第16話 憂鬱

それから数か月後、圭太は支店長室でクエンの入れたコーヒーを立ったまま飲みながら、外の景色を見ていた。

「最近、ますます、タムちゃん、チャウちゃん、元気になりましたね。」

いつの間にか圭太の隣にクエンが自分のコーヒーを持って立っていた。

クエンは、相変らず土曜日の午後にタムとチャウに勉強を教えに屋敷に通っていた。

「勉強も飲み込みが早くて、算数や言葉の読み書きもだいぶ学年に追い付いてきて、びっくりしちゃいます。

 それに健康的に身体も大きくなって、女の子ぽくなって来ましたね。」

クエンがタムとチャウの姿を思い描くように、楽しそうな顔をする。

「そうそう、よく食べて、よく寝て、よくお仕事して。

 学校も楽しいって、二人とも本当に生き生きしているわ。

 ギエさんがびっくりするほど、よく食べるんだって?」

いつの間にか銀子が部屋に入って来て話に加わる。

「ギエの料理が上手いからだろう。」

圭太が苦笑いしながら言う。

「え?

 圭太も、たまに料理しているんでしょ。

 ギエさん、驚いていたわよ。」

「え?

 何を作っているんですか?」

クエンが驚いた顔をする。

「ギエさん、言ってたわよ。

 この前は子供たちにハンバーグを作ってあげたんですって?

 二人とも、美味しいって目を丸くして夢中で食べていたって。

 ハンバーグはこっちにもあるけれど、圭太の作るハンバーグは日本風で、全く違うってギエさん言ってたわ。」

「ああ、日本でよく自分で作って食べていたからな。

 こっちのエスニック風とは少し違うんだけどね。

 二人とも喜んで食べてくれたよ。」

圭太はそう言いながら照れ笑いした。

「ボス、私も、そのハンバーグ食べてみたい!

 今度作ったら呼んでくださいね。

 そうだわ、私が屋敷に行く土曜日がいいです。」

クエンがねだるように言うと、弥七が割り込んでくる。

「まったく、若が料理をするとはね。

 まあ、日本にいた時は、一人だったからよく作っていたっけ。」

弥七も珈琲カップを二つ持って、窓際に来ると、一つを銀子に手渡した。

「あら、ありがとう。」

銀子がにっこりと笑って受け取る。

「どういたしまして。

 でも、中身はクエンが入れてくれたコーヒーだよ。」

「なら、安心かも。」

銀子は弥七に聞こえないくらい小さな声で呟き、それを傍で聞いていたクエンが吹き出しそうになっていた。


「ギエさん、言ってたけど、あの日以来、タムとチャウの寝相がひどくなったらしい。」

「え?」

「なんでも、安心してか、夜中に見に行くと、二人とも大の字でお腹を出して伸び伸びと寝ているそうだよ。

 以前の縮こまって寝ていた姿が嘘ようだってさ。」

「まあ、じゃあ、すっかり屋敷に馴染んでいるのね。」

「まあ、馴染んだのは若にだけどな。」

弥七と銀子、クエンはタムとチャウの話をしながら笑っていたが、圭太はどことなく浮かない顔をしていた。

「ん?

 若、どうかしたのか?」

弥七が浮かない顔をしている圭太に気が付いた。

「いや、なんでも。

 それより、この前二人を気絶させたんだって?」

「えー!」

銀子とクエンは怒った顔で弥七を睨みつけた。

「い、いや、誤解だよ。」

「気絶させておいて、何が誤解なんですか。

 一体、二人に何をしたんですか?

 事と次第じゃ許しませんよ!」

クエンが険しい顔をして食って掛かる。

「だって、言いだしたのは二人の方でさ。」

「言いだした?」

「ああ、自分達に武術を教えてくれって。

 自分の身を守るのと…。」

そこまで言って弥七は圭太の顔を見てニヤリと笑った。

「強くなって“パアパを助けるんだ”ってさ。

 本気かどうか、ちょっと試すつもりで、二人に殺気を当てたら気絶しちゃったんだよ。」

弥七は頭を掻いた。

「弥七さん、なにも本気モードにならなくても。」

銀子が呆れた顔をした。

「だってさ、中途半端だと怪我すると思って。」

(でも、びっくりしたんだぜ。

 先にチャウが気を失ったら、それを庇うようにタムがチャウの前に立って、必死に庇っていたっけ。

 結局、二人ともダウンしちゃったがな。

 タムの精神力はかなりのもんだな。)

