楽しんできなさい。と言って電話を切った。僕の中にあった淀みがスッと消えたような気がした。

「よし! ギリギリまで楽しみまくるか!」

 僕は口角が上がって、まだ盛り上がりを見せる学園祭の喧騒へと溶け込んでいった。


                 ◇

 運営 佐野彰の最終日Ⅱ


 見つけた。あいつがブログの犯人だ。思いの他、ゆっくりと休みすぎて結果として外をずっとパトロールしている状態になってしまったのだが、最後に準備した学園祭を見て回ることができたのは嬉しかったのだ。先を走る黒服を見つけるまでは。

 黒服は、俺とすれ違う時に耳元で挑発するようにいった。

「もうすぐだ。もうすぐ爆破してやる」

 俺は思わず、一瞬硬直してしまった。振り返ると、黒服は小走りで逃げていた。俺は急いで追いかける。あいつが確実に俺のブログに書いていた男だ。俺のことを知っていてああいった脅迫めいたコメントを残したのだと思うと腹立たしい。

 俺は走って、黒服を追いかける。今日ここまで頑張って耐えたのだ。この祭りをこれ以上混乱に陥れるわけには行かない!

 黒服の男は変な様子だった。俺が走って追いかけていても、定期的にこっちを見てくる。まるで俺がちゃんと追いかけてきているかを確認するように。大学の山の方まで黒服の男は逃げていく。俺はどんどん階段をあげられて身体が疲弊する。思わず立ち止まって息を荒げていると、黒服は事もあろうかこの俺を見下すようにして奴も立ち止まっているのだ。

 俺はそれに腹を立てて不意打ちのように一気に加速する。黒服も慌てたように急いで逃げていく。相手も少しバテつつあるようで、俺も黒服もまぬけに階段を上がっていく。

「はぁ……はぁ……ついた」

「お前、なんであんなことをした」

 俺がそいつに近づこうとすると、黒服は振り返った。思わず身じろいでしまう。黒服は携帯を取り出してどこかへと電話をした。

 黒服はマスクを外して大きく深呼吸をした。

「お疲れさま、佐野。これは俺からのプレゼントだ」

 黒服はサングラスも外して、俺に対してそう言った。目の前の男は誠だった。

「ま、誠。お前がブログにあんな悪戯コメント書いたのか」

「うん。お前がブログ書いている時に覗き込んだから名前知っていたのさ」

「だから、なんでそんなこと」

「まぁ、見てなって」

 誠は何かを自慢する子どものようにニマニマしながら俺の方を見た。

「ここが一番よく見えるんだから」

 こっちを見て言う誠の言葉の後、夜空に大きな花火が開いた。巨大な音を立てた。俺は花火の光が反射したせいで、無邪気に笑う誠の顔を鮮明に見ることになった。

「サプライーズ! 佐野! 学園祭本当にお疲れ! お前に喜んでもらうために用意したんだぜ、これ! 花火見たかったんだもんな!」

 無邪気に笑う誠。そして物陰から名前も曖昧な学科な友だちたちが俺を囲んだ。

 学校の上空は派手で色鮮やかな花火に包み込まれ、最期を飾るには持って来いの情景となった。

 俺は、はしゃぐ誠たちと綺麗な花火を見て、お腹の辺りに大きな剣が刺さったかのような痛みを感じた。

「ははっ、ありがとう誠、みんな……嬉しいよ」

 俺が準備してきた学園祭は幕を閉じた。


                 ◇


 ビジネス鞄を少しおしゃれにした程度の鞄は一年も使って、大きな汚れはないものの、買った頃に比べ、使いこまれて少しよれてしまった。なんだかんだ課題用のノートや資料などを収納しやすくてあれからずっと使っている。鞄からはさっき買ったキャットフードが覗いている。

「わかっていたよ佐野。俺っちと仲良くできている段階で、お前はこっち側だって」

 ニヤニヤ笑いながら熊野は、俺が座っている向かい側で珈琲を飲んでいた。

「うん。やっぱり、知り合いなんか少なくていいよ」

 俺は溜息吐いて珈琲を飲む。

 あのサプライズ以降、俺は学校にしばらく行くことができなかった。クレームへの対応や学園祭後に胃をやったらしく病院に通い続けていた。

 サプライズをしてくれた連中も、学校に行くことが減った俺の相手をすることもなくなっていた。今でも声をかけてくれるのは熊野と、道子。後は学園祭の部署リーダーばかりだった。

