セッションを観たよ〜若者と鬼教師

こんにちは、ミサです。 

映画を語らせていただきます。

今日はいつも以上にひねくれているかもしれません。

そして、最高に辛口かもしれません。

不快に思うかたもいらっしゃるかもしれません。

しかし、いいたいことをいいます。

また、いつもより作品本質に迫る紹介があると思われますので、未視聴のかたはご注意を。


Session(セッション)です。

デイミアン・チャゼル監督、脚本。


ウィキによれば。

サンダンス映画祭で観客賞と審査員大賞を獲得し、ドーヴィル映画祭でもグランプリと観客賞を受賞。

第87回アカデミー賞ではチャゼル自身の脚色賞をはじめ、5部門にノミネートされ、助演男優賞(鬼教師=J・K・シモンズ)、録音賞、編集賞の3部門を獲得。

チャゼル監督は出世して、「ラ・ラ・ランド」や「ファーストマン」を作ることになります。


この「セッション」。

偉大な音楽家を目指す野心あふれるドラム奏者の若者と、彼が通う名門音楽学校の鬼教師による、人間ドラマ。

チャゼル監督の手腕には確かなものを感じます。

監督自身も以前にドラムを叩いており、スパルタ教育を受けた経験があるとのこと。

音楽と、それにとりつかれて必死に演奏する人間のスゴミを、うまく分かりやすく表現しています。

エンディングは、観るものにカタルシスを与えるかも。

賞をとったのも不思議じゃない。

しかしねえ。


あたしには、アトアジわるーい作品でした。


チャゼル監督がこの映画でいいたいことのひとつは。

次のことだと思う。


「若いヤツは、大人に負けるな」


それは共感できる。

あたしは思うんです。

若いというだけで、若者は年寄りに勝っている。

大人がどんなにゴタクを並べようと、若いほうが正しいんだと。

まあ激しく語弊があるので、もうすこしいいます。

つまり、こういうことなの。


「大人は、子どものために働くべき」

「年上の人間は、年下の人間のために死ぬべき」


この映画では、まかり間違えば、主人公の青年が人間的に死ぬかもしれなかった。

たしかに、作中、青年は奇跡的に助かったかもしれない。

でも助からなかった例が、数多くあるのかもしれないのよ、この作品の世界では。


作中の鬼教師はジャズを発展させようと考えているようです。

ひとりの天才、偉大な音楽家を育てようと汚いことをします。

あたしが思うに、音楽が発展すれば、ひとびとを幸せにできるかもしれない。

グレートな音楽家が名曲を作り、歴史に刻まれる。

あるいは名演奏が聴くものを感動させ、記憶に残る。

人類は一歩ずつ高みに登っていけるかもしれない。


けれど、スパルタ教育で若者を殺しちゃいけないよね。

自分よりもかなり年下の、自分が死んだあとの世界をしょって立つ人間の精神を抹殺していたかもしれないわけよ。

鬼教師が偉大な何かの誕生を目指して、よかれと思ってしたことは、おおかた芸術的自己満足に過ぎないし。


これは、従軍医師のジレンマと似ているわ。

野戦病院で傷ついた兵士を治療する。

兵士は戦線に復帰したら弾を撃つ。

敵の3〜4人が死ぬかも。


複数の人間が死ぬんだから、負傷兵士を助けないほうがいいのでは?

ひとりの人間を殺しても、より大きな人命救助の尊さをとるべきでは?

何十人もの前途のある若者が犠牲になっても、それで優れたミュージシャンが誕生しジャズが世界中を幸せにするのなら、いいことなのでは?


でも、そのジャズは目の前の人間を救うことすらできないのよね。


そう。

実際に医療の現場にいる医師は、こんなジレンマには陥らないのよ。

政治家じゃないんだから。

思考ゲームじゃないんだから。

音楽のためにひとりの人間の魂を犠牲にするなんてことは絶対にない。


現実のミュージシャンたちからの評価がそれほど芳しくないのは、この映画が描いているものは単なるレアケースで、彼らに普遍的な感動を与えないからだと思う。

音楽を作る彼らが日々していることと相容れないからだと思う。

それはチャゼル監督も承知しているはず。

これは賞を取るための映画、自分の力量を見せるための映画。

この作品は若い魂を救いきれてはいないわ。

これが、あたしの結論。


ジャズを愛するかたがたには、観てほしくないとも思う。

そりゃあ、マイルス・デイビスはキングのように怖かったかもしれない。

もっと昔の大物たちは、もっともっと恐るべき人物だったかもしれない。

けど、それとこれとは、別だわ。

だって、映画の中の鬼教師は、単なる教師なんだから。

1曲でも、なんかオリジナルを披露しなさいっていうハナシよ。

もしかしたら、作中にあったかもしれないけど。笑


あたしが後味わるかった理由は、映画のラストで、死すべき老いた鬼教師が救われている気がしたからなの。

そして、若者も老教師の罠にのって、同類に成り果てているように感じたからなの。

老人が若者と同列ではいけないの。

絶対に若い命が上にあるべきなの。


ごめんね、監督さん。

ならびにファンのみなさま。

なんであんなにスパルタにしたのか、その理由が分かる鬼教師の個人的な事情を描けば、また違ったでしょうね。

少年マンガでよくあるように。

そういう作りがいいか悪いかは、分からないけれど。

チャゼル監督は、ある意味、硬派なんだと思う。

ドライなんだと思う。

現実世界をありのままに受け入れているのかも。


まあ、ほかの作品も観ます。

「ラ・ラ・ランド」はブルーレイかな。

「ファーストマン」はロードショウ中かな。


あ。

監督の思うつぼ。





PS:これは、あたし個人のちっぽけな意見です。

したがって、突っ込みどころ多数あると思われます。

ご意見、忌憚なく!

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評論:ミサが語る、映画のひみつ 瀬夏ジュン @repurcussions4life

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