弥七は、言葉に出さなかったが、その時のことを思い出した。

「それで、二人はあきらめたの?」

銀子が尋ねると、弥七は首を横に振った。

「いいや、それでも教えてくれって。」

「今では、日曜日の午前、弥七師範代のもと、“エイ”“ヤー”って威勢のいい掛け声が聞えているよ。」

圭太が苦笑いをしながら弥七の代わりに応えた。

「だって、タムちゃん、足が。」

クエンが心配する。

「大丈夫だよ。

 タムには、蹴り技は教えていないから。」

「まあ。

 弥七さん、怪我させないでよ、絶対に。」

「はいはい。」

銀子に念を押され弥七は首をすくめた。

「ボス、じゃあ、お屋敷はいつでも活気があってよかったですね。

 ギエさんも嬉しそうだし。」

「ああ。」

「ボス?」

クエンは気のない返事をする圭太を怪訝そうな顔で見つめた。


仕事が終わり、圭太はいつものように銀子の運転する車に乗り屋敷に着くと、銀子が運転席から回り込み、圭太の降りるドアを開ける。

「ありがとう、銀子さん。」

「どういたしまして。

 明日もいつもの時間に迎えに来るからね。」

銀子はそう言ってウィンクをして見せる。

「若、お疲れさまでした。」

車の中から弥七の声が聞え、圭太はその声の方に向かって片手を上げると、屋敷の玄関に向かって歩き始める。

後ろでは、銀子が車に乗り込む音と、タイヤが地面を噛む音が聞えて来た。

銀子の運転はいつもながら静かだった。

車を降りてから玄関のドアまでの5メートルくらいの距離を歩いて行くと庭に植えてあるバナナの木が大きな花を咲かせているのが見え、つい数日前、おやつにバナナを美味しそうに食べているタムとチャウと話したことを圭太は思い出していた。


「バナナって、美味しいね。」

「うん、私大好き。」

食堂でタムとチャウは可愛らしい顔で美味しそうにバナナを頬張っているところに圭太が入ってくると、チャウが話しかけようとして口の中のバナナを急いで飲み込んだ。

「ねえ、パアパ。

 バナナって植物の実なんでしょ?

 土の中にできるの?」

「え?

 違うよ。

 バナナは高い木の上になるんだよ。」

「え?

 木の上?」

「ああ、高いところに花が咲いて、そしてバナナの実が付くんだよ。

 家にもバナナの木があるの知らなかった?」

「うん。」

タムとチャウは興味津々の顔をして頷いて見せた。

「ほら、玄関の方に高い木が見えるだろ。」

圭太は窓の傍でバナナの木のある方を指さすと、タムとチャウは急いで椅子から降り、圭太のいる窓の方に来たので、圭太は窓から少し離れ、二人が窓にへばり付ける空間を作ってやった。

二人は窓にへばり付くと、熱心に圭太の指さす方を見てバナナの木を探した。

「パアパ、どの木?」

「あ、あれかしら。

 チャウ、あの高い木。」

「あれ?

 上の方に赤紫の塊が付いている木?」

「そうだよ。

 その赤紫の塊みたいのがバナナの花。

 あそこからバナナが出来て来るんだよ。」

圭太が二人に説明する。

「えー、あの不気味な色の塊がバナナの花なの?」

タムが意外そうな声を出す。

「あの不気味なところから、こんなに美味しいバナナができるんだ。

 何か不思議。」

「そう、あの花の中から、美味しいバナナが“にょこにょこ”出て来るんだよ。」

「え?