 なんとなく通っていく子たちを見ていると、あれから一年経ったんだなぁと実感する。学園祭のことを思い出してまたお腹が痛くなってくる。飲みかけの珈琲を置き、熊野に一言言って、トイレへと向かう。相変わらず奥の個室は閉まっていた。入ったはいいけれど、ものが出なかったのですぐに出て、手を洗って、また席に座ってお腹を擦りながら珈琲を啜る。

「今日この後仕事やろ?」

 熊野が俺の受け止めたくない現実を突きつけてきた。

「うん。来年の実行委員決めるためにね」

「今日、道子ちゃんと俺っちで労ってやるから、終わったら連絡くれよ」

 そういって熊野は飲んでいた珈琲を飲み干して、俺の元から去っていった。

 今日もまた緊張しないといけない。久々にくるこの感情に、胃袋はまたどう付き合っていいのかわからなかったから、熊野にはギリギリまで一緒にいてほしかった。頼むから、中に何も入っていないのに胃痛を起こさないでほしい。

 一人になったし、スマホでブログを開いて、今日はこれから学園祭の仕事をあることを書き込んだ。あの後も、まだ更新は続けている。素直に仕事が大変だと言うことをここにしっかりと愚痴ることにした。道子だけに愚痴っていたら、道子も辛いことになってしまうからだ。

 スマホで色々やっている間に時間が来たので、飲み干した珈琲を捨てて会場へと向かう。会場の扉の前には森沢さんがいた。あの後かなりこの人に怒られたなぁーなんてことを思い出して、半年以上前の事なのにまた森沢さんに謝ってしまった。彼女も気を使ってもういいから、と呆れたように笑った。

「じゃあ、そろそろ入ってもらっていい?」

「はい。大丈夫です。資料とかは渡していますか?」

「えぇ。なんかプロジェクターを使うようなものはある?」

「いえ、仕事について簡単に話すだけですので」

「じゃ、お願い」

 森沢さんが軽く肩を叩いた。俺は一度深呼吸をして十円禿のあった場所を撫でる。普通の髪とは微妙に違う感触の、白髪がそっと指に触れた。その髪を隠すように黒い部分をかぶせるために何度か髪を指でいじる。

 扉を開ける。開けて入った部屋には自分よりも後輩の人たち、今年の生贄たちがけだるそうに俺の方を見ていた。表情を偽ることすらできない生贄たちを、俺は笑顔の仮面で見つめる。

「みなさん。おはようございます。前年度、学園祭の総合統括を務めていた。二年生、佐野彰です。今日は、仕事の内容を話させていただき、その上で、この中から今年の学園祭実行委員長を決めたいと思います。とてもやりがいのあることなので、興味のある方はぜひお聞きください」

 たくさんの生贄たちの中で、僕はやりがいを感じることのできる者が現れるように祈る。

 お腹を痛め、高らかにスピーチを始めた。去年の人はどんな気持ちでここに立ったのだろうか。ここからの長時間に及ぶ遠慮と怠惰渦巻く空気での闘いが始まる。


                 ◇

 番外短編 彼氏 佐野彰と愉快な仲間たち



 私の彼氏、佐野彰は後輩だ。と、いっても年下と言うわけではない。中学高校では出会うことのない「留年」と言うものになってしまったのである。

 その経緯はこうなっている。私の彼氏、佐野彰は、去年大学で開催する学園祭の実行委員長を運営していた。久々に会えば目にクマが出来ていてパンダみたいになっていたし、デート中も気を使って話してくれるが、時折見せる疲れから来る呆然とした表情を見ることもあった。

 けれど、彼は楽しく話してくれた。学園祭の進行状況を、それはそれは無邪気な子どものように。昔小学校の頃、弟の政人がお母さんにゲームを買ってもらった時に、何も知らない私にそのゲームの自慢をしてくる時のような可愛らしい表情をするので、私はそれを聞いてあげることを自分の仕事だと判断した。

 学園祭当日の最終日の話をします。

 私も学園祭中はテニスサークルやぬいぐるみ同好会のスタッフなどもしていたので、仕事をしている彰くんと会うことの出来ないままであった。一度政人に顔合わせをさせるために会議室に行ったっきり。

 彰君と学園祭中に会ったのは最終日、あの事件だった。


 誠くんが起こした『爆破テロ事件』。

 彰くんをはじめ、運営の方々がそう呼んでいる迷惑極まりない事件。私にもサプライズだったのか、私もちょうど美香に案内されて、大学内にある山を登った先にあるラウンジへと向かっていた。