 “にょこにょこ”?」

「“にょこにょこ”?」

「“にょこにょこ”だって、チャウ。」

そう言いながら二人は「きゃははは」と笑い出し、いつまでも止まらなかった。

そんな楽しそうに笑っている二人の顔を圭太は思い出していた。


圭太が屋敷に帰り玄関の扉を開け中に入ると、「おかえりなさい」とギエと元気なタムとチャウの声に出迎えられた。

「ただいま」と言って、3人の方を見ると、黒いアオザイを着たギエと、その横に水色の花柄模様の入ったアオザイを着たタム、そして、色違いで同じデザインの薄いピンク色のアオザイを着たチャウが笑顔を向けていた。

タムもチャウも怪我の傷が跡形もなく綺麗になっていた。

それ以外に、最初に入院した時に短く刈られたが真っ直ぐな黒髪が首筋まで伸び、頬がこけ落ちてガリガリに痩せていた顔もふっくらし、身体は一回りも二回りも大きくなっていた。

顔がふっくらとしてくると、タムは一層可愛く、チャウは一層美人になったようだった。

そして圭太が一番好きなのは、二人の元気とまるで太陽のように明るくはち切れんばかり笑顔だった。

二人は「お帰りなさい」というと、早速、ニコニコしながら圭太にまとわりついて、今日出来事を話し始める。

「タム、チャウ、圭太様は帰って来たばかりでお疲れなんだから、休ませて差し上げないと。お話はあとにしなさい。」

ギエに言われ、二人は「はーい。」と返事をすると名残惜しそうに圭太から離れた。


夕飯になると、圭太とタム、チャウ、そしてギエまで一緒にテーブルに着くように変わっていた。

圭太とギエだけの時は、ギエは給仕のためと圭太だけ食べさせ、自分は後でひっそりと食べる生活だったが、二人が来て圭太になつくと、圭太がみんなと一緒の方が楽しいし、美味しいからと、最初は渋っていたギエまでも説き伏せ、皆で食事をとるようになった。

食事はにぎやかで、タムとチャウは学校や家で今日起きたことを一生懸命圭太に聞かせ、圭太とギエは二人の話を面白そうに聞き、笑い声の絶えない食事の時間を送っていた。


食事の時間が終わると、ギエとタムとチャウは食事の後片付けをして、その後、タムとチャウは学校の予習復習、そしてお風呂に入って寝るのが習慣になっていた。

圭太はその合間に、風呂に入り、リビングや自分の部屋でくつろいでいた。


その日も、タムとチャウは勉強の後、一緒に風呂に入っていた。

「ねえ、タム。

 最近、パアパ元気ないと思わない。」

チャウが湯舟の中から顔だけちょこんとだし、身体を洗っているタムに話しかける。

「うん、私も気になってたの。

 たまに怖い顔して私たちを見ているし。」

タムは、身体についた石鹸をお湯で流すと、湯舟に入って来た。

「お仕事で疲れているのかな。」

タムはチャウの横に並ぶようにして湯舟に浸かると、顔だけ出してチャウの方を向く。

「でも、弥七や銀子さんにクエン、一緒にお仕事している皆は元気だよ。」

「病気なのかな?」

「ううん、そうだったら、今頃ギエさんが大騒ぎしているから違うと思う。」

「じゃあ、どうしてだろう…。」

「もしかして。」

「もしかして?」

タムが怪訝そうな顔をしてチャウを見る。

チャウは湯船で浮かべて遊んでいた小さなアヒルのおもちゃを指でタムの方にはじいた。

おもちゃのアヒルはゆっくりとタムの方に泳ぐように向かって行き、タムがアヒルの顔を指ではじくと、アヒルはその場で円を描くように回転した。

「パアパ、私たちのこと、嫌いになったんじゃないかな。」

「…」

タムもチャウと同じことを考えていたのか、押し黙っていた。

「タム、どう思う?」

チャウが口を開く。

「わからない。

でも、私たち、パアパに言われたこと、ちゃんと守っているよ。

 ギエさんのお手伝いをして、勉強して、いっぱいご飯を食べて…。

 嫌われること、何もしていないと思うけど。」

「私にも、わからない。

 私たち、何か面倒をかけているのかしら。

 ご飯、食べ過ぎ?

 でも、ギエさんのご飯やパアパのご飯、美味しくて止まらなくなるし、二人とも、“もっと食べなさい”って言ってくれるから…。

 そう言えば、弥七さんがこの前、私たちがいるとお金がかかるってパアパに言っていたわ。」

チャウが顔を曇らす。

「それで、私たちを嫌いになった?