 私がたどり着いた時、誠くんたちがラウンジで楽しく騒いでいた。夜空には綺麗な花火が彩られていた。

「どう? びっくりした?」

 美香は嬉しそうに私の方を見た。しかし、私は急いで目で彰くんを探した。やはりそうだ。彰くんは騒いでいるみんなから離れ、ベンチで一人、俯いて座っていた。美香が誠たちに混ざりに向かった。その背中を見守った後、私は彰くんの方へと向かった。俯いている彰くんは肩を震わせて咽び泣いていた。腹を強く押さえ、歯を食いしばりながらみんなにバレないように泣いていた。喜びの涙じゃない。悔しさや怒りから来る涙だ。彰くんの頭には小さくなっているが、まだ禿が残っていた。

「彰くん、帰ろう」

 私はそっと彼の耳元まで近づいて答えた。咽び泣くままの彰くんはコクリと頷いて、誠くん達が気づく前に、その場を後にした。俯いたままの彼を、階段から踏み外さないように誘導しながら、ゆっくりと降りていく。彼がつけていたトランシーバーから誰かの怒鳴り声が響く。

「あっ! いた」

 ゆっくり階段を下りている時に、向こうから上ってくる娘がいた。彰と同じビブスを着ていて、トランシーバーを見につけている。運営の人だろう。

「あ、あのえっと」

 目の前の娘が戸惑って、彰くんを覗き見ている。私は状況説明をしないといけないなと慌てて、彼女に説明する。

「あっ、えっと……私、彰くんの彼女で、み、道子って言います。彰くん。御覧の通りになっちゃって……。この後、集まりとかあれば欠席と言うことにしてもらえたら。と思うんですけど……」

 目の前の娘は少し迷いながらも、仕方ないと一度大きく頷いた。

「はい。えっと、私は秋山っていいます。わかりました。何があったかわかんないけど、この状態の佐野ぴーは会議に出れないね……」

「あ、後。花火でしたら、犯人のグループは上で騒いでいます」

 私は同じ学科である誠くんたちを『犯人』呼びすることに少し躊躇いがあったが、彰くんをこんなにした彼らを許すわけにはいかなかった。秋山さんは私の言葉を聞いてトランシーバーに向けて何かを話し始める。山のラウンジに花火の首謀者たちがいると言う旨を全体に知らせているようすだった。

「情報ありがとう。じゃあ、サノピーのこと、お願いするね」

「はい」

 私が返事をした時、俯いていた彰くんが顔を上げた。

「か、会議。い、いく……から」

「いやいや。サノピーその状態じゃ無理だから、森沢さんとかにはあたしから言っとくから。彼女に連れて帰ってもらいな」

 顔を上げて、目の周りが真っ赤になって、呂律が回っていない彰くんを見て、秋山さんは彰くんの目線を合わせて、明るく言ってみせた。彰くんはそれでも納得できない様子で、何度も、行くから。行くから。と呪いのように呟き続けた。

「はいはい。帰るよー」

 私に逆らうほどの力がないのか、私が誘導するままに階段に降りていった。

「あれ? 佐野に道子ちゃん。……佐野、どうしたの?」

 大学のロビーで熊野くんに会う。彼は私と彰くんの表情を覗いて、何事かあることを察して真剣な表情に変わる。いつも飄々としている熊野くんはこういった時に誰よりも真剣な表情になっていた。彼はこういう人だ。

「ちょうどよかった熊野くん。今すぐタクシー呼んでくれない?」

 私の言葉を聞いてすぐに電話してタクシーを手配した。この辺りはタクシーの到着が早いから、咽び泣いている彰くんを連れて、この長い階段をゆっくり降りれば、下りきった時にはついてくれているだろう。

 熊野くんも一緒に誘導してくれていた。その間、熊野は自分の罪悪感があったのか

「俺っち、俺っちの昨日の悪戯が佐野にとって辛かった? あれでクレーム地獄にあったの? ごめんて、ごめんて」と横で必死に謝罪していた。彰くんは疲弊しきった身体で「違うから。大丈夫。大丈夫」と呟きながら首を横へ振った。

 タクシーの前に行って、私と熊野くん。そして疲弊しきった彰くんの三人で、彼の家まで道を去っていった。彰くんは、不幸にも自分で企画した学園祭の最後を見届けることは出来なかったのである。