 嫌われたら、ここに居られないのかな。

 私、パアパもこのお屋敷も大好きなんだけど。」

タムが沈んだ声で言う。

「私もよ。

 パアパがいる、ここが好きなの。

 パアパが居れば、このお屋敷じゃなくてもいいわ。」

二人は湯船の中で頷き合う。

少し間があってから、チャウが真顔で湯船から立ち上がった。

「タム、お風呂から上がったらパアパのところに行かない?」

「パアパの部屋?」

「うん。

 それで、私たちのこと、嫌いになったのか確かめてみない?」

「パアパに直接聞くの?」

「聞くの。

 それで、もし嫌いになったって言ったら、どうしたら好きになってくれるのか聞いてみるの。

 ご飯食べ過ぎなら半分に減らすって言うの。」

「わかった。

 パアパのところに行こう。

 私、パアパのお嫁さんにしてもらうって約束したんだもん。

 頑張らなくっちゃ。」

タムはそう言うと湯船で立ち上がった。

「私も同じよ。

 二人でパアパのお嫁さんにしてもらうって言ったじゃないの。」

「じゃあ、行こう。」

そう言ってタムは湯船から出ると足早に脱衣所に向かって行った。

「タ、タム、待ってよ。」

タムは決めると行動に移すのが早かった。


圭太は自分の部屋でベッドに腰掛け、じっと壁を見ながら考え事をしていた。

このところ、圭太は良く夢を見るようになっていた。

その夢は決まってタムやチャウよりも小さな少女が出てくる夢で、顔はぼやけてわからないが花柄の可愛らしいカチューシャをしていて、何かを圭太に訴えかけようとしている夢だった。

「どんなにきれいごとを言っても、何をしても、僕がタムとチャウをお金で買ったことには変わりはない。

 犬や猫をペットショップで買うように、人間をお金で買うなんて、何て馬鹿なことをしたんだろう。」

あの時、タムとチャウを力づくで助け出すことも出来たが、武器を持っている相手と一戦を交えることはリスクが大きく、最悪のケースとしてタムとチャウの命を危険にさらすことになると判断し、圭太はお金で買うという手段がその場では最良の策と考えたのだった。

「しかし、皆が言う通り、それで需要を生み出し、人身売買の連鎖が続いて行く。

 例えチョウの店だけ潰しても、同じことをしている奴らはたくさんいるし、全員救うことなんて出来はしない。

 きっと、“なぜ、タムとチャウだけを助けて、自分を助けてくれないのか”と同じ境遇の子供が僕の夢に出てきているのか。」

圭太は心の中でそう思っていた。

「それにタムもチャウも本当の両親に会いたいんじゃないかな。

 家族に会いたいんじゃないかな。」

圭太はタムとチャウが元の家でどういう仕打ちを受けていたのか、うかがい知ることはできなかった。

ただ、弥七からは二人とも、元の家では奴隷のようにこき使われ、ある程度、歳が行くと人買いに売られていく、家族の絆も愛情も全くない家庭で育っていたとは聞いていた。

圭太は、どちらかと言うと母親や父親、また弥七や銀子など人のやさしさの中で育ってきたので、弥七の話を聞いてわかったと言っても、心の中では理解できていなかった。

「どんな理由があっても、お金で子供を買ったから、あんな子供の夢を見るのかな。

 まるで、『私をお金で買わないで、両親のもとに帰して』と言っているようだ」

圭太が小さくため息をつくと、部屋のドアをノックする音が聞えた。

(誰だろう。

 ギエさんかな?)

そう思いながらベッドから起き、ドアの前に向かっていた。

「はい。」

圭太がそう言うとドアの外で小さな声で「パアパ」と言うタムの声が聞えた。

ドアを開けるとお風呂上がりの血色の良い顔をしたパジャマ姿のタムとチャウが真剣な表情で立っていた。

「どうしたの?」

タムとチャウは黙って圭太を見ていた。

「入っておいで。」

啓太がそう言うと、タムとチャウは素直に頷き、圭太の部屋に入って来て、圭太に促されるようにベッドに腰掛けた。

二人からは石鹸やシャンプーだけではない良い香りがした。

「二人とも、お風呂上がりだね?」

圭太が尋ねると二人とも素直に頷いた。

「お水は?

 ミルクは飲んだかな?」

タムとチャウはお風呂上りにはミルクを飲んで寝る習慣があったが、お風呂から出て急いできたのか、二人とも首を横に振った

「喉、乾いていない?」

圭太が優しく尋ねるが、二人とも何か思い詰めたような顔をしたまま首を横に振った。

「じゃあ、どうしたの?」

(もしかして、二人とも両親のもとに帰してほしいと言いに来たのかな)

圭太は二人の顔を見てそう思ったが、二人から出てくる言葉は全く違ったものだった。


「パアパ、私たちのことを嫌いになったの?」

「へ?」

単刀直入で聞いてくるタムに圭太は面食らう。

「私たちにお金がかかるなら、ご飯を半分に減らすから。」

「え?

 なに?」

チャウの言葉に圭太はなにがなんだかわからなくなってきたところにとどめを刺すように二人声を揃えた。

「パアパ、私たちに嫌いなところがあったら言って。

 絶対に直すから。」

二人の真剣な眼差しに押されるように圭太はしばし声が出なかった。

「ちょっと待って。

 二人とも、どうしたの?

 訳を教えて。」

するとタムとチャウが順番に話しはじめる。

「パアパ、最近元気がないでしょ。」

「パアパ、最近、よく怖い顔をして私たちを見ているし。」

「私たち、パアパに言われたように、お手伝いも勉強も頑張っているつもりなんだけど…。」

圭太は少し考えてから、二人が言いたいことがわかってきた。

「もしかして、タムとチャウは、僕の元気が無かったり、怖い顔をしている時があるから、自分達を嫌いになったんじゃないかって思ったってことかな?」

そう言うとタムとチャウは大きく頷いて見せた。

「じゃあ、お金がかかるって言うのは?」

チャウがおずおずと答える。

「この前弥七さんがパアパに私たちがいるとお金がかかるって言ってたでしょ?」

「はあ、それで、ご飯を半分に減らすって?」

二人が頷いて見せる。

「パアパに嫌われたら、ここにいられない?」

「私たち、パアパといつも一緒に居たいの。」

「パアパに嫌われたら、私たち、どうしたらいいのかわからなくなっちゃう。」

「大好きなパアパに嫌われたら私たち悲しくなっちゃうし、嫌なの。」

感極まったのか、タムとチャウは涙声になっていた。


「ちょ、ちょっと待って、ちょっと待って、二人とも。」

圭太は慌てて二人と目線の高さを同じにするように二人の前に膝立ちをした。

「誰がタムとチャウのことを嫌いになったって?

 そんなことある訳ないじゃないか。

 前も言ったろ、二人のことが大好きだって。」

それは圭太にとって本心だった。

「ほんと?」

「ああ、本当だ。」

「じゃあ、元気がないのは?」

「怒った顔していたのは?」

タムもチャウもすがるような目で圭太を見ている。

「ああ、お前たちのことじゃなくて、ちょっと考えることがあってね。

 お仕事のこと。」

「でも、弥七さんたち同じお仕事をしているのにいつもと変わらなく元気よ。」

「うん、弥七さんたちと違う仕事。

 お仕事っていろいろあるんだよ。

 わかる?」

タムとチャウはわかった振りをして大きく頷く。

「じゃあ、本当にお仕事のことを考えていたの?」

「ああ。」

圭太は嘘をついた。

「私たちのことじゃないの?」

「さっきも言ったろ、大好きだって。

 二人ともギエさんのお手伝いを一生懸命しているし、勉強だって、ご飯だってちゃんと食べているし。」

それは圭太の本心だった。

「お金は?」

「子供が心配する事じゃないの。

 最初にちゃんと考えて、二人を迎い入れたんだから。

 それに、弥七さんは僕をからかって言っただけだよ。」

二人は顔を輝かせた。


「じゃあ、このままここに居て…え?」

“居ていいのか”と尋ねようとした二人の前で、 “おいで”と言っているように圭太は大きく手を広げて見せた。

タムとチャウは申し合わせる訳でもなく、同時に圭太の腕の中へ、そして、圭太の首に齧りつくように抱きつくと、圭太の首筋に嬉しそうに顔を埋めた。

二人の体温は温かく、また良い匂いがして圭太は気分が安らぐのを感じた。

「二人とも、ここが気に入っているの?」

圭太が尋ねると、二人とも大きく頷く。

(両親のもとに帰りたくはないのか?)