 白菜をざっくりと切って大きな鍋に入れる。次にしいたけ、えりんぎ、豚肉、もやし、既に小分けしていた食材を鍋に放り込んでいく。

 隣の部屋から響く。彰くんと熊野くんの声。その声の心地よさをかみしめながら、食材を入れた鍋に蓋をする。

 あの後、彰くんは、誠君たちと顔を合わせづらくて、授業に出席することが減った。そのせいで単位を逃して、私の後輩になってしまった。その事もあって、滅多に会わなくなった人間に、人というのは冷たい。せっかくサプライズしたのにも関わらず、いつの間にか帰っていた上に、授業にも来なくなった彰くんを誠くんたちは快く思わなかった。自分たちが怒られたことに対するフラストレーションもあるのだろう。彼らは彰くんと疎遠になった。

「おら! これで勝ちだ!」

「あぁー! 負けました! 先輩強いですね」

 横から政人の声も聞こえる。政人は学園祭で何かを感じ取ったのか、私たちと同じ大学に入った。よく彰くんの部屋に来ては一緒にゲームをしている。私は弟と彼氏が楽しく遊んでいるテレビ画面を見つめるのが楽しみの一つになっている。

「すみません。トイレ借りました」

 キッチンのすぐ近くにあるトイレから一人の男性が姿を出す。坂本拓弥くん。学園祭の時に彰くんたちと一緒に運営をしていた子らしい。学園祭運営の時期は、欠席が多くて、よく運営の愚痴の的になっていたそうだが、決算などの時に姿を現し、全てを語った。

 彼は緊張することが多く、そのせいでよく腹痛を起こしてトイレに籠ってしまうことが多いらしい。その責任感の強さに彰くんは同情して、告白してくれた日にそのまま自宅へ招き、一夜飲み明かしてからは、熊野くんと私の弟政人に次ぐ彼の新しい友だちになったらしい。

「何か手伝いましょうか?」

「いいよいいよ。後は茹であがるの待つだけだし。あっ、でもそろそろ鍋出来るから、ゲームもキリのいいところでやめて、食器とか並べといてって伝えてもらえると助かる」

「わかりました」

 そういって坂本くんが隣の部屋に戻ると、彰くんたちに支持しているのがよく聞こえた。

 ついこの間まで私と彰くんだけだった空間が賑やかになっている現実をかみしめる。鍋のふちがボコボコと音を立てはじめるので、私は火を弱める。

 彰くんは、外面のいい男の子だった。けれど、それは優しくて、人を傷つけないようにしているが故だった。その優しさに好意を持って、私は彼に告白した。今にして思えば、振られなかったのも、彼が私を傷つけたくなかったが故に受け止めてくれたのかも知れない。私の事を当時から好きだったかはわからない。

 付き合ってみると、その優しさ故に自分を苦しめているところを見て、放っておけなくなった。

 彼は外面がいい。だから彼の周りには沢山の人が集まる。けれど、その沢山の人を、彰くんは全て対応することが出来ていなかった。そのせいで彼はとても辛い精神状態になることが多々あった。

 飲み会の幹事はさせられるし、後輩の世話係は任命されるし、学園祭の仕事から雑用まで、なぜかみんな彼に何かを押し付けてきた。

 その全てに彰くんは答えようとしていつもパンクしていた。

 あの事件以降、彰くんに近づく人は減った。

友だち100人を地で歩いていた彰くんに声をかけてくる人は両手があれば足りるようになってしまった。

 しかし、そのおかげか。彼は前より笑顔が増えた。まだ頭の上に出来た禿は治り切っていないけれど、治っても変わりに白髪が増えてきたけれど、たくさんの人に囲まれているより、少ないけれど。確かに自分を心配してくれる。そんな人たちと一緒にいることで、彰くんは幸せになれていると私は感じた。

 手袋をつけて、鍋の取っ手を掴む。隣の部屋に置いているガスコンロに移動させるのだ。

「ほら、鍋出来たよー」

 彰くんたちが歓喜の声をあげる。政人も最近はいい笑顔をするようになった。

 みんなに鍋をよそってあげて、全員がいただきますと手を合わせて食事を始める。

 私は、この人の隣にいようと思う。一度だってカッコいいと思ったことのないこの人と、この人が喜び、悲しんでいる姿を見るのが、私はきっと好きなのだろう。

 私が自分の分をよそうことを忘れていた。すると目の前に私の器に鍋がよそわれていた。

「はい。道子の分」

 彰くんが私の分を入れてくれた。それを受け取る。さっきまで彼の事を考えていた後に、目を合わせてしまい。少し恥ずかしくなる。

 頬が熱いのは鍋のせいだろうか。私は好物の白菜を箸で摘まむと口を大きくしてそれを咀嚼した。

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フェスティバル! 春之之 @hiro0525ksmtc

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