圭太はそう尋ねようとしたが言葉に出すのをやめた。

「パアパ、私たち、パアパと居て幸せなの。」

「パアパ、私たち、初めて明日が楽しみになったの。」

二人は顔を上げ圭太にそう言った。

「え?」

圭太はチャムの「明日が楽しみ」という言葉の意味が分からなかった。

「前のお家では、辛いことばかり。

 いつもくたくたに疲れるまでお手伝いさせられ、気味の悪い咳をするからって、家の片隅に追いやられ、寝るたびに明日が来ないほうがいいって思っていたの。」

「私も、足を引きずると怒られ、痛くても我慢しなくちゃ叱られるの。

 家には半端者はいらないって。

 私が悪いわけじゃないのに。」

「でもね、ここに来てから今は“明日はどんなことがあるのだろう”、”パアパはまた笑ってくれるかな”って楽しみになったの。」

「私も、“明日はなにをしようかな”って。

 それに足が痛いと、パアパが揉んでくれるし。」

「あら、私も咳をするとパアパが優しく温めてくれるもん。」

チャウが慌てて付け加える。

「そうなんだ、二人とも明日が楽しみなんだね。」

頷く二人を圭太はぎゅっと抱きしめた。

「二人とも好きなだけここに居ていいからね。

 出て行きたくなったら出て行っていい。

 二人の自由だから。

 でも、中学を卒業するまでは、ここにいなきゃだめだからね。」

「中学を卒業したら?」

「中学を卒業したら、ここを出なくちゃいけないの?」

二人は心配そうな声をだす。

「二人の好きにしていいんだよ。

 ここに居てもいいし、出て行ってもいいし。

 タムとチャウの自由だよ。」

「ほんと?

 本当に中学を卒業しても、ずっとここに居ていいのね。」

チャウが安心したように言うと、二人は再び圭太の首筋に顔を埋めた。

「どこにもいかないもん。

 だって、私はパアパのお嫁さんになるんだから。」

チャウが甘えたように言うと「私も。」とタムも続いた。


その夜、圭太はまた髪にカチューシャをした少女の夢を見た。

ただ、その晩の夢の中では少女は圭太に明るい声で話しかけてきた。

「タムとチャウを幸せにしてね」

すると、もう一人、カチューシャの少女より大きい8歳位少女が現れた。

圭太は、その少女の顔に見覚えがあった。

「あ!」

何かを言おうとしたが声に出すことが出来ず、大きい方の少女はカチューシャの少女の手を引くと圭太に背を向けて歩きだし、そして目の前から消えて行った。

ただ、圭太は大きい方の少女が背を向ける時に微かに圭太の方に微笑んだように見えた。


啓太が目を覚ますと、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。

“ピピピ、ピピピ…”

いつものように目覚まし時計が圭太に起きる時間であることを告げる。

そして少しするとギエが圭太を起こしに来る。

啓太がV国に来てから繰り返されている日常。

圭太はベッドから抜け出すと、カーテンを開き窓を開けた。

昨晩、風が強く吹いていたせいか雲一つない青空が広がっていた。

一階に降りて行くと朝日の中、水色のアオザイと薄いピンクのアオザイを着た少女が二人、可愛らしい笑顔で「パアパ、おはようございます」と挨拶をしてくる。

数カ月前には無かった光景が目の前にあった。


(どんな事情があれ、お金を出してタムとチャウをお金で買ったということは同じ人間に対する冒とくであること、それが人身売買のあらたな需要を生み出すことにつながることは決して許されることではないことも事実。

 その負い目をこれからもずっと背負っていくのだろう。

 しかし、せめてもの償いとして、この二人が“明日が楽しみ”と思い続けられるように大事にしていかないといけない。)

圭太はそう思いながら、可愛い笑顔を見せるタムとチャウに、笑顔で「おはよう」と言い返していた。


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V国の憂鬱 妙正寺 静鷺 @umehoshi4394